平山瑞穂

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平山瑞穂
@hirayama_mizuho
小説家。9/6に『愛ゆえの反ハルキスト宣言』(皓星社)で評論家デビュー……と3年前に書いたきりになっている。代表作は「あの日の僕らにさよなら」と書かざるをえないのが本人としてはなんとも不本意。
2017年3月からTwitterを利用しています

平山瑞穂さんのツイート

ずっと前に、京都出身の女性編集者が、「京都にいる頃は、東京では今でも女性は普通に“だわ・のよ”でしゃべっているのかと思っていました」と言っているのを聞いて、あーなるほど、全国レベルではそういう誤解もあるのかと納得したことはあるが。
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それにしても、「だわ・のよ」言葉、いったいいつになったら根絶されるのか。僕は10年くらい前からそれを訴えつづけてるけど、みんなおかしいと思わないの? なんで誰もツッコまないの? あれがアクチュアルに使われてるのは、今や「オネェ言葉」としてだけでしょ?
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あと、謎解きのための謎解きみたいな話も正直大嫌いです。大嫌い(繰り返すなよ)。謎解きのために人工的に作られた物語。そのために人物造型が人工的になってるような話。「謎解き」が始まると、「あ、その“謎”、興味ねーっす」と言いたくなる。そういうの本当に大嫌い。
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現代の女子高生(でなくてもとにかく若い女性)ということになっているキャラが「だわ・のよ」調でしゃべりはじめた時点で、感情移入にブレーキがかけられ、続きを観たい(読みたい)気持ちが絶望的に損なわれてしまう。そんな僕は狭量ですか? リョーケンガセマーイデスカ?
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僕はどうやら、ラノベというものが死ぬほど嫌いらしい。ラノベにはラノベのお約束がいろいろあり、「だわ・のよ」言葉もそのひとつなのだろうが、美学的にどうにも許しがたいものもあるのだ。「だわ・のよ」なんて今の女子高生が使うか? 誰ひとりそんな言葉使いはしてないでしょう。
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あえてタイトルは言わないが、Amazon Primeで、予備知識もなくなんとなく観はじめた映画がめちゃくちゃラノベテイスト(例:女の子キャラの一人の語り口が「だわ・のよ」言葉)で、途中からはそのテイストに耐えがたさを感じていたのだが、エンドロールで原作がまさにラノベだったとわかった。
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昨夜詠める歌、かくあらばなほ優れたりと思ひて手直ししたるをあらためて挙げむ。 猫画像は新しきものに替へたり。 叫ばれし緊急事態宣言に我あくびして猫と戯る
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新年が明けたとか、本当にどうでもいいな。単に決まったとおりに時間が過ぎただけでしょう。とか言ってる僕はきっと誰とも心を通じあわせられないんだろうな。キズナとか知ったことか。「離れていてもつながっている」? あー、はいはい。もともと人と離れていたい僕にはなんの意味もないたわごとだ。
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くりかえすが、僕がエンタメ文芸の世界に作家として産み落とされてしまったことは皮肉としか思えない。デビュー後、勝手のわからないエンタメ文芸のことを勉強しようと思って「売れている本」を片っ端から読みまくったことなどを思い出して、今でも涙ぐましくなる。そこは僕の戦場ではなかったのだ。
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次はエリアス・カネッティの『眩暈』でも再読しようかなと手に取ってみて、版元が(哲学書などで有名な)法政大学出版局、価格が3,605円であると気づいて軽く吹いた。かつての僕はそうした本ばかりなんの躊躇もなく買い漁り、読み漁っていたのだ。小説とはそういうものだと思っていた。
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ともあれ、クンデラ再読キャンペーンはこれでひと区切りついた。結局、いちばん好きなのは『冗談』なのではないか、というのが暫定的な結論。あの作品に横溢する皮肉や残酷さがたまらなく好きだ。そうした酷薄さの狭間からしか見えてこないものがある。
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クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を再読。ほぼ記憶にはなかったが、犬のカレーニンががんに冒され、次第に衰弱していくさまは涙なしには読めなかった。初読は90年代の後半と思われ、その頃にはまだ、自分で飼ったペットの死に立ち会った経験がなかったので、実感としてわからなかったのだろう。
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何より、何十年ぶりというブランクを隔ててもなお、「たそがれマイ・ラブ」のメロディーラインを聴けば全部覚えているという点がすごい。特に好きではなかった曲であるにもかかわらず覚えている。そういう形で人の記憶に刻印を残す曲を書けるというのは得がたい才能なのだ。
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故・筒美京平の作曲能力の高さに今さらながら驚嘆している。大橋純子の「たそがれマイ・ラブ」とか、リアルタイム(当時小4)では今ひとつピンときていなかったのだが、今聴くと楽曲的にまるで隙がない。大橋純子の声も艶っぽく美しくて、エンドレスリピート状態で聴けてしまう。
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『僕の心の埋まらない空洞』もさー、あれをもって僕が不倫を肯定してるって? なに言ってんの? バカじゃないの? そういう設問の先にあるものを描こうとしてるのに、なんでそれがわからないの? バカなの? ……とか言ってるからダメなんだな、僕は。はいはいすみません猛省しますよ。
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でもまあそれはしょうがないや。僕はロジックだけで動く人間で、ロジカルに考えればそういうことになるけど、世の中のみんなが同じ流儀でものごとを捉えているわけではないのだから。論理の正しさをめぐる問題といえば、『僕の心の埋まらない空洞』もあるけどそれを言い出すと以下略。
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でも「著者の傲慢」とか言われちゃうとね。傲慢とかそういうことじゃないんだよ。ただ僕は、この世の「真実」の一端をかけ値なく表現しようとしただけであって。その表現の仕方が過度にサディスティックであったことは認めるけど、それは僕が傲慢だったかどうかということと直接の関係はない。
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なんか、『大人になりきれない』(文庫化の際に『夜明け前と彼女は知らない』に改題)とか読み返すと、サディスティックすぎてつらくなってくる。ごめんなさい、世界のみなさん。僕はわかってませんでした。間違ったことを言ったとは今でも思わないけど、自分が残酷すぎたことが今ではわかります。
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当時小学生の高学年だった僕が「ガンダム」に夢中になったのは、まさにそのリアリズムが原因だったのだ。当時から僕は、「絶対的な悪」なんて存在しないと思っていたのだろう。そういう嘘くささを、「ガンダム」はやすやすと切り捨てて見せた。アムロに共感していたわけでは必ずしもなかったにしても。
それにしても、ガンダムのTVシリーズのオープニング曲の、「正義の怒りをぶつけろガンダム」という歌詞がいかに浮いていたかということに思いを致さざるをえない。「敵は必ずしも悪ではない」ということを、初めて前面に押し出したコンテンツこそがガンダムであったことを思えば。
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なんだか知らないが「機動戦士ガンダム」がトレンド入りしている。少し前に僕は最初のTVシリーズを観てぽつぽつと感想などを述べていたのだが、もしそれが今だったら、きっと自分は、「俺はおまえらとはちげーんだよバーカ」と内心罵っていただろう。わかりあえないのだ、僕は彼らとは。
「ツイン・ピークス」、約30年ぶりに観てもすごい。映像が古びていない。こういう芸当が可能なのは、僕が知るかぎりデヴィッド・リンチとスタンリー・キューブリックくらいのものだ。しかしオードリー役のシェリリン・フェン、当時は大好きだったのだが、今見ると野暮ったくて、それはそれで驚いた。
なんにせよ「ツイン・ピークス」というドラマは、僕が作家になったことと浅からぬ因縁があるのだ。あのドラマを通じてなにやらスピリチュアルなものにかぶれていた僕は、自分が作家になることはすでに決定していることなのだと信じ込んでしまったのだから。それがよかったのかどうかは微妙だとしても。
「ツイン・ピークス」は、たしか話題になっているのを知ってレンタルビデオで後追いして観たのだったと思う。たぶん一度しか観ていないと思うのだが、ローラの死を知って泣き崩れる父親リーランドの姿とか、いちいち克明に覚えている。記憶力も感受性も、現在の比ではなかったということなのだろう。
約30年ぶりにドラマ「ツイン・ピークス」を観かえしている。釣りに行こうとしたピート・マーテルが遺体を見つけて保安官に電話し、動揺しながら"She's dead. Wrapped in plastic"と言っている場面を、そのセリフも含めて寸分違わず正確に記憶していたことに驚いた。なぜ覚えているのか。
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それにしても、その『魅機ちゃん』の主要キャラクターであるみきちゃん、ユカ、リコの実在するモデルが全員すでに40代に達していることにふと気づいて衝撃を受けた。それは、中島美嘉が今年デビュー20周年と知ったときの衝撃に近いものがある。
『魅機ちゃん』に登場するアンドロイドのみきちゃん、そして彼女を慕うユカ、リコにはそれぞれ実在するモデルがいたのだが、阿部潤さんのチャーミングなイラストがあまりに魅力的だったために、途中からは彼のイラストでしか彼女たちを思い浮かべられなくなっていた。ヴィジュアルの力は侮れない。
『魅機ちゃん』は、漫画家の阿部潤さんとのコラボという形で、今はなきコミック誌「月刊IKKI」に連載した作品だった。阿部さんはその後、『パパがも一度恋をした』などのスマッシュヒットを飛ばしているが、僕は喫水線より下の冠水状態から抜け出せずにいる。でもあの連載は本当に楽しかった。
まあそもそも読まれなければ評価もされないわけで。読んでくれさえすれば評価してくれる人はもっとたくさんいたはずだと思っても、現実には読んでくれた人自体がものすごく少なかったわけで。売れればもっと読まれたんだろうけど、そもそも読まれなければ売れすらしないわけで。あーもうムカつく!
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自作のひとつである『魅機ちゃん』(2009年、小学館)を久々に再読した。なんですかこれ。傑作じゃないですか。……といった発言を僕は自作について飽きずにくりかえしているのだが、要するにそういうことなのだ。僕の作品については、世間一般の評価があまりにも低すぎると思うのだ。
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ミラン・クンデラを相次いで再読している。それで「冗談」を推定25年ぶりくらいに読みかえしたとき、自分が本来書きたかったのはこういう小説だったのだと思い出した。どこで道を間違えたのか。いや、間違えさせられたのか。僕は作家デビュー以来16年間も正しくないルートを辿りつづけてきてしまった。
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"I do know that's what I said."というのはつまり、「それがぼくの言ったことだということをぼくはたしかに知っている」というニュアンスだ。映画と違って原作ではタカシがあずさを忘れてから一定の時間が経過しているので、「覚えている」のではなく「知っている」ということが大きな意味を持つ。
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「忘れないと誓ったぼくがいた」はDVDなどでは"Forget Me Not"と英訳されているそうだが、このタイトルは、実は単行本が出るときに僕自身が英訳していて、カバーをはがすと表紙に"I do know that's what I said"と小さく入っている。今見ても名訳だと自分では思う。
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今、前のツイートに続けてものすごく辛辣な、取り返しがつかなくなるようなことを言おうとして、寸前でかろうじて自制を働かせました。まあどうせこれらのツイートを読む人なんて全世界にマックスで20人くらいしかいないだろうけど、大人になるとは、必要があってもなくても自制できることなのです。
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あーでもごめんなさい、「現実にはありえない絵空事」が実現されるからこそ楽しいんですね? それこそがエンタメの使命なんですね? すいませんなんか僕わかってなかったみたいです、「こんなことあるわけない」という認識補正機能をあえてオフにする快感ってやつのことが。
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