ラオパンです。
今回も前回に引き続き、田中社長の教えに従い倒産パターンを学んでいきたいと思います。
倒産パターンを学ぶのに参考にする本は、今回もこちらです;
この二冊の事例を、私なりに幾つかの倒産パターンに分類してみました。
数回に分けて各パターンと事例を紹介しますが、今回がその5回目です。
あなたも経営者として一歩でも田中社長の領域に近づきたいですよね?
手っ取り早く倒産パターンをインプットしていきましょう!
倒産パターン5:ビジネスモデルのギャンブル性が高い
以前にも紹介しましたが、OWNDAYSの田中社長の教えを再確認しておきましょう☟
負けない体制を作れば、何回でも打席に立つ機会は回ってくる。
「大きな嘘の木の下で」(田中修治氏著)
打席に立つ回数が増えればいつかは絶対にヒットが出せる。
(略)
企業の成長の手法は自分自身で失敗を慎重に管理しつつ、挑戦を繰り返して見つけていくしかないのだ。
あなたが会社を経営するとき、負けない体制を作らなければなりません。
なので、ギャンブルちっくなビジネスは絶対にしちゃいけません🙅♂️
なぜなら、ギャンブルは勝つこともあるけど、いつかは必ず負けるからです。
ギャンブルに勝って一時期チヤホヤされたけど、その後ギャンブルに負けて倒産してしまった。
今回は、そんな事例を3つ紹介します。
いずれも時代は異なりますが、ビジネスモデルに共通点が多いです。
ビジネスモデルの失敗パターンとしてインプットしておきましょう。
では、ビジネスモデルのギャンブル性が高くて倒産した事例を紹介していきます。
ワールドコム
1990年代のアメリカ国内では「ニューエコノミー」が盛んに語られていました。
「ニューエコノミー」とは、ITの発展で景気循環がなくなり成長が永遠に続くという考え方です。
成長が永遠に続く・・・うーん、あり得ないでしょ🤷♂️
ワールドコムはそんな時代の代表的企業であり、「規制緩和の旗手」ともてはやされていました。
ワールドコムの繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;
ワールドコムは米政府の通信事業規制緩和を背景に、積極的な企業買収で急速に成長。
1998年にはMCIを買収し、AT&Tに次ぐ巨大通信企業となる。
しかし、2000年のドットコムバブル崩壊により株価が大きく下落。
その後、2002年に収益水増しの粉飾決算が発覚、その発表の翌月に倒産した。
ちなみに、ワールドコムの創業から繁栄の歴史は下記の通り;
- 1983年にDDSコミュニケーションズとして創業
- 1993年にメトロメディアを買収、準大手長距離国際電話会社になる
- 1994年にIDBワールドコムを買収、ワールドコムに社名変更
その後も70社以上を買収し会社を拡大 - 1997年に大手インターネットサービスプロバイダーであるUUNETを買収
- 1998年に当時ワールドコムの3倍の規模MCIコミュニケーションズを買収
一気に年商300億ドルのAT&Tに次ぐ巨大通信企業にのし上がる
一方、ワールドコムの繁栄からの転落は下記の通り;
- 2000年7月にスプリントとの合併が独禁法の疑いがあるとされ白紙撤回
- 2000年9月に「インテルショック」を契機にドットコムバブル崩壊
ワールドコムの株価は大きく下落 - 2002年6月に内部監査で明らかになった粉飾決算の事実を公表
CFOが合計38億ドル以上の収益水増しをする会計操作 - 2002年7月に連邦倒産法第11条(チャプター11)を申請
負債総額は410億ドル、エンロンを抜き当時の米国史上最大の経営破綻
ワールドコムのビジネスは通信事業なのでネットワーク経済性が働きます。
なので、一気にユーザーを取り込む戦略が必要となります。
ワールドコムのビジネスとは一体何だったのでしょうか?
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
それは、インフラを押さえつつ、ユーザーを押さえる、というシンブルな戦い方です。
「100日で倍増する」と言われていた通信量の需要拡大スピードに追いつくように、手っ取り早く既存の通信ネットワークを他よりも速く買収してインフラを整えていく。
一方で顧客ベースを持っているプレイヤーに対しても買収を仕掛けて、ユーザーを獲得していくというものです。
一気にユーザーとインフラを取り込むために積極的な企業買収をしていたんですね。
では、ワールドコムはその買収資金をどのように賄っていたんでしょうか?
なぜワールドコムはこのような「回収見込みの不透明な先行投資ゲーム」を実行できたのでしょうか。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
そこに「株価」というキーワードが浮かび上がってきます。
つまり、何かをきっかけにワールドコムの株価を高めることができれば、株式交換によって割安で企業を買うことができる。
(略)買収結果への期待によってさらに株価を高めることで、また新しい買収ができる。
ワールドコムのビジネスモデルの前提は株価だったんですね。
株価向上を利用して企業買収を進めて規模拡大を図るというサイクルを回していたんです。
では、株価が下落し、このビジネスモデルのサイクルが逆回転すると、どうなるでしょうか?
ワールドコムは「株価向上」というペダルを漕ぎ続けなくてはなりませんし、そのペダルが止まった瞬間にこの自転車は倒れる、というものです。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
当時、通信量は期待ほどには増えておらず、収益を生む状態にはまだほど遠い状況でした。
一方、ワールドコムは光ファイバーを敷設するための設備投資を全世界レベルで行っていました。
今まで会社を支えた株価向上がなければ、収益を生まない設備投資は過剰債務として残るだけです。
結果、当時の米国史上最大負債総額410億ドルを抱えた経営破綻となりました。
- ワールドコムのビジネスモデルは株価というアンコントローラブルなものに依存
- ワールドコムのビジネスモデルはドットコムバブル崩壊という外部環境変化によって逆回転
そごう
私は百貨店に殆ど行きませんが、そごうの心斎橋店や有楽町店には行ったことがあります。
今では、そごう心斎橋店は大丸になり、そごう有楽町店はビッグカメラになったようですね。
アップデートが遅くてスイマセン😓
そごうの繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;
1962年に社長就任した水島氏は米国の「レインボーの法則」を参考に拡大戦略を採った。
その際、各店舗を独立法人化する百貨店のチェーン化により、地域密着と本店へのリスク軽減を図り、日本全国での出店を加速した。
1980年代には海外にも複数出店し、百貨店業界のイノベーターとしての名を轟かせる。
しかし、1990年のバブル崩壊により負債が重くのしかかる。
その後、不採算店も増え、2000年に1兆8700億円もの負債を抱え倒産する。
ちなみに、そごうの創業から繁栄の歴史は下記の通り;
- 1830年に大阪で「大和屋」という古着屋として創業、その後「十合呉服店」に改名
- 1957年に有楽町そごう出店
この東京進出は失敗し経営危機状態に陥る - 1962年に水島氏が社長就任
アメリカの百貨店の出店の定石「レインボーの法則」を参考に千葉への出店を決定
※レインボーの法則:大都市を中心に一定距離を置いて虹のように取り囲んで出店 - 1967年に千葉そごう出店
地域密着及び本店へのリスク軽減のため独立法人化して出店
出店から毎年想定以上の売上を積上げ短期間で出店コストを回収 - 1970年代に日本全国で出店を加速
- 1980年代は海外にも複数出店
百貨店業界のイノベーターとしてその名を轟かせる - 1985年には横浜そごう開店
- 1989年には奈良そごう開店
一方、そごうの繁栄からの転落は下記の通り;
- 1990年にバブル崩壊
不採算店も増え負債は雪だるま式に膨れ上がっていった - 1995年に阪神淡路大震災、神戸店本店が半壊
- 1998年に準メインバンクの日本長期信用銀行が破綻
- 2000年に民事再生法を申請、負債総額はグループ全体で1兆8700億円
そごうのビジネスモデルは、バブル期のダイエーなど他の会社にも見られた方法です。
出店予定地周辺をあらかじめ買い占め、出店で地価を上げることで資産を増やします。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
こうして担保力をつけて黒字化した独立法人が、新しい店舗(独立法人)の債務保証をしながら銀行から資金調達し、そしてまた新たな店舗を作っていく(略)。
そごうのビジネスモデルの前提は地価だったんですね。
地価上昇による担保力で出店資金を調達して規模拡大を図るというサイクルを回していました。
恐らく、バブル期の銀行とっても、そごうはお金を借りてくれるありがたい客だったでしょう。
借りる側と貸す側のWin-Winの関係が完璧にできていたんでしょう。
では、地価が下落し、このビジネスモデルのサイクルが逆回転すると、どうなるでしょうか?
地価が下がった時は全てが逆回転する、ということです。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
担保価値が低下して銀行が資金提供を止め、資金回収に回る時、この拡大サイクルは一気に「崩壊サイクル」へと転じます。
正に『半沢直樹』の世界ですね。
バブル崩壊後、総量規制やBIS規制でがんじがらめになった銀行は別の顔を見せるわけですね。
「借りてください」から「返してください」に急変😲
完璧だと思っていた借りる側と貸す側のWin-Winの関係は崩れ去ったわけです😭
一方、本業の方も、バブル崩壊で百貨店離れにより不採算店が増えます。
消費者ニーズが「高級志向」から「高コストパフォーマンス志向」に一気に変わったんですね。
本業で収益があがらず、膨れ上がった借入金が益々重荷になっていきます。
結果、そごうグループ全体で1兆8700億円もの負債を抱えて倒産しました。
- そごうのビジネスモデルは地価というアンコントローラブルなものに依存
- そごうのビジネスモデルはバブル崩壊という外部環境変化によって逆回転
三光汽船
三光汽船の創業者である河本敏夫氏は、通産大臣などを歴任した昭和の大物政治家です。
河本敏夫氏は戦前に反戦運動に参加するなど随分と気骨ある人だったようです。
その彼が創業した三光汽船も「海運界の一匹狼」と呼ばれるほど気骨ある会社だったようです。
三光汽船の繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;
三光汽船は自主独立経営をモットーに、高度経済成長のなかスピーディー且つ大胆な意思決定で大きく飛躍した。
1970年代には大量のタンカー転売と株式投資で更なる成長を果たす。
しかし、1973年の第一次オイルショックで海運不況が始まる。
世界的なタンカー過剰で契約の半数がキャンセルされ転売できなくなった。
その後、小型バラ積み船建造で起死回生を図るも失敗し、1985年に倒産した。
ちなみに、三光汽船の創業から繁栄の歴史は下記の通り;
- 1934年に河本敏夫氏が義兄とともに創業
戦時下の日中間の貨物船需要を見込み天津航路向けに5隻の貨物船を建造し大きな利益を生む - 1960年代には自主独立経営をモットーに自力で30隻を建造
高度経済成長下にスピーディー且つ大胆な意思決定で飛躍 - 1971年から3年間で4回にわたる第三者割当増資を実施
912億円もの資金を調達、大量のタンカー造船と株式投資を行う
船舶への投資ブームと株価上昇が好循環を生み出す
一方、三光汽船の繁栄からの転落は下記の通り;
- 1973年に第一次オイルショックが発生
タンカー市況の低迷が始まる
世界的なタンカー過剰が表面化、契約していた船舶の半数以上がキャンセル - 1983年には経常損失560億円を計上、経営危機が囁かれる
低迷の原因となっていたタンカー依存から脱却し、小型ばら積み貨物船81隻を一気に建造
世界中の船主がこぞって小型船を発注し船舶は過剰、転売の機会を失う - 1985年に5200億円もの巨額の負債を抱え会社更生法を申請
三光汽船のビジネスモデルは、安く買って高く売るというものでした。
当時「三光汽船の経営の本質は、株投機と船ころがしだ」と批判されていたように、株においても船舶においても、安い時期に大量に調達し、高いタイミングで売り切る、という手法を徹底していました。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
「えっ、それだけ?」
そう思いませんでした?
でも、「安い」か「高い」かなんて誰にも分からないですよね。
三光汽船の凄さは、「安い」と見極め突っ込める経営者の才覚にあったと思うんです。
三光汽船は、創業時から環境変化のチャンスに賭ける経営をしてきました。
戦時下の日中間貨物船需要を見込んで天津航路向けの貨物船を建造したのも、その一例ですね。
「環境変化に対応する」のではなく、「環境変化を読み解き、そしてチャンスに賭ける」というスタイルで果敢に挑戦したのです。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
経営者の才覚で「環境変化を読み解き、そしてチャンスに賭ける」って、正しく聞こえますよね?
実際、三光汽船も一時期はこれで成功していたわけですし。
でも、「世界倒産図鑑」はそれではダメだと指摘しています☟
守りの体制を欠いたギャンブルでは、どれだけ才覚があっても長期的に勝ち続けるのは難しいのです。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
では、どうすれば良いのか?
環境変化のチャンスに賭ける経営ではなく、環境変化のリスクに備える経営をすべきなんです☟
「環境変化にいかに適切に対応するか」という戦いであり、だからこそその変化に対して意思決定を少しでも間違えれば、すぐに経営危機にまで達してしまうのです。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
(略)コストを削減しつつ長期契約で安定を図り、様々な形の船のポートフォリオを組むことで、何かあった時にも生き残ることができる体制を築きます。
三光汽船は大量の船舶に買うために資金調達しました。
調達した資金は、船価値上がり後に転売することによって回収・返済する目論見でした。
でも、船価が値上がりしなければ転売できず、調達した資金は回収・返済できません。
じゃあ、三光汽船の経営者が値上がりしなかった時のことも考えていたならば?
恐らく、三光汽船はここまでの急成長をしなかったと私は想像します。
急成長と守りの体制は二律背反だと思うのです。
- 三光汽船のビジネスモデルは船価というアンコントローラブルなものに依存
- 三光汽船のビジネスモデルはオイルショック・海運不況という外部環境変化によって逆回転
今回紹介した倒産事例は、時代は異なるものの下記の共通点があります;
- ビジネスモデルが相場というアンコントローラブルな要素に依存
- 上昇相場によってビジネスモデルが「順回転」し急成長
- 外部環境変化に伴う暴落相場によってビジネスモデルが「逆回転」し倒産
ワールドコム | 株価 | 2000年 ドットコムバブル崩壊 |
そごう | 地価 | 1990年 バブル崩壊 |
三光汽船 | 船価 | 1973年 オイルショック・海運不況 |
これらの事例から私たちが学び取るべき教訓として考え得るのは以下の通りです;
- ビジネスモデルの外部環境依存度を下げる
- 不況によるビジネスモデルの「逆回転」に備える
まず1点目ですが、当然、ギャンブル性高い相場のようなものへの依存度は下げるべきです。
一方、殆どのビジネスは景気の波に乗って営まれるものです。
なので、ビジネスモデルの外部環境依存度を下げるというのは言うほど簡単ではない気がします。
より大事なのは2点目、不況による「逆回転」に備えることだと私は考えます。
これは、松下幸之助氏の「ダム経営」に代表されるように、多くの偉大な経営者からの教えとも共通しています。
また、10年程度の周期で不況がやってくるのは、ビジネスパーソンであれば周知の事象です。
そんな周期的にやってくる不況に備えることは、経営者として当然の責務です。
では、あなたの会社は不況に備えて何をやってきたでしょうか?
因みに、遅ればせながら、私は現在下記の2と4に重点を置いて進めています。
- 不況への備え1:キャッシュ及び資金調達先の確保
- 不況への備え2:固定費の変動費化(有事のコスト削減迅速化)
- 不況への備え3:収益性の改善
- 不況への備え4:取引先の多様化
- 不況への備え5:取引先との契約期間長期化
改めて言うことでもないですが、ギャンブルとビジネスは似て非なるものです。
環境変化のチャンスだけを見て、攻めるだけではギャンブルです。
環境変化のチャンスもリスクも考えて、攻めも守りもあるのがビジネスです。
なかでも、守りを考えるのが経営者の責務だと私は思います。
急成長を戒め、会社を潰さない経営を心掛けなければなりません。
ということで、ラオパン、ビジネスモデルのギャンブル性が高くて倒産した事例を紹介しました。
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