広島の中学1年生「シュン」1945年8月1日~15日のツイート
2020年12月25日(金)
NHK広島放送局では、被爆75年のプロジェクトとして、原爆投下・終戦の年(1945年)の社会状況や当時の人々の暮らしを、3つのTwitterアカウントで発信してきました。
ここでは、広島の中学1年生「シュン」の1945年8月1日~15日のツイートをまとめて掲載しています。8月6日は原爆が投下された日、8月15日は終戦を告げる玉音放送があった日です。
当時「シュン」は広島市内にある自宅を離れ、学校のクラスメイトたちと「農村動員」ということで爆心地から20kmあまり離れた広島県原村にいました。
※戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記などに基づき掲載します。
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【1945年8月1日】 8:05
これから農家の庄司さんへ、田の除草に出動する。
一緒に行く十五人、気合いを入れていざ出発だ
【1945年8月1日】 12:34
午前中だけで四つの田の草をみんなで抜く。
寮から持参した弁当の他に、「小さいのに可哀想に」と、銀飯とじゃがいもの煮物を出してくれた。腹いっぱいである。
【1945年8月1日】 16:06
今日は合計九個の田を除草した。
右目に穂先が入って少し痛いが、出動した十五人、大いに働いた。
【1945年8月1日】 16:29
教官室に報告に行った際、母からの手紙を受け取る。
この前の空襲で、敵機が墜落するのが見えたらしい。
【1945年8月1日】 18:14
昼食に続いて、夕食も腹がいっぱいになるまで食べられた。
多すぎて残しそうになるほどである。
の後には詩吟大会がひかえている。
うまく詠えるだろうか…
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【1945年8月2日】 6:09
本日も庄司さんへ出勤である。田の除草作業だ。
「田舎の気風に慣れること、規則正しく堂々と、附中生の面目の下に、一心不乱になってやること」
宮岡教官の訓示されたご教訓を守って、我ら十名出発する。
【1945年8月2日】 12:42
昼食後、またお百姓さんが銀飯と煮物を出してくださる。
毎日有り難い。御馳走様。
【1945年8月2日】 17:29
庄司さんが持たせてくれた豆を片手に教順寺に帰寮する。
今晩はおかゆだ。麦と雑穀、豆粕にフスマのおかゆである。
久保君が三十九度四分の高熱で病室行きとのこと。
【1945年8月2日】 18:11
腹一杯だ。
これより弁論の夕べがある。
敵と味方の作戦について話そうと思うが、どう話そうか。
誰よりも上手く話したい。
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【1945年8月3日】 10:04
今日は一日、生活必需品である薪取りに出動だ。
松根油のカマドまで午前で二往復。午後も二往復するらしい。
【1945年8月3日】 11:33
くそっやられた!
【1945年8月3日】 11:34
足長蜂に刺された!チカーッとする。
初めて刺されたが、こんなに痛いものか。
【1945年8月3日】 12:20
いったん帰寮。アンモニア水をつけていただく。
が…とてつもなく痛いぞ!
いや、痛いと思うから痛い。
痛くない!
【1945年8月3日】 17:20
今日は四日ぶりの風呂。
夕食はおかゆだそう。腹一杯食べられそうだ。
【1945年8月3日】 20:12
演芸大会。
病み上がりの久保君だが、彼の落語では大いに笑った。
また、吉田君の浪花節がなかなか上手い。
僕はまたハーモニカを吹いた。
しかしどうも芸が無いな。
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【1945年8月4日】 6:14
今日の作業は、芋の運搬。僕が班長である。
真光神社の小谷教官の所へも行かなければならない。
今日も遠慮なく太陽が照っている。
【1945年8月4日】 7:01
朝食の最中、第一回目の帰省者の発表あり。
なんと!
出動回数の多い者として、僕や西川たちが選ばれた!八月六日に廣島へ発って八日に帰寮せよとのことだ。
朝飯が喉につかえるぐらいの喜びだ。
【1945年8月4日】 7:44
早速、母に廣島に帰省する旨、手紙を書く。
六日となるともう明後日ではないか。
嬉しい。
【1945年8月4日】 8:49
芋を受け取りに行く道中、大八車を押しながら、皆ブツブツとうらやんでいる。
たった三日間だが、廣島に帰れるのだ。
いかんいかん、今日は僕が班長だ。
浮ついてばかりもいられない。
【1945年8月4日】 15:29
寮に帰ると、ちょうど母より手紙が来ていた。
「行けないから、なるべく我慢しなさい」とある。
中に封筒が四枚入っていた。
僕が帰ったら父や母は喜ぶだろうか?
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【1945年8月5日】 8:19
今日の作業は休止。
朝一番で寝衣を洗濯し、明日の廣島帰省の準備にかかる。
一緒に支度をする高田君、笠間君も嬉しそうである。
毎日農作業を頑張った甲斐があった。
朝食もいつもより二倍美味く感じる。
【1945年8月5日】 10:44
とにかく級友たちは、帰省をうらやましく思っているようだ。
皆が多くの手紙を預けてくるので困る。
僕は郵便屋さんではない。
【1945年8月5日】 16:29
教官から、注意事項を承った。そして米を2日分受け取った。
いよいよ帰省は明日。
胸が躍るとは、まさにこの事だ。
【1945年8月5日】 16:39
三木教官に呼び止められた。
僕には別に任務が下された。
「廣島へ帰ったら、千田町の附中の留守部隊に連絡文書を届けよ。」
である。
教官から預かった公文書らしき手紙を、しかとポケットに収めた。
【1945年8月5日】 23:59
夕食後のナゾナゾに始まり、怪談に、演芸会と今夜はどんちゃん騒ぎである。
明日は一番列車なのだが…寝れぬ。楽しみと緊張で眠気が来ない。あぁ。楽しみだなぁ。
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【1945年8月6日】 5:29
寝坊だ!
【1945年8月6日】 5:49
始発を逃してしまった。せっかくの帰省なのに!
西川が「どうせ今日中には家に帰れるんじゃ。」と言う。確かに。
八時過ぎの汽車に乗れるよう準備することにした。
【1945年8月6日】 6:40
大豆と芋の弁当はリュックサックに詰めた。母校留守部隊への連絡文書もしっかり預かった。
いざ廣島へ!帰省の時だ!
【1945年8月6日】 7:28
小川で休憩していると、B29が僕らを追い越すように飛んでいった。
朝早うからたったの一機で、アメちゃんもご苦労なの。
【1945年8月6日】 7:49
教官より預かった連絡文書のおかげで難なく切符が手に入った。
汽車は8時を少し過ぎた頃に来る。
【1945年8月6日】 8:04
まだかな?汽車が来ない。
【1945年8月6日】 8:14
えっ
【1945年8月6日】 8:15
なんだ?
【1945年8月6日】 8:18
何があった?
【1945年8月6日】 8:18
なんだあの雲?煙?
事故?
誰かが噴火か?と言う
空襲?
【1945年8月6日】 8:19
あれは廣島か?
家、学校、父ちゃん母ちゃん
【1945年8月6日】 8:20
大変だ
大ごとだ
とんでもない
【1945年8月6日】 8:22
煙が渦を巻いている
煙がどんどん大きくなっていく、どこまで大きくなるのか?
どうなっている?
【1945年8月6日】 8:22
落下傘だ。白いのが流れている 爆弾か?あれが?
【1945年8月6日】 8:30
「汽車は来るんじゃろうか?」「行かねばならぬ」
皆、言い合っている
【1945年8月6日】 8:37
汽車が来た。まずは乗る。ともかく、行こう。
【1945年8月6日】 8:39
汽車はのろのろと走る。もどかしい
窓の外、 湧き上がっている 巨大な雲。
猛烈な勢い
【1945年8月6日】 8:40
しかし、あれはなんだったんだ?
山の向こう側から、空がどんどん、だいだい色に、いや桃色に変わっていった
なんだったんだあれは
【1945年8月6日】 8:40
とてつもなく眩しかった
ズーンという凄い衝撃、ホームの全員が眼と耳を守って伏せた
【1945年8月6日】 8:42
海田市の火薬庫がやられたらしい。とうとう廣島がやられた!
【1945年8月6日】 9:14
のろのろ、汽車、遅い
まだ瀬野にも着かない
なかなか進まない
【1945年8月6日】 9:27
汽車、進まない
廣島の上空を吹き上げる炎と雲が覆っている。薄汚れた入道雲
【1945年8月6日】 9:44
汽車止まった、動かない
【1945年8月6日】 9:49
瀬野駅の駅員が「列車は運行見合わせ!これ以上先には行けません!」と。
ここから廣島までは十五粁あるらしい。
どうしたものか……
【1945年8月6日】 10:07
手紙を届けるという命令がある
とにかく向かおう、廣島まで
【1945年8月6日】 10:16
どこかの家のラジオの声がする
「こちら廣島、こちら廣島、廣島は全滅、救援を乞う…大阪さん、大阪さん、 聞こえたら呼んでください」
【1945年8月6日】 10:17
全滅
廣島が?
【1945年8月6日】 10:18
父母は?
【1945年8月6日】 10:20
ラジオは何度も何度も救援を乞うていた
みんな、誰も、何も喋らない
【1945年8月6日】 10:20
廣島は全滅、皆と顔を見合わせた
「行こう、廣島へ」
「学校に文書も届けんと」
「歩くんじゃ、ここから」
同じように廣島方面へ向かう人もいる
みんな覚悟を決めた
【1945年8月6日】 10:21
黒煙が立ち昇り、何かがキラキラと光っている。入道雲がどんどん大きくなってゆく…
【1945年8月6日】 10:36
廣島からの汽車とすれ違った
窓ガラスが全部割れている!
【1945年8月6日】 11:12
じっとりと汗がまとわりつく。
安芸中野あたりまで来たが…
何かがおかしい。
家の屋根がめくれ上がったり壁に穴が空いたりしている。
【1945年8月6日】 11:18
なんだ…何か来る、松並木の向こう
【1945年8月6日】 11:19
何かの…集団?
人?
【1945年8月6日】 11:21
あ………そんな
【1945年8月6日】 11:26
顔が崩れている…目も鼻も崩れている
人、じゃない、あんなふうにはならない
人の形をしているが…
【1945年8月6日】 11:27
あかむけ…どす黒い…赤…黒色をした人たち
一様に両腕を突き出して、手から汚いボロ布を垂らしている
皮…なんなんだ、あれ…皮膚か
【1945年8月6日】 11:32
ゆっくりと倒れ伏す、ひとり、またひとり、倒れていく
動かない、うごかない
次々
ゆっくり、道を埋め尽くしていく…どうしたら…
【1945年8月6日】 11:35
ああ…なんで、どうして
どうしたんです、廣島で何があったんです
聞きたいが聞けない。怖い。聞けない。
ああ。こんな中を僕たちだけが、無傷で行くのか
【1945年8月6日】 12:42
「はよせえ、この間にも何千人も死んどるんじゃ!」
全壊している窓の病院の前、老医師が怒鳴っている
向洋の家々は半壊している
【1945年8月6日】 12:54
民家の門前にムスビが並び、包帯をした住民が避難民を介抱している
ここで、水を飲ませてもらって、昼飯を食う。しかし腹は減っているが、泥を噛んでいるようだ
【1945年8月6日】 15:06
比治山の向こう、家の方角がひどく燃えている
父母よ、どうか無事であってくれ
【1945年8月6日】 15:07
市内から逃げようという怪我人で橋は溢れかえっている
あれが東大橋か?
火傷で男から女かも年も分からない。
【1945年8月6日】 15:08
あの中をどうにかして通らなければ。
通れるか?
いや、行くしかない
【1945年8月6日】 15:16
橋の途中、憲兵隊が立ちはだかっている
自転車の男と怒鳴り合っている
【1945年8月6日】 15:18
「廣島は非常事態が発令されている。軍の機密地帯だ、誰であろうと通すわけにはいかん!」
「この事態は異常だ、なんとしても報道せねばならん!」
新聞記者か?
【1945年8月6日】 15:19
「横暴だ。この惨状を国民の目から隠そうというのか」
「馬鹿野郎ッ!」
記者が憲兵に自転車ごと川に投げ込まれた!
橋の上から
【1945年8月6日】 15:20
どうしたらいい
憲兵たちがすごい形相で向かってくる
【1945年8月6日】 15:26
「キサマたち、廣島には入れぬ。帰るんだ、わかったか!」
憲兵はいくら説明しても全く聞く耳を持たない
「こんな時に中学生が何をウロウロしている。どこの学校だ!」
くそっ!子供だと思っているんだろう!
【1945年8月6日】 15:27
公文書を見せたらどうだ……?
高田君が言ってくれて気がついた、僕らは連絡文書を預かっている!
これで駄目ならもう駄目だ
【1945年8月6日】 15:28
「西部軍司令部気付」という宛名を見た途端、憲兵の顔色が変わった
「よし、許可する。しかし千田町まで行けるかどうか、 気を付けて行け」
【1945年8月6日】 15:29
記者を川に投げ込んでおいて、わかったかと怒鳴っておいて、気をつけろとはなんだ
憲兵とはなんだ、何たる手のひら返しだ
【1945年8月6日】 15:35
姉妹だろうか?
大火傷でひどく大きく膨れて、目と口のみがかすかにへこんだ顔
小さな手を握り合わせて、よろよろと歩いていた
【1945年8月6日】 15:36
右隣を通り過ぎるとき、僕の胸くらいの背丈しかない上の子が
「しっかりねっ、しっかりねっ」
と妹を励ましているように、僕には思えた
【1945年8月6日】 15:37
人の群れに溶けるように、静かに消えていった
あの姉妹はきっと生き延びられない、だろう
それでもなんとか、なんとか生きてほしい
【1945年8月6日】 15:44
ここが段原?
民家の屋根が吹き飛んでいる
【1945年8月6日】 16:00
高田君と笠間君、西川君と相談
安全な道はどこだ、大正橋か?
【1945年8月6日】 16:21
血まみれの人 潰れた家 助けを求める声が、色んな所からする
「助けて」と
父母よ。どうか。どうか無事であってくれ
【1945年8月6日】 16:35
街が
これが廣島か……?
【1945年8月6日】 16:36
我が家はもはや灰と化しているだろうか。
父は?母は?
【1945年8月6日】 16:37
大正橋の交番
一本焼け残った電信柱に松明のように火がついている
【1945年8月6日】 16:38
千田町の方角には巨大なつむじ風のような火の柱が上がっている。
学校は?
あれでは連絡文書を届けるのは到底無理だ
【1945年8月6日】 16:40
「それぞれ安全な道を通って帰ろう」
「仕方がない、各自これから先は別行動に移ろう」
ここで、西川亮君、永谷君の母親と別れる
【1945年8月6日】 16:58
比治山橋。三人とはここで別れる。
一人になった。
【1945年8月6日】 17:04
防火用水槽から…無数の足が生えている…びっしり…人が頭から突っ込んでいる
【1945年8月6日】 17:07
瓦礫じゃなかった…焼け焦げた人だ…馬だ…一面、すべて
【1945年8月6日】 17:28
比治山の裏には火はきてない。家は無事だろうか
父母は?
今日見てきたあの人達のようになっていたらどうしよう
いや、僕がしっかりしなければ!
【1945年8月6日】 17:37
見えてきた。あの角だ。めちゃめちゃになっているが、確かにこの道だ
【1945年8月6日】 17:44
僕の家…半壊している。
父母がいるはずだ。
どうか、どうか無事でいてくれ
【1945年8月6日】 17:47
生きている!!
【1945年8月6日】 18:17
生きていた。父ちゃんはガラスの破片で血だるまになり、母ちゃんは顔面を大きく腫らしている
でも二人とも、生きていた。
僕が来たことに飛び上がって驚いていた。
ああ、よかった。本当に…
【1945年8月6日】 18:29
家は、玄関の間と居間だけがかろうじて残っているものの、屋根は抜け落ち、ガラスが散乱。手のつけようがない
家の前の消火栓が壊れて水が吹き出している。いや、水があるだけでも幸いか。
今夜は寝る場所がない。野宿か
【1945年8月6日】 19:22
今日のはすべて、米軍がガソリンを撒いて火をつけたためらしい。
また来るという話もある。
ならば防空壕が必要だ。だが僕が作ったのでは全く役に立たない
【1945年8月6日】 19:45
今夜は近くの松田君宅の防空壕で寝させてもらえるらしい。
ありがたい。
【1945年8月6日】 21:29
ああ、これからどうなるんだろうか…
【1945年8月6日】 21:30
共に廣島まで来たみんなはどうしているだろう
笠間君は旭町、高田君は鉄砲町、西川亮君は牛田、西川廉行君は五日市。
みんなの家族は無事だったろうか
【1945年8月6日】 21:42
東大橋ですれ違った姉妹がよぎる
つなぎ合わせた小さい手が、頭から離れない。
姉は確かに妹に言っていた「しっかりね、しっかりね」と。
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【1945年8月7日】 5:59
ほとんど眠ることができなかった。
昨日の疲れもあり、パッとしない。
止水栓から水が溢れているから、あの水で体を覚まそう。
【1945年8月7日】 6:09
廣島を地獄に変えたものは一体何なんだ。
近所の人の間で「石油が降った」「毒ガスがまかれた」などの噂が広がっている。
【1945年8月7日】 6:59
ん?気のせいだろうか?
すぐ近くのハス畑のハスの葉が同じ方向に変色して、ねじ曲がっている。
あれは街の中心部がある方だな。
【1945年8月7日】 7:09
近所がざわつく。
表札の文字だけが焼け抜けているのだ。
ハスの葉の変色といい、みんなが「何か変だ」と思い始めているようだ。
【1945年8月7日】 7:59
笠間君が息を切らして僕のところまでやってきた。
「一中の新久君がもうダメらしい」
嘘だ。
信じられない。
嘘だろう、笠間君
【1945年8月7日】 8:01
新久の家へ急ぐ。
彼は昨日の空襲で全身火傷を負ったものの、なんとか自宅まで辿り着いたそう。
【1945年8月7日】 8:11
ああ、そんな…
新久君
【1945年8月7日】 8:12
これが、これが新久君か?
【1945年8月7日】 8:19
「悔しい」が新久君の最後の言葉だったらしい。
負けず嫌いの彼らしい。
顔を包帯でグルグル巻の、あんな酷い火傷を負っても、ここまで歩いて帰ってきた。
【1945年8月7日】 8:20
部屋の隅に座って新久君の顔をみていると
「新井さん、この仇はきっと取って下さいね」
新久のお母さんが僕に言った
涙が込み上げた
よくも新久を。よくも大切な親友を。
必ず。仇は必ずきっと…
【1945年8月7日】 11:02
父と母の出血はやっと止まった。
しかし、父はガラスの破片が背中に。母は右目を強打し、顔半分が倍に腫れている。
ガラスも半身に受けている。
【1945年8月7日】 11:29
公文書。疎開先から預かった公文書を学校に届けなければ!
すっかり忘れていた。
【1945年8月7日】 12:04
学校に向かおうとゲートルを巻いていたところ、心配して引き止めようとする父母と一悶着あり。
僕はどうしてもこの公文書を届けなければならないのだ。
【1945年8月7日】 12:05
危なかったらすぐに引き返すと約束して、父に借りた鉄兜をしっかりと被る。
学校へ出発だ!
【1945年8月7日】 12:34
大河小学校から大きな煙
猛烈な匂い
遺体を火葬している
【1945年8月7日】 12:39
うちの家の周りと同じだ。
比治山の南側でも、葉の変色や、表札が焼け抜けているのが分かる。
これはパラパラと爆弾を落としたような被害ではなさそうだ。
もしかして、全市が一挙にやられたのか?
【1945年8月7日】 12:45
なんてことだ。昨日は必死だったから気付かなかったのだ。
ガレキだらけで道なんてものが無い。
慎重に歩かなければ、ケガをしてしまいそうだ。
街中が全て平地になっている。まだ煙もあちこちで出ている。
【1945年8月7日】 13:07
あれは似島の安芸小富士か?
ここからあの三角の山が見えるなんて。
比治山橋の向こうは完全に焼け野原だ。
【1945年8月7日】 13:09
馬が四本の脚を宙に向けて焼け死んでいる。
腹もパンパンに腫れている。気持ちが悪い。
比治山橋は無事に渡れた。
が、ここは昭和町だろうか。建物が無く、どこなのか見当がつかない。
【1945年8月7日】 13:31
あ!あれは!附国と文理科大の校舎だ!焼け残っている。
北門まで行こう!
【1945年8月7日】 13:39
うっ。
門の下に黒焦げの死体の手足が。
だめだ。見ないように走って通ろう。
【1945年8月7日】 13:41
無い。
ねじれた鉄柱と立木のみ。
附中の校舎が消えている!
【1945年8月7日】 13:45
中年の男性に肩をたたかれる。
僕の胸の名札を見て、ニコッと声をかけてくれた。
高師か文理科大の先生のようで、公文書を届けに来たというと、附中の先生は皆、文理科大の建物に避難していると教えていただく。
少し安心した
【1945年8月7日】 13:49
文理科大もボロボロになっている。
先生はいらっしゃるだろうか。
【1945年8月7日】 13:51
文理科大の玄関にはテントがかかっている。
みんながこちらを見るが、誰が誰だか分からない。
「教官はいらっしゃいませんか」と叫ぶと
「奥の部屋にいる」と頭の包帯から血をにじませた若い人が教えてくださる。
【1945年8月7日】 13:53
部屋に入り敬礼し、叫ぶ。
「廣島高等師範学校附属中学校一年北組生徒、名列番号一〇二番、新井俊一郎、動員先の原村から連絡のために到着しました!附属中学校の先生はおられませんか!」
【1945年8月7日】 13:55
「えっ、原村からだって?」
一人の先生が立ち上がった。見覚えのない先生だ。
【1945年8月7日】 13:56
「みんな元気か?」
「来たのは君だけか?」
矢継ぎ早に質問されたので、昨日からのことをかいつまんで説明し、公文書もしっかりと渡した。
【1945年8月7日】 14:00
附中のことについて聞いた。
市内に残っていた一年生が大勢、南門付近でやられたらしい。いま一所懸命捜索中とのこと。
知っている先生方も亡くなられたそうだ。
くそうくそうくそうくそうっ
【1945年8月7日】 14:01
公文書を学校に届けるという任務を成し遂げられた。
しかし、新久も、先生方も、同級生も
僕はたくさんの人を失った
ーーーーーーーーーー
【1945年8月8日】 9:29
目が覚めてからずっと気分が優れない
三十七度五分の熱だ
これまで昼寝などできた事がないのに、どうしても起き上がれない
【1945年8月8日】 13:20
眠っていた。熱のためだろうか
【1945年8月8日】 13:59
母ちゃんの作ってくれたクズ湯をのんだ
【1945年8月8日】 14:29
胃がむかむかして、吐きそうになる。疲れか?
八日に原村へ帰るようにとの命令であったが、今日は帰れそうにない。
【1945年8月8日】 16:41
一中の一年生は全滅とのことだ。
三保君、岩田君、田村君、それに大事な日記帳を僕にくれた、あの正木君も
【1945年8月8日】 16:41
僕ももしかしたら一中へ入学していたかもしれなかったのだ。
そうしたら、僕も今頃は
【1945年8月8日】 16:58
二中も建物疎開で全滅だと
奥本君、宮家君、谷口君
山崎君、山崎君は? 家は近くだ、帰ってきたらすぐわかるはずなのに
【1945年8月8日】 17:07
市立中学の橋本君、酒井君、沓木君
山陽中の坂井君も帰ってこないらしい、前田君も
修道へ行った木村君も
【1945年8月8日】 17:29
誰も彼も、行方不明になってしまった
防空壕を貸してくれた松田さんの家でも、道子さんがわからなくなってしまったらしい。
【1945年8月8日】 17:30
皆いなくなってしまった
【1945年8月8日】 20:05
道子さんは帰ってこられた。よかった
【1945年8月8日】 20:29
あれは、独で発明した新兵器を米が手に入れて廣島で試したということだ
試した?
【1945年8月8日】 21:39
絶え間ない嘔吐感と発熱、体のだるさもある
当分原村へは帰れないかもしれない
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【1945年8月9日】 9:02
先日の大空襲で、粟屋市長が戦災死されたそうである。
東組にいた市長の息子のアワヤも、もしかしたら戦死したかもしれない。
【1945年8月9日】 12:51
体が鉛のように重く、思うように動かない。
相変わらず外はカンカン照りで、敷いてもらった布団が暑苦しい。
昨日から熱が下がらない。よほど疲れたのだろう。
【1945年8月9日】 17:00
酒井先生が重傷、奥様は亡くなられたらしい。
附国の上河内先生も戦死され、川崎先生は負傷、早瀬先生は行方不明…。
学校の教官方の多くが、死傷または行方不明。
【1945年8月9日】 17:01
入ってくる話は全て人の死ばかり。
沢山の友達の顔が思い浮かぶ。皆、今頃何をしているのだろう?
【1945年8月9日】 18:07
なんと、ソ連が我が国に宣戦布告!!
今のこのような状態でまた攻撃を受けるとなると、一体僕たちはどうなるのだ?
近所の人達が「もう駄目だ」と口にしている。
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【1945年8月10日】 9:06
今日も熱が下がらない。
【1945年8月10日】 14:01
今日は、先日のあの特殊爆弾でめちゃめちゃになった家の大掃除をした。
八畳の間には、家財道具や本、壁土、天井板などが散乱していてとても足の踏み場もない。
【1945年8月10日】 16:19
瓦はもう散乱していて、雨が降ったら完全に家の中が水浸しになってしまう。
道具は比較的雨漏りが少ない場所に避難させた。
【1945年8月10日】 18:09
頭がぼうっとして、体が思うように動かない。熱い。
少し疲れた
【1945年8月10日】 18:14
明日は熱が下がるだろうか。
動員先の原村に戻らなければならない日はとうに過ぎている。心配でならない。
父母が「心配せずに寝ていなさい」と言ってくれた。
【1945年8月10日】 18:29
なんと、夕飯に大好物のオハギが!
あまり甘味はないが、小豆を使っているのでとても美味しい…はずなのに、食欲が出ない。
一つ残してしまう。
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【1945年8月11日】 7:57
まだ気分がよくないが、明日、原村へ帰るので用意をしないといけない。
父が駅へ切符を取りに行った。
【1945年8月11日】 9:19
父が帰ってきた。
何度も交渉したが、罹災証明書がないと汽車に乗せてもらえないという。
とりあえず、非常用の一口パンを多めに作っておこう。
【1945年8月11日】 11:02
粉を練って、伸ばして広くし、乾パンくらいの大きさに切って、それを油でカラッと揚げる。
二缶ほど出来た。
【1945年8月11日】 15:09
用意するものは本、シャツ、食料くらいでいいかな。
少し多いくらいにリュックに詰めた。
父がまたどこかへ出かけた。
【1945年8月11日】 17:29
父が今度は罹災証明書を貰ってきた。
そのおかげで、明朝九時二十九分の列車に乗って帰れることになった。
まだ本調子ではないし、今日は早めに寝よう。
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【1945年8月12日】 7:56
いよいよ原村に帰る日だ。
まだ熱があるので長く寝るつもりでいたが、笠間君が来てしまった。
早く朝食を食べないと。
【1945年8月12日】 8:19
赤飯を食べた。母が宇品線で広島駅まで送ってくれるらしい。
【1945年8月12日】 9:02
駅はがらんどうで、外だけが残っている。
昨日父が貰ってきた罹災証明のおかげですんなりと列車に乗れそうだ。
【1945年8月12日】 9:09
倉田という兵隊さんが大阪方面に行かれるらしいので、一緒に八本松まで行ってもらうことになった。
【1945年8月12日】 9:29
いよいよ発車のときだ。
ハンカチを振る母を見ていると、胸が熱くなってくる。
【1945年8月12日】 11:44
今朝の新聞に八月九日 日ソ開戦とあった。
やはり本当だったのだ。
新聞を見せたら、原村の皆は驚くだろう。
大変なことになってしまった。
【1945年8月12日】 15:57
八本松についた。
ここからは重いリュックサックを担いで徒歩である。
熱があるので、少しふらふらする。
笠間君が肩を貸してくれる。有難い。
【1945年8月12日】 17:01
教順寺だ!
【1945年8月12日】 17:39
寺に着くなり皆に取り囲まれてもみくちゃになった。
皆揃って廣島のことを聞くが、答えるすべがない。
何より、皆様子はおおかた察しているようだった。
【1945年8月12日】 18:08
原村の皆は、七日に教官から「諸君は自分が孤児になったと覚悟せよ」との訓示を受けたらしい。
緊急連絡で飛び帰ったのか、よく見ると何人かの友が消えていた。
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【1945年8月13日】 8:51
今日からまた寺での生活だ。
調子も戻ってきて、朝食を山盛り一杯食べた。
【1945年8月13日】 9:31
今日は誰も出動がない。三中隊も、二中隊もである。
【1945年8月13日】 10:03
三木教官が来られた。
とても久しぶりに会ったような気がする。
【1945年8月13日】 10:47
あの日、共に廣島へ帰った高田君が帰ってきた。
鉄砲町の家はやはり駄目で、お父上が戦災死を遂げられたという。
何かが違えば、僕達の父や母も
そう思うと、かける言葉もない。
【1945年8月13日】 15:10
米田達六人が廣島へ帰省した。
実家の安否確認のためである。
見送って手旗信号の練習をしていると、入れ替わりのように久保君が帰ってきた。
【1945年8月13日】 16:50
日本軍がマリアナ基地を爆撃したとのことだ。嬉しい。
これは仇討ちだ。もっと完膚なきまでに
あの憎い、憎い米を
※注 「マリアナ基地を爆撃」は誤報だったことが後にわかりました。
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【1945年8月14日】 8:09
本日も出動はなし。
ただし、三木教官が国民学校前の塩屋に塩とカツオブシを買いに行かれるというので同行する。
【1945年8月14日】 8:39
塩は重い。皆大騒ぎだ。
【1945年8月14日】 12:49
B29の大編隊が空を埋め尽くしている。
五十機どころではない。七十機以上はいるような感じである。
憎々しいほどに落ち着いて、悠々と飛んでいる。
しゃくに障る。昼食が不味い。
【1945年8月14日】 16:29
西本君の見せてくれた小説に、ロケットが出てきた。
ロケットは想像の中のものだが、宇宙に飛び出すただひとつの機械である。
【1945年8月14日】 21:49
村田が突然「日本は負けるぞ」と口走りながら部屋に飛び込んできた。皆何を言うか嘘を言うなと怒り心頭である。
村田はたくさん殴られて、鼻血を流している。
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【1945年8月15日】 10:19
本日は正午より重大放送があるとのことだ。
皆農協の前庭に集まって聞く。
【1945年8月15日】 11:55
そろそろだ。教官達がいつになく騒然とされている。
少し緊張してきた。
【1945年8月15日】 12:08
これが陛下の御声か。
雑音が多くてよくわからない。我々への激励の詔勅だろうか?
【1945年8月15日】 12:39
結局何の放送だったんだ?
【1945年8月15日】 12:41
教官がひどく慌てて何ごとか話している。
【1945年8月15日】 12:49
まさか、本当に?
【1945年8月15日】 12:54
無念
【1945年8月15日】 12:56
最後まで戦い抜くのではなかったのか、最後の勝利は我にあり、というのではなかったのか
今のところは休戦であると陛下が仰ったらしい。
無念なり。
【1945年8月15日】 12:58
兵隊は地団太を踏んでおるだろう。
僕もしゃくに障るが陛下の御命令なのである。
平静を維持せねばならぬ。
【1945年8月15日】 14:19
そういえば、「日本は決して負けない。もし負けたら腹を切る」と言っていた修身の教官はどうするだろう。
やはり腹を切るか?
【1945年8月15日】 14:19
未だ腹は切っていないようだ。
切らないのだろうか?
【1945年8月15日】 21:09
みんなで教官室を覗いてみた。
腹、切らないのだろうか?
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※1945年当時の日記などをもとにTwitterで伝えるこのプロジェクトの目的は、戦争の記憶が薄れつつある中、若い世代に被爆体験を継承し、戦争の時代の社会状況についてリアリティーをもって伝え、考えていただくことにあります。
「シュン」のモデルは、1945年当時、広島の中学1年生だった新井俊一郎さん(13)です。現代の広島の10代が新井さんの日記などを読み、その味わいを大事にしつつ、若者の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。時間は日記などをもとに推定。必要に応じて注釈をつけます。