倒産パターンを事例から学ぶ ~ いい加減な経営者

倒産パターン

ラオパンです。

今回も前回同様、田中社長の教えに従い、倒産パターンを学んでいきたいと思います。

倒産パターンを学ぶのに参考にする本は、今回もこの二冊です;

この二冊の事例を、私なりに幾つかの倒産パターンに分類してみました。
数回に分けて各パターンと事例を紹介しますが、今回がその2回目です。
あなたが経営者として一歩でも田中社長の領域に近づけるよう、手っ取り早く倒産パターンをインプットするのに役立ててください。

倒産パターン2:経営者がいい加減

経営者がいい加減では、会社はいずれ傾きます。

世の中には天才肌の経営者で成功されている方も居られるとは思います。
セゾングループ元社長の堤清二氏も「感性の経営」と一時期もてはやされたそうです。
しかし、バブル崩壊後の2001年にセゾングループは事実上解散しました。
堤清二氏は、あのパルコや無印良品を生み出した偉大な実業家だとは思います。
けど、私のような凡人が見習うべき経営者ではありません。

凡人が見習うべきは、退屈だけど、こういう経営者だと思います☟

毎年何千もの企業が倒産し、他に何百もの企業が経営不振から他と合併したり吸収されたりしており、それらの窮状のほとんどすべての根本原因は、数字への注意不足につながっている。(略)
その会社の安泰は彼らが送ってよこす数字とそのメッセージに対してマネジャーが払う注意に依存しているのである。

「プロフェッショナルマネージャー」(ハロルド・S・ジェニーン氏著)

当たり前のこと」を管理項目として整理し、これを個人レベルではなく、会社全体で共有し、気持ちがいいほど徹底させることなのです。
(中略)
日常管理力の強化こそ経営者の仕事だという意識が必要です。 

「日本電産永守重信社長からのファクス42枚」(川勝 宣昭氏著)

では、経営者がいい加減で会社が倒産した事例を紹介します。

安宅産業

安宅産業は、40~50年前の高度経済成長期には、十大商社の一つに数えられた総合商社でした。
「東芝は安宅産業の二の舞になる」と言われるほど、破綻プロセスは東芝経営危機に似ています。
『歴史は繰り返す』
安宅産業の破綻プロセスは、今後も起こり得るケースとして学ぶ価値大です。

安宅産業の繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;

安宅産業は鉄・パルプ・工作機械のトップメーカーの指定商となり、総合商社として十大商社の一角を占めるまでに成長・繁栄した。
上位商社との差を縮めるためカナダの製油所との原油供給代理店契約を締結した。
しかし、オイルショックによりカナダの製油所が倒産した。
当該製油所向けの多額の債権が焦げ付き、安宅産業も倒産した。

ちなみに、安宅産業の創業から繁栄の歴史は下記の通り;

  • 1904年に創業、鉄鋼の輸入を手掛け、1926年には官営八幡製鉄所の指定商となる
    その後、八幡製鉄所の鉄、王子製紙のパルプ、米グリーン社の工作機械、を三本柱に成長
  • 1960年代半ばには十大商社の一つに数えられる総合商社に成長した
    しかし、十大商社の上位とは大きな差があった
    その差を埋めるべく、総合商社の花形であるエネルギーや資源部門への商圏拡大を目指した

一方、安宅産業の繁栄からの転落は下記の通り;

  • 1972年8月にカナダの石油精製事業会社(NRC社)との用船契約を締結
  • 1973年9月にNRC社と念願の原油供給の代理店契約を締結
    この際、安宅産業はNRC社に約180億円の与信限度を設定
  • 翌1974年のオイルショックで石油価格が4倍に高騰
    同4月に安宅産業はNRC社の与信限度を4倍に引き上げ
  • 同10月にNRC社からの支払いが滞り始め、安宅産業の債権も膨らんだ
  • 1976年3月にNRC社は破産宣告され、安宅産業に約1000億円の焦げ付きが発生
  • 1976年6月に安宅産業に住友銀行から社長が派遣、子会社倒産など解体を進めた
  • 1977年10月に伊藤忠に吸収合併

安宅産業が倒産した直接的な原因は、大口取引先の倒産による債権焦げ付きです。
よく聞く話ですね😞
この手の話のポイントは、取引先分散と取引先与信です。
今回は後者、取引先与信に焦点を当てたいと思います。

「巨大倒産」のなかで安宅産業の取引先与信審査のズサンさが以下の通りに述べられています。

カナダのニューファンドランド州が1968年に州立石油精製企業、PRC社を設立した
(略)
このPRC社の経営を始動する会社として設立されたのが、シャヒーンのNRC社である。
(略)
ニューファンドランド州政府は1973年3月に州法を改正して、PRC社を州立から民間会社に変えた。その後、民間企業になったPRC社がシャヒーンの傘下に組み込まれたわけだ。国際的政商のシャヒーンは凄腕ぶりを見せつけた。
だが、安宅はPRC社の「州立」から民間企業への変身に、長いこと気付かずにいた。
その後、安宅の常務会に提出されたNRCとの取引に関する資料には「PRC社は州立であり、取引先として間違いない」旨が書き込まれていた。
安宅経営陣がPRC社が民間企業になっていたことを知ったのは、約三年後の1976年1月になってからである。

「巨大倒産」(有森隆氏著)

石油取引で実績がある大手商社がシャヒーンとの取引を敬遠するなか、万年下位から脱出する好機ととらえた安宅産業は、シャヒーンの石油代理店になることに活路を求めた。
(略)
原油の販売は石油会社から精製会社へ直接売るのが常識であって、そこに商社が介在する余地は、そもそもなかった

「巨大倒産」(有森隆氏著)

安宅産業のこのケース、「バカじゃない?」って思いますか?
私は・・・思えません😟

  • 狙っていた大きな獲物が来た!
  • リスク?大丈夫だろ?大丈夫かなあ🤨大丈夫😑
  • 早くしないと大きな獲物を逃してしまう!!
  • 急げえええ!!行けえええええ!!!

こんな感じでババを引き当てて、後に高いペナルティを払わされるのを幾度も見てきました。
私自身も大きな案件が目の前に転がり込むと、同じようにテンション爆上げです🤑

一方で、経営者なら誰でも与信審査が重要であることくらい分かっています。
そんなの当たり前のことです。
でも、そんな当たり前のことが大事な場面で出来ない。
常日頃からその当たり前を徹底していないから、大事な場面でできないんだと思います。
経営者が当たり前のことを日々徹底しているか否かが問われますね😉

因みに、私は取引先与信審査に取引信用保険を活用しています。
取引信用保険を買うことにより、各取引先与信枠を保険会社に審査・評価してもらえます。
保険会社が設定した与信枠に基づいて、支払い条件などの取引条件を定めています。
これを始めてまだ1年ですが、債権回転率が改善するなど効果が徐々に出てきています。
取引信用保険は「負けない体制」づくりに役立つと思いますので、是非、検討してみてください。

経営者がズサンだと、会社は一瞬で傾いてしまう。

そんなことを教えてくれる事例ですね。

林原

林原といえば、トレハロースのCMを思い出します。
かなり印象的なCMでした☟

【倒産企業CM】 トレハロースCM 林原

林原の繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;

林原は基礎研究重視により高付加価値ヒット製品を次々と生み出し、バイオ企業として急成長した。
しかし、不正経理が発覚し、研究への投資資金を借入していた銀行からの信用を失った。
銀行が求めた巨額の融資額に対する追加担保が用意できずに倒産した。

ちなみに、林原の創業から繁栄の歴史は下記の通り;

  • 1883年に水飴メーカーとして創業
  • 戦後に二代目により国内最大の水飴・ブドウ糖メーカにまで成長
  • 1961年に二代目が急死、三代目が急遽継承
    この頃から水飴とブドウ糖に価格下落圧力がかかる
  • 1966年にでんぷん化学メーカーという基礎研究ベースの高付加価値路線に方向転換
    三代目は徹底的に研究に投資
    1968年のマルトースを皮切りに、1980年代のインターフェロン、1990年代のトレハロース、2000年代のプルランなど次々とヒットを生み出しバイオ企業として急成長

一方、林原の繁栄からの転落は下記の通り;

  • 2010年の年末に不正経理発覚
    銀行借入の増額承認を得るため長年にわたる金融機関向けの決算書改ざん
    赤字を黒字に変更するための架空利益計上、債務超過隠蔽のための剰余金増額、など
  • メインバンクの中国銀行とサブメインバンクの住友信託銀行が追加担保設定を要求
  • 巨額の融資額に対する追加担保を用意できず、2011年2月に会社更生法を申請

林原が倒産した直接的な原因は、不正経理により銀行からの信用を失ったことです。
しかし、それ以前にも林原の経営状態は芳しくなかったのです。

既に1990年以降、グループの中核4社は、巨額な債務超過の状態に陥っていたと考えられます。

「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)

「世界倒産図鑑」のなかで、林原の「普通の感覚ではあり得ない驚くべき管理体制の甘さ」が以下の通りに指摘されています。

まず林原の経営陣には、「我が社にはいざとなったら不動産がある」という絶対的な自信がありました。
(略)
倒産の間際になってはじめて、「不動産では債務超過金額を補うことができない」ということに気づくのです。

「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)

社長であった健氏は、経理には一切ノータッチで、弟の靖氏に一任していました。
会計監査人を置くこともなく
(略)
経理は完全にブラックボックスと化していたわけです。

「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)

要するに、社長が数字を見ないこと、これが元凶ですね。

  • 社長が数字を見ないから、収支を見ずに過剰な研究投資をする
  • 社長が数字を見ないから、返済能力を鑑みずに過剰な銀行借入をする
  • 社長が数字を見ないから、銀行の信用を一瞬に失うような不正経理をする

数字による管理とは、厳しいノルマを与えることではない。要は、数字に基づく経営である。数字を見るのが早ければ早いほど、そして数字が正確であればあるほど、それだけ早く必要な対策を打てる。そこが肝心だ。

「プロフェッショナルマネージャー」(ハロルド・S・ジェニーン氏著)への柳井正氏コメント

これ、ユニクロ柳井正社長のお言葉なんですが、林原はこれの全く逆を行ってしまった訳ですね。

社長が数字を見なければ、会社が危ういことにさえ気付けない。

そんなことを教えてくれる事例ですね。

マイカル

大阪で生まれ育ったアラフィフの私にはマイカルよりニチイの方が馴染みがあります。
現在はイオンに吸収合併され、イオングループの一員だそうです。

マイカルの繁栄から倒産までは、ざっくり以下の通りです;

マイカルは、高度成長期の波に乗って総合スーパー「ニチイ」として成長した。
その後、バブル期の「量よりも質」への消費者ニーズ変化に対応すべく、マイカルタウン構想を掲げ、ショッピングモール事業へと変身し、積極投資・出店した。
しかし、バブル後のデフレで消費者ニーズは更に変化し、低価格志向となっていった。
この変化にマイカルは対応できず、全店舗が赤字となり、資金調達が出来ず倒産した。

ちなみに、マイカルの創業から繁栄の歴史は下記の通り;

  • 1963年に4社が合併してニチイを創業
    高度経済成長期の波に乗り総合スーパーとして成長
  • しかし、1980年代は消費者ニーズの変化により他の大手スーパーと同様に減益
  • 1988年に量から質への転換を図るため脱スーパー路線を掲げマイカルに社名変更
  • 1989年には未来都市「マイカルタウン」構想に基づき、マイカル本牧を出店
    スーパーとは全く次元の異なる巨大商業施設、「時間消費型」のショッピングモール
  • バブル崩壊後は地価下落を背景にマイカルタウンに積極投資
    1995年にマイカル桑名、1997年にマイカル明石、1998年にマイカル大連商場、1999年にマイカル小樽と矢継ぎ早に投資

一方、マイカルの繁栄からの転落は下記の通り;

  • 1990年代後半に日本はデフレとなり、消費者ニーズは「安くて良いもの」に変化
    この消費者ニーズの変化に逆行するように、マイカルは「量よりも質」を追求
    その結果、積極投資により巨額なコストが計上される一方、売上が立たず、全ての店舗で大きく赤字を垂れ流した
  • 1998年に670億円の赤字が表面化してからマイカル危機説が一気に広がる
    メインバンクからの融資など資金確保に難航
  • 2001年9月に民事再生法、同11月に会社更生法を申請

マイカルが倒産した直接的な原因は、消費者ニーズの変化に対応できなかったこと、積極出店投資による巨額の負債を抱えていたこと、です。
しかし、本当に消費者ニーズ変化や積極出店投資がマイカル倒産の根本原因なのでしょうか?

「世界倒産図鑑」の答えはNOです。

競合であるジャスコ(イオン)やイトーヨーカ堂も店舗の大型化を推進していました。
方針そのものに違いがなかったとすれば、本質的な差はどこにあったのでしょうか。

「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)

確かに、イオンやイトーヨーカ堂は、同じ外部環境のなか、同じようにショッピングモール事業など店舗大型化をしていながら、今でも生き残っています。
倒産した会社と生き残った会社の「本質的な差」はどこにあるのか?

ココです☟

その差は「現場の緻密さ」ということにあります。
(略)
店舗の最前線の現場で消費者ニーズを見極めながら、モノが売れるような仕掛けをどれだけ試行錯誤してきたか、ということです。
(略)
マイカルは、(略)「マイカル宣言」に見られるような大きなコンセプトに走り、一方で必要な現場の緻密なマーケティング施策が疎かになっていたのです。

「世界倒産図鑑」(荒木博行氏著)

これ、本質的な差=現場スタッフの優劣、と誤解しないでくださいね。
これは、経営者が「作った器一つ一つにしっかりと魂を入れていくこと」ができるか否か、ということを意味しています。

経営者が、大きな企画をたてた後、細部まで具体的なアクションとして描いているか?
経営者が、「現場の緻密さ」にどれだけこだわっているか?

経営者だからってサボれないですね。

経営者に緻密さがなければ、現場対応力で負けてしまう。

そんなことを教えてくれる事例ですね。


今回紹介した事例は、いずれも、経営者がいい加減で会社が倒産しました。

「人の振り見て我が振り直せ」

私もサラリーマンながら、何人か子会社経営をしくじった先輩を見てきました。

  • トップラインを伸ばしたい派手好きの経営者 ⇒ 未回収債権山積み!!
  • 財務諸表がちゃんと読めない困った経営者 ⇒ 返済するあてもなく借金山積み!!
  • いきった計画は立てるけど実行しない経営者 ⇒ 全て「景気のせい」で業績悪化!!

私が見てきたしくじった先輩も総じていい加減でしたね。

「神は細部に宿る(God is in the details)」

退屈だけど、この言葉って嘘じゃないと思います。

ということで、ラオパン、経営者がいい加減で会社が倒産した事例を紹介させて頂きました。

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