「ひろしまタイムライン」炎上
NHKが「原爆被害を伝えるため」として運用しているツイッター「ひろしまタイムライン」が炎上している。アカウントは三つあるのだが、問題となっているのは当時13歳の中学1年生だった新井俊一郎氏の日記をもとにつぶやいている「シュン(@nhk_1945shun)」だ。
差別あおる投稿とNHK広島批判
原爆被害ツイートに
(略)
ツイッターは「もし75年前にSNS(会員制交流サイト)があったら」との設定で「1945ひろしまタイムライン」と題し3月に始まった。原爆投下の前後に書かれた被爆者らの日記などを基にした投稿を続けており、評判を呼んでいる。
問題となったのは、当時中学1年生の少年が、広島から埼玉県へ移動中だった8月20日につぶやいたという想定の投稿。「朝鮮人だ! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」「誰も抵抗出来ない。悔しい…!」などの内容に対し「注釈もなく報道機関がこうした投稿をすれば、差別を正当化する」などの批判が起きている。
同局は批判を受け、21日にホームページで「当時の混乱した状況を手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載した」と釈明。広報担当者は取材に「偏見や差別との指摘があるが、そういう意図は全くない」と述べ、投稿を削除する考えはないと説明した。
問題となった8月20日のツイート
まず、問題となっている8月20日のツイートを、文脈がわかるように前後も含めて示してみる。
タイムラインによると、この頃、被災したシュンたち一家(父、母、シュン、弟)は大阪経由で東京へと向かう。
【1945年8月19日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 18, 2020
最悪の目覚めだ。
体の疲れが全くとれていない。
これから、広駅まで行き、糸崎駅を出て大阪行きの列車に乗り換える。#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月19日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
猛烈な混雑ぶりは変わらないが、糸崎についた。
ここから大阪行きの列車に乗り換える#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
ところが、糸崎駅で列車を乗り換えると、すし詰めの車内に屈強な「復員軍人」たちが無理やり乗り込んでくる。(実はこの描写も相当おかしいのだが、その件はまた別途。)
【1945年8月19日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
うわ…まさか、まただ
逃げ惑う避難民たちを押しのけて、抱えきれない大荷物を持った屈強な男たちが乗り込んできた!
支給されたばかりの新しい軍服。復員軍人だ…#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月19日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
唖然とする。
僕たちは、同じ日本国民じゃないか#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
そしてここからが問題のツイートだ。
シュン一家が大阪で野宿した後、ようやく乗れた列車に、今度は「朝鮮人の群衆」が乗り込んでくる。そして朝鮮人たちは列車の窓を割ってなだれ込み、座っていた人々を放り出して座席を独り占めしたというのだ。
【1945年8月20日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
焼け野原の大阪でまた野宿。
弟は足が痛いと言う。父ちゃんの具合も良くない。
僕が駅まで先導する。#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月20日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
朝鮮人だ!!
大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月20日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」
圧倒的な威力と迫力。
怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩き割っていく
そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月20日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 19, 2020
あまりのやるせなさに、涙が止まらない。
負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた
誰も抵抗出来ない。悔しい…!#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
背景説明もなしに軍国少年の「気持ち」を吐き出せば結果は差別扇動にしかならない
当時、日本の敗戦によって、何十年も続いてきた差別と抑圧からようやく解放された朝鮮人たち(実際にはそれも一時的な錯覚に過ぎなかったが)の一部に、傍若無人の振る舞いをした者がいたのは事実だ。
たとえば上のツイートと同様な「事件」が、『はだしのゲン』の中でも描かれている。
しかし、『ひろしまタイムライン』と『はだしのゲン』との決定的な違いは、なぜ彼らがこうした振る舞いに及んだか、その背景をきちんと説明しているかどうかにある。
実際、広島・長崎では何万人もの朝鮮人が被爆死しているし、その中には軍需工場などで強制労働させられていた者たちも多くいたのだ。彼らの死の責任は100%日本にある。
だいたい、乗り込んできた朝鮮人たちがいくら強気だったとしても、車内にいる圧倒的多数は日本人だ。彼らがその気になれば、反対に朝鮮人たちを叩き出すことなど簡単なことだったろう。
それができなかったのはなぜか。それは彼らが、自分たちが今まで朝鮮人に対してどれだけひどいことをして恨みを買っていたかを薄々わかっていて引け目を感じていたからであり、また敗戦という現実によって、もはや今までのような朝鮮人の扱いは許されなくなったことを認識していたからにほかならない。
その、「今までのような朝鮮人の扱い」が典型的に現れたのが、この敗戦からわずか22年前の関東大震災の時だった。同じように悲惨な被災状況のなか、同じようにすし詰めになった避難列車の中で何が起きたか、乗り合わせた日本人女性が次のように証言している。[1]
四日になって私たちは田端から母の故郷の福島に向かったのですが、その車中で、すごい光景を見てしまいました。
途中の駅で罹災者にイモの差し入れがあったのですが、車中で一人の男がイモをもらったままにしていたのです。すると誰かが「イモを食わないのは、朝鮮人だ」と叫び始めた。屈強の男たちが四、五人、この“朝鮮人”を追い駆け回し、隣の客車まで逃げた男を連れ戻してきておいて、頭といわず、からだといわず、ところかまわず、なぐる、けるの乱暴を加えたので、男は口から血を吐いてとうとう死んでしまいました。
車内のかなりの人がそれを見て「バンザイ」などといって大喜びしているのです。私はなんと無残なことをするのかと腹立たしく思いましたが、まわりの人がこわくて黙っているしかありません。
そのほか、白河の少し手前でも、同じような朝鮮人を見い出し、列車の中でなぐり殺してしまいました。
大地震で日本国中の日本人たちが、狂っていたとしか思われません。私たちは集団になると、とんでもないことをしでかす民族かもしれないと思うと、いまでもゾッとします。(談)
シュンは、自分たちがたかが座席を奪われた程度で済んだことを感謝すべきだったのだ。
『ひろしまタイムライン』は、無知な「普通の日本人」に向かって、必要な背景説明を何一つすることなく、当時の軍国少年の目線のままに、朝鮮人とはこういう奴らなのだ(だから迫害されても当然だ)という差別扇動を行った。
BPO案件どころで済む話ではない。NHKは即刻停波処分とされるのが相当だ。
[1]『日本人100人の証言と告発』 潮 1971年9月号 P.111