離れて暮らす家族を見守るSIM付きのLED電球

ヒストリカル



生まれて初めて自分で運転したモーター
サイクルは、1973年1月に乗ったホンダ
スーパーカブだった。
祖父宅の敷地内の広っぱで乗り回していた
ら、通りかかった警察官が免許証見せろと
言って来た。
「免許?無いです」
「はあ?年は?」
「12才」
「はあぁあ?」
そこで母屋から叔母が出てきて、敷地内で
乗っているのだから、ととりなして事なき
を得た。
本当は、敷地内でも、人が入れないように
塀で囲まれた敷地でないと運転してはいけ
ないんだよね。

自分で初めてクラッチレバーの付いた二輪
に乗ったのはこれだった。
中2の時。


タンクには50と書いてあった。
この色。

それは友人の兄のバイクで、河川敷で乗っ
た。
ミニコースがあって、モトクロスごっこ
のような事をして遊んだ。
まだリターンではなかった。一番下まで
踏み込むとニュートラになった。ギヤが
5速リターンになるのは私が高2の1977年
の夏だった。なんかタンクはカラフルに
なったと記憶している。

ヤマハのGT50と80はかなり面白い二輪車
だった。ちっこいのにキビキビと走るので
人気もあった。
最近では、ギヤ付き原付に乗る人を殆ど
見なくなったが、それは、30km/h規制
や二段回右折が面倒だという事よりも、
社会現象として二輪に乗る人たちが圧倒的
に激減したからではと思う。
そもそも、主婦のおばちゃんたちが原付
乗らなくなったもの。
原付=買い物バイクの定式は、1970年代
中期にホンダとヤマハが仕掛けた戦略で、
見事にそれはハマり、日本国内で二輪車
人気を押し上げた。
そのあたりからホンダ・ヤマハのHY戦争
が始まるのだが、実質、究極の空前絶後の
1980年代バイクブームを作ったのは、原付
による二輪普及があったからだ。
実際のところ、原付バイクの販売台数は
自動二輪の比ではなく、街中に原付があふ
れ、実に多くの人たちがモーターサイクル
に乗った。
その層がガバッと全部いなくなった事が、
二輪全体の販売数の減少、自動二輪乗車
層形成の潜在性の消滅に繋がっているのだ
と思う。

それでも、原付などの小型バイクが通勤
通学には至極便利な移動の足である事に
は変わりない。
知り合いの女性看護師さんや作業療法士
の女性たちも原付バイクに乗っている。
市内の女子大生も原付バイクに乗る。
むしろ、男で乗っているのはおっちゃん
たちばかりで、若い人たちで原付バイク
に乗っているのは女性のほうが多いという
現象が見られる。
これ、今の一つの社会現象のようにも思え
る。

それと、気づくのは、スクーターに関して
いえば、125cc(未満)のピンクナンバーの
スクーターがかなり多い。
小型自動二輪免許でないと乗れない車種
なのだが、とても増えている。
これは、50ccの速度制限と二段回右折の
問題クリアの為だろうが、一つの傾向と
して面白い。
それは、50の四輪オマケ免許ではなく、
新たに新しい免許を取得して二輪車に乗り
始める層というものが発生している事を
示すからだ。
このあたりをどうにか捉えれば、二輪車の
歴史的冷え込み現象に何か手を打つ事が
できそうにも思える。
ホンダはさすがに抜け目なく、そのクラス
の獲得にスーパーカブを充てて販売促進
展開を始めだした。
カブにオサレ感を与えるイメージ戦略と
製品のラインナップを充実させだしてい
る。
ここ数年のキャンプブームも見逃さず、
ハンターカブと称して、アウトドアユース
の製品も揃えてユーザーを逃さない戦略を
展開している。

今の現況は、もう二輪車メーカーが二輪だ
けでは立ち行かない程の売り上げの冷え込
みの時代だ。
何かを何とかしないと、日本の4社は、あと
何年かしたら、二輪車の製造を完全に放棄
せざるを得なくなるかも知れない。

私が初めて所有した自分のバイクはこれ
だった。カワサキ。


高校1年16才の時だった。
免許を取ったので、狭いコースではなく、
これでどこまでも公道を行ける喜びを知
った。このMSは他社同クラスと比較する
と結構バカっぱやの90だった。その後、
マッハSSがKHとなって大幅にパワーダウ
ンしたように、MSも KMとなって別物の
ようにパワーがなくなった。
このMSでは、実に広い範囲に出かけた。
関東一円。
やがて、高校時代にCB400Four、マッハ
350、CB250Tと乗り継ぐが、セカンド
バイクとなってからもよく乗った。
だが、このカワサキMSは盗まれた。
この後、カワサキに乗るのはヤマハRZ350
のセカンドバイクとして通学用に学生時代
に購入したAR50だった。
AR50は買ったその日に横浜から広島まで
一気にノー宿泊で走って慣らしを終えた。
走り続け。
しかし、今度はハマに戻るとメインバイク
RZ350が盗まれた。
二輪の窃盗はかなりの件数が発生して
り、月間で東京神奈川のみで数百台盗まれ
るような時代でもあった。窃盗団のプロの
犯行ね。チェーンでタイヤを固定していて
も盗んで行った。
社会人となって以降も私の職場の上司も
学生時代の友人複数も私の妻も私も、軒
並みバイクを丸ごと盗まれている。敷地内
のカーポートに鎖で繋いでいても窃盗団は
盗む。完全な盗難防止は堅固なシャッター
付き窓無しガレージに格納するしかなかっ
た。
犯人たちは禁錮200年位がよいのでは
思う。
犯人たちを実力成敗する者たちもいた。
実力成敗とは、窃盗団を取り押さえて半殺
しにする事である。


カワサキが今でも好きだ。このマークが
復活した時には痺れた。
国内企業で二輪メーカーが生産撤退となる
とすると、まず真っ先にカワサキが消えそ
うな予感がする。
そろそろ、電動二輪の開発に着手しない
と生き残れないように思える。
日本企業として、なんとか頑張ってほし
い。
日本の二輪車製造は世界的規模の日本産業
一つなのだから。
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