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水俣病問題

 戦後の急速な経済成長に伴い、日本の各地で公害が社会問題化した。原因企業や政府への批判が高まり、1970年に開かれた臨時国会、通称「公害国会」で公害関係14法が成立し、問題改善の道が開かれた。それから半世紀。東京電力福島第1原発事故では以前と変わらぬ構図が横たわり、地球規模の環境問題に直面し新たな対応が求められている。

 *責任の所在

 「住民反対運動が各地で起こり、68年に水俣病やイタイイタイ病が政府に公害病と認定されるという大きなうねりの中で開かれたのが公害国会だった。戦後の資本主義の行き詰まりが国会で総括された」と、ルポライターの鎌田慧は振り返る。

 60年代末以降、多くの公害の現場を取材。「原因企業のおかげで地域が潤うと考える首長や住民も多く、まさに“金と命の交換”が各地で行われていた」

公害国会では、問題解決に向けた国の基本姿勢や事業者責任が明確化され、規制も強化。「その翌年には環境庁(現環境省)も発足し、日本がまっとうな国になっていくのではという感覚はあった」。患者認定の申請や損害賠償を求める訴訟は今も続くが、70年代以降のさまざまな取り組みで日本の公害問題は改善したかに見えた。

 しかし2011年の東日本大震災で福島第1原発事故が発生。「10年たっても多くの住民が故郷に戻れない。これは究極の公害と言える」と厳しく指摘する。

 事故を巡り業務上過失致死傷の罪で旧東電経営陣3人が強制起訴されたが東京地裁は19年、無罪の判決を言い渡した。「旧経営陣は刑事責任を問われず、政治家も官僚も責任を取ろうとしない。公害対策の教訓は原発では生かされなかった」

 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定に向けた調査に昨年、過疎化が進む北海道の2町村が手を挙げた。「金と命の交換は今も続いていると言えるのではないか」

 *グローバル化

 90年代以降、地球温暖化に関する議論が広がり、環境問題はグローバル化した。「経済活動にはブレーキが必要だと世界に知らしめたのが、水俣病など日本の痛ましい公害だった。しかし気候変動や海洋プラスチック汚染といった現代の環境問題は当時とは違う、新たな視点で考える必要がある」。そう話すのは、海洋プラスチックごみ研究の第一人者で九州大教授(海洋物理学)の磯辺篤彦だ。

 「当時の日本の公害は加害者と被害者が明確に分かれていたが、現代の環境問題は加害者と被害者が重なり合っている。海洋プラ汚染で言えば、加害者は清潔で快適な生活を求めてプラスチックを使う私たちであり、被害者は汚染で快適な生活を奪われる私たちと次の世代と自然環境だ」

 以前の公害のように工場などの汚染源を絶てば解決できる問題ではないという。安価なプラスチックは生活を支えている面もあり「急激な規制で経済的弱者に負担を強いることはできない」とも。

 ではどうすればいいのか。磯辺は「今求められるのは、企業も消費者も社会全体でプラスチックの総量を計画的に減らすという合意形成だ。環境に優しい素材を使うなどライフスタイルの変革も大事。(新たな市場が生まれれば)環境問題は経済活動のブレーキでなく、アクセルにもなる」と提案する。(敬称略)

【写真説明】(上)米ハワイの海岸に打ち上げられたさまざまなプラスチックごみ(米海洋大気局提供)(下)工場の排水口から海に流れ出る廃液=1970年ごろ、北九州市

 ●レジ袋有料化/プラごみ考える契機に

 プラスチックごみによる海洋汚染が近年進んでいることを受け、2020年7月からレジ袋の有料化が全国の小売店に義務付けられた。海外では既に60カ国以上でレジ袋の使用禁止や有料化などの規制を導入しており、日本の対応は出遅れたといえる。

 九州大教授の磯辺篤彦は「海洋プラスチックごみ全体の中で占めるレジ袋の割合はそれほど多くないが、有料化は買い物という日々の生活に直結し、周知効果は抜群だった。日本の人々がプラスチックごみ問題全体を考えるきっかけにしてほしい」と話している。(『南日本新聞』2021年01月13日)