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枝打ち遊び 〜試し切り〜



友人の看護師と普段着のまま二人とも
マスクをして、うちの庭でナイフでの
桜の細枝切り遊びをした。
この男、日本刀での試斬が巧い。
生まれて初めての試斬の時からスッパ
スパに切れた。
切る前には要諦を私が解説した。

この日のナイフでの枝打ちも、最初は
失敗したけど、私がやって見せたら、
それを見て即飲み込んで、次からはスッパ
スパに切っていた。袈裟も真っ向も逆袈裟
も。
日本刀では横薙ぎが不得意というので、
手の中(うち)の秘密みたいな要諦を教え
た。

そして、ナイフのブレードを畳む時、片手
で流れるように畳んでいた。
やるねえとは思ったが、考えたらそうだ。
手先が不器用な看護師など怖くて診てもら
いたくない(笑)。
だって、点滴で針刺したり、採血したり、
注射したりするのよ。技術があるなし以前
にぶきっちょな看護師なんて嫌だ。
医師もそうだよね。
いくら勉強が出来ても、手先が不器用な
医師、絵が描けない医師には診てもらい
たくない。
特に、外科医で手先器用ではない人にオペ
などは頼みたくない。
看護師も、ぶきっちょだと務まらない事だ
ろう。男女関係なく。

あいつは、だからバイクの運転も巧いのか
も知れないね。
運転というか操縦が。
コースライダーだったというのは別とし
て。
オートバイの操縦も、物凄く繊細な操作
と知覚だから。
何がどうで、何と何がどう違って、何と
何をどうやればどうなって、どれを選択
して実行するか。
それを瞬時に判断して即実行できなけれ
ばオートバイの操縦というのは出来ない。
ただ、乗って場所を移動するだけなら、
そんなシビアな操縦などは必要はないか
もしれないが、ほんの少しでもスポー
ティーな乗り方を求めて、マシンの挙動
をコントローラブルに扱おうとしたら、
鋭敏な知覚と同時に意思を実行実現させ
られる技術力が必要になってくる。
わずか1センチの腰のヒネリ、1ミリの
スロットル開度の違いでまるで異なった
挙動を現出させるのがオートバイだから
だ。乗るのは簡単だが、思い通りに動か
すのは簡単ではない。

握手しても判る。
昨年4月にある男たち3人と握手をした。
とてもしやなかな手の内の人がいて、嫌
だなあ、この人とはやり合いたくはない
なあ、そうはならず良かった、と読んだ。
シェイクハンドで相手の技量は読める
からだ。
物理的に三対一で勝つには、刀を持って
来て全員刺すしかないかなあ、とも思っ
た。実際、その場を一時離れる事があっ
たので、別場所で背中に真剣脇差を呑ん
で、また合流場所に戻った。妻がたまたま
通りかかったので「何かあったら知らせ
から、すぐに警察に連絡するように」
と告げた。
事と次第によっては全員刺殺するつもり
だったからだ。全員が銃を持っていたら
厄介だが。
幸い、人が出来た方々だったので、諸士
の意向とこちらの意向も運良く完全に合致
して、相互に真実のところで理解し合え
た。
円満な大円団の手打ちとして、相手側から
握手を求められ、応じて、さらに別な人に
こちらから手を出して固く握手した。
現実世界でわが身を以って対峙する人たち
は、裏でコソコソと小汚く動き回っている
鼠とは大違いだ。質性がまるで別次元なの
である。

剣戟での立ち合いと同じで、握手でも相手
を知る事が出来る。友情の証、互いに誓い
の証である握手であってもだ。
がっしりした体躯でも、まるで女性のよう
なしなやかな手をしている人は、只者では
ない事を私は知る。
そのあたりの判断を誤ると、宜しくない
結果を招く。
実戦対峙でのやり取りに至る場合は、威嚇
や虚勢はくその役にも立たない。取り分け
乱戦の時などはそうだ。黙々と冷静にやる
ことができるかどうかが分かれ目となる。
これは、ある状況で、ラッシュの前にベタ
伏せで頭上をヒュンヒュンと風切り音の
唸りを上げて「何か」が飛んでいてもだ。
冷静さを失う先は永遠の暗闇しかない。
そして、武を知る者は、武を知る者を知
る。

刃物を使うという事は、二輪を操縦する
事にとても似ている。
ただ、多くの二輪乗りたちは、刃物遣いの
人としては重なる事が多くはないので、
その相通じる事に気づいていない。
時々、剣法をやる人でオートバイ乗りの人
が漏らす言葉を聞く。
曰く、「武術の身体遣いとオートバイの
操縦は、とんでもなく似ている」と。
私もその意見には、「然り」と思う。

オートバイって、現代スポーツとはちと
違う身体遣いをするのよね。
勿論、現代スポーツ医学の知見は大いに
オートバイの操縦には奴立つのだけど、
軸をねじったりひねったりしながらも、
軸線の中心幹は脳の支配下に置く、とい
うところが、極めて物理的な動きの現出
としても、オートバイの操縦と武術の体
さばきは似ている。
まあ、オートバイは、乗って移動という
のを超えた領域に踏み出すと、まるっき
り武術での体さばきと同種になるのは、
これは二輪乗りで武技に通じる人は皆さん
知っている事だろう。

例えば、ハングオフでの腰の斜め前横へ
のヒネリ入れのやり方などは、武技を嗜
む人にはとても伝え易い。
「槍で外腰を突かれた時に、そこだけ半身
でかわす感じの身体使い」と言ったら即座
に理解してもらえる。
こりゃー、楽(笑)。
ハングオフの真後ろから見た背骨と腰の
曲がりの「く」の字にしても、とても剣法
のさばきに似ている。
オートバイでも剣法でも一番ダメなのは
「ヤジロベエ」ね。軸線崩れてサヨウナラ
の結果が待っている。
それと、両者でダメなのが、硬直と居付
き。これまた死への直行便となる。
タコみたいなのがいい。柔軟で。
イメージとしては、骨を持つタコ。
その骨も強度が自在に変化して、どの方向
にでも曲がる骨。
でも、そんなのは人体では無理なので、
関節や骨と骨の継ぎ目に負担がかからない
ようにする。柔らかくしなやかに。
とにかく、硬直居付きの地蔵のようになっ
てしまうと、武技も二輪操縦も全く叶わ
なくなってしまう。スポーツでもそうだ
ろう。
柔らかくしなやかに。

どうしたらできるか。
答えは簡単、やるは困難。
答えは「脱力させる事」だ。
日本刀での試斬や剣戟などは、筋肉頼り
の力任せではまず切れないし、斬られて
しまう。
木刀での組太刀稽古でも、剣先が少し
触れただけで相手の技量が即断できる。
ガチガチの者は大抵は隙だらけで、どこ
からでも攻撃できてスボコにできる。
しかし、剣先がわずかに触れて、タコの
ようなグニャグニャで柔らかい相手は要
注意だ。これは竹刀でも木刀でもそう。
集団戦の乱戦ではない対峙戦の場合は、
この相手がガチガチ居付きなどの時は
赤児の手をひねるように扱いやすい。
同じ得物ならば絶対に負けない。

真剣日本刀を扱う武術をやっていて、筋
トレなどをして筋力に頼ろうとしている
うちは絶対にその者の剣法は大成しない。
日本刀は筋力で扱う武器ではないからだ。
刀は「術」で扱うのである。
それを世は技と呼ぶ。
その二つが合わさって「技術」なのだ。
術技を得ずに技術無し。
私などが言うまでもない。
これは定理だ。

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