OVERLORD -the gold in the darkness-   作:裁縫箱

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 過去編です。
 予告通り長いです。前回の倍近くあります。お覚悟を。

 
 なお、実質この章から物語が始まります。前回までのは、導入……かな?



零章:渡烏
2、軌跡が始まり


 始まりがなんであったか、最早思い出せないほどの歳月がたってしまった。彼という存在が意識をもって活動して既に百年以上。その間の情報を、全て保有し続けることが出来るほど、彼の頭脳は有能ではないらしい。いや、正確には彼のかつての頭脳が、その情報の膨大さを受け止めることが出来なかったというべきだろうか。もし仮に、生まれたときから今の体であれば、そんなことは起こらなかった筈なのだから。

 

 しかし、全ては仮定の話であり、現実を生きる彼にはどうしようのないことだ。何度か、もしそうであればどうだっただろうかと考えることはあったが、その都度彼は、その脆弱な考えを放棄した。我々が認識できるのは今だけであり、今以外のことを考えるなど不可能だと、彼は考えていた。

 過去だ未来などといった浮ついたものは、全て現在の自分が描き出した虚像にしか過ぎない。今を通すことでしか、我々は事象を認識することは叶わないと。

 

 故に彼は、かつての自分に注がれた情報の破片に対し、可能な限り俯瞰的に眺めるだけで留めていた。

 そう判断したのが本当に自分だったのかすら分からないままに。 

 

 

 その情報は確かに、幼い彼の興味を引き付けて止まない、魅力を持っていた。

 

 

 

 一人、或いは複数の人間の記憶。彼が生きていた時代より過去、もしくは未来の情報。

 

 異なる価値観。

 

 異なる文化。

 

 異なる文明。

 

 

 知識を制限された窮屈な世界の中で、それらの情報は彼に知ることの喜びを教えた。

 

 ・・・だが、それらの情報は同時に、彼を生涯苛ます呪いにもなった。

 

 当然だ。ただでさえ苦痛な今に、それ以外の道があったと知れば、その苦悩は計り知れない。

 もし自分が、この時代、この場所ではないどこかに生まれていたならば。

 そしてその場所をハッキリと知っていたならば。

 

 理想の場所を、細部まで思い浮かべることすらできるのに、決して自分はそこには届かない。届かないまま生きて、そして死んでいく。

 

 

 まさしく理想と現実との間で生まれる苦悩の末彼は、余りに惨めな現実から逃れるように、仮想世界に没入する。

 

 そこならば、不確かな可能性とも、確固とした現実とも向き合わずに済んだからだ。

 

 しかし、結局それもその場しのぎで終わる仮初の世界。

 

 目覚めたら、また苦悩する羽目となる。

 

 ならせめてと、その仮初の世界を存分に楽しもうと、努力する。

 

 職業の組み合わせを研究し、希少な素材を労を惜しまず探索し、ゲームを楽しむ。

 

 仲間たちと談笑し、共に世界を旅し、冒険を楽しむ。

 

 プレイヤー同士で交流し、情報を集め、現実では味わえない人間関係を楽しむ。

 

 

 ・・・・どれだけやっても虚しさは埋まらない。

     

 ・・・・どれだけやっても立ちはだかる現実が、彼の意識を窮屈な世界へと押し戻す。

 

 

 そこまでの絶望を覚えても、彼が死という終わりに逃げなかったのは、単に育て上げたキャラクターを消してしまうことを勿体なく思っただけだったが、その未練も、ゲームの終わりとともに消える、筈であった。

 

 

 しかし何の因果か、ゲームの終了直後、彼はゲームのキャラクター、そして彼が仲間たちと築き上げた拠点と共に、全く異なる世界へと移動する羽目となる。

 その世界において、支配者足らん圧倒的な力と、絶対の忠誠を誓う配下たちをもって、彼は今までの非力な弱者ではなく、紛うことなき強者となる。

 

 命を断とうとした矢先に、そんな力を手にして、彼は戸惑った。

 自分にはお前たちを導く資格などないと、数年を自室にこもって過ごした。

 信頼を向けてくる配下を捨て置き、ただ一人現実から逃げようとあがいた。

 

 ただ、そんなことで事態が解決するわけでもなく、結局彼は部屋から出ることになる。

 懇願してくる配下たちを気の毒に思ったこともそうだが、自分が、新しい世界のことを何も知らないことに気づいたのだ。

 

 そして見た。

 

 前の世界とまるで変わらない、新しい世界の不条理を。

 

 

:::::

  

 

 薄暗い森の中を、一人の子供がよろめきながら駆けていた。まだ十にも満たないような幼い外見で、色素の薄い茶色の髪をやや長めに生やしている。何らかの液体を被ったのか、もとから体についていた汚れが水分を吸って目立っていたが、汚れの量からして、相当に劣悪な環境にいたのは想像に難くない。頬骨が浮き出ているほどなので、襤褸きれのような衣服の下にある体もやせ細っているのだろう。

 

 また、液体のせいなのか、鼻を刺すような刺激臭をまき散らしている。本人はもう鼻が馬鹿になっていて感じないだろうが、嗅覚の優れたものであれば、よほどのことがない限り近づいて欲しくはないほどだ。

 しかし、そんな他人から忌避されるような状態になってしまった子供だが、客観的に見て今まで子供が生き残っているのは、その状態、主に刺激臭によるものが多かった。

 

 子供を追跡している捕食者にとって、子供が放っている刺激臭は、この森一帯に広がっている特殊な植物の匂いと一致しており、嗅覚での位置の特定が困難になっているのだ。

 勿論、まともに森の知識などない子供が狙って匂いをつけているわけではない。単に、今の時期その植物の果実が種をまくために破裂しており、そのうちの一つが破裂した直後に、子供がそこで転んでしまったというだけだ。

 

 だが、特に匂いが強いこの時期に森へ逃げ込み、たまたま汁を被って匂いを隠せたという幸運が起こったとしても、現実としてこの子供が生き延びられる確率はゼロに近い。

 そもそも、子供の基礎的な能力が、捕食者のそれに遥かに劣るのだから。

 

 子供も、明確にその事実を理解しているわけではないだろうが、自分が後僅かで死ぬということは、薄々と察していた。

                 

                 「死ぬ」

 

 心臓が激しく脈打ち、口の中の感覚がない。

 体の中では胃が痙攣し、吐き気がする。

 手足は強張り、背中から死の気配を感じる。

 確実に自分を追ってきている足音を聞くたびに、ガンガンと耳鳴りがする。

 

 生命が脅かされる感覚。 

 

 幼い子供には有り余る恐怖だ。

 

 だが今更諦めても結果は何も変わらない。どちらにしろ自分は死ぬ。ならせめて、少しでも長く走ろうと、子供は走る。

 今まで満足に歩くことすら許されなかった体だ。当然足はもつれ、何度も転びそうになる。しかしそれでも子供は走り続けた。もう、命の危険など関係ない。この一瞬の動作に、全ての感覚を使う。

 走ることだけ考えて、たとえそれが一時的な逃避だとしても、子供は走る。自分の残り少ないだろう命を燃やすように、必死で。

 

 走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って。

 

 

 ・・・不意に、視界が急転したと思うと体が硬いものに打ち付けられる。体力の限界だ。

 子供の体は、地面に倒れていた。

 まだ走ろうと、走ることができると、体に立ち上がれと言ってみるが、もう四肢の感覚がない。地面をつかむ指一本、動かなかった。

 ・・・もう終わりかと、子供は思った。このままここから動かなければ、直に子供は捕食者に発見され、文字通りその場で喰われるだろう。だが集落からここまで、よく駆けたとも思った。自分の意思で、最後に己の体を十全に動かすことができたのだ。喰われるということは怖いが、幸い体の感覚はほとんど途切れている。これならばまだましだろうと、喰われるまでの後僅かの間、少し休もうと目を閉じた。

 

 

 夢を見る。皆が幸せに暮らして、いつ連れていかれるかと怯えることもなく、平和に暮らす夢。両親は、顔も見たことがないほど昔に殺されていたが、夢の中では鮮明に子供を愛してくれていた。姉はまだ子を孕んでおらず、穏やかに微笑んでいた。知り合いの子供たちとも、仲良く遊ぶことができる。皆が命を輝かせて、幸せに・・・。

 

 

 ・・・誰かが、子供の傍に来たのを感じる。もう目を開けることすら億劫だった子供は、自分を殺しに来た相手を見ないと決めて、そのまま眠り続ける。

 

 ・・・誰かが、子供に話しかけてくる声が聞こえる。捕食者の言葉など聞きたくないと思った子供は、夢の中の声に浸ることにして現実の声は無視することにした。

 

 ・・・誰かが、子供の体に触れて揺すぶる感覚がした。ああ、もう自分は死ぬんだなと意識のふちで悟った子供は、それでも意識を覚醒することを拒んだ。

 

 ・・・・・・しかし予想に反して、子供の体に痛みはやってこなかった。代わりに、何か暖かいものが流し込まれるような感覚がして、子供の意識は急激にはっきりしだした。まだ瞼は開かないが声ははっきりと聞こえる。夢の声ではなく、現実の声だ。

 

 

「大丈夫かい、君。」

 鈴の音のような声がした。

 その声に、何とも言えない、抗いがたい魅力を感じた子供は、ゆっくりと瞼を開けた。

 

 まず視界に映ったのは、此方を覗き込んでいる顔だった。黒いフードを被っているため、目元のほうが陰になってよく見えなかったが、それは子供が見た何よりも美しいものだと感じた。

 そう、美しい。緩やかに弧を描いた口元も、日に当たって輝く雪のように白い肌も、子供が見たことがないほど神秘的に、整っていた。

 それらの容姿からすると、人間のようにも見えるが、余りにも美しく、人間というくくりには収まりきらない、何かこの世の理を外れた存在なのではと、子供は思った。

 

「ああ。目が覚めたのかな。どうだい?起き上がれるかい?それくらいは出来る程度に回復させたんだけど。」

 声に従って、ゆっくりと体を起こす子供。あれほど疲れ切っていたのが嘘のように体の調子は良かった。

 自分の身に起こっていることが処理しきれなかった子供は、ぼんやりと、フードを被った人物を見つめる。集落で生まれてからこの方、目の前の存在のような人は見たことがなかったのだ。集落では皆陰鬱で、不衛生で、目が濁っていた。だがフードの人物は、着ている衣服の布一つにしても清潔で、糸のほつれもない。この人は本当に自分と同じ世界に住んでいるのかと、不思議な気分になる。

 

 

「・・・ふむ。これは僕の声のかけ方が悪かったのだろうか。全然返事をしてくれない。一体全体この沈黙は何なんだろう、アルベド。」

 子供が呆けているので、困ったように眉を寄せながら、黒フードは自分の後ろを振り向いた。それに釣られて子供もそちらを見ると、すぐ近くに黒い鎧がいるのが見つかった。

 子供を覗き込んでいる人物は、子供のそばにしゃがんでいたが、黒鎧はその人物の背後で直立している。そして、なぜだか黒鎧は子供に向けて不快だといわんばかりのオーラを醸し出していた。

 捕食者たちに向けられてきた薄汚い欲望とは違う、純粋な殺意に、子供の体が強張る。

 

「■■■■様。御身を地にひざまずかせるという無礼を働きながら、なおも満足に返答しない下等生物に生きる価値はないかと存じます。即刻抹殺のご許可を。」

 厳つい刃物をゆっくりと構えながら、黒鎧はそう提言する。その雰囲気からは、冗談ではなく、本気で子供を殺すべきだと考えているらしい。声色がマジだ。

 そんな様子の部下に、黒フードは更に困ったような顔になる。

「・・・アルベド。色々言いたいことはあるけど、ひとまずそれは置いといて、僕は別にしゃがむことくらい何も思ってないから。一々そんなことで人を殺す必要もないから。ねっ。一旦その手に持っているバルディッシュを振りかざすのはやめようか。」

「・・・承知いたしました。」

 不承不承といった様子で、黒鎧が巨大なバルディッシュと共に殺気も収めたお陰で、子供の口も動くようになった。

 

「・・ここは・・死者の・国?」

 人間のような見た目をしていながら、人間とは思えない存在や、見るからに恐ろし気な黒鎧を目にして、子供は自分が知っている世界でないところにいるのではと思った。そして、直前の状況も考えると、自分は死んでいて、目の前にいる者たちは、死後の世界の存在なのではと考えると、一番納得がいく。

 死んだ瞬間というのは覚えていないが、死ぬということがどういうものか知らない子供は、そういうこともあるだろうと、なんとなくそう考えたのだ。

 

 

 子供の問いに、黒フードは視線を子供に戻すと、興味深げに笑みを浮かべた。

「おや、ようやく喋ったね。いや~良かったよ。僕も何分外の世界で自分の力を使うのは初めてだから、加減を間違えたかと焦ってたんだよ。」

 内心、うっかり殺さなくてよかったと、危ないことを考えながら黒フードは言葉を続ける。

「それで、質問に答えるとね。ここは死者の国ではないよ。期待に沿えなくて残念だけど、どうやら君も僕も生きている。僕も自分死んでんじゃないかな~って思っていた時期はあったけどね。色々検証した限りじゃあ、ここは紛うことない肉体を持った者たちの世界だ。」

 黒フードは、実に軽い口ぶりでズバリと子供の考えを否定した。

 

「あっ、ここでいう肉体を持った者たちっていうのは、基本的に生きた実体を持っているっていう意味ね。不死者とかもいるにはいるんだけど、あいつらはもう死んでいるというか、こう、無理やり生きているというか。まあ、よく分からないものだからとりあえず無視していいよ。一応彼らにも体力や魔力に関する項目が存在する以上、魂が存在することは確かで、後はその中身の問題なんじゃないかと僕は思っているんだけど、それらに関する考察にはまだ判断材料が足りていなくてね。他にも、ってそれはいいか。・・・聞きたいことあるし。」

 楽し気な顔で、口を挟む暇を与えずに解説する黒フードだったが、もともと聞きたかったことを思い出したのか、言葉を切った。

 黒フードの下から、意味ありげな視線が子供に注がれる。その視線に子供は、自分の心の中の動きすら見透かされているような、そんな居心地の悪さを感じた。

「少年。君はなぜこんなところに倒れていたんだい?その恰好を見る限り、親御さんは居ないのかい?」

 

 その問いに夢の中の両親を思い出して、少し言葉に詰まった子供は、視線を周囲の木々に移す。なぜだか心の中で何かがざわめいて、考えを乱す。

 本当なら今頃喰われていただろうに、まだ生きていることを不思議に思いながら、子供はじっくりと思考の波に沈んでいった。

 

 そんなこんなで再び沈黙した子供に、訳が分からないと思った黒フードだったが、ここは急かしてもいいことはないと記憶で見たのを思い出して、子供が話し出すのを待った。

 背後にいるアルベドも手を挙げて静止しておく。

(これは・・・子育ての記憶かな。うーん。今のところ遺伝子的に僕の子供は存在しないけれど、もし作ろうと思った時には役に立つかもしれないな。なるほど子供が黙り込んでいるならば、それは感情が言葉になるのを待っているから、か。どこまで本当かどうか、今度調べてみると面白いかも。)

 

 

 気配遮断用に展開した結界の調子などを確認しながら黒フードが待つことしばし。

 アルベドのバルディッシュを握る手が、ギシギシと嫌な音をたてるほどの時間がたって、子供は口を開いた。

 

「・・両親は・いない。喰われ・・た。・・おれも・喰われる。だから・・逃げた。」

 口に出してみても、自分とは遠いことのように思えてならなかった。子を孕んだ姉が連れていかれたときに感じた途方もない恐怖が嘘のようだ。

 

「・・・ふむ。つまり君たちの種族は、他の種族に襲われて喰われる運命にあるということかな?それで君は喰われるということが嫌だったから逃げたと。」  

 顎に手を当ててフムフムと納得したような様子の黒フードに、子供は再び現実味のない人だと思った。まるで、人間が虫同士の争いを上から見ているかのような、そんな口調だ。

 

 納得しているようだったので、これで質問は終わりかと思った子供だったが、黒フードはまた探るような目で子供を見た。

「しかしまだ分からないね。僕が探索した限りだと、君の同族はこの周辺で君だけだ。つまり、君は一人でここまで逃げてきたことになる。・・・他の者たちは、逃げようとはしなかったのかい?君の話からすると、今日いきなり他種族に襲撃されたような印象を受けたんだけど、もしかして違うのかい?」

「・・・違う。おれが生まれる・・ずっと前・から、おれたちは・・喰われ・続けて・いる。そう・・聞いた。柵に囲まれた・集落の・中で・・・あいつらに飼われて・・順番に・喰われる。」 

 言っていて、何もしない、抵抗しない同族たちへの怒りが膨れてくる。姉が今まで自分に見せようとはしなかった、集落の真実。姉が連れていかれて初めて知った、呪われた運命だ。それに怒り、恐怖し、小さい体で集落を抜け出した。丁度、子を孕んだ女を連れていくために警備が薄くなっていたときで、柵の外に逃げられ、ここまで走ってきた。

 

 ここに来るまでの経過を思い出して、自分の中で、今の状況への恐怖が大きくなってくる。目の前の人物たちの浮世離れした雰囲気に呑まれて意識していなかったが、自分はいつ死んでもおかしくない環境にいるのだ。

 

「・・あなたたちも・・逃げた・ほうがいい。あいつらに・・見つからない・うちに。見つかったら・・殺されて・喰われる。」 

 何をしたのかは分からないが、自分の疲労を無くしてくれた相手だ。殺されては欲しくない。雰囲気からして自分よりは強そうだが、それでも捕食者たちに勝てるとは思えなかった。姉を連れていかれる時に見た感覚から、子供はそう考えた。

 

 

 しかし、黒フードは顔に苦笑を受けべて、背後を振り返った。 

「いや~うん。忠告ありがたいんだけどね。・・・もう来ちゃったらしいんだよ。」

 

 

 黒フードの視線の先の木々の中から、何か巨大な生物がすさまじい勢いで地を駆ける音がする。木々が揺れ、大地が揺れた。人であれば、潜在的な恐怖を呼び起こしてしまうような、そんな音だ。

 事実子供は、追われていたときの恐怖を思い出し、腰がすくむ。

 

 

「ようやく見つけたぞ小僧!手間をかけさせやがって。大人しく俺に食われろ!」

 罵声と共に足音の主は姿を見せた。

 ドンっと音をたてて、黒フードの前に巨大な影が飛び降りる。

 大きな耳と鼻。醜い顔に奇怪な巨体。妖巨人と言われる種族だ。彼らの種族は、強靭な身体能力と、異常なまでの再生能力を誇るとされる。そして、子供にとって最悪なことに、トロールは人間の肉が大好きであった。

 

 木製の柄に金属製の打撃部分をつけた武器、メイスを持つその姿を見て、なるほどと黒フードは呟いた。

「トロールか。確かにそれなら、通常の人間に比べて強いだろうし、人間を食べることに執着するのも頷ける。しかし、あれが本当に僕の知るトロールと同じかどうかは疑問の余地が残るところではあるが・・・。」

 

 立ち上がって首をかしげながら観察してくる黒フードの姿に、トロールが困惑したような声を出す。

「んん~。なんだ貴様は!匂いがしないぞ!」

「ふむ。対象を判別するのに匂いを必要とするのか?そうすると他の感覚器官は大して機能していないことになって・・・。いや、機能していたとしてもそれを使いこなす脳がなければ意味はないのかな?」

 トロールを前にして、余裕溢れる態度をとる黒フード。それを見て子供は焦る。

(まずい。今からでも逃げないと、あの人が死んじゃう。伝えて・・・大丈夫か?注意を引くにならない?でも、今言わないと・・・。くそっ。)

「・・あの。」

 ザンッ。

 声をかけようとした子供だが、目の前の地面に深々と刃物が突き刺さったのを見て、否応なく黙らされる。

 刃物の先を見ると、黒鎧が此方を睨んでいる(ように見える)。

「御方の邪魔をするな、人間。」

 殺意と共にかけられた言葉に反論する気もなくなり、子供はその場で沈黙した。

 

 見ると、トロールと黒フードはまだ向かい合っていた。子供はすぐにでもトロールが黒フードを攻撃するのではと思っていたが予想は外れている。どうやら、自分を前にしてもまるで動じない黒フードに、トロールは混乱しているようだった。過去そのような存在はいなかったのだろう。

「一体さっきから何を言っている貴様は!オレに分かるように話せ!」

「・・・あの子には普通に喋っても通じたのだけれど、君は分からないのか。これは、あの子と君では使っている言語が違うのかな?しかしそれにしては変な気がするけど。」

「貴様ぁぁ。」

 

 全然意味が分からないことにトロールは我慢が限界に達したのか、メイスを振り上げる。

 軽々と扱っているが、あれが当たれば人間は即死だ。そのことを、短い人生経験でも察した子供は、この先の展開を予想して目を瞑った。これ以上、誰かが苦しむ様を直視するのは嫌だった。

 

「人間風情がオレに逆らったことを後悔しながら死ね!」

 目を瞑っている子供に、状況は見えない。しかし、怒声と何かが風を切る音から、トロールがメイスを振り下ろしたのは分かった。

 続いて肉が潰れ、骨が砕ける音がして、呻き声が・・・・・・・しなかった。

 聞こえたのは、布が風にはためく音、それだけだった。

 

 我慢できずに子供が目を開けると、信じられない光景が見える。

 

 メイスが黒フードの人物の顔面で停止していた。本来ならば、頭を粉々にして余りある一撃が、黒フードの人物に何の痛痒も与えず、不可解に止まっていた。

 唯一黒フードの人物に何か変化があったとすれば、被っていたフードが風圧で脱げていることくらいか。

 

 意味が分からないと自分の武器を見つめるトロールに、声がかかる。トロールが頭を砕こうとした相手だ。

 白い髪に碧い眼という素顔を露わにして、黒フードは告げる。

「本当は君を殺すつもりはなかったんだけどね。でもまあ、魂から直接情報をとったほうが手っ取り早いから、この場合は攻撃してくれてありがとうというべきかな。」 

 

 何を言っていると問いかけようとして、トロールは自分の体が、指一本に至るまで全く動かないことに気づいた。動かない瞳でとらえた足元には、黒フードの人物から伸びてきた影が巻き付いているが、それがどういう意味かは分からない。

 困惑と恐怖からうるさいほど激しく動いている心臓が、吐き気をもたらす。

 

 そんなトロールに、黒フードは優しく微笑んだ。

「大丈夫。恐れる必要はないし、痛みもない。ただ・・・僕が君の魂を貰うだけ。」

 話しながら近づいてくる黒フードにやめろと眼で訴えるも、足を止める気配はない。

 数歩で間合いに入った黒フードは、手を伸ばしてトロールに触れる。

「さよなら。」

 触れた箇所から黒いしみが広がっていき、トロールの体を包みだす。包んだそばからその場所は塵になっていき、やがては全身が塵となって宙に消えた。

 

 トロールが最後に感じたのは、急激に自分という存在が薄れていき、何か大きな存在と一体になる、そんな充実感だった。

 

 そしてそんな光景を、子供は言葉なく見ていた。畏怖で眼を開きながら。

 

 

 




 百年前に原作とは違った場所にナザリックが転移したっていうことですね。
 原作九巻でちょっとだけ言及されている場所ですね。

 
 次回はこの続きをそのまま書く予定です。


 そして、誤字報告をしてくださった方、ありがとうございます。


 2020/10/27
 タイトルを若干変更しました。
 ハルバードをバルディッシュへと変更しました。
 

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