教師として、監督として/野々村監督、古希の挑戦
元JC総研客員研究員 黒川 愼司
昨年の秋季中国地区高校野球に島根県内から4校が出場しましたが、いずれも1回戦で敗退。これで県内から一般選考枠での選抜大会出場はなくなりました。
ここ20年で同枠から3回出場しているのが、開星高校。その野球部監督に復帰した野々村直通氏(69)と話す機会があり、新年の抱負などを聞きました。
野々村氏は県内最年長で監督就任となります。以前の教員監督から今回は専任監督として復帰されました。以下、野々村氏の話です。
「高校野球の指導者は教員であるべきというのが、私の持論です。教員だった時代、『野球部朝礼』を毎朝開いて一日を始めていました。高校野球の監督は、野球だけ教えれば良いとは思いません。日常の態度や授業に臨む姿勢も指導することが必要です」
「それと『目的と目標』という言葉を生徒に教えています。『甲子園へ行くことは、目標であり通過点だ。達成すべき目的は、将来の健やかな暮らしをどう確立するかだ』と」
「開星には私以外に5人のコーチがいます。このチーム野々村のマネジメントが監督の仕事です。高校球児の数が減っているといわれていますが、部員を確保し、強化につなげていくために4月から開星中学に硬式野球部を設置します。そこへプロ野球の楽天球団のブルペンキャッチャーをやっていた開星OBを指導者に迎えます」
「サッカー界は組織が体系化され、自由にプロとアマチュアが交流しています。ところが野球界では巨人の梶谷が母校へ来て、ノックすることも違反。バッティングについて生徒に話すのも違反です。『野球は一つ』を合言葉に、新たな球界組織を構築し、裾野を広げて球児を確保していくべきです」
「夏重視の傾向がありますが、まず、秋の大会に全力を傾注すべきです。中国地区の高校と競い、勝ち抜くことが第一義です。これが最後の夏の甲子園につながっていきます。広島大を卒業して、広島県立府中東高校が監督業のスタート。この頃の広島の監督は猛者ぞろいで、練習試合でも一切手抜きなしの、まさに『常在戦場』でした。この広島が私の野球の原点です」
「広島で1回、島根で9回、合わせて10回甲子園へ行きました。何とかきりのよい“島根で10”を達成したいものです。甲子園へ行きたいという気持ちは生徒に絶対負けません。その気持ちが持続できなくなって生徒に負けるようになればその時は辞める時です」
教壇を離れた今でも、「教員監督」の意識で高校球児を育成する姿勢は、外側から見た野々村像を一変させるものでした。古希となる今年に「島根から10回目の甲子園を達成したい」という締めくくりの言葉に迫力がありました。
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くろかわ・しんじ 1946年、江津市波子生まれ。早稲田大卒業後、JA島根中央会で農政、広報、福祉事業、青年組織などを担当し、退職後にJC総研客員研究員を務めた。松江市在住。
2021年1月10日 無断転載禁止