「バーニーの原点」を訪ねて

アメリカ大統領選挙に向けた野党・民主党の候補者選びは事実上、バイデン副大統領とサンダース上院議員の2人に絞り込まれた。
序盤戦で先行した左派のサンダース氏に対し、国民皆保険の導入や学生ローンの返済免除など、その急進的な主張に懸念を示す中道派の候補者たちが相次いで撤退を表明し、バイデン氏に一本化した形だ。

民主党主流派が、ここまで警戒するサンダース氏。
78歳の自称「民主社会主義者」が、なぜ若者たちの熱狂的な支持を集めているのか。
その政治活動の原点を探ろうと、サンダース氏が長年市長を務めていた町を訪ねた。

「バーニー主義」の原点

カナダと接する、アメリカ東部バーモント州。
日本では、ロングセラーとなっている即席カレーの名前として、最も知られているかもしれない。

この州の最大都市、バーリントンがバーニー・サンダース上院議員の「地元」だ。

町の中心部から歩いて10分ほど。
全米第6の広さを誇るシャンプレーン湖のほとりに、市民の憩いの場となっている公園がある。
一帯は40年前まで、操車場や船着き場がある工業地域だったが、突如として高級マンションの開発計画が浮上。
これに反対の声をあげたのが、かつて地域政党で政治活動をした経験のあるサンダース氏だった。

“Burlington is not for sale(バーリントンは売り物ではない)”をスローガンに市長選挙に立候補すると、低所得者を中心に支持を集め、1981年、僅か10票差で初当選を果たした。
そして就任後、サンダース市長はこの場所を高級マンションではなく、公園に整備した。
所得に関係なく、誰もが恩恵を受けられるように。

公園で出会った男性に話を聞いてみた。

生まれも育ちもバーリントンだという男性は、サンダース氏のことを「誰もが知っている、地元の英雄だ」とたたえた。
そして、この公園は市長時代の功績の1つだとしたうえで、市内には、彼が残したものがまだたくさんあると言う。

「市長新聞」

サンダース市長が、バーリントンに残したもの。

それを探るため、訪れた地元の大学図書館で見つけたのは、当時、サンダース氏が発行していた市民向けの「市長新聞」だった。

この写真は、1984年の紙面。市の予算の骨子が載っている。
柱として掲げているのが、公営住宅の整備、小規模な事業者への支援、そして雇用の創出だ。
市長になる前まで、みずからも住む家に困ることがあったサンダース氏は、特に住宅の問題に力を注いでいた。

バーリントンの街を歩くと、同じような大きさの家が等間隔で並んでいることに気付く。
その多くが、住む人がいなくなった家を市の住宅公社が買い取り、改装して、市場価格よりも安く貸したり、販売したりしているものだ。
住宅公社は、サンダース市長が設立した公社が前身で、現在、市内の住宅の8%を管理していて、全米最大の規模を誇る。

住宅を重視する姿勢は今も変わっていない。
大統領選挙に向けて、サンダース氏は日本円でおよそ270兆円をかけ各地に合わせて1000万戸の住宅を整備し、ホームレス問題を解消すると訴えている。

バーリントン市長時代のサンダース氏(左)

40年間で変わったのは…

もう1つ、サンダース氏が一貫して訴え続けているのが、環境保護だ。

市長時代に推し進めた、風水力やバイオマス発電の政策がその後も受け継がれ、バーリントンは2014年、消費電力のすべてを再生可能エネルギーで発電する全米最初の都市になった。
ことしの大統領選挙に向けても、サンダース氏は地球温暖化対策や環境関連事業に投資して雇用を生み出し、経済成長につなげようという「グリーンニューディール」を掲げている。

こうした、弱者に優しい数々の政策が評価され、サンダース市長時代、バーリントンは全米で最も住みやすい街に選ばれたこともある。

市職員として住宅政策に携わってきたカーペンターさんは、「バーリントンは全米の30年先を進み、アメリカを引っ張ってきた」と胸を張る。

さらにサンダース氏については「問題だと思ったことに対しては決して妥協せず、言っていることは40年前から何も変わらない。強いて違いがあるとすれば、彼が批判している“Millionaire(富裕層)のための政治”ということばが“Billionaire(超富裕層)のための政治”に変わったことぐらいじゃないか」と話す。

支払えないほど高い医療費。
大学卒業までに平均300万円に上るとされる学生ローン。
環境より経済優先の政策。
そして、企業の自社株買いによる株価のつり上げ…。

こうした資本主義の矛盾に不満を抱くアメリカ人は、若者を中心に急増している。
ときに保守派から「共産主義者」とやゆされながらも、人口4万の町を変えたサンダース氏の信念は、今、全米にじわじわと浸透し支持を広げている。

ワシントン支局記者

栗原 岳史

2005年入局。
岡山放送局、政治部などを経て、2018年からワシントン支局。
ホワイトハウス、大統領選挙を担当。