ラオパンです。
以前にも話しましたが、ここ数ヶ月、OWNDAYSの田中修治社長に感化されています。
- YouTubeのオリラジ中田あっちゃんとの対談を見ました
- YouTubeの鴨頭氏との対談を見ました
- 「大きな嘘の木の下で」を読みました
- OWNDAYSでコンタクトレンズを買いました
- でも、まだ「破天荒フェニックス」は読んでません😅
ってぐらいにハマってます。
そんな田中社長の教えに「学ぶべきは失敗するパターン」というのがあります。
一番多くの時間を割いて学ばなければいけないのは、とにかく「他人が起こした失敗」なのだ。負けない体制を作れば、何回でも打席に立つ機会は回ってくる。打席に立つ回数が増えればいつかは絶対にヒットが出せる。
「大きな嘘の木の下で」(田中修治氏著)
(略)
企業の成長の手法は自分自身で失敗を慎重に管理しつつ、挑戦を繰り返して見つけていくしかないのだ。
なので、倒産パターンを学んでいきたいと思います。
倒産パターンを学ぶのに参考にする本は、この二冊です。
この二冊の事例を、私なりに幾つかの倒産パターンに分類してみました。
これから数回に分けて各パターンと事例を紹介します。
あなたが経営者として一歩でも田中社長の領域に近づけるよう、手っ取り早く倒産パターンをインプットするのに役立ててください。
倒産パターン1:経営者が会社を私物化する
経営者が会社を私物化したら、会社は倒産する。
当たり前ですよね?
でも、そんな当たり前のことで失敗する経営者が世の中には沢山いるようです。
会社を潰す社長のパターンはみんな一緒だ。
「大きな嘘の木の下で」(田中修治氏著)
会社を潰す人の多くは不真面目だ。
(略)
潰れる会社の社長は、そういった、社員や株主、銀行などに堂々と言えないことをやっている場合がとても多い。
今回は、そんな、経営者が会社を私物化して倒産した事例を紹介します。
タカタ
タカタの倒産は2017年のことなので、まだ記憶に新しいかと思います。
タカタの繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;
タカタは自動車の普及と日本車のグローバル化を機に成長・繁栄していった。
しかし、米国でのエアバッグ破裂事故が社会問題化し、米国運輸省から制裁を受ける。
この制裁により、タカタは巨額のリコール等費用負担が生じ倒産に至った。
ちなみに、タカタの創業から繁栄の歴史は下記の通り;
- 1933年に創業、元々は軍事用のパラシュートのひもを製造
- 戦後、創業者は、自動車の普及→自動車事故の増加→命を守るシートベルトの需要増、を予感しシートベルトを製品化
- 二代目が本田宗一郎氏に直談判し、1963年にホンダ車にシートベルトを標準装備
- その後、日本車のグローバル化にともない欧米企業を次々と買収し、世界規模の会社に成長
- 2006年には東証一部に上場、当時の売上高は約4700億円、経常利益は約370億円
一方、タカタの繁栄からの転落は下記の通り;
- 2007年に三代目が社長就任
- 2007年に米国ホンダ車でタカタ製のエアバッグの破裂事故発生
2008年にホンダはタカタ製エアバッグで初のリコール - 2009年に米国で初の死亡事故発生
2014年10月に「殺人犯はタカタだった」というニューヨーク・タイムズ一面の衝撃的見出し
2014年11月、12月、2015年6月と米議会で3回の公聴会開催、三代目は出席せず
2015年11月にNHTSAがタカタに制裁金支払い及び一部製品の生産停止命令
※NHTSA:米国運輸省高速道路交通安全局 - 2017年6月に民事再生法の適用を申請、リコール費用も含めた負債総額は1兆7000億円!?
タカタが倒産した直接的な原因は、米国でのエアバッグ破裂事故への対応がまずかったからです。
三代目が米議会の3回の公聴会をすっ飛ばしたのが、転落への引き金となりました。
「巨大倒産」では、この三代目の経営者としての能力欠如が強調されています。
しかし、私はタカタという会社の致命的な欠陥に、より焦点を当てたいと思います。
同じ「巨大倒産」のなかでタカタと創業家(高田家)の関係性を以下の通りに述べられています。
創業家である高田家は、タカタ総業の子会社のTKJを通じて、上場企業のタカタを支配する仕組みを構築した
「巨大倒産」(有森隆氏著)
タカタの収益を高田一族が吸い上げる集金システム
「巨大倒産」(有森隆氏著)
要するに、タカタという会社は、創業家(高田家)繁栄のために存在していたのです。
そんなタカタという会社にとって、顧客やユーザーという存在は高田家以上の存在ではありませんでした。
なので、2009年から続く米国でのエアバッグ破裂事故に対しても、いわば他人事でした。
その中で誕生した三代目に、米国の公聴会に出席し被害者に謝罪するという考えは生まれませんでした。
って、私は解釈しています。
創業家が私物化した会社に、高いモラルは生まれない。
そんなことを教えてくれる事例ですね。
NOVA
私も社会人1年目から2年目に「駅前留学」してました。
懐かしいですね、「駅前留学」のNOVA。
NOVAの繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;
NOVAは、企業の国際化を機に、レッスン大量購入制度で得た圧倒的な低価格と前受金による積極的な拠点展開とTVCM展開で成長・繁栄していった。
しかし、中途解約を巡るトラブルが相次ぎ、経産省から業務停止命令を受ける。
この業務停止命令により一気に中途解約が多発し、NOVAは倒産に至った。
ちなみに、NOVAの創業から繁栄の歴史は下記の通り;
- 1981年に創業
- 長期契約前提のレッスン大量購入制度により営業コストを削減し、低価格を実現
この圧倒的な低価格により集客
また、事前大量購入の前受金で積極的に拠点展開及びTVCM展開 - 1995年には業界最大手に
- 1996年にはナスダックに上場
2005年3月期末には994校、受講生は47万5000人、売上高は669億6900万円を計上
一方、NOVAの繁栄からの転落は下記の通り;
- 2006年3月期末に赤字転落
この頃から中途解約時の受講料を巡るトラブルや苦情が相次ぐ - 2007年2月に経産省及び東京都の立入検査
- 2007年4月に最高裁がNOVAの契約は無効とする判決
- 2007年6月に経産省から一部業務停止命令
この業務停止命令により一気に中途解約が多発、従業員や講師への給与の遅配が慢性化 - 2007年10月に会社更生法申請
NOVAが倒産した直接的な原因は、中途解約時の受講料返還問題への対応がまずかったからです。
また、そもそも中途解約が多くなったのは、講師が不足していてレッスンが予約できないというサービスへの不満が原因でした。
積極的な拠点展開による教室数の増加スピードにスタッフが追い付かなかったのです。
その背景として、「世界倒産図鑑」のなかで、NOVAのような前金ビジネスには次のような落とし穴があると解説されています。
- 前金ビジネスでは「契約を取るまでが全て」、その後の顧客満足度に興味が向きにくい
- 未消費レッスンを残したままフェードアウトする顧客が増えるほど、少ない講師数で教室を運営することができるようになるため、NOVAの利益率は高くなるというメカニズムがある
- つまり、極めて堕落の引力が強いビジネスと言える
- したがって、前金ビジネスほど、マネジメントサイクルに「規律のメカニズム」を入れなくてはならないが、NOVAは規律が効いてなかった
- NOVAはキャッシュインにつながる新規顧客の獲得にしか目がいかず、既に契約した人からのリクエストや苦情に対する優先度が落ちた
同じ「世界倒産図鑑」のなかでNOVAの猿橋社長について以下の通りに触れられています。
倒産した後、猿橋社長の豪華すぎる社長室も明らかになりました。まるで一流ホテルの部屋のような佇まい。その裏側には隠し部屋があり、サウナやベッドまで付いていたのです。
「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)
(略)
「規律」という仕組みをビルトインせず、このような社長室を作ってしまった時点で、NOVAの命運は決まっていたのかも知れません。
豪華すぎる社長室とその隠し部屋。
NOVAの猿橋社長は、正に「堂々といえないことをやっている」「不真面目な」社長だった、ということですね。
要するに、社長自身が経営者としての規律を保てなかったんですね。
まあ、そんな社長が自らのビジネスモデルに規律をビルトインするなんて無理な話です。
自らを律することが出来ない社長が率いる会社に、高い規律は生まれない。
そんなことを教えてくれる事例ですね。
大昭和製紙
大昭和というだけに、昭和感満載の倒産です。
なかなか令和ではお目にかかることができない、そんな経営者が登場する倒産劇です。
是非、あなたにも「巨大倒産」で読んでもらいたいです😄
大昭和製紙の繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;
大昭和製紙は、低価格戦略により積極的にシェアを拡大させ、成長・繁栄していった。
しかし、過度な設備投資などの拡大路線によって巨額の借入金を抱えた。
第二次オイルショックではメインバンクの住友銀行の支援により乗り切れた。
しかし、バブル崩壊時にはその支援もなく、巨額の借入金が重荷となり倒産した。
ちなみに、大昭和製紙の創業から繁栄の歴史は下記の通り;
- 1938年に創業、廉売して積極的にシェア拡大
1961年に創業者が死去、二代目が社長就任 - 二代目は創業者以上に積極的なシェア至上主義、海外拡張策も成功し一時は業界トップに
- 1973年に第一次オイルショック、紙パ製品が品薄に
これに乗じて、二代目は代理店への出荷を停止し在庫を高値でバッタ屋に流して暴利を貪る
この暴利により、株式・不動産投資に没頭、過度な設備投資に走る
一方、大昭和製紙の繁栄からの転落は下記の通り;
- 1979年に第二次オイルショック、紙パ業界は深刻な不況に見舞われる
過度な設備投資と増産による大量の在庫と巨額の借入金を抱え経営危機に - 1981年にメインバンクの住友銀行から再建チーム派遣
遊休土地や有価証券など資産売却により借入金返済、わずか2年半で経営再建に成功し引揚げ
なお、1982年に二代目は経営責任を問われて相談役に退いた - 1985年に二代目が名誉会長として復権
翌1986年には二代目がメインバンクである住友銀行との縁切り宣言 - 1991年3月期から5期連続の経常赤字
バブル景気に乗った拡大路線により膨らんだ借入金がバブル崩壊で完全に裏目に
また、1993年には二代目が贈賄で逮捕 - 1995年から融資銀行及び取引先商社から役員派遣
創業家出身者全員の代表権を外し、同族支配から脱却し、自主再建を目指した
資産売却などにより借入金圧縮を図ったが、自主再建は極めて困難だった - 2001年3月に日本製紙に救済合併
大昭和製紙が倒産した直接的な原因は、積極的な拡大路線に伴う巨額の借入金です。
創業以来の低価格戦略による拡大路線は、第一次オイルショックで莫大な利益を得た成功体験により加速されました。
そして、借入金が年間売上高を超えても歯止めが効きませんでした。
しかも、この大昭和製紙が特徴的なのは、第二次オイルショックとバブル崩壊の二度にわたり同じような失敗を繰り返したことです。
二代目をはじめとする創業家(齊藤一族)は、第二次オイルショック時の失敗に懲りませんでした。
その経営感覚が個人商店の域を出ないままバブル景気を迎え、勝手気まま好き放題やったのです。
そして、バブル崩壊を迎え、同じ失敗を繰り返すこととなりました。
「巨大倒産」のなかで大昭和製紙と創業家(齊藤一族)の関係は以下の通りに触れられています。
大昭和製紙は会社自体が齊藤一族の個人商店のようなものだった。
「巨大倒産」(有森隆氏著)
直接メーカーから買えば済むような機械でも、齊藤一族の会社を通して買うからマージン分だけ大昭和は高く買わされることになる。
「巨大倒産」(有森隆氏著)
(略)
このような大昭和製紙と齊藤一族の企業との取引高は、(略)年間売上高の40%近くに相当する。まさに寄生虫のようなものである。
(略)
大昭和の利益を、ファミリー企業を通じて吸い上げ、オーナー(略)が独占する構図である。
タカタと同様、大昭和製紙という会社は、創業家(齊藤一族)繁栄のために存在していたのです。
そんな大昭和製紙という会社の中で、創業家二代目はワンマン経営者として、会社を「個人商店」のように経営しました。
「個人商店」として経営される大昭和製紙の中でワンマン経営者である二代目は絶対であり、過剰投資という失敗も正されることなく、そして失敗から学ぶことすらなく、破滅(倒産)に向かって勝手気ままに突き進んでいった。
ってことだと私は思います。
創業家が私物化した会社に、規律など存在せず、ただ破滅に向かうのみ。
そんなことを教えてくれる事例ですね。
今回紹介した事例は、いずれも、創業者又は創業家が会社を私物化して倒産しました。
「人の振り見て我が振り直せ」
私は、創業者でも創業家出身でもありません。
ただのサラリーマンで、たまたま海外子会社の経営者をやらせてもらっているだけです。
しかし、こういう事例を目にすると、経営者として自らを律することが大切さだと再認識します。
「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」
この言葉、数年前のヤマハ発動機ラグビー部前監督の清宮克幸氏の講演で教わりました。
以来、この言葉を思い出して、自らを甘やかそうとする自分を戒めています。
ということで、ラオパン、経営者が会社を私物化して倒産した事例を紹介させて頂きました。



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