玉井史太郎さんが死去、83歳 火野葦平の「河伯洞」管理

西日本新聞 社会面

 北九州市若松区出身の作家火野葦平の三男で、葦平の旧居「河伯洞(かはくどう)」を管理していた玉井史太郎(たまい・ふみたろう)さんが5日午後3時45分、前立腺がんのため、北九州市の病院で死去した。83歳。北九州市出身。葬儀・告別式は故人の遺志で営まないが、7日午前11時まで、若松区大井戸町10の25のサンレー若松紫雲閣で焼香のみ受け付ける。

 高校中退後、現在の日本製鉄九州製鉄所の関連会社や建設現場、不動産会社など数多くの職場を渡り歩いた。「父に反抗した不肖の息子」を自認していたが、1999年、市指定文化財となった河伯洞の管理を依頼されると葦平の作品群を読破。父親と向き合い、来館者に魅力を説いた。

 息子の視点ならではの葦平像や自らの半生をつづった「河伯洞余滴」で2000年に第10回北九州市自分史文学賞大賞を受賞。晩年まで会報「河伯洞だより」の執筆、編集を続けた。アフガニスタンで銃撃されて亡くなった中村哲医師のいとこにあたる。

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