患者数を偽造する
「感染者数」という名のデマ そして無症状病原体保有者という名の「こども銀行券」
「こども銀行券」には、その旨が記されている「はずである」。「はずである」というのは、私はそれを現認したことがないし、こども銀行のホームページにも画像が呈示されていないからであり、もしその旨の記載がなければ紙幣を偽造した罪に問われ、こども銀行のホームページもこの世から消されているはずだからである。参考→「有病率蔵匿罪」という名のでっち上げ
●感染者数?患者数?そして無症状病原体保有者という名の「こども銀行券」
メディアの報道記事には、しっかりと新型コロナウイルス「感染者数」と書いてある。この「感染者数」の中に「こども銀行券」が相当数混じっているのである。では「日本銀行券」に相当する名称は何か?それが「患者数」である。ここで大切なのは、感染者数≠患者数、より具体的には感染者数>>患者数、つまりより感染者数は常に患者数よりもずっと多いという原理である。原則ではなく原理だから例外はない。
厚労省の発表では、常に患者、つまり新型コロナによる症状がある者(日本銀行券に相当)と、無症状病原体保有者、つまり新型コロナには罹っているけれども症状が無い者=見た目は全くの健康人(こども銀行券に相当)を明確に分けている。たとえば、2020年3月23日の発表では、患者960例、無症状病原体保有者126例と陽性確定例3例(*)を合計した1089例が「感染者数」の累計として発表された。つまり、この日だけでも、1割以上(126/1089=11.6%)の「こども銀行券」の混入があったことになる。
*陽性確定例とは、当初はPCR検査で偽陽性が疑われ感染者数に算定されなかったが、後に陽性が確定した例。なお偽陽性の問題については別途説明予定。医療職の方はSARSのRT-PCRにおける偽陽性に関する議論を参照のこと。
臨床で問題になるのは、患者であって、無症状病原体保有者ではない。無症状病原体保有者は発症すれば患者となるが、無症状のままに留まって感染が終了し(終了の目安は血清抗体価の検出だが、これはこれで複雑な問題なのでこれも後に別途説明する)決して患者にはならない場合でも、「感染者数」として記録には残る。
●こども銀行と日本銀行を混同させる仕掛け
ここで問題なのは一般市民のほとんどで生じているであろう「感染者数=患者数」と考えてしまう誤りである。それは無意識で患者数を偽造する操作に他ならない。さらにその水増し度(こども銀行券の割合)は実際には1割どころではない。というのは、検査は、しかるべき症状経過のある人や海外から帰国した人など、感染を強く疑われる人に対して行われるのであって、日本では街角を歩いている人を片っ端から捕まえて検査するわけではないからだ。
SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)と異なり、新型コロナウイルス感染症の場合には、軽症例や無症状病原体保有者の割合が高いことが知られている。では、実際に無症状病原体保有者の割合はどの程度になるのだろうか? 自衛隊中央病院の田村らは、「ダイヤモンド・プリンセス号」から搬送された新型コロナウイルス感染症(COVID-19)104症例の検討で、104症例全例が、船内の検疫における咽頭スワブPCR検査でSARS-CoV-2陽性を指摘されていたにもかかわらず、乗客の健常時の日常生活動作は自立し、総じて「普段は元気な高齢者」という印象であり、入院時は43名(41.3%)、全経過を通しても33%(31.7%)が無症状だった(つまり3割がこども銀行券だった)と報告している。
もし、元FDA長官スコット・ゴットリーブの言うように、検査をマクドナルド並に大安売りする韓国を見習って、無症状の人も片っ端からつかまえてたくさん検査をすれば、全国民を検査するまで「感染者数」は増えていくが、そのほとんどは、「こども銀行券」、すなわち無症状病原体保有者となる。このドライブスルー検査の最大の利点は、こども銀行券を分母に入れてどんどん膨らませることによって、相対的に致死率を低く見せかけられる点である。一方、韓国方式の最大の問題点は、事前確率が極めて低い集団に対してスクリーニング検査(実は感度が70%程度なので、スクリーニング検査としても使い物にならないのだが)を行うことによって、多数の偽陽性=偽患者(つまり病気ではないのに、検査が陽性となり、その結果偽患者となる)が統計の中に含まれてしまうこと、無症状病原体保有者とともに、このニセ患者をも感染者数に含める結果(*)、感染規模のハイパーインフレに繋がってしまう点である。検査法の問題点については、PCRは目安に過ぎないを参照のこと。
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韓国とは対照的に、中国では被験者がウイルス検査で陽性でも、熱が出ない無症状の場合、「病例」ではないとして発表感染者数から除外できる。
(中沢克⼆ 習近平訪日延期で狂うコロナ戦争完勝の皮算用 2020/3/4 ⽇本経済新聞より抜粋) この中国式の感染者数=病例=患者数という非常に保守的な定義の最大の利点は、感染規模を最小化して見せられることである。一方の問題点は、分母が小さくなって、見かけ上の致死率が高くなってしまう点である。
●対単位人口死亡数による比較を(表)
コロナ騒動がとっくに過ぎ去って人々の記憶から消え去った時に考えるのならまだしも、一体それが何を示すのかを調べるほど暇人でないあなたにとって、「感染者数」や、それを分母とする「致死率」は、フェイクニュース以外の何物でも無い。そこで私がお勧めするのは、あの忌まわしい「感染者数」や「患者数」とは独立して変化する「死亡数」と、その国によって固定された固有の値である人口の比で、各国の被害規模を比較することである。こうしてみると、検査をマクドナルド並に大安売りした韓国と、最も保守的に感染者数を示した中国の間に大きな差はない。それよりも何よりも大切なのは、医療崩壊を回避する努力であることを、この表は物語っている。
致死率と対単位人口死亡数
致死率は、病気にかかって症状が出た人(患者)のうち死亡する可能性という、前向き指標である。特流行期は分母である患者数を固定するのが不可能なので、あくまで暫定値に留まる。それに対して単位人口(10万あるいは100万)当たりの死亡数は、その国の人口を分母にした死亡者数という、後ろ向き指標である。単位人口当たりの死亡数は分母が動かないので、流行期間中でも、特定の国、地域で経過を追うのにも、また各国、地域での流行の状況を横断的に比較するにも有用な指標である。病気の脅威度を考える上で、この二つは明確に区別する必要がある。時に単位人口当たりの死亡数を「死亡率」と称することがあるが、致死率との混同を招くので、好ましくない。→COVID-19の致死率は0.2%未満
→あなたにもできるデマウイルス叩き
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→コロナのデマに飽きた人へ
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