「バーニー主義」の原点
カナダと接する、アメリカ東部バーモント州。
日本では、ロングセラーとなっている即席カレーの名前として、最も知られているかもしれない。
この州の最大都市、バーリントンがバーニー・サンダース上院議員の「地元」だ。
町の中心部から歩いて10分ほど。
全米第6の広さを誇るシャンプレーン湖のほとりに、市民の憩いの場となっている公園がある。
一帯は40年前まで、操車場や船着き場がある工業地域だったが、突如として高級マンションの開発計画が浮上。
これに反対の声をあげたのが、かつて地域政党で政治活動をした経験のあるサンダース氏だった。
“Burlington is not for sale(バーリントンは売り物ではない)”をスローガンに市長選挙に立候補すると、低所得者を中心に支持を集め、1981年、僅か10票差で初当選を果たした。
そして就任後、サンダース市長はこの場所を高級マンションではなく、公園に整備した。
所得に関係なく、誰もが恩恵を受けられるように。
公園で出会った男性に話を聞いてみた。
生まれも育ちもバーリントンだという男性は、サンダース氏のことを「誰もが知っている、地元の英雄だ」とたたえた。
そして、この公園は市長時代の功績の1つだとしたうえで、市内には、彼が残したものがまだたくさんあると言う。
「市長新聞」
サンダース市長が、バーリントンに残したもの。
それを探るため、訪れた地元の大学図書館で見つけたのは、当時、サンダース氏が発行していた市民向けの「市長新聞」だった。
この写真は、1984年の紙面。市の予算の骨子が載っている。
柱として掲げているのが、公営住宅の整備、小規模な事業者への支援、そして雇用の創出だ。
市長になる前まで、みずからも住む家に困ることがあったサンダース氏は、特に住宅の問題に力を注いでいた。
バーリントンの街を歩くと、同じような大きさの家が等間隔で並んでいることに気付く。
その多くが、住む人がいなくなった家を市の住宅公社が買い取り、改装して、市場価格よりも安く貸したり、販売したりしているものだ。
住宅公社は、サンダース市長が設立した公社が前身で、現在、市内の住宅の8%を管理していて、全米最大の規模を誇る。
住宅を重視する姿勢は今も変わっていない。
大統領選挙に向けて、サンダース氏は日本円でおよそ270兆円をかけ各地に合わせて1000万戸の住宅を整備し、ホームレス問題を解消すると訴えている。
40年間で変わったのは…
もう1つ、サンダース氏が一貫して訴え続けているのが、環境保護だ。
市長時代に推し進めた、風水力やバイオマス発電の政策がその後も受け継がれ、バーリントンは2014年、消費電力のすべてを再生可能エネルギーで発電する全米最初の都市になった。
ことしの大統領選挙に向けても、サンダース氏は地球温暖化対策や環境関連事業に投資して雇用を生み出し、経済成長につなげようという「グリーンニューディール」を掲げている。
こうした、弱者に優しい数々の政策が評価され、サンダース市長時代、バーリントンは全米で最も住みやすい街に選ばれたこともある。
市職員として住宅政策に携わってきたカーペンターさんは、「バーリントンは全米の30年先を進み、アメリカを引っ張ってきた」と胸を張る。
さらにサンダース氏については「問題だと思ったことに対しては決して妥協せず、言っていることは40年前から何も変わらない。強いて違いがあるとすれば、彼が批判している“Millionaire(富裕層)のための政治”ということばが“Billionaire(超富裕層)のための政治”に変わったことぐらいじゃないか」と話す。
支払えないほど高い医療費。
大学卒業までに平均300万円に上るとされる学生ローン。
環境より経済優先の政策。
そして、企業の自社株買いによる株価のつり上げ…。
こうした資本主義の矛盾に不満を抱くアメリカ人は、若者を中心に急増している。
ときに保守派から「共産主義者」とやゆされながらも、人口4万の町を変えたサンダース氏の信念は、今、全米にじわじわと浸透し支持を広げている。