本日の日記

知新

2021年1月8日(金曜日)

知っていることと知らないこととがあります。
知らないことなのについつい知ったかぶりをしてしまうこともあります。
でもね。
それでは新しいことって学べません。
私達って不完全だからステキなのです。
どうですか。積極的にいろんなことを学んでみられては。

松原照子の印

本日の世見

菊池寛

2021年1月8日(金曜日)

  • 文化・学問

“文春砲”が今年も炸裂するかもしれません。
自由に物言うといえば『週刊文春』。
文春といえば、菊池寛。
月刊雑誌『文藝春秋』の創刊の時の言葉が、
「私は頼まれて物を言うことに飽きた。自分で考えていることを読者や編集者に気兼ねなく自由な心持で言ってみたい」
でした。
菊池寛は34歳の時、『文藝春秋』を創刊しました。
菊池寛という人に私は心を奪われます。
芥川龍之介が自殺した際には、どのような思いだったであろうか。
文藝春秋の創刊の際には、巻頭を当時人気作家だった芥川龍之介に飾ってもらっていましたからね。
菊池寛は二人の友を亡くしています。芥川龍之介と直木三十五です。
菊池は二人の優れた文士の名を、新人賞を設立することで世の人が忘れないようにしました。
芥川龍之介賞は純文学作品が対象です。
直木三十五賞は大衆小説作品が対象です。
「芥川賞」と「直木賞」は、これからも毎年私達をワクワクさせてくれることでしょうね。
菊池寛の人生は、誰も真似が出来ない人生だったようにも思います。
男色でも有名でしたが、お妾さんも数人いましたし、子供も又数人儲けています。
日本文藝家協会会長にまで昇り詰めた菊池寛でしたが、戦後はGHQから公職追放の憂き目にもあったのです。
59歳で亡くなったのですが、あの世で麻雀をしているのかもしれません。
映画会社「大映」の社長に就任したこともあり、戯曲「父帰る」では作家活動より実業家としての活躍の方が目立ちます。
「人生は一局の棋なり 一番勝負なり 指し直すこと能はず」
この言葉をあなたはどのように思いますか。
勿論、菊池寛の残した言葉です。

松原照子の印