手塚治虫『アドルフに告ぐ』が描く「正義と正義」の対立。太平洋戦争79年目に読み解く
「真珠湾攻撃」に始まる太平洋戦争の開始から、この12月で79年を迎えます。戦争に突き進んでいく日本と、当時の同盟国であるドイツを舞台として手塚治虫が描いた歴史大作『アドルフに告ぐ』(1983~1985年、「週刊文春」で連載)には、現代社会でも絶えることのない「正しさ」や「正義」の対立が克明に描かれています。
人びとを悲劇におとしいれる「正義」の正体
1941年12月8日に日本がアメリカ、イギリスに宣戦布告した太平洋戦争の始まりから、79年を迎えました。「マンガの神様」手塚治虫が戦争下の日本やドイツを舞台として描いた『アドルフに告ぐ』には、国家の「正義」に翻弄される人びとや、民族や立場の違う者同士による「正義」のぶつかりあいのドラマが描かれています。
同作には、戦争が民衆にもたらす悲劇だけでなく、情報化の一方で格差や分断も広がっている現代の社会を読み解くヒントも見いだせそうです。かつて虫プロ商事に在籍し、手塚治虫の仕事ぶりをよく知る飯田耕一郎さん(漫画家・漫画評論家)に聞きました。
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ーー手塚先生は週刊文春で『アドルフに告ぐ』を連載するにあたって、編集長から「シリアスな大河もの」という期待を受けて、戦争中の資料集めにも苦労しながら取り組まれたそうですね。複数の作品を並行して執筆されていた手塚先生ですが、同作には特に力を入れていたのでしょうか?
飯田耕一郎さん(以下、飯田) 複数の作品を並行して描くということは、手塚先生にとっては逆に自分の能力をより解放し、多様性を発揮する形になっていたと思います。そこに作品の優劣はないとは思いますが、「戦争」というテーマを扱う時には、それは手塚先生の創作の原点に立ち返ることだと思いますので、使命感をともなった意気込みというのがあったと思います。
徹底的な資料集めもそうですが、資料映像などもアシスタントと一緒に事前に観られたりしたそうです。過去にはそこまで下準備をされたことはなかったそうなので、この作品に賭ける情熱は相当なものだったと思います。
ーー物語では、民族は違っても親友同士だったふたりの「アドルフ」が国家と戦争に翻弄され、互いに憎しみ、殺し合うまでに至ります。それぞれの「正義」と「正義」のぶつかり合いを、現代の私たちはどのように読み解くことができるでしょうか?
飯田 ここに出てくる「正義」というのはそれぞれの立場から出るもので、つまりエゴなんですよね。民族のエゴ、国家のエゴ、思想のエゴというものがぶつかりあって「不条理な争い」を生み出している。つまり「正義」という言葉に翻弄されているわけですから、どちらが正しいのかということにはならないわけです。
だからこそ、手塚先生はそれを俯瞰する立場の峠草平という男を狂言回しにして、エゴイズムに振り回される人びとの悲劇をリアルに描き、そこに「正義」の正体とは何なのかを語っているのではないかと思います。
手塚先生が同作でスターシステムをほとんど使わず、「ランプ」と「ハムエッグ」が悪役で登場する程度であるという点からも、リアリティにこだわった本気度が感じられます。峠草平の視点はそのまま手塚先生の視点で、物語そのものは悲惨で重たいものですが、だからこそ、そこから願わくば「命の尊厳」や「命の大切さ」に思いを馳せて欲しいという手塚先生の思いがあったのではないでしょうか。