第42話 曖昧模糊
夏休み中に学校に来る生徒は概ね3パターンに分かれている。部活か補習か委員会かのどれかだ。人生が落第している俺だが、テストの成績だけは問題ない。したがって俺が学校に来るとすれば部活動か委員会のどれかに該当するわけだが、委員会には所属していないので、つまりは部活というわけだ。にも関わらず今俺がいるのは生徒会室だったりする。
夏休み中だけあって学校側もさほど厳しくない。そんなわけで、俺達は生徒会室でアイスを食べながら喋っているわけだが、当然用事もないのにこんなところにいるわけではない。
「偶然って怖いよね……。でも、私、君だったら嬉しいかも――」
「裕美お姉ちゃん」
「はう! い、いきなりは止めて……心臓に悪いよ! お小遣いあげる」
100円貰ってしまった。申し訳なさでいっぱいだ。後でなんか先輩に奢ろう。正面でわたわたと三雲先輩が赤くなっている。はにかんだ笑顔が眩しい。最近、俺の周りにいる女性陣はどうにも推しが強いだけに先輩は癒しだった。これが今は失われし概念となった「萌え」というやつなのかもしれない。
「先輩はどうしておっさんと仲が悪いんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど……。良くしてもらってるんだ。でも、なんだろう。きっと納得できてないのかな? 私が子供なんだと思う」
「もともと再婚には反対だったんですか?」
「ううん。お母さんから再婚するって聞いたとき、私は応援してたの。紫雲さんと交際を始めてからはお母さんも幸せそうだったし。でも、少し前にね。それが浮気だったってことを知ってショックだったの」
先輩達は学園祭の準備で仕事があり、こうして何日か登校しているらしい。職員室に行っている痴女先輩こと祁堂先輩もそのうち戻ってくるだろう。
俺は三雲先輩におっさんのことを尋ねていた。もし仮におっさんが俺を引き取るとなれば俺と三雲先輩は姉弟になってしまう。そのことを姉さんに話したら、血の繋がらない姉という言葉に異常なまでに敵意を示していた。いったい何が姉さんをそこまで駆り立てるんだろう?
それはそれとして、おっさんがどうして三雲先輩と不仲なのか気になり、こうして聞きに来たわけだ。聞けば、事の発端は先輩が家族との会話の中で俺の名前を出したことにあるらしい。その名前に聞き覚えのあったおっさんは、先輩との仲を改善しようとアレコレ画策したそうだが、聞けば聞く程浅はかとしか言いようがない。
「まさか雪兎君だったなんて思わなかったよ。一緒に住む?」
「裕美お姉ちゃん」
「だからもう! もう! 無理……私の精神が持たないよぉ……。お小遣いあげる」
また100円貰ってしまった。もにょもにょと先輩の口が動いている。うちの姉さんがアレだけに三雲先輩の反応が新鮮でついつい余計なことをやってしまう俺です。
「そうはいっても俺は部外者ですし、先輩のお母様からすれば厄介者なわけで実際には無理でしょう。今になってそんなこと言われてもって感じです。母さんもキレてましたし」
「そうだよね。うん、私も上手くいかないと思う」
困ったような笑みを浮かべる三雲先輩。先輩は自分を子供だと言ったが、そんなことはない。要は何もかもがおっさんの勇み足でしかない。誰も幸せにならない提案だ。それが分からないのはおっさんだけであり、そういう人間だからこそおっさんと母さんは上手くいかず別れたのかもしれない。せめて先輩の母親と交際を始めるにしても、キチンと関係を清算すべきだった。
おっさんは無自覚に誰かを傷つける。
それはまるで俺のように――
やはり親子なのかもしれないと思ってしまう。だとすれば、俺はなおさらそうなってはいけない。曖昧な関係は誰かを不幸にするだけだ。答えを先延ばしにしたところで、そこに希望があるわけじゃない。
「でも、一緒に住めたらきっと楽しいよね。私、一人っ子だから兄妹に憧れがあるんだ」
「そんなことないですよ。つい最近まで殆ど姉さんと会話なんてありませんでしたし」
「そうなの? 仲良さそうに見えるけど……」
「一時期は嫌悪されていましたから」
どう取り繕ってもそれは事実だ。そうでなければ、あんなことはされない。姉さんとの関係は未だ手探り状態のまま。多少改善したとはいっても、まだまだ“普通の姉弟”というには程遠い。むしろ遠ざかってる気がするんだけど、どうにかならない?
そういえば聞いてよ。最近まで俺の部屋にあるベッドはシングルサイズだったんだけど、どういうわけか姉さんが母さんに直訴した結果、夏休み前にクイーンサイズのベッドに取替えられてしまった。母さんも二つ返事でOKだった。なんなら母さんも乗り気でウキウキしてたし。おかげで俺の部屋には大人2人で寝ても十分余裕があるデカいベッドが鎮座している。
確かに俺の部屋は私物が殆どないせいで広々してるけど、何故そんなデカいベッドが必要なのか。回答を求めると「一緒に寝やすくなるでしょ?」と無慈悲な返答がなされた。「これで激しい動きも大丈夫ね」とかまったく理解できないことも言っていた。ベッドの上で激しい動きってなに!?
浅慮な俺には姉さんの深謀遠慮は及びもつかない。カスタマーセンターにクレームを入れようと思ったが、担当窓口が姉さんなので逆らえませんでした。どういうことなんだよ! 俺の部屋はいつから夫婦の寝室と化したのか。メダパニを喰らった冒険者の如く混乱した。
正気になり話を戻すが、あのとき、どうして姉さんがあんなことをしたのか、その真意は今でも分からない。どうして今になって距離を詰めてきたのかも分からない。敢えて触れないようにしているのかもしれない。互いに何も核心に触れないまま構築された現在の関係は、いずれまた致命的な破綻を引き起こすことになるのではないかと何処かでそう感じていた。いつかは姉さんともキチンと向き合わなければならない。でなければ、いつまで経っても俺達は“普通の姉弟”などにはなれはしないのだから。
「私ね……男の人が苦手なんだ。だからかな。紫雲さんのことも怖いのかも」
「俺とはこうして普通に会話できてるじゃないですか」
「君はその……特別だよ。あのとき、助けようとしてくれたし」
「未遂に終わったわけで、何もしていませんが」
「それでも! 助けてくれようとしたのに、ごめんなさい。善意を踏み躙ったこと、もう一度ちゃんと謝りたかったの。ほら、睦月ちゃんと一緒だと暴走しちゃうし」
深々と先輩が頭を下げる。俺は先輩を助けてなどいないのにこうして頭を下げられるのは居心地が悪い。感謝されるようなことなど何一つしていない。先輩が気に病むことなど本来なら何もないはずだ。なのにこうして頭を下げてくれる。三雲先輩は常識人であり聖女だった。
「聖女と呼んでいいですか?」
「気恥ずかしいよ! それになんか追放されたり寝取られそうだから嫌かも」
「分かりました。裕美お姉ちゃん」
「だ・か・ら! ドキドキしちゃうから止めてよ! で、でもたまにだったらそう呼んでくれてもいいからね。お小遣いあげる」
また100円貰った。300円の臨時収入だった。先輩に還元しようと思います。
「さぁ、待たせたな! 九重雪兎、今日は私の家に泊まっていかないか? なに心配するな。私の部屋は離れにあるんだ。少しくらい嬌声を上げたところで誰も咎めはしないさ!」
「じゃあ裕美お姉ちゃん、また今度。俺は今から部活なので」
「う、うん! って、だからもう! お小遣いはまた今度ね!」
痴女先輩の帰還と共に、俺は脱兎の如く逃亡し体育館へと向かった。
‡‡‡
「ありがとうユキ! 何かお礼させてよ」
「誕生日なんだろ? 気にしないでいいさ」
弾むような声、上気した頬。思わず目を背けたくなるほど笑顔が眩しかった。
部活が終わった後、汐里からランニングシューズを買うのに付き合って欲しいと言われ、俺達はショッピングモールまで来ていた。スポーツショップであれこれと商品を選んでいる途中、そういえば汐里の誕生日が近いことを思い出した俺は、プレゼントとして送ることにした。15000円くらいだが、無趣味な俺は懐に余裕があるので些細な出費だ。それに誕生日プレゼントなんていうものはお礼を期待して渡すものじゃないしね。
他にもブティックなどをブラっと巡る。汐里の目がキラキラと輝いていた。思えばこういった経験はあまりないので俺としても新鮮だった。
「じゃあ今度、ユキの誕生日に何かお返しするね!」
「欲しいものなんてないし、気にしなくていいぞ」
「だ、駄目だよそんなの。私だけ貰えないよ」
「そのときが来たらな」
「うん。絶対だからね!」
困ったような表情を汐里が浮かべているが、俺は誕生日を意識したことがないので、ピンとこない。これといって何か欲しいものがあった試しもないので、毎年言われてから思い出すような始末だ。
「――神代さん?」
雑談しながらモールの中を歩いていると、汐里が呼び止められる。俺達と同じように部活の帰りなのだろうか。数人の集団。押し出されるように一人の男子が前に出てくる。
「鈴木先輩……?」
その名前には聞き覚えがあった。確か汐里に告白したという野球部の2年生でエース候補らしい男子だ。俺はまったくの初対面なので、会話に割り込むわけにもいかない。
「神代さんはデートかな?」
「ちち、違います! ユキは買い物に付き合ってくれただけでデートじゃありません」
「そっちの君は……って、そうか君は九重君か」
大人しくしていたのだが、先輩の方から話を振ってきた。
「自己紹介キャンセラーですか?」
「ま、君は有名だからね。俺は2年の鈴木啓二。君と神代さんは付き合ってるのか?」
「付き添いで買い物に来ただけですよ」
「正直、俺は君のことをあまり良く思っていない。真偽はどうあれ君は目立ちすぎる」
「先輩、ユキはそんなんじゃ――!」
「神代さん、俺はまだ諦めてない。誰とも付き合ってないんだろ? だったらチャンスがあると思ってる。この前は告白してフラれたけど、君を振り向かせてみせる」
「――こ、困ります! お断りしたはずです!」
「俺は本気で君のことが好きなんだ」
「そんなこと言われても……」
ヒューヒューと先輩の仲間達が無責任に冷やかす。鈴木先輩は真っ直ぐな目をしていた。ストレートに気持ちをぶつける姿は潔い。けれど同時に一度断られているにも関わらず、こうやって集団で囲って再び告白するのは圧力を掛けているようにも見え、卑怯に感じてしまう。汐里が嫌がっているにも関わらずそれに気づかないのもどうなのか。
「ダセえな。汐里、帰ろうぜ?」
「――え、ユキ? ごめんなさい先輩!」
「お、おい。待て!」
付き合いきれないと判断し、強制的に会話を打ち切る。肩をすくめ汐里と出口に向かう。鈴木先輩がどんな人物なのかは良く知らないが、どうして自分が好きな相手を嫌がらせるようなことが出来るんだろう。諦めきれないならそれでもいい。けれど、あんな風に詰め寄るのはフェアじゃない。
「ありがとねユキ」
「流石にモテるな」
「ユキが言うと嫌味にしか聞こえないよ?」
「彼女なんていたことないんだが……」
「――だったら!」
モールから外に出てしばらく歩くと、あれだけ澄み渡っていた空が一気に暗くなる。急激に発達した積乱雲が上空を覆っていた。夏、日差しに照らされ暖められた空気が上空で冷やされると、積乱雲が急発達し大気の状態が不安定になる。雷鳴が轟き、あっという間に雨が降り出す。突発的な夏の自然災害は極めて予測が難しい。当然、傘など持っていない。
「ゲリラ豪雨かぁ。九重雪兎のやる気が10下がった。汐里、走るぞ!」
「うん。ユキここからだったら家の方が近いから!」
隣にいる汐里の声が聞こえなくなる程、降り出した雨は勢いを増しアスファルトを打ち付けていった。