そうそう。肝心な事を言うのを忘れていました。これを言っておかないと私はただ単にシュガーと付き合いをやめないと言う話になってしまいますので言っておきます。
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返信先: さん
私のいた教団は在日大韓基督教会との宣教協約を結んでいました。その中でお互いの教会の交流があり、何人かの牧師と話をする機会を得たのです。
当時、窪塚洋介主演の「GO」が話題になっていた時期でありましたので在日コリアンに焦点が集まっていました。
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その交流の中でそれぞれの世代で何と向き合い、どんな差別があり、どんな感情を持っていたのか話を聞いた上で自分たちの課題について話をしたのです。
はじめに互いの文化を知ること、そして共有できるものを探す。出来ることからはじめ、積み重ねていく事それが互いの和解へつながる。
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それが今の私の根底にあるものです。
歩み寄る事の勇気というものを考えます。それは一方が一方にただ近づく事ではありません。互いに模索する事です。自分のうちにある偏見や差別に向き合う事でもあります。
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ここ数年ヘイトスピーチやそれに対するカウンターの応酬が日増しに激しさを増す中で、私もレイシストとは対話しない、ネトウヨとは対話しないというスタンスをとって来ました。しかし、私たちがレイシスト、ヘイターとする人の日常や雑感の中に共有できる投稿はあったのです。
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そして、決して365日、その事を考えているわけでもないと気が付きました。ですので相手がなぜそう考えるのかという事に主眼を置くようにしたのです。その中で互いの歩み寄りが始まったかに見えた時に相手が凍結されるという事がままあったのです。
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もう一度やり直しです。しかし、そのうちにやられたらやり返せはどんどんエスカレートしていきます。話どころではありません。
それによってどんどん拗れて行くのを見て自分がまず憎いと思っている相手に近づこうと思ったわけです。
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そこからはシュガーとの関わりにつながって行くわけですが、それが甘い、許せないと思う人もいるでしょう。ですが、当事者の方に歩み寄りをしろなどとは言えません。だって日本人である私にとってもしんどい作業だからです。ですのでそれを求めたりはしません。
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怒りや叫びを訴えること、ヘイトにノーを突きつける事それは大事です。でも相手に的を絞って集中砲火を浴びせるやり方が自分には合わなかっただけなのです。
だから、私は怒りをぶつけるのではなく自分に語れる事を語ります。小さな積み重ねをやっていきたいのです。
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それが私の出会った在日コリアンの牧師の祈りでもあったからです。
無論、日本でクリスチャンの数が多いわけではないので私の知っている在日コリアンの人の数にも限りはありまし総意ではないのも知っています。ですがそれぞれの立ち位置で出来ることからはじめていくと言う事は重視したいのです。
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