0006cae0 84d3 4035 947b 34e696a16f3aワークスタイル
2018年05月31日

めざすは産業保健版のチーム医療。産業医、経営者、研究者の視点で会社を元気にする新時代の産業医/鈴木瑞穂先生

「医師になるまで随分遠回りしました」。そう優しく微笑むのは、産業医として活躍する鈴木瑞穂先生だ。短期大学で栄養学を学んだ後、四年制大学のバイオサイエンス学科に編入学。不動産会社を起業するかたわら、渡米して小児がん患者のボランティア活動を経験した後、医学部へ学士編入を果たしたという異色の経歴だ。2016年には2社目の起業となる「みずほ産業医事務所」を設立。産業医と企業、従業員をつなぐ架け橋となるべく、 “産業保健版チーム医療”の実現に日々邁進している。さらには社会人大学院生として、環境予防医学分野の博士課程取得にもチャレンジ中の鈴木先生に、産業保健に全身全霊で取り組むその原動力を尋ねた。

産業医としての勤務をお探しなら「エムステージ産業医サポートサービス」へ!

医学部編入の学費を貯めるため
不動産会社を起業

高校卒業後は短期大学に進学。栄養学を学んだ後、4年制大学のバイオサイエンス学科に編入学した頃から、医学部への学士編入学を考えていたという鈴木瑞穂先生。

「医学部に入るためには学費も必要ですし、受験勉強の時間も確保しなければいけません。働きながら勉強もできる環境を模索するなかで、あることを機に小さな不動産会社を起業しました。代表といっても、主に情報収集など裏方で会社を支える立場だったのですが、社員の適材適所を見極め、人材を有効活用することがいかに大事かを学ぶことができました。この経験は現在、産業医事務所を経営する私の原点にもなっています」

仕事と勉強の両立に奮闘すること約2年半。会社経営のかたわら、特殊なビザを取得して渡米。アメリカ小児病院のcancer unitで、白血病の子どもたちを支えるボランティア活動に携わった。

「ただ英語を学ぶだけではなく、折り紙ひとつでも、何か子どもたちの笑顔を引き出すようなサポートができないかと考えました。病気の子どもたちと直に接した時間は、医者をめざすというモチベーションを維持するだけでなく、彼・彼女らから与えられた心のあたたかさは、その後の自身の考え方や判断にも大きく影響を受けていると思います。」

帰国後、滋賀医科大学医学部へ学士編入学し、念願の医師への道を歩き始めた。学生時代の研究成果を生かすべく、卒業後は血液内科医をめざして、自治医科大学附属病院の内科へ。

しかし、3年間しっかり臨床を学んだ頃、家族の介護の問題が突如浮上。鈴木先生が後見人となって、家族を支えなければならなくなったという。
 
専門課程に進み、医師として活躍の場が広がろうとしていた矢先の出来事に、心は揺れた。なかでも最大のネックとなったのは医師の宿命ともいえる当直だ。障害のある家族を夜中に1人残して出勤することは難しく、患者の急変などで呼び出されることの少ない病理や放射線科に選択を絞るしかなかった。

遠回りに思えた経験をすべて活かせる
産業医にやりがい

熟考の末、臨床の勉強をしながら、病床はフリーで対応できる放射線科を選択。これが最善の道だと納得して選んだものの、人と人とのつながりを大切にしてきた鈴木先生にとって、対人関係の少ない現場は想像以上にストレスが溜まった。

そんな鈴木先生が“天職”と語る産業医の仕事との出会いは、思いがけずやってきた。自治医大で産業医資格を取得できる講習があることを知り、「取れるものは取っておこう」くらいの感覚で受講したことが、人生の大きな転機となったのだ。

「当時は産業医の仕事が何なのかも、よくわかっていませんでした。企業で働く人には興味がありましたから、資格取得後は夫が勤務する会社に、非常勤産業医として顔を出しに行ってみようかな(笑)、くらいの軽い気持ちで始めたんです。

 

ところが、実際に仕事をしてみると、社員のメンタル不調の多さにまず驚きました。そこでは大学病院での精神科研修、心療内科での外来の経験が生きました。加えてメタボリックシンドロームや生活習慣病を抱える方には、栄養士の資格をもつ私だからこそ、生活習慣や栄養指導などに深くかかわることができました。つまり、これまで遠回りだと思っていた私のキャリアや経験、知識をマルチプルに応用することができると気づいたんです。

 

さらには、従業員や経営陣など人対人のやり取りも多く、自分の意向にぴったり合う。何よりも、メンタル不調や病気の“予防”に携われることにやりがいを感じ、産業医こそが自分の生きる道だと思いました」

最初は週1回のバイトから始め、やがて大手人材派遣会社や食品メーカの専属専門医となった鈴木先生。もちろん、最初から産業医に必要な知識やスキルがあったわけではない。では、それらはどこで、どのようにして身に付けたのだろうか。

「私も最初は何をやればいいのかわかりませんでしたから、いろいろ調べてみたんです。すると、東京都心では産業医をめざす医師向けに、経験ゼロからプロフェッショナルな産業医を育成するネットワークが複数あり、実践を意識したセミナーやグループディスカッションなどが頻繁に行われていることを知りました。私は昔から自ら現場に入っていくタイプですから(笑)、興味のあるセミナーを探しては積極的に参加して、横のつながりを広げてきました。そうすることで、実践の場で悩みや迷いが生じたときに相談し合うことができるようになったんです。

 

研修制度のしっかりした臨床医と違い、産業医は急に実践の場に出ることになる。だからこそ、実践で使える知識やスキルは、自ら動いて学び取る姿勢が、これからの産業医には大事なのかもしれませんね。そういった意味でも、様々な資格習得を通して学んだ正しい知識は、実務経験に活かす良い糧となりました。実務をこなしていくうちに、産業医として自分がどのような方向に進みたいかも見えてきます。例えば、専属なのか嘱託なのか。ご自身の専門性を活かしてバイトとして行うのか。自分のライフイベントや事情に合わせて仕事の量を決めることもできるので、産休・育休中などに産業医として活動されている先生もいらっしゃいますよ」

産業医の醍醐味は現場にあり
人と関わることで見えるもの

産業医としても“現場主義”を貫く鈴木先生。会社を受け持つうえでは、最初に会社のビジョンや企業理念について、事業主と直接話し合う機会を必ず作っているという。これまでの経験上、最初にこの共有がしっかりできた企業は、その後の取り組みにもうまくいくことが多いそうだ。

「もし、企業のトップが愛社精神なんてどうでもいい、社員の健康より利益を上げる方が大事、などと言ったら私は黙っていません。もちろん全否定はせずに、従業員の健康ややる気の上昇が、結果会社の生産性向上につながること。会社と産業保健職が協力することで、企業と従業員の価値を高め、優秀な人材を継続確保するチャンスに結び付くことを促し、理解して歩み寄ってもらうことも我々産業医の大事な仕事です。また、就労に支援が必要な従業員に対する適材適所の支援や助言などといった、個別に対応する力も今後は重要になってくると思います。」

管理職や社員に向けた安全・衛生講和を積極的に行い、セミナーを自ら企画し開催するのも鈴木先生の特徴だ。最近では、アプリエイティブ・インクワイアリー(個人や組織の強みを見つけて認め、その価値を最大限活かし、最も効果的かつ良い成果を生み出すためのプロセス)や、ネガティブ・ケイパビリティ(すぐには答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力)をテーマとするワークショップを、社員と経営者に共有してもらう目的で実施したり、消防隊からAEDの使い方を学ぶ救命救急セミナーなど、楽しみながら学べる機会も作っている。

産業医の方から社員の輪に入ることで、自分たちの身近な存在として認知されれば、社員の方から歩み寄り、本音を語ってくれるようになるという。そうなるためにも、鈴木先生が常に心がけているのは、人から言われる前に動くこと。健康管理や職場環境の改善への興味を啓発するイベントに従業員が協力してくれれば、イベントへの参加率もぐんと高くなるという。

最初は産業医が握っていた主導権を、後々は社員に委ねて、最終的には自分たちで継続できるようになるのがベストです。ただ、私はまだその域には達していません。まだまだ勉強することがたくさんあります。

 

でも、産業医って深堀すればするほど楽しい仕事なんですよね。社員も経営者サイドも、両方の笑顔が見られることが、産業医として一番うれしい瞬間です。そのためならどんな努力も惜しみません。現場で汗も流しますし、鉄粉(粉じん)や有害ガス濃度の測定だってします!養鶏場も担当しているので、どんなに臭くても頑張ります(笑)。

 

養鶏場って気体のアンモニアや硫化水素の濃度が高く、粉じんもすごく舞うのですが、暑さに耐えきれずに防護具(マスクやゴーグル)を取ってしまう従業員がいるのです。そういうことも現場に足を運んでみないとわかりませんし、どんなマスクならより快適につけて頂けるかといった、従業員とのやりとりもできません。その行為がなぜ危険かを伝え、少しでも快適な職場環境にするためには何が必要か。従業員の過酷な労働条件も知ったうえで、いろいろなマスクを一緒に試して、最善なものを提案して差し上げられたらうれしいですね」

医療と産業、予防、行政をつなぐ
架け橋になりたい

これまで産業医として50名規模~数千人、第1~3次産業企業の専属/嘱託産業医を経験した鈴木先生。2015年12月に50人以上の労働者がいる会社に実施が義務化されたストレスチェック制度を機に、「株式会社みずほ産業医事務所」を設立。現役の経営者の視点を武器に、事業主が心得ておくべき法律などの遵守事項を確認しあいながら、労働者の健康管理と企業の経営活性化の両方に貢献している。その手腕は、頼りになる産業医として、担当企業から高い評価を得ている。

「私が特に重視しているのは予防対策です。特にリスク・アセスメント、いわゆる職場の潜在的な危険性又は有害性を見つけ出し、これを除去、低減するための手法と、その実施が企業にとってなぜ大切かを経営者に知ってもらうことに力を注いでいます。一番難しいのは、今まで何もトラブルがなかった企業や組織ですね。目に見えないリスクを、いくら判例を出して説明してもなかなか響きません。支店レベルでは理解を得られても、本社に却下されることもありました。最近は、働き方改革という世間の流れには乗りたいけど、やり方がわからない企業も多いものです。私が産業医の会社を設立したのは医療と産業、予防、行政をつなぐ架け橋になりたい。企業と従業員の双方が幸せに、健康でイキイキと活躍するためのお手伝いをしたいと思ったからなんです」

予防の大切さを、企業側に見える形で示す方法はないか。そんな発想から、大学院の研究論文のテーマと連動して始めたのが、担当先の非運輸業界で働く大型トラックドライバーを対象とした睡眠時無呼吸症候群(SAS)の調査だ。長距離ドライバーは長時間同じ姿勢での運転を余儀なくされるうえに、生活リズムが不規則で、肥満や高血圧の人が多い。営業職も同様である。交通事故や生活習慣病の重症化を未然に防ぐためにも、企業側に掛け合い、医療用のSASスクリーニング機器購入とその実施までこぎつけた

「ここまでくるのは決して楽な道のりではありませんでしたが、CPAPの治療までいかずとも、肥満改善や生活指導だけでも数値がかなり改善することは医学的にも証明されています。

 

今回の調査の目的はスクリーニングから①実際にその重症度からCPAP治療介入した人、②治療まではいかずとも比較的数値の高い人に対し、保健指導(減量・減酒・禁煙、就寝時の体位指示)の介入結果で得られた、SASのスコアや血圧のなど、ビフォーアフターをしっかり数値化すること。ここで得たデータを本社に挙げて、さらには本社から全国に発信することが私の野望なんです(笑)。これができたら、予防の効果を一つのカタチとして残せますからね。将来的には仕事で車を運転する方の健康を守るための、説得力あるエビデンスとして、世の中に浸透していけばいいなと思います。そのためにも論文を仕上げなければいけませんね(笑)」

産業医、経営者、博士号取得に取り組む大学院生と超多忙な日々のなか、鈴木先生にはもう一つ目標がある。それは産業保健版のチーム医療の実現だ。

「産業医の集まりだけでなく、産業保健師、社労士、カウンセラー、法律家など産業保健に携わる多職種と交流するなかで見えてきたのは、それぞれのプロの力がうまくかみ合っていない現状でした。最初に起業した時に気づいた、“適材適所”の視点をいまこそ産業保健の分野に生かすべきだと考えています」

どの人を、どんなタイミングで、どう配置するのが最も適切なのか。それを見極め、産業保健と企業の発展に貢献する。これは人と人とのつながりをずっと大事にしてきた鈴木先生ならではの発想だろう。お互いの信頼関係を大切に、産業医療のプロと企業をつなぐ産業保健版のチーム医療に挑む鈴木先生。現場主義、人対人の姿勢を徹底して貫く誠実な姿勢こそ、新時代の産業医に必要なことなのではないだろうか。

▼産業医活用ノウハウについての鈴木先生インタビュー記事
経営者目線で会社を元気にする産業医に聞く!産業医との上手なかかわり方、使い方

鈴木瑞穂(すずき・みずほ)
東京都出身。栃木県在住。2004年東京農業大学栄養学科/バイオサイエンス学科卒業、会社設立のかたわら米国Indiana大学に短期留学。07年滋賀医科大学医学部学士編入学。11年より自治医科大学付属病院内科プログラム。16年6月1日㈱みずほ産業医事務所設立。17年4月より自治医科大学環境予防医学講座社会人大学院生(博士課程)。趣味はスキー、ピアノ、球技全般。日本医師会認定産業医、日本産業衛生学会専攻医、社会医学系専門医、メンタルヘルス・産業保健法務主任者、第2種作業環境測定士、労働衛生コンサルタント、職業紹介責任者、SAJスキー検定2級。

 

 文/岩田 千加

<合わせて読みたい>
大病院勤務の精神科医から国内外を行き来する産業医へ——「人々や企業の健康に根本から関わりたい」穂積桜先生の原動力とは