ただ、そこにいる。
という内的な挑戦。
坂東玉三郎インタビュー

自然に見えることを
意識しました。

大河ドラマへの出演オファーをいただいたときは、自分にできる役かどうか心配でした。ですが、その役が正親町天皇という古典的な存在だったので、だったらやれるかなと思ってお受けしました。
また、大河ドラマでは毎年さまざまな方が出演され、役者として有意義で貴重な時間を過ごされています。自分もその一員になれると思うとうれしかったですね。

撮影に入る前に、役について脚本家の池端先生やプロデューサー、演出家の皆さんとじっくりお話をさせていただくことができましたし、自分の肌になる(なじむ)まで衣装を何度も着させていただき、化粧や髭(ひげ)を何度も試すこともできました。
なるべく自然に見えることを意識しました。役を必要以上にはつくり込まないようにもしました。髭は代々の天皇がはやしているのでつけていますが、それも自然に見えるようにと思っています。


すべてを
包み込むように見ている存在。

表面的に観ただけでは分からない存在。それが帝(みかど)ではないかと思います。武将たちをはじめ世の中の人たちとは違う生活様式で、違う場所で代々生きています。また、精神的な耽美(たんび)主義を貫いている存在ともいえるかもしれません。
そんな存在でありながら、信長のことも、光秀のことも、動乱の世のこともすべて見ている。それも包み込むように見ている。もっと言えば、このドラマ全体を俯瞰(ふかん)して見ている存在が、この作品での正親町天皇ではないでしょうか。


ただそこにいるだけで、
何かを感じとっていただく。

作家や制作陣の方々と話し合ったことを踏まえ、役づくりをして、ひたすらそこに座っている。そして、与えられたセリフの裏付けをとって、ひたすらしゃべっていく。舞台では、上手、正面、下手と自ら動いて表現していきますが、映像の場合は、ただそこにいるだけ。それをカメラが自由に切り取ってつないでくださる。
第30回の放送では、東庵先生と碁を打つシーンと、信長との対面シーンがありましたが、ほとんど動きはありません。碁を打つ指先くらい。信長とのシーンは御簾(みす)の向こうにいるので、シルエットだけの“垣間見(かいまみ)の世界”。わたしは、ただそこにいるだけなのです。

これは自分にとっての挑戦です。挑戦といってもスポーツのような動的な挑戦ではなく、この作品を見てくださるみなさんに「正親町天皇とはこういう雰囲気の人だったんだな」と感じてもらえる存在になるという内的な挑戦です。
これからも試行錯誤しながら、その挑戦に苦しんでいるさまをぜひお楽しみください。

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