なぜPTAは、なかなか変わらないの?
2016年もPTAが話題になっています。大きな理由は1億総活躍国民会議の民間議員である菊池桃子さんの以下の発言です。
「PTA活動、もともと任意活動であった。しかし、なぜか、すべての者が参加するような雰囲気作りがなされていると。その中で、なかなか働くお母さんたちにとっては、PTA活動っていうものが難しいと。」(産経新聞3月25日)
ここで言う「任意活動」というのは、活動するのもしないのも自由という意味ですが、実際の学校現場では、すべての保護者が自動的にPTAに加入し、活動への参加も、半ば強制的に割り当てられていることが多いのです。
任意と強制の問題について、私は何人かのPTA会長さんにお会いしてお話をうかがってみましたが、なかなかすっきりとした話し合いにはなりませんでした。基本的には任意であるし、強制したいとも考えていないけれども、現状で問題は起きていないというのが多くの共通認識でした。
このように、実際にPTAの運営に携わっている人の多くは、任意入会制度の推進に対して慎重な姿勢を持っています。この人たちを任意入会整備慎重派(以下、慎重派)と呼ぶことにしましょう。
逆に、現状のPTAの「強制入会(自動入会)」は「違法」であるとして、任意入会の整備を推進したいとする人たちもいます。この人たちを、任意入会整備推進派(以下、推進派)と呼ぶことにしましょう。
両者の意見はしばしば、まったく相容れないように見えますが、本当にそうでしょうか。
お話をうかがってみると、慎重派だって、PTA内部の「人権侵害」や「いじめ」や「貧困」を容認しようなんて思ってはいません。
それらの「問題」については個別に対処できるはずだし、現状の全員入会がただちに諸悪の根源にはなっているとも思えないので、任意入会制度の整備については、慎重に進めていきたいと考えている方がほとんどです。
個人的な意見としては、任意入会の事実については積極的に周知して、何らかの「問題」があったときに、逃げ道を確保しておくべきだと考えていますが、急激な任意入会制度の実現は難しいという認識については、外部の人間として反対はできませんでした。
言い方を変えれば、慎重派の論理にも理解を示したことになります。任意入会整備推進派の言い分は正論ですが、それでもPTAが変わらないとしたら、そこに何か見落としているものがあるのではないかと思ったからです。
そのような疑問が湧いたので、今回はPTAの任意入会制度推進論者のぶきゃこさんとの対談を通して、PTAの全員入会の是非についてあらためて考えてみることにしました。
なお、本記事はお互いの主張を検討し、論点を整理することを目的としています。ですから、以下に述べられる慎重派の言い分は、必ずしも私自身の考えとすべて一致するものではありません。また、双方の言い分は、推進派や慎重派の見解のすべて代表するものではありません。議論のたたき台としてご使用ください。
任意入会推進派の考える理想のPTAってどんなもの?
たどころ:
PTAが任意団体であって、入会が任意であることは、一般的な了解を得られた事実です。
しかし、現実のPTAにおいては、任意入会が有名無実化していたり、任意だけど基本的には全員入会のようなかたちになっていたりすることもあります。
たしかに、任意入会制度が整っていても、非入会を許さないような空気がつくられることもあります。逆に、任意入会をうたっていないけれども、退会が自由で風通しのよいPTAもあるかもしれません。
意外と両者の目指すところには共通点があるのではないかという気がします。
はじめに、お互いに自己紹介をしましょう。
私、たどころは、自営業(自由業)の二児の父で、PTA経験は幼稚園を含めて5年。本部運営役員の経験はありませんが、PTAの本を書くにあたって、複数のPTAの役員さんたちにお話をうかがいました。
一方、ぶきゃこさんはお子さん4人を持つ共働きのワーキングマザーで、現在は小中高すべてのPTAにおいて非会員ですね。ぶきゃこさんのPTA経歴について教えていただけますか?
ぶきゃこ:
公立小PTAは会員として約8年間、非会員として約4年間かかわりました。
公立中PTAは会員として約2年間、非会員として約4年間かかわりました。
これらのPTAでは、執行部以外の委員・係をいくつか経験しました。
また、公立高PTAにも会員として約2年間かかわりました。このPTAは稀に見るホワイトPTAでしたので、すんなり入会しましたし、部活支援の寄付などもしましたが、なぜか3年目は会費の納入票が届かなかったため、自然消滅というかたちになりました。
たどころ:
現在は、あえて非会員のぶきゃこさんですが、任意入会制度の整った「ホワイトPTA」であれば、入会するのですね。ここでいう「ホワイトPTA」とは、いったいどのようなものでしたか?
ぶきゃこ:
次のようなところがホワイトと感じられました。
・入学式の後に「PTA説明会」があり、団体の性質(任意性も)、活動の紹介や、PTAがどのようなことを「意義」や「学校における役割」だと考えているのかの説明があった。
・説明資料と、入会申込書兼お手伝い希望票(出来ませんという選択肢有り)は、学校の入学関係資料とは別封筒で配布され、別団体であることが明確であった。
・申込書は当日すぐに出してもよし、後日提出でもOKだった(検討する時間がある)。
・問い合わせ先メールアドレスが明記されていた。
・会費の支払い方法は郵便振替用紙または振込で、校納金との抱き合わせ徴収ではなかった。
・活動内容は、学園祭の出店と会員交流(月に1回くらいの役員会を兼ねたサロン)、体育祭の手伝い、メール配信システムの整備など意義を理解できるものばかりで、教育委員会の下請け系や上部団体・地域団体とのしがらみもなかった。
たどころ:
なるほど、たしかに「任意入会」の理念が実現されたPTAのようですね。
PTAのこんなところが嫌い?
たどころ:
小中学校のPTAの方は、不満をお持ちになって退会されたとのことですが、いったい、何が不満の原因だったのか、お聞かせください。
ぶきゃこ:
基本的には、どんな種類の団体でも「加入する理由がある時に加入する」ことにしておりますので、加入する理由、あるいは加入した状態を続ける理由が見いだせなくなったというのが「非加入の原因」になろうかと思います。
ただ、自動加入させられたとは言え、慣性の法則がありますから、きっかけがなければ退会しなかったと思います。
小学校PTAは、上の子供たちを通じて8年間所属し、役員もやっていましたが、4人目の入学に際し、「入会のさせ方に堪忍袋の緒がキレたこと」で、退会に踏み切りました。
当時のブログには、次のように書いています。
――
今年度から、PTAを退会した。
たいそうな理由があったわけじゃない。
末っ子が入学したのだが、そのときにもらった「PTAについてのお知らせ」をみて、何かプツッと切れてしまった。
「あなたは子どもを入学させた。ついては、同時にPTA会員となった。」と書かれ、その次には口座振替依頼書が添付され、記載例がつけてある。
おい! ふざけんな!と思ってしまったのである。
この紙をもらうのは4度目である。
今まで「そういうものか、仕方ない」とあまり深く考えず、会費の引き落としに応じていた。
にもかかわらず、何故か今年は、積もり積もったナニかが私に「ふざけんな、入るか入らないかぐらい聞けよ!」とキレさせたのだ!
――
さらに、前年度に学級委員をやっていて、当時、後任の「委員決め体験」で非常に不快な思いをしたので、やめてよかったと心から思いました。このことも、当時のブログに書きました。
――
期の終わりに、学級委員が次年度の各種委員を決めるのが慣例となっていた。
無理矢理押しつける事だけはしたくないため、まだ委員役員の未経験者対象に年明けぐらいから打診を繰り返していたが、やはり誰にも快諾はしてもらえない。
とうとう決まらぬまま春を迎え、「明日の保護者会で決めなければ」というリミットの日になってしまい、もうこれはまた自分が(すでに出していたPTA退会届を撤回して)役を引き受けるしかないか…と思っていた矢先、(中略)、土壇場で、「えーまだ決まらないの?お疲れ様。子供の事でくじびきなんて嫌だよね…じゃあ、私やるよ」ということで、私の友だちのAさんが引き受けてくれた。
何日か後に、Aさんから、実は1週間ほど前にお父様が亡くなっていた事を聞いた。
看病が続いていたので、PTAは断っていたが、亡くなってしまったので気持ちを切り替えて引き受ける事にしたのだと。
それを聞いて、知らずに役をほぼ押しつけてしまった事を後悔し、私はなんというかもう本当に、この団体に所属しているのが心底イヤになってしまった。
――
たどころ:
ありがとうございます。このできごとが2012年4月で、以来、4年間にわたって非会員ということですね。
他人に仕事を押しつける役目を負わされるというぶきゃこさんの体験は、まさにPTAの暗部の象徴なのですが、なかなか慎重派には理解してもらえないところでもあります。「その程度」のことは「お互い様」なんだから「我慢」してください、と言われがちですが、ぶきゃこさんには「その程度」とは思えないということですよね。
ただし、そのことがイコール自動入会の弊害なのかどうかは疑問です。
役員決めの苦労や活動の強制性といった「デメリット」は、自動入会のPTAでも議論を通じて解消されることはあると思いますし、実際に負担の少ないPTAは存在します。
一方で、もし任意入会でPTAの加入率が過半数を切るようなことが起きると、保護者同士のつながりをつくるというPTAの「メリット」が半減してしまいます。
「デメリット」は個別に対応して解決もできると思うのですが、そのようにして、内部から問題を解消するのではなく、なぜ、いきなり退会を選ばれたのでしょうか?
煽るつもりはありませんが、残された保護者やお友達のAさんに対しての「逃避」にあたらないでしょうか。投げ出さずに、PTA会員として、内部から改善することはできなかったのでしょうか。
ぶきゃこ:
「逃避」か「逃避」でないかという話であれば、それは「逃避」という表現も出来るのかもしれません。ですので、「逃避」と言われることは別に構いません。
この無法状態を維持したくないと考えた場合、私に何が出来るかというと、以下の二択だったと思います。
①会長に立候補してルールを変える。
②脱会することで「PTAは学校の所属組織ではなく任意加入団体」であることを示し、そこから会員が再考するきっかけを作る。
中間的な「会長以外の本部役員や委員などになって、声を上げる」というのもありましたが、それはやりました。
正直、「またお前かうるせえやつだ」と思われてたくらい物申してたことは多かっただろうなと思います。
ただ、そういう行動によってマイナーチェンジはできましたが、「PTAは義務」という発想が共有されている状態をくつがえすことは難しかったですね。
で、①については、事実上無理だと判断しました。
会長のスケジュールは過去に公開されたことがあったのですが、月に平均10回程度は会議などがありましたし、会社員としての仕事と家事育児を考えるとそんなスーパーマザーにはなれません。
そして②を選んだ形になります。
ですので、「逃避した」と言われるのはいっこうに構わないのですが、自分自身で「逃避してしまったな」という罪悪感はまったくありません。
また、「逃避」というのは、苦しい状態から楽な状態に走ることではないかと思うのですが、現在のPTA社会で脱会が「楽」だとは思いません。
たしかに、委任状を期日までに出したりしなければならないなどの「会員の義務」はなくなりますし、金銭的な部分でも支払いは「義務」ではなくなります。
しかしそれはPTAから与えられる義務がなくなるというだけの話であり、保護者として子どもに何が必要か、常に考え、必要があれば他の保護者と協力し学校とも連携をとる、という部分では何ら変わりません。
PTAが募集する手伝いや係も、非会員になってからも、できるものは応じていますので、そこの部分は変化ありません。「楽な方に行きたい」方には、退会は勧めません。
たどころ:
そうですね。「逃避」がいちがいに悪いわけではないですし、現状では、むしろ「退会」は勇敢な行為だと思います。
私も、PTAに一石を投じるために「退会」することを想像してみたことはありますが、「退会」に伴う「面倒」を思うと、とても気軽にやってみる気にはなれませんでした。現状で「退会」を選んだ方たちに対しては、感嘆の思いがあります。
また、実際のPTAで、一会員として私の投じた意見は、ほぼすべて「保留」になりましたし、内部から変えることの難しさもよくわかっています。
ところで、ぶきゃこさんが役員決めで本当に不愉快な思いをしたのは、時系列的には退会後のことですね。
お話をうかがうと、PTAの強制入会の「違法性」に、気がついたから乗っかったかのように受け取れます。それまで8年間受け入れてきたものを急に投げ出すのは、メディアなどのPTA批判に影響された、軽率な行動ではないかとの批判には、どのように答えますか?
ぶきゃこ:
メディアのPTA批判の影響ですが、今はすごいですが、当時そこまで批判されていた記憶はありません。
私は、もともとPTAが嫌いでした。これは、個人的な趣味嗜好です。
いつから嫌いかといえば、たぶん長女を入学させたとき(12年以上前)から、なんだか嫌いだったと思います。ただ、「やんなきゃいけないもの」と何となく思い込まされていて、退会するかどうかを考えたことがなかったのだと思います。
長女を入学させたとき、当時のPTA会長が、1年生の教室の委員選出の場まで来ました。なかなか決まらないので、私が「誰かがやらなきゃいけないんだったらさっさとくじ引きすればどうですか」と言ったところ、「過去には、くじ引きしたこともあったんです。でも、くじで選ばれた人は、なんっにも、やっていただけなかったんです! ですから、どなたか、“はい私が”という方が、やっていただけませんか!?」と大声を出したんですね。
私は、「そんな恫喝するみたいに強要したら、くじよりタチ悪くないか?」と思いましたし、「なんにもやっていただけない状態」が、「なぜどう悪いのか」がなんにも説明されていない、というか、そもそも「なにをやる委員なのかが簡単にしか説明されてないのに引き受けようがなかろう」と思いました。
ただ、大声を出す人は苦手ですし、次には「皆さん、どうせ一度はやらなければならなくなりますから、早くやっておいた方が楽ですよ」と趣旨の全然違うことを言い出しましたので、だまって様子を見ていました。たぶん、そのときから「なんだこれは」と思っていたのだと思います。
ですので、「8年間受け入れてきたものを急に投げ出した」というよりは、いつかは投げ出すことになっていて、それが9年目だったんじゃないかなという気がします。
メディアの影響があるか? 乗っかったか? ですが、影響はあったのかもしれませんし、乗っかったのかもしれません。そうですね。「退会」という手段をつかうことは、インターネットから発想をもらったんだと思います。インターネットはもともと日常的に見ているので、いつどこで見たのか、までは、ちょっと思い出せませんが。
たどころ:
私自身、組織に所属することがあまり性に合わなくて、15年以上フリーランスで仕事をしているので、その気持ちはよくわかります。
慎重派には「寝た子を起こす必要はない」という気持ちがあるのかもしれませんが、インターネットの時代に、情報を統制し続けることは難しいですね。
PTAにはどのような意義があるの?
たどころ:
ところで、ぶきゃこさんはPTAが個人的に嫌いだったということですが、好きという人もいます。もしかして、PTAの「意義」についての理解が不足していたということはないですか? PTAの「意義」について、十分な話し合いがなされなかったのではないでしょうか?
ぶきゃこ:
この「話し合い」は、会員として他の会員と、ということでよろしいですか?
だとすれば、その通りです。他の会員とPTAの「意義」について話し合う、という場は、保護者会か、なにか当番活動などの場か、運営委員会などになりますが、それらのいずれも十分な時間は与えられていませんでした(突っ込んだ話をしようとすれば早く帰りたい人からは嫌がられます)。
そして、たとえばあいさつ立ち番の時などに「この活動ってどんな意味があると思う?」みたいな話をすれば、まず9割方、ネガティブな話になりました。
これはPTAが嫌いな私が、そのように話を誘導したわけではなく、「みんな嫌だと思ってる」と総括したって問題はないくらい「活動にたいして意味はない。やれと言われてるから、やってるだけ」のような意識が普遍的であったと思います。
ネットで「PTAの意義」について話し合えば、各人各様の答えが出てきますが、リアルに保護者同士で話せば、「やらなくていいんなら、やらないわよ」が当たり前だと思います。
PTAの「意義」について十分話し合う、というのは、たとえば10〜20%の教育に関心の高い層でやるならアリだと思いますが、「保護者は全員会員」状態で「会員同士でそれをやる」のは、正直、無理です。そこまでPTAに熱くなる人は「ドン引き」されるだけだと思います。残念ですが、それが、「リアルな現実」です。
そういう意味で、「PTAがあったから他の保護者とつながれたな。いっしょに活動をすることは、メリットがあるな」と感じたり、つながる機会を失うことを理由に「退会は勿体ないな」と感じたりはありません。
逆に、「PTAがなかったらトラブルにならなくてすんだのに残念だな」と思っている相手はいます。他の保護者と友人としてつながったり、学校情報を交換したりすることは、PTAとは無関係な場で続いています。
たどころ:
たしかに、まれに見られる「意識の高い」人は別として、リアルにPTAについて話そうとしても興味をもってはもらえませんし、「やりすごせばいいじゃない」と流されることが多いです。
ときどき「大変だ」という愚地を聞くことはありますが、それはただ聞いてほしいだけであって、「じゃあ、意見を出そう」という話にはなりません。私の周囲でも、9割近くの保護者はPTAに無関心のように見えます。
ただし、それは無関心でいてもいいくらい負担の少ないPTAだからであって、いわゆる「大変」なPTAでは「何とかしてほしい」という声も大きいのでしょう。
PTAがなくとも保護者同士のつながりは作れるし、PTAの勧誘が気まずさを作ることもあるということは、私もまったく同じように思います。
PTAが保護者同士のつながりをつくる?
たどころ:
しかし、それでも、公平な視点で見たときに、PTAの「メリット」や「意義」はないわけではないと思います。
たとえば、PTAというかたちではなくても、保護者同士は何らかのかたちでつながっていたほうが良くて、そのかたちをPTAが作っていることは否めないでしょう。
ぶきゃこ:
つながりがあったほうがいいことについては、私も同意します。
ただし、「PTAのメリット・意義」についての話をするときには、その「メリット・意義」を現行PTAが生み出してるのか、生み出せるかどうかの検討が必要です。
よくあるネット議論では、ここがまったく説得力がないまま「だからPTAは必要」と一足飛びに「望んだ結論に持ち込む」強引さが見られます。
まず、「保護者同士を何らかのかたちでつなげる」機能については、少なくとも委員・役員などを1年くらいともにやれば、知り合いレベルにはなれる、といえます。
ただし、「つなげる」機能は、同時に「争わせる」機能でもあるわけで、私は「つなげる」ことを目的にするなら、「事業的なことをいっしょにやらせる」という方法は、目的に合致した適切な手段ではないと考えます。
これについては、ブログで次のように書きました。
――
私が社会の中で働きはじめた昭和〜平成の移行期は一種の起業ブームであったのか、身の回りで会社を起こす人たちが結構たくさんいた。
そして友達同士で事業を始めると、友達でなくなってしまうケースをいくつも目にした。
別に管理者がいる上での使用人同士である場合、友情にひびがはいるケースはあまりない。
しかし、共同でマネジメントに関わろうとしたとたん、友情が壊れるケースは珍しくない。
それは、考え方の違いがモロにぶつかり、どちらの考え方を実業ベースに乗せるかでお互いの利害に直接響いてしまうからなのではないかと思う。(中略)
「保護者同士」という関係を健全に結びたい場合、単純に「知り合い楽しむ場」を作るだけならよいのだが、PTAというお仕着せの事業を無批判に継承し、それがマストなものになってしまい、やれ委員長だ会長だ、やれ規約だ書式だ会計監査だとやり始めたあたりから、「絆作り」より「絆をぶっ壊す」ほうに働きはじめるような気がする。
――
たどころ:
なるほど。しかし、そこまで真剣に「事業的」に取り組んでいるPTAは多くないですよ。前例踏襲で言われたことをやっているのであれば、「お互いに知り合う」目的には十分かなっていると思います。
ぶきゃこ:
「つなげる」が、「同じクラスの○○ちゃんのお母さんてあんな人なのかー」というレベルで良いのであれば、割り振り当番・お手伝い的なものでも副次的に機能するとはいえるでしょう。
ただし、今のところ多くのPTAでは、そういう「つなげる」目的も含んでいるんだよという共有はないのではないかと思いますし、「仕事を遅刻早退したり休んだりしてでもこなさなきゃいけない義務」的にとらえられているのではないかと思います。
また、そういう目的(=知り合う目的)を含んでいることが共有されているのであれば、組み合わせを変えたり、あえて曜日に変化をつけたり、ということも考えられなければいけないと思いますが、少なくとも当地のPTAでは機械的に五十音順に割り振っているだけですので、頭文字の遠い方とはお知り合いになれません(笑)。
また、これは個人的な能力の問題なんですが、私は、一度お当番でご一緒したくらいだと、全然顔と名前が一致しない(笑)。
そもそもわざわざ自己紹介もしないですし。私は一応「こんにちは、○○の母です、今日はよろしくお願いします」くらいは言いますけれども、「あ、どうも」で終わってしまう方も少なくないですし、もう活動に興味のないのがありありですね。あからさまに「ひっぱり出されてうんざり」みたいな顔してる方もいらっしゃいますし。
知り合うレベル、で良いのであればクラスの保護者会で事は足りるような気はします。出席率は学年が上がるにつれて悪くなりますけどね。
たどころ:
たしかに「ここは懇親の場ではない」という事務的な態度の方も多いですね。初対面でそんなに仲良くなるものでもないですし、顔を合わせる回数を重ねることが重要なのだとは思いますが、回数を増やすと文句が出ますし、目的が共有されてないのは確かです。
連絡先を交換する暇もないですし、昔の小学校にあった「連絡先名簿」は「つながり」を作る手段の一つだったと思うのですが、「個人情報保護」の声におされて、昨今は見られなくなってしまいました。
PTAの係の間でメーリングリストを作ろうとしても「メールアドレスは友達にしか教えない」と言う人がいますから、まず「つながり」を持つことの重要性を啓蒙するべきでしょうね。
PTAがなくてもつながれる保護者はいいけど、そうではない保護者の孤立を防ぐために、PTAの活動は必要だとの論理に、私はいくぶんかは同意します。PTAへの参加を通じて、つながりをつかんでいる保護者が皆無とは言い切れないでしょう。
ぶきゃこ:
いつも思うのは、保護者同士をつなげることを妨害しているのは、PTAの「強制性」なんじゃないかということです。
まず、(全員加入というPTA側の希望する結果に誘導するため)「入会対象者に重要なこと(任意性)をわざと知らせない」、「学校の一部のように装ってごまかそうとする」という行為に遭遇すれば、決定的に信頼感を損なう人もいると思います。少なくとも、私はそうです。
ほかには、よく当番などを割り振ってきて「都合の悪い方は代理を探してください」というのがありますね。あれ、そう簡単にできますか? 私は「そんな無茶な」と思うんですよ。思わない方がおおぜいいるから、そういうことを書くのが平気なのかもしれませんけれども。
本当に「知らない者どうしをつなげる活動」だったら、「代理を探すのがむずかしい方は委員に相談ください」など書いたらどうなのかなと思うんですよね。そうしたら、その家庭の状況(なぜその時間帯に出られないのかなど)も見えてきますよね?
そういうのがあれば、「家庭の孤立を防ぐのに役立ってる」という話も、なるほどなと思うんですが。「自分で探してなんとかしろ」の発想に、「対話」はあるのかなと疑問です。
すごい昔なんですけど、お手伝い希望を出すときに、委員の方と話す機会がありまして。「我が家はこうこういう状態で、上の娘がこうで、末っ子がまだ小さくて、PTA活動中は保育園預かってくれないし、仕事で普段は何時から何時くらいまで不在で…」という話をしましたら、何て返ってきたと思います?
「皆さん平等にやっていただいてますから」ですよ。
別に私は免除されたくてやらない言い訳としてそういう話をしたんではなくて、「自分の家庭はこうなので、出来ることはなにで、出来ないことはなに」ということを話して「それじゃあこのお手伝いはいかがですか」などという話がきけたら、それでよかったんですけれども、そういう個別の事情を聞くことを必死で遮断しようとするんですね。
まあ、その方は「面倒くさい」と思いながら活動していらしたのかもしれません。
先日、ブログ読者の方からメールいただきまして、その方も勝手に係を割り振られて不快な思いをされた方なんですけれども、「せめて先に相談があれば私も返す態度も言葉も違っていた」と書かれていらしたんですね。本当に「これに尽きるよな」と思いました。
いまのPTAには「対話」の可能性がないんです。
こういう話をするとね、コンサバ(慎重派)の人は「そんなことすると委員がどれだけ大変になるか分かってるの?」とおっしゃいますね。でも、面倒くさくて質の悪い活動するんだったら、活動しないほうがまだいいと思います。
もし、PTAが「会員にいちいち聞くなんて面倒くさい。こちらが決めたことを、各自の不都合があれば、各自でなんとかして、黙ってやってもらうのがPTA活動」と認識しているのでしたら、「つなげる機能」は標榜しない方がいいと思いますね。
たどころ:
耳の痛い話ですね。そのようなPTAばかりではないと思いますが、「やりたくない」のに「やらされている」人が、「面倒」を避けるように動いてしまう傾向があるのは確かだと思います。それでも、PTAの持つ「人をつなげる」機能がなくなってしまっていいとまでは思いませんが。
ぶきゃこ:
そうですね。PTAの活動は存在していていいのではないでしょうか。「PTAの活動は必要だ」が「PTAの強制は必要だ」にすり替えられなければ良いだけです。
PTAの活動はめんめんと続いていていいと思いますが、コンプライアンスを学ぶことなく市民活動をすることはできない時代がやってきていると感じています。
PTAが保護者の団体として機能するためには人数が必要?
たどころ:
そのコンプライアンス(法令順守)というのが、任意入退会制度の整備ということですね。その話をする前に、もう少しメリットの話をさせてください。
学校や地域に対して、保護者全体の利益を代弁する何らかの機関はあったほうがよいでしょうし、その役割は現状ではPTAが担っています。代表権としての機能を維持するためには、100%とは言わずとも、それに近い数字の保護者に加入していてもらいたいと考えるのですが、いかがでしょうか。
ぶきゃこ:
さきほども話したように「メリット」や「意義」については否定しません。しかし、現行PTAが「学校や地域に対して、保護者全体の利益を代弁する何らかの機関」になりうるかどうかと言えば、これは難しいのではないでしょうか?
現状、多くのPTAでは、どちらかというと、むしろ逆に、「学校や地域の要請に保護者を使って応える機関」だと表現してもいいような気がします。
保護者全体の利益とは、例えば「学校でしっかり○○(ex.いじめ対策)をして欲しい」「登下校時間帯に地域の協力が欲しい」とかそういうことになるのだと思いますが、たとえば校内で事故があったときなどに、その原因追求や改善策の検討がPTAでなされるかといえば、難しいと思います。
まず流れとしては学校内で情報が隔離され、管理職と教育委員会で話し合われて、保護者向けに説明会などがひらかれ、質疑がある場合は保護者がおのおの出すような感じです。
第三者委員会がつくられる場合もありますが、有識者などにまじってPTAから1名代表者が出せればいいくらいで、PTAという組織を利用して保護者と学校の間で十分に話し合われる、という機会はないんです。
重大事案があったとしても、PTA自身が会員を集めてミーティングを行い、要望や質問事項をとりまとめるというようなことはありませんね。
そうではない学校があるのでしたら申し訳ないのですが、どこもだいたい、似たり寄ったりなのではないかと思います。PTAの出番が全くないとは言いませんが、個人情報の問題もあり、おまけ的な立場にしか置かれないのが本当のところではないかと思います。
また、上部団体や地域に対して意見が言えるかと言えば、実際には、定例会議などにPTAから役員を出しているにもかかわらず、そこからの報告はほとんどありません。
あて職として出ているだけで、モチベーションがあるわけではないからだと思いますが、交通費などを会費から出しているのに、議事録すら返ってきません。
これはその役員さんを責めているのではなく、「その程度の意識でおこなわれている」ということを示したくこの話をさせて頂きました。
内実はなくても、PTA枠があるだけでも意味があるんだ、という向きもあるでしょうし、それに反対はしませんが、枠を維持するために気の進まない人に強制しないといけないとしたら、労力対効果としてどうなのかなと思います。
少なくとも個人的に、「PTAという組織があったおかげで、保護者としての利益を代弁してもらえてそれを学校や地域まで届けることが出来て、助かったな」という体験はありません。
逆に、途中でもみ潰されるので、直接校長や教育委員会に言った方が早かったな、という体験ならいくつかあります。
たどころ:
ぶきゃこさんのご意見を簡単に、私の言葉でまとめさせていただくと「PTAの活動の意義はある。ただし、自動入会は認められないし、現状でその意義がまっとうに機能しているとも思えない」ということでよろしいでしょうか。
この部分ですでに慎重派との間に食い違いがあるように見えます。
なぜならば、おそらく慎重派は、「PTAの活動の意義はある。現状でも十分に機能しているし、その意義を遂行するために、不満の出ない範囲であれば、ある程度の負担を強いることもやむをえない」と考えているように見えるからです。
この「強制」をどこまで認めるかの考えは、人それぞれで異なります。なので、本来は、任意加入推進派、慎重派という二分法もナンセンスだと思います。
自動入会はやむをえないが、役員(活動)の強制はやめようという中間派もいると思うからです。
逆に、任意入会だけれども、入会者には役員の輪番制度(くじびき)に従ってもらってもいいだろうと考える中間派もいるかもしれません。
ぶきゃこさんの立場は「そもそも自動入会はまったく認められない」というものでしょう。
しかし、実際の現場で、入会申込書の整備には二の足を踏む方は多いです。「会員数(会費)の減少」を懸念しているというのが、いちばんの理由でしょう。
ぶきゃこさんの経験した「ホワイトPTA」は先進的ですが、入会申請書があるPTAでは、加入率100%ということはないと思います。
推進派の中には、いくつかのPTAの例をあげて「90%」は確保できるという方もいますが、逆に、慎重派の中には、全国の自治会や町内会の加入率を根拠に、「30%」になるリスクもあるという人もいます。どちらが正しいかはわかりません。
もちろん「加入率などは問題ではない。とにかく違法なのだから即刻、強制入会をやめよ」という強硬意見も存在します。
それを否定するわけではありませんが、実際の現場でそのように言っても通じないことが多いので、より通じる言い方を考えてみたいのです。
ここまでは、主にぶきゃこさんにインタビューするかたちで推進派のお考えをお聞きしましたが、次回(2)は、ぶきゃこさんからの質問に答えるかたちで、慎重派の論理を整理していきたいと思います。
2016年もPTAが話題になっています。大きな理由は1億総活躍国民会議の民間議員である菊池桃子さんの以下の発言です。
「PTA活動、もともと任意活動であった。しかし、なぜか、すべての者が参加するような雰囲気作りがなされていると。その中で、なかなか働くお母さんたちにとっては、PTA活動っていうものが難しいと。」(産経新聞3月25日)
ここで言う「任意活動」というのは、活動するのもしないのも自由という意味ですが、実際の学校現場では、すべての保護者が自動的にPTAに加入し、活動への参加も、半ば強制的に割り当てられていることが多いのです。
任意と強制の問題について、私は何人かのPTA会長さんにお会いしてお話をうかがってみましたが、なかなかすっきりとした話し合いにはなりませんでした。基本的には任意であるし、強制したいとも考えていないけれども、現状で問題は起きていないというのが多くの共通認識でした。
このように、実際にPTAの運営に携わっている人の多くは、任意入会制度の推進に対して慎重な姿勢を持っています。この人たちを任意入会整備慎重派(以下、慎重派)と呼ぶことにしましょう。
逆に、現状のPTAの「強制入会(自動入会)」は「違法」であるとして、任意入会の整備を推進したいとする人たちもいます。この人たちを、任意入会整備推進派(以下、推進派)と呼ぶことにしましょう。
両者の意見はしばしば、まったく相容れないように見えますが、本当にそうでしょうか。
お話をうかがってみると、慎重派だって、PTA内部の「人権侵害」や「いじめ」や「貧困」を容認しようなんて思ってはいません。
それらの「問題」については個別に対処できるはずだし、現状の全員入会がただちに諸悪の根源にはなっているとも思えないので、任意入会制度の整備については、慎重に進めていきたいと考えている方がほとんどです。
個人的な意見としては、任意入会の事実については積極的に周知して、何らかの「問題」があったときに、逃げ道を確保しておくべきだと考えていますが、急激な任意入会制度の実現は難しいという認識については、外部の人間として反対はできませんでした。
言い方を変えれば、慎重派の論理にも理解を示したことになります。任意入会整備推進派の言い分は正論ですが、それでもPTAが変わらないとしたら、そこに何か見落としているものがあるのではないかと思ったからです。
そのような疑問が湧いたので、今回はPTAの任意入会制度推進論者のぶきゃこさんとの対談を通して、PTAの全員入会の是非についてあらためて考えてみることにしました。
なお、本記事はお互いの主張を検討し、論点を整理することを目的としています。ですから、以下に述べられる慎重派の言い分は、必ずしも私自身の考えとすべて一致するものではありません。また、双方の言い分は、推進派や慎重派の見解のすべて代表するものではありません。議論のたたき台としてご使用ください。
任意入会推進派の考える理想のPTAってどんなもの?
たどころ:
PTAが任意団体であって、入会が任意であることは、一般的な了解を得られた事実です。
しかし、現実のPTAにおいては、任意入会が有名無実化していたり、任意だけど基本的には全員入会のようなかたちになっていたりすることもあります。
たしかに、任意入会制度が整っていても、非入会を許さないような空気がつくられることもあります。逆に、任意入会をうたっていないけれども、退会が自由で風通しのよいPTAもあるかもしれません。
意外と両者の目指すところには共通点があるのではないかという気がします。
はじめに、お互いに自己紹介をしましょう。
私、たどころは、自営業(自由業)の二児の父で、PTA経験は幼稚園を含めて5年。本部運営役員の経験はありませんが、PTAの本を書くにあたって、複数のPTAの役員さんたちにお話をうかがいました。
一方、ぶきゃこさんはお子さん4人を持つ共働きのワーキングマザーで、現在は小中高すべてのPTAにおいて非会員ですね。ぶきゃこさんのPTA経歴について教えていただけますか?
ぶきゃこ:
公立小PTAは会員として約8年間、非会員として約4年間かかわりました。
公立中PTAは会員として約2年間、非会員として約4年間かかわりました。
これらのPTAでは、執行部以外の委員・係をいくつか経験しました。
また、公立高PTAにも会員として約2年間かかわりました。このPTAは稀に見るホワイトPTAでしたので、すんなり入会しましたし、部活支援の寄付などもしましたが、なぜか3年目は会費の納入票が届かなかったため、自然消滅というかたちになりました。
たどころ:
現在は、あえて非会員のぶきゃこさんですが、任意入会制度の整った「ホワイトPTA」であれば、入会するのですね。ここでいう「ホワイトPTA」とは、いったいどのようなものでしたか?
ぶきゃこ:
次のようなところがホワイトと感じられました。
・入学式の後に「PTA説明会」があり、団体の性質(任意性も)、活動の紹介や、PTAがどのようなことを「意義」や「学校における役割」だと考えているのかの説明があった。
・説明資料と、入会申込書兼お手伝い希望票(出来ませんという選択肢有り)は、学校の入学関係資料とは別封筒で配布され、別団体であることが明確であった。
・申込書は当日すぐに出してもよし、後日提出でもOKだった(検討する時間がある)。
・問い合わせ先メールアドレスが明記されていた。
・会費の支払い方法は郵便振替用紙または振込で、校納金との抱き合わせ徴収ではなかった。
・活動内容は、学園祭の出店と会員交流(月に1回くらいの役員会を兼ねたサロン)、体育祭の手伝い、メール配信システムの整備など意義を理解できるものばかりで、教育委員会の下請け系や上部団体・地域団体とのしがらみもなかった。
たどころ:
なるほど、たしかに「任意入会」の理念が実現されたPTAのようですね。
PTAのこんなところが嫌い?
たどころ:
小中学校のPTAの方は、不満をお持ちになって退会されたとのことですが、いったい、何が不満の原因だったのか、お聞かせください。
ぶきゃこ:
基本的には、どんな種類の団体でも「加入する理由がある時に加入する」ことにしておりますので、加入する理由、あるいは加入した状態を続ける理由が見いだせなくなったというのが「非加入の原因」になろうかと思います。
ただ、自動加入させられたとは言え、慣性の法則がありますから、きっかけがなければ退会しなかったと思います。
小学校PTAは、上の子供たちを通じて8年間所属し、役員もやっていましたが、4人目の入学に際し、「入会のさせ方に堪忍袋の緒がキレたこと」で、退会に踏み切りました。
当時のブログには、次のように書いています。
――
今年度から、PTAを退会した。
たいそうな理由があったわけじゃない。
末っ子が入学したのだが、そのときにもらった「PTAについてのお知らせ」をみて、何かプツッと切れてしまった。
「あなたは子どもを入学させた。ついては、同時にPTA会員となった。」と書かれ、その次には口座振替依頼書が添付され、記載例がつけてある。
おい! ふざけんな!と思ってしまったのである。
この紙をもらうのは4度目である。
今まで「そういうものか、仕方ない」とあまり深く考えず、会費の引き落としに応じていた。
にもかかわらず、何故か今年は、積もり積もったナニかが私に「ふざけんな、入るか入らないかぐらい聞けよ!」とキレさせたのだ!
――
さらに、前年度に学級委員をやっていて、当時、後任の「委員決め体験」で非常に不快な思いをしたので、やめてよかったと心から思いました。このことも、当時のブログに書きました。
――
期の終わりに、学級委員が次年度の各種委員を決めるのが慣例となっていた。
無理矢理押しつける事だけはしたくないため、まだ委員役員の未経験者対象に年明けぐらいから打診を繰り返していたが、やはり誰にも快諾はしてもらえない。
とうとう決まらぬまま春を迎え、「明日の保護者会で決めなければ」というリミットの日になってしまい、もうこれはまた自分が(すでに出していたPTA退会届を撤回して)役を引き受けるしかないか…と思っていた矢先、(中略)、土壇場で、「えーまだ決まらないの?お疲れ様。子供の事でくじびきなんて嫌だよね…じゃあ、私やるよ」ということで、私の友だちのAさんが引き受けてくれた。
何日か後に、Aさんから、実は1週間ほど前にお父様が亡くなっていた事を聞いた。
看病が続いていたので、PTAは断っていたが、亡くなってしまったので気持ちを切り替えて引き受ける事にしたのだと。
それを聞いて、知らずに役をほぼ押しつけてしまった事を後悔し、私はなんというかもう本当に、この団体に所属しているのが心底イヤになってしまった。
――
たどころ:
ありがとうございます。このできごとが2012年4月で、以来、4年間にわたって非会員ということですね。
他人に仕事を押しつける役目を負わされるというぶきゃこさんの体験は、まさにPTAの暗部の象徴なのですが、なかなか慎重派には理解してもらえないところでもあります。「その程度」のことは「お互い様」なんだから「我慢」してください、と言われがちですが、ぶきゃこさんには「その程度」とは思えないということですよね。
ただし、そのことがイコール自動入会の弊害なのかどうかは疑問です。
役員決めの苦労や活動の強制性といった「デメリット」は、自動入会のPTAでも議論を通じて解消されることはあると思いますし、実際に負担の少ないPTAは存在します。
一方で、もし任意入会でPTAの加入率が過半数を切るようなことが起きると、保護者同士のつながりをつくるというPTAの「メリット」が半減してしまいます。
「デメリット」は個別に対応して解決もできると思うのですが、そのようにして、内部から問題を解消するのではなく、なぜ、いきなり退会を選ばれたのでしょうか?
煽るつもりはありませんが、残された保護者やお友達のAさんに対しての「逃避」にあたらないでしょうか。投げ出さずに、PTA会員として、内部から改善することはできなかったのでしょうか。
ぶきゃこ:
「逃避」か「逃避」でないかという話であれば、それは「逃避」という表現も出来るのかもしれません。ですので、「逃避」と言われることは別に構いません。
この無法状態を維持したくないと考えた場合、私に何が出来るかというと、以下の二択だったと思います。
①会長に立候補してルールを変える。
②脱会することで「PTAは学校の所属組織ではなく任意加入団体」であることを示し、そこから会員が再考するきっかけを作る。
中間的な「会長以外の本部役員や委員などになって、声を上げる」というのもありましたが、それはやりました。
正直、「またお前かうるせえやつだ」と思われてたくらい物申してたことは多かっただろうなと思います。
ただ、そういう行動によってマイナーチェンジはできましたが、「PTAは義務」という発想が共有されている状態をくつがえすことは難しかったですね。
で、①については、事実上無理だと判断しました。
会長のスケジュールは過去に公開されたことがあったのですが、月に平均10回程度は会議などがありましたし、会社員としての仕事と家事育児を考えるとそんなスーパーマザーにはなれません。
そして②を選んだ形になります。
ですので、「逃避した」と言われるのはいっこうに構わないのですが、自分自身で「逃避してしまったな」という罪悪感はまったくありません。
また、「逃避」というのは、苦しい状態から楽な状態に走ることではないかと思うのですが、現在のPTA社会で脱会が「楽」だとは思いません。
たしかに、委任状を期日までに出したりしなければならないなどの「会員の義務」はなくなりますし、金銭的な部分でも支払いは「義務」ではなくなります。
しかしそれはPTAから与えられる義務がなくなるというだけの話であり、保護者として子どもに何が必要か、常に考え、必要があれば他の保護者と協力し学校とも連携をとる、という部分では何ら変わりません。
PTAが募集する手伝いや係も、非会員になってからも、できるものは応じていますので、そこの部分は変化ありません。「楽な方に行きたい」方には、退会は勧めません。
たどころ:
そうですね。「逃避」がいちがいに悪いわけではないですし、現状では、むしろ「退会」は勇敢な行為だと思います。
私も、PTAに一石を投じるために「退会」することを想像してみたことはありますが、「退会」に伴う「面倒」を思うと、とても気軽にやってみる気にはなれませんでした。現状で「退会」を選んだ方たちに対しては、感嘆の思いがあります。
また、実際のPTAで、一会員として私の投じた意見は、ほぼすべて「保留」になりましたし、内部から変えることの難しさもよくわかっています。
ところで、ぶきゃこさんが役員決めで本当に不愉快な思いをしたのは、時系列的には退会後のことですね。
お話をうかがうと、PTAの強制入会の「違法性」に、気がついたから乗っかったかのように受け取れます。それまで8年間受け入れてきたものを急に投げ出すのは、メディアなどのPTA批判に影響された、軽率な行動ではないかとの批判には、どのように答えますか?
ぶきゃこ:
メディアのPTA批判の影響ですが、今はすごいですが、当時そこまで批判されていた記憶はありません。
私は、もともとPTAが嫌いでした。これは、個人的な趣味嗜好です。
いつから嫌いかといえば、たぶん長女を入学させたとき(12年以上前)から、なんだか嫌いだったと思います。ただ、「やんなきゃいけないもの」と何となく思い込まされていて、退会するかどうかを考えたことがなかったのだと思います。
長女を入学させたとき、当時のPTA会長が、1年生の教室の委員選出の場まで来ました。なかなか決まらないので、私が「誰かがやらなきゃいけないんだったらさっさとくじ引きすればどうですか」と言ったところ、「過去には、くじ引きしたこともあったんです。でも、くじで選ばれた人は、なんっにも、やっていただけなかったんです! ですから、どなたか、“はい私が”という方が、やっていただけませんか!?」と大声を出したんですね。
私は、「そんな恫喝するみたいに強要したら、くじよりタチ悪くないか?」と思いましたし、「なんにもやっていただけない状態」が、「なぜどう悪いのか」がなんにも説明されていない、というか、そもそも「なにをやる委員なのかが簡単にしか説明されてないのに引き受けようがなかろう」と思いました。
ただ、大声を出す人は苦手ですし、次には「皆さん、どうせ一度はやらなければならなくなりますから、早くやっておいた方が楽ですよ」と趣旨の全然違うことを言い出しましたので、だまって様子を見ていました。たぶん、そのときから「なんだこれは」と思っていたのだと思います。
ですので、「8年間受け入れてきたものを急に投げ出した」というよりは、いつかは投げ出すことになっていて、それが9年目だったんじゃないかなという気がします。
メディアの影響があるか? 乗っかったか? ですが、影響はあったのかもしれませんし、乗っかったのかもしれません。そうですね。「退会」という手段をつかうことは、インターネットから発想をもらったんだと思います。インターネットはもともと日常的に見ているので、いつどこで見たのか、までは、ちょっと思い出せませんが。
たどころ:
私自身、組織に所属することがあまり性に合わなくて、15年以上フリーランスで仕事をしているので、その気持ちはよくわかります。
慎重派には「寝た子を起こす必要はない」という気持ちがあるのかもしれませんが、インターネットの時代に、情報を統制し続けることは難しいですね。
PTAにはどのような意義があるの?
たどころ:
ところで、ぶきゃこさんはPTAが個人的に嫌いだったということですが、好きという人もいます。もしかして、PTAの「意義」についての理解が不足していたということはないですか? PTAの「意義」について、十分な話し合いがなされなかったのではないでしょうか?
ぶきゃこ:
この「話し合い」は、会員として他の会員と、ということでよろしいですか?
だとすれば、その通りです。他の会員とPTAの「意義」について話し合う、という場は、保護者会か、なにか当番活動などの場か、運営委員会などになりますが、それらのいずれも十分な時間は与えられていませんでした(突っ込んだ話をしようとすれば早く帰りたい人からは嫌がられます)。
そして、たとえばあいさつ立ち番の時などに「この活動ってどんな意味があると思う?」みたいな話をすれば、まず9割方、ネガティブな話になりました。
これはPTAが嫌いな私が、そのように話を誘導したわけではなく、「みんな嫌だと思ってる」と総括したって問題はないくらい「活動にたいして意味はない。やれと言われてるから、やってるだけ」のような意識が普遍的であったと思います。
ネットで「PTAの意義」について話し合えば、各人各様の答えが出てきますが、リアルに保護者同士で話せば、「やらなくていいんなら、やらないわよ」が当たり前だと思います。
PTAの「意義」について十分話し合う、というのは、たとえば10〜20%の教育に関心の高い層でやるならアリだと思いますが、「保護者は全員会員」状態で「会員同士でそれをやる」のは、正直、無理です。そこまでPTAに熱くなる人は「ドン引き」されるだけだと思います。残念ですが、それが、「リアルな現実」です。
そういう意味で、「PTAがあったから他の保護者とつながれたな。いっしょに活動をすることは、メリットがあるな」と感じたり、つながる機会を失うことを理由に「退会は勿体ないな」と感じたりはありません。
逆に、「PTAがなかったらトラブルにならなくてすんだのに残念だな」と思っている相手はいます。他の保護者と友人としてつながったり、学校情報を交換したりすることは、PTAとは無関係な場で続いています。
たどころ:
たしかに、まれに見られる「意識の高い」人は別として、リアルにPTAについて話そうとしても興味をもってはもらえませんし、「やりすごせばいいじゃない」と流されることが多いです。
ときどき「大変だ」という愚地を聞くことはありますが、それはただ聞いてほしいだけであって、「じゃあ、意見を出そう」という話にはなりません。私の周囲でも、9割近くの保護者はPTAに無関心のように見えます。
ただし、それは無関心でいてもいいくらい負担の少ないPTAだからであって、いわゆる「大変」なPTAでは「何とかしてほしい」という声も大きいのでしょう。
PTAがなくとも保護者同士のつながりは作れるし、PTAの勧誘が気まずさを作ることもあるということは、私もまったく同じように思います。
PTAが保護者同士のつながりをつくる?
たどころ:
しかし、それでも、公平な視点で見たときに、PTAの「メリット」や「意義」はないわけではないと思います。
たとえば、PTAというかたちではなくても、保護者同士は何らかのかたちでつながっていたほうが良くて、そのかたちをPTAが作っていることは否めないでしょう。
ぶきゃこ:
つながりがあったほうがいいことについては、私も同意します。
ただし、「PTAのメリット・意義」についての話をするときには、その「メリット・意義」を現行PTAが生み出してるのか、生み出せるかどうかの検討が必要です。
よくあるネット議論では、ここがまったく説得力がないまま「だからPTAは必要」と一足飛びに「望んだ結論に持ち込む」強引さが見られます。
まず、「保護者同士を何らかのかたちでつなげる」機能については、少なくとも委員・役員などを1年くらいともにやれば、知り合いレベルにはなれる、といえます。
ただし、「つなげる」機能は、同時に「争わせる」機能でもあるわけで、私は「つなげる」ことを目的にするなら、「事業的なことをいっしょにやらせる」という方法は、目的に合致した適切な手段ではないと考えます。
これについては、ブログで次のように書きました。
――
私が社会の中で働きはじめた昭和〜平成の移行期は一種の起業ブームであったのか、身の回りで会社を起こす人たちが結構たくさんいた。
そして友達同士で事業を始めると、友達でなくなってしまうケースをいくつも目にした。
別に管理者がいる上での使用人同士である場合、友情にひびがはいるケースはあまりない。
しかし、共同でマネジメントに関わろうとしたとたん、友情が壊れるケースは珍しくない。
それは、考え方の違いがモロにぶつかり、どちらの考え方を実業ベースに乗せるかでお互いの利害に直接響いてしまうからなのではないかと思う。(中略)
「保護者同士」という関係を健全に結びたい場合、単純に「知り合い楽しむ場」を作るだけならよいのだが、PTAというお仕着せの事業を無批判に継承し、それがマストなものになってしまい、やれ委員長だ会長だ、やれ規約だ書式だ会計監査だとやり始めたあたりから、「絆作り」より「絆をぶっ壊す」ほうに働きはじめるような気がする。
――
たどころ:
なるほど。しかし、そこまで真剣に「事業的」に取り組んでいるPTAは多くないですよ。前例踏襲で言われたことをやっているのであれば、「お互いに知り合う」目的には十分かなっていると思います。
ぶきゃこ:
「つなげる」が、「同じクラスの○○ちゃんのお母さんてあんな人なのかー」というレベルで良いのであれば、割り振り当番・お手伝い的なものでも副次的に機能するとはいえるでしょう。
ただし、今のところ多くのPTAでは、そういう「つなげる」目的も含んでいるんだよという共有はないのではないかと思いますし、「仕事を遅刻早退したり休んだりしてでもこなさなきゃいけない義務」的にとらえられているのではないかと思います。
また、そういう目的(=知り合う目的)を含んでいることが共有されているのであれば、組み合わせを変えたり、あえて曜日に変化をつけたり、ということも考えられなければいけないと思いますが、少なくとも当地のPTAでは機械的に五十音順に割り振っているだけですので、頭文字の遠い方とはお知り合いになれません(笑)。
また、これは個人的な能力の問題なんですが、私は、一度お当番でご一緒したくらいだと、全然顔と名前が一致しない(笑)。
そもそもわざわざ自己紹介もしないですし。私は一応「こんにちは、○○の母です、今日はよろしくお願いします」くらいは言いますけれども、「あ、どうも」で終わってしまう方も少なくないですし、もう活動に興味のないのがありありですね。あからさまに「ひっぱり出されてうんざり」みたいな顔してる方もいらっしゃいますし。
知り合うレベル、で良いのであればクラスの保護者会で事は足りるような気はします。出席率は学年が上がるにつれて悪くなりますけどね。
たどころ:
たしかに「ここは懇親の場ではない」という事務的な態度の方も多いですね。初対面でそんなに仲良くなるものでもないですし、顔を合わせる回数を重ねることが重要なのだとは思いますが、回数を増やすと文句が出ますし、目的が共有されてないのは確かです。
連絡先を交換する暇もないですし、昔の小学校にあった「連絡先名簿」は「つながり」を作る手段の一つだったと思うのですが、「個人情報保護」の声におされて、昨今は見られなくなってしまいました。
PTAの係の間でメーリングリストを作ろうとしても「メールアドレスは友達にしか教えない」と言う人がいますから、まず「つながり」を持つことの重要性を啓蒙するべきでしょうね。
PTAがなくてもつながれる保護者はいいけど、そうではない保護者の孤立を防ぐために、PTAの活動は必要だとの論理に、私はいくぶんかは同意します。PTAへの参加を通じて、つながりをつかんでいる保護者が皆無とは言い切れないでしょう。
ぶきゃこ:
いつも思うのは、保護者同士をつなげることを妨害しているのは、PTAの「強制性」なんじゃないかということです。
まず、(全員加入というPTA側の希望する結果に誘導するため)「入会対象者に重要なこと(任意性)をわざと知らせない」、「学校の一部のように装ってごまかそうとする」という行為に遭遇すれば、決定的に信頼感を損なう人もいると思います。少なくとも、私はそうです。
ほかには、よく当番などを割り振ってきて「都合の悪い方は代理を探してください」というのがありますね。あれ、そう簡単にできますか? 私は「そんな無茶な」と思うんですよ。思わない方がおおぜいいるから、そういうことを書くのが平気なのかもしれませんけれども。
本当に「知らない者どうしをつなげる活動」だったら、「代理を探すのがむずかしい方は委員に相談ください」など書いたらどうなのかなと思うんですよね。そうしたら、その家庭の状況(なぜその時間帯に出られないのかなど)も見えてきますよね?
そういうのがあれば、「家庭の孤立を防ぐのに役立ってる」という話も、なるほどなと思うんですが。「自分で探してなんとかしろ」の発想に、「対話」はあるのかなと疑問です。
すごい昔なんですけど、お手伝い希望を出すときに、委員の方と話す機会がありまして。「我が家はこうこういう状態で、上の娘がこうで、末っ子がまだ小さくて、PTA活動中は保育園預かってくれないし、仕事で普段は何時から何時くらいまで不在で…」という話をしましたら、何て返ってきたと思います?
「皆さん平等にやっていただいてますから」ですよ。
別に私は免除されたくてやらない言い訳としてそういう話をしたんではなくて、「自分の家庭はこうなので、出来ることはなにで、出来ないことはなに」ということを話して「それじゃあこのお手伝いはいかがですか」などという話がきけたら、それでよかったんですけれども、そういう個別の事情を聞くことを必死で遮断しようとするんですね。
まあ、その方は「面倒くさい」と思いながら活動していらしたのかもしれません。
先日、ブログ読者の方からメールいただきまして、その方も勝手に係を割り振られて不快な思いをされた方なんですけれども、「せめて先に相談があれば私も返す態度も言葉も違っていた」と書かれていらしたんですね。本当に「これに尽きるよな」と思いました。
いまのPTAには「対話」の可能性がないんです。
こういう話をするとね、コンサバ(慎重派)の人は「そんなことすると委員がどれだけ大変になるか分かってるの?」とおっしゃいますね。でも、面倒くさくて質の悪い活動するんだったら、活動しないほうがまだいいと思います。
もし、PTAが「会員にいちいち聞くなんて面倒くさい。こちらが決めたことを、各自の不都合があれば、各自でなんとかして、黙ってやってもらうのがPTA活動」と認識しているのでしたら、「つなげる機能」は標榜しない方がいいと思いますね。
たどころ:
耳の痛い話ですね。そのようなPTAばかりではないと思いますが、「やりたくない」のに「やらされている」人が、「面倒」を避けるように動いてしまう傾向があるのは確かだと思います。それでも、PTAの持つ「人をつなげる」機能がなくなってしまっていいとまでは思いませんが。
ぶきゃこ:
そうですね。PTAの活動は存在していていいのではないでしょうか。「PTAの活動は必要だ」が「PTAの強制は必要だ」にすり替えられなければ良いだけです。
PTAの活動はめんめんと続いていていいと思いますが、コンプライアンスを学ぶことなく市民活動をすることはできない時代がやってきていると感じています。
PTAが保護者の団体として機能するためには人数が必要?
たどころ:
そのコンプライアンス(法令順守)というのが、任意入退会制度の整備ということですね。その話をする前に、もう少しメリットの話をさせてください。
学校や地域に対して、保護者全体の利益を代弁する何らかの機関はあったほうがよいでしょうし、その役割は現状ではPTAが担っています。代表権としての機能を維持するためには、100%とは言わずとも、それに近い数字の保護者に加入していてもらいたいと考えるのですが、いかがでしょうか。
ぶきゃこ:
さきほども話したように「メリット」や「意義」については否定しません。しかし、現行PTAが「学校や地域に対して、保護者全体の利益を代弁する何らかの機関」になりうるかどうかと言えば、これは難しいのではないでしょうか?
現状、多くのPTAでは、どちらかというと、むしろ逆に、「学校や地域の要請に保護者を使って応える機関」だと表現してもいいような気がします。
保護者全体の利益とは、例えば「学校でしっかり○○(ex.いじめ対策)をして欲しい」「登下校時間帯に地域の協力が欲しい」とかそういうことになるのだと思いますが、たとえば校内で事故があったときなどに、その原因追求や改善策の検討がPTAでなされるかといえば、難しいと思います。
まず流れとしては学校内で情報が隔離され、管理職と教育委員会で話し合われて、保護者向けに説明会などがひらかれ、質疑がある場合は保護者がおのおの出すような感じです。
第三者委員会がつくられる場合もありますが、有識者などにまじってPTAから1名代表者が出せればいいくらいで、PTAという組織を利用して保護者と学校の間で十分に話し合われる、という機会はないんです。
重大事案があったとしても、PTA自身が会員を集めてミーティングを行い、要望や質問事項をとりまとめるというようなことはありませんね。
そうではない学校があるのでしたら申し訳ないのですが、どこもだいたい、似たり寄ったりなのではないかと思います。PTAの出番が全くないとは言いませんが、個人情報の問題もあり、おまけ的な立場にしか置かれないのが本当のところではないかと思います。
また、上部団体や地域に対して意見が言えるかと言えば、実際には、定例会議などにPTAから役員を出しているにもかかわらず、そこからの報告はほとんどありません。
あて職として出ているだけで、モチベーションがあるわけではないからだと思いますが、交通費などを会費から出しているのに、議事録すら返ってきません。
これはその役員さんを責めているのではなく、「その程度の意識でおこなわれている」ということを示したくこの話をさせて頂きました。
内実はなくても、PTA枠があるだけでも意味があるんだ、という向きもあるでしょうし、それに反対はしませんが、枠を維持するために気の進まない人に強制しないといけないとしたら、労力対効果としてどうなのかなと思います。
少なくとも個人的に、「PTAという組織があったおかげで、保護者としての利益を代弁してもらえてそれを学校や地域まで届けることが出来て、助かったな」という体験はありません。
逆に、途中でもみ潰されるので、直接校長や教育委員会に言った方が早かったな、という体験ならいくつかあります。
たどころ:
ぶきゃこさんのご意見を簡単に、私の言葉でまとめさせていただくと「PTAの活動の意義はある。ただし、自動入会は認められないし、現状でその意義がまっとうに機能しているとも思えない」ということでよろしいでしょうか。
この部分ですでに慎重派との間に食い違いがあるように見えます。
なぜならば、おそらく慎重派は、「PTAの活動の意義はある。現状でも十分に機能しているし、その意義を遂行するために、不満の出ない範囲であれば、ある程度の負担を強いることもやむをえない」と考えているように見えるからです。
この「強制」をどこまで認めるかの考えは、人それぞれで異なります。なので、本来は、任意加入推進派、慎重派という二分法もナンセンスだと思います。
自動入会はやむをえないが、役員(活動)の強制はやめようという中間派もいると思うからです。
逆に、任意入会だけれども、入会者には役員の輪番制度(くじびき)に従ってもらってもいいだろうと考える中間派もいるかもしれません。
ぶきゃこさんの立場は「そもそも自動入会はまったく認められない」というものでしょう。
しかし、実際の現場で、入会申込書の整備には二の足を踏む方は多いです。「会員数(会費)の減少」を懸念しているというのが、いちばんの理由でしょう。
ぶきゃこさんの経験した「ホワイトPTA」は先進的ですが、入会申請書があるPTAでは、加入率100%ということはないと思います。
推進派の中には、いくつかのPTAの例をあげて「90%」は確保できるという方もいますが、逆に、慎重派の中には、全国の自治会や町内会の加入率を根拠に、「30%」になるリスクもあるという人もいます。どちらが正しいかはわかりません。
もちろん「加入率などは問題ではない。とにかく違法なのだから即刻、強制入会をやめよ」という強硬意見も存在します。
それを否定するわけではありませんが、実際の現場でそのように言っても通じないことが多いので、より通じる言い方を考えてみたいのです。
ここまでは、主にぶきゃこさんにインタビューするかたちで推進派のお考えをお聞きしましたが、次回(2)は、ぶきゃこさんからの質問に答えるかたちで、慎重派の論理を整理していきたいと思います。
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PTAアンケート調査の結果1(役員や委員の負担)
はじめまして。
ものすごく興味深いシリーズを始めてくださり、ありがとうございます。
まさに今考えなくてはならない問題だと思います。
ぶきゃ子さんのお話は、相変わらずとても合点がいきます。
(ぶきゃこさんのこれまでの発言のエッセンスに触れられる点も助かりました)
私も、このシリーズをきっかけにして自らの認識を整理できればと思っています。
ぶきゃこさんとのやりとりは本1冊分近くになっていて、「こんな長いもの誰も読まないだろう」と思っていたのですが、少なくとも1人には読んでもらえたようで光栄です。
実は、お蔵入りさせようと思っていたのですが、読者がいたので、続きも近いうちに掲載しなければなりませんね。
ブログは、自分の楽しみが2割、ボランティア意識が6割、本の読者へのフォロー(仕事意識)が2割でやっております。
PTAと同じですね。
なので、間があくかもしれませんが、ひきつづきよろしくお願いいたします。
私が役員に入って、まず着手したのが、会費の流用を正す事でした。それが出来ないように、会則などを正したのに、また、戻そうと。我が市はバザーで、学校の備品を購入しています。入会の可否をきちんととらず、寄付行為をPTA活動として、容認している教育委員会も如何なものか。連P会長も問題と分かりながら、慣習だから仕方ないとしていて、小さな力で戦っていたので、大変勉強になり、勇気をもらいました。
染谷さんの活動に勇気づけられた人もいるでしょうね。
一人でも二人でも、後に続く人がいれば、それで成功だと思うのです。