当記事は2014年04月16日および2014年04月17日の記事を再編したものです。当時の記録を残す為、表現等は原則的に当時のものを優先しています。
市街化調整区域内の地区計画を現地の写真を交えて紹介するという、(自称)画期的なコンテンツ、これまでに4回を重ねてきましたから、全18地区のうち今回も含めると既に四分の一以上を取り上げた事になります。
今回は『既存宅地制度の代替としての地区計画』ではない地区計画です。
大変興味深い経緯を辿った地区ですから、みっちりと紹介してゆきます。
その名も決定番号:調19『札幌アートヴィレッジ地区』
『そんなもん聞いた事ない』という人もいるかと思いますが、住所としては『札幌市南区芸術の森3丁目』、地区計画の範囲はこんな感じです。
Googleマップではこんな風になっています。
『芸術の森○丁目』というのは割とスゴい住所ですが、厚別区にある『下野幌テクノパーク』に比べれば幾分常識的かもしれません。
芸術の森1丁目には札幌市立大学 宮の森キャンパス(本部)があります。
芸術の杜2丁目には市民にも馴染み深い、美術館やホールなどがあります。
いわゆる『芸術の森』としてイメージされるのはこの2丁目ですね。
更に南に行くと、芸術の森3丁目、今回紹介する『札幌アートヴィレッジ地区』です。
芸術の森を表すキーワードはズバリ『バブル景気』です。
というのも、この地区の大きな転換点は平成3年と平成18~19年、
ちょうど第一次平成不況の始まりとなったバブル崩壊と、
リーマンショックを契機としたファンドバブルの崩壊と重なります。
どんな経緯があったのかは、この地区計画の目標に詳しいです。
当地区は、南区の大自然と芸術文化が調和した環境づくりとして芸術の森の南端に位置し、
本市の芸術文化活動の領域を広め、新しい芸術文化を創造するとともに、
札幌市の個性ある産業の育成を図るため、平成2年に札幌市が造成した団地である。
さらに平成19年にはその分譲方針を見直し、市立大学や芸術の森との連携のもと、
従来の芸術文化産業の振興に加え、芸術文化活動の発信や集客交流、
人材育成などの幅広い事業展開を対象とした企業や団体等を誘致していくこととしている。
そこで本計画では、札幌アートヴィレッジ地区の開発理念、
分譲・賃貸方針に基づく土地利用及び建築物の配置等の誘導と、
併せて周辺環境との調和のとれた良好な市街地の形成を図ることを目標とする。
地区計画の目的というと、いつもはテンプレートのコピペ文書ですが、今回は大変参考になる内容ですね。
昭和56年から平成3年にかけて造成された芸術の森地区のうち、
平成2年に5区画が造成された芸術の森3丁目は、
札幌市を主体として分譲を行い、企業などの誘致を行ってきましたが、
3区画については分譲出来ず、2区画にのみ建物が建っている状態が15年ほど続きます。
(うち数区画についてはどうやら、関東の大手企業による事業計画もあったようです。)
札幌市もこんな状態ではイカンと奮起し、ファンドバブル全盛の平成19年10月3日、地区計画決定がなされます。
リーマンショックは平成20年9月の出来事ですから丁度その前年という事になります。
ちなみに、芸術の森1丁目にある札幌市立大学は平成18年4月開学です。
更に母体の学校法人『札幌市立高等専門学校』は平成3年設立ですから、
どちらも札幌市の事業とはいえ、ホントにアートヴィレッジと同じような経緯を辿っているんですね。
より細かい話をすると、平成18年の都市計画法の改正によって、
以前は許可不要だった公的機関が行う開発行為について、
平成19年11月30日以降、許可が必要になってしまったという事情があるのですが、地区計画の内容や当時の議事録を見るに、この地区計画の決定は、やはり起死回生の策であったような印象を受けます。
バブルに踊って造成した芸術の森ですが、再起を図る為のプロジェクトは、リーマンショック以前のファンドバブルの波に乗せられてしまっただけなのかもしれません。
私自身、ファンドバブルとリーマンショックのアオリを大きく受けた世代です。
ファンドバブルの就職活動超売り手市場と、その後の大不況を重ねると感慨深いものがあります。
商売もギャンブルも政策も、そして人生も、人間はいつだって同じような落とし穴に嵌ってしまうものなのかもしれませんね・・・
そんなアートヴィレッジ地区、現在どのような状況になっているかと言えば、
5区画中2件が分譲・賃貸中、1件が賃貸中の空き地、
1件が売却済の建物で空き地、稼働しているのは残りの1件のみです。
分譲情報については札幌市のホームページを確認して下さい。
札幌市 札幌アートヴィレッジ:分譲・賃貸区画 【リンク切れ】
http://www.city.sapporo.jp/keizai/biz_info/danchi/art-kukaku.html
さっぽろ産業ポータル 札幌アートヴィレッジ
http://www.sec.jp/iarea/view/id/19
価格は毎年変わるという事なので、写真では黒塗りにさせて頂きました。
いつも好き勝手言っている私ですが、これでも時計台の鐘が鳴る札幌の市民ですから、札幌市の事業を妨害する意図はありません。
価格も市街化調整地域らしいお値段で、道路も整備されています。
何故こんなにも利用が進んでいないのでしょうか?
それは、この地区に建築できる建物に厳しい制限が課せられているからです。
以下は売買の場合、賃貸の場合ともに、この地区に設置してはいけない建造物です。
① 建築基準法別表第二(と)項第1号、2号、4号に掲げるもの
=準住居地域内に建築してはならない建築物
→一定規模以上の工場や商業施設
② 住宅
③ 学校(大学、高等専門学校、専修学校その他これに類するものを除く。)
④ 神社、寺院、教会その他これらに類するもの
⑤ 老人ホーム、保育所、身体障害者福祉ホームその他これらに類するもの
(就業者のための付帯設備として建築物内に設けるものを除く。)
⑥ 老人福祉センター、児童厚生施設その他これに類するもの
⑦ 病院、診療所(就業者のための付帯施設として建築物内に設けるものを除く。)
⑧ 店舗、飲食店その他これらに類するものでその用途に供する部分の床面積の合計が500㎡を超えるもの
⑨ ボーリング場、スケート場、水泳場、スキー場、ゴルフ練習場又はバッティング練習場
⑩ 遊技場、勝馬投票券発売所、場外車券売場その他これらに類するもの
⑪ 自動車教習所
⑫ 畜舎
⑬ カラオケボックスその他これに類するもの
⑭ 自動車修理工場
⑮ 工場(美術品又は工芸品の制作を行うもの及び建築基準法施行令第130条の6に掲げるものを除く。)
建基法施工令130条6→50㎡以内の食品工場。例)パン屋、米屋、豆腐屋、菓子屋。
・・・一体何をやれと言うのか!( ゚Д゚)
(芸術関係の施設を運営して下さいという話です。)
これ、かなり厳しい制限でして、事業を行う予定で売買しても、実際に事業を開始しない場合には、札幌市に土地を返さなければならなくなります。
(10年間の『買戻特約』が登記されます。)
一度買ったものを他人に転売する場合でもこの特約は有効ですから、もうアートなヴィレッジになるしかない訳です。
しかも、最低でも一区画5000㎡はある土地で、規模の制限があるというのはどういう了見なんでしょう。
5000㎡の土地で500㎡の芸術的飲食店や50㎡の芸術的パン屋さんでもやれというつもりなのでしょうか。
『これだけ広いんだからメガソーラーでもやれば?』という訳には行かないんでしょうねぇ…
<現在分譲中の空き地にホテル建設の予定があった>
平成20年3月1日の北海道新聞の記事を引用します。
建設不動産コンサルティングの都市デザインシステム(東京)は、
未利用の分譲地約一万平方メートルにホテル建設を決め、六月に正式契約する。
二~三階の低層で延べ床面積約三千五百平方メートル。
三十室の客室ほか、芸術作品のギャラリーも複数設ける。
この夏着工、来年夏開業の予定だ。
同社は「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)などに
訪れるアーティストも多く、収益も十分見込める」と話す。
なんとも明るいニュースですが、その土地は現在も更地です。
(面積から類推するに、一番西側の区画・・・市の分譲資料の番号②の土地と思われます。)
株式会社 都市デザインシステムはコーポラティブハウスの企画やホテル経営で躍進した企業ですが、
平成20年8月に経営破綻し、民事再生法の適用を申請しています。
(民事再生を経てコクヨの子会社となり、現在はUDS株式会社として建築企画を行っています。)
当時の報道では、沖縄の大規模リゾート開発に頓挫したという事ですが・・・
同年の9月にはリーマンショックがありましたから、まぁ遅かれ早かれ・・・という事なのでしょうね。
<地場産業の栄枯盛衰>
札幌アートヴィレッジで特に有名なのは『株式会社ハドソン中央研究所』です。
私としては色々と守秘義務の問題が出てくるので正直あまり取り上げたくありません。
ただ、地区計画を紹介するにあたってその地区を代表する建物を紹介しないというのは、資料的価値に劣ります。
守秘義務の対象は『業務上知りえた秘密』ですから、その点には触れずに、『芸術の森 ハドソン 中央研究所』で出てきた検索結果を元に記述したいと思います。
この建物は桃太郎電鉄やボンバーマンで有名な、株式会社ハドソンの中央研究所でした。
ハドソンは札幌を代表するIT企業でしたが、拓銀破たんを機に資金繰りが悪化、平成17年にコナミグループの子会社となり、平成24年に吸収合併され消滅しました。
『中央研究所』は、創業者・工藤裕司氏の趣味とハドソンの自由な社風がよく現れた施設だったそうです。
建物内外をミニSLが走り回り、古銭の展示室などもあったという事がインターネット上に書かれています。
向かって右側にある柵が、ミニSLのレールだったという事です。
しかし、コナミの子会社となった直後、平成17年3月末でこの建物から撤退。
子会社化→吸収合併→そして平成26年のハドソンブランド完全消滅まで、わずか9年。
高橋名人、桃太郎電鉄など、一世を風靡した企業の歴史は40年足らずで幕を閉じたのです。
建物前にある回収時刻が白紙の私設ポストと建物の窓からのぞくミニSLの駅『ニセコ』が切ないですね。
<アートヴィレッジ 最後の砦>
そして、現在も残っているのは株式会社SAVEが運営する『芸森スタジオ』のみです。
この施設は、各種音響機材とスタジオを貸し出し、音楽のレコーディングを泊まり掛けで行う事が出来る施設で、運営会社の株式会社SAVEは、歌手の松山千春氏の事務所、オフィス・ゲンキ株式会社、ボーカロイド『初音ミク』のクリプトン・フューチャー・メディア株式会社、地場の音楽会社、株式会社ウエスなどが株主となっているようです。(芸森スタジオHPより)
前述のホテル開発計画と同日の北海道新聞の記事を引用します。
イベント企画のウエス(札幌、小島紳次郎社長)と
歌手の松山千春さんが社長を務めるオフィス・ゲンキ(東京)は
二月中旬、九三年にファンハウス(現BMGジャパン、東京)が開設したスタジオを約一億円で購入。
二階建て約千九百平方メートル。客室七室も備え、小田和正さんやビーズが録音を 行ったこともある。
両社はスタジオを国内外のアーティストらに利用してもらうほか、
道内の若手歌手やクリエーターらを発掘、育成する拠点とする計画。
・・・と、まぁ、それから6年が経過した現在も運営は継続されているようで、何よりです。
わたくし細丼善太郎はアートヴィレッジ最後の砦 『芸森スタジオ』 を心から応援しています。
◆ 芸森スタジオの公式ホームページはこちら
<アートヴィレッジの未来>
前述の北海道新聞の〆の部分を引用しましょう。
札幌市は新年度、有識者会議を発展させる形で同地区の活性化や市民の利活用促進を検討する協議会を関係者らと設立。
三カ年の事業計画などを策定し、世界に札幌の芸術制作環境をPRしていく考えだ。
これが平成20年の記事ですが、平成26年の現在に至るまで、
平成19年に決定された地区計画が見直されたという話は耳にしていません。
昨今、アベノミクスや東京オリンピックに浮足立ちつつある不動産業界・建設業界ですが、札幌市にはバブル崩壊やリーマンショックの教訓を重く受け止め、浮足立たず、堅実な自治体運営を行って頂きたいものです。
具体的には、どう考えても制限が厳しすぎる地区計画と分譲条件を見直した方がよろしいんじゃーありませんかねぇ?
造成費用と整備費用っつったって市民の税金と地方債(借金)から出ているんでございましょ?
まかり間違っても、札幌オリンピックの招致に成功したなどと言って、
アートヴィレッジに追加投資をするような真似はしてほしくないものです。
決定:平成19年10月3日の地区計画資料を基に記述しています。
今後、地区計画について内容やエリアの変更がある場合がありますので、ご注意下さい。
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