「気を遣いすぎる」と言われモヤモヤした気分を抱える40代主婦。気遣いをうやめたいけどやめられない自分がいると悩む相談者に、鴻上尚史が吐露する「あんたは、気を遣っているのがミエミエ」と言われた過去とは。
【相談90】気遣いやめたいけど、やめられない自分もいます(45歳 女性 ママレモン)
こんにちは。
2歳の養子を育てています。40代の元看護師、今は主婦です。
私は、人からたまに、「気遣いできる人」とか「気を遣いすぎる」などと言われることがあり、それは褒め言葉の時もあれば、気遣いしすぎてしんどくない?的に感じられる言い回しの時もあります。
どちらにしても、これを言われるのは、嬉しくないです。
嬉しくない理由としては、私が少し無理して気を遣ってる時もあるからだと思います。
結果、それが相手に好感を持って伝わる時もあれば、気を遣いすぎる人と伝わる時もあるのだと思います。
人に好かれたい気持ちが根底にはあると思いますが、それだけではなく、素直に気持ち良い関係になりたいとも思っています。
直近では、子供がお世話になる小児科の看護師さんが、私の友達に、「◯◯ちゃんのお母さん、すごい気を遣いすぎるから、子供が幼稚園に行ったら、ママ友で苦労するよ」と言ってたことを耳にしました。それでこの相談を投稿しようと思いました。
私の一部分しか知らないのに、そんなことまでなぜ言うのかな?とモヤモヤが止まらなくなったのです。
(しかし、家庭では、主人に言いたいこと言って、のびのびと暮らせています)
気遣いをやめたいけど、やめられない自分もいるし、思いやりとして、気遣いしたい自分もいます。モヤモヤが止まりません。
長文で申し訳ありません。よろしくお願いします。
【鴻上さんの答え】
ママレモンさん。そうですか。気を遣いすぎてしまうことがありますか。たしかに、全然、長文じゃないのに、「長文で申し訳ありません」と書かれていますもんね。
送られてくる相談の中には、たまに気が遠くなるような長文のものがあります。書いているうちに、思いが溢れて止まらなくなるんでしょう。そういう相談は、僕が答えられなくても書く意味があると思ってます。心の中のモヤモヤを言語化することは、悩みを解決する大切な一歩ですからね。
さて、ママレモンさん。僕もよく「気を遣っている」とか「鴻上さんは本当に気配りだから」と言われました。でも、自分ではそう言われることは、そんなに嫌ではありませんでした。実際に気を遣っていて、「気を遣っている」と言われるのは、当り前だと思っていたのです。
ところが、三十代の時、先輩の演出家である木野花さんから「あんたは、気を遣っているのがミエミエだからダメなのよ」と言われました。
一瞬、意味が分からず、「どういうこと?」と問い返せば、「相手が気を遣っていると分かって、楽しい?」と言われました。
少し考えて、ハタと思い当たることがありました。
僕はその頃、「接待」というものに誘われることが何度かありました。そして、いつも居心地の悪い思いをしていました。
それは、接待をしてくれる相手が、「もてなすぞお」「楽しんでもらうぞお」と必死で気を遣っていることが丸分かりだったからです。
僕は三十代でしたから、スーツを着た中年男性が必死になって、「気持ちよくなってもらおう」「楽しんでもらおう」と気を遣っているのは、気づまり以外の何物でもなく、本当に苦手な空間でした。
コロナ以前、夜の街を歩くと、サラリーマンがタクシーに向かって深々とお辞儀して「お疲れさまでした」と挨拶し、車を見送った後、全員が深いため息をつくという風景をよく見ました。
接待が終わったんだなあと思いましたが、そこまで全身で「気を遣うぞ」と気合を入れた接待は、あきらかに無理があって、受ける方は楽しくなかったんじゃないかと、僕は勝手に心配になりました。
中には独裁者タイプというか「おお。人々は私のために気を遣っている。じつに愉快、愉快」と思う人がいるかもしれませんが、ほとんどの人は、相手が無理に気を遣えば遣うほど、そして、それが分かれば分かるほど、気づまりに感じるんじゃないかと思います。
相手が喜ぶ話題を必死に探し、沈黙を嫌い、常に感謝し、謝り、相手の言葉に大きくうなづき、喜び、相手の欲求を先取りする――それは素敵な心遣いですが、その努力と無理が丸分かりだと、強烈なプレッシャーになると思うのです。
昔、沖縄に演劇のワークショップに行った時です。夜、接待の席で「明日、釣りに行きましょう」と言われました。せっかく沖縄に来たんだから、行ってみたい気持ちもありましたが、それより「みんな良い人だから、僕に気を遣うだろうなあ。釣れなかったら、必死になってなんとかしようとしてくれるんだろうなあ。なんだか、気が重いなあ」という気持ちの方を強く感じました。
が、せっかくの提案を断ることができず(僕も気を遣ったわけです)、翌日、朝6時にホテルを出て、港に行きました。昨日、飲んでいたのは僕を含めて3人でしたが、用意された船には、他に5人ほど、参加者がいました。みんな、「沖まで行くのは久しぶりさ~」とか「楽しみさ~」と満面の笑みでした。
「鴻上さんにマグロを釣って欲しい」という気遣いで、船は2時間ほど遠出しました。2時間、小さな船で揺られ続けたので、僕は完全に船酔いしました。
船の縁につかまり、海に向かって吐きに吐いた後、釣りポイントに着いても、寝たまま、まったく動けませんでした。
でも、他の人達は、実に楽しそうに釣り始めました。船酔いの朦朧とした頭でも、わいわいがやがやと楽しそうな声を聞くのは、実に爽快でした。
もし、この時、沖縄の人達が「鴻上さんがグロッキーだから、釣らないで帰ろう」とか「楽しむのは我慢しよう。さっさと釣って、早く帰ろう」なんてことになったら、僕は申し訳なくていたたまれなかったと思います。
そもそもの始まりは僕の接待でも、今、みんな、実に楽しそうに釣りをしている。心から釣りを楽しんでいる。そう感じると、僕の心はどんどんとほぐれ、でも船酔いで体は動けませんが、楽になっていったのです。
相手を楽しませるためには、自分も楽しむことが大切という、当り前のことを教えてもらったのです。
東京でも、たまに、本当にたまに、リラックスしたまま接待してくれる人がいました。僕の食事の好みを聞いた後、自分の好みもちゃんとオーダーし、僕に合わせた話題のはずなのに、実に楽しそうに話す人です。相手がリラックスしているので、僕もいつのまにかリラックスするのです。
気を遣っているのに、気を遣っていると感じさせず、相手を心からリラックスさせる達人です。
僕は、そういう人に出会うと「ああ。こういう気の遣い方ができる人になりたい」と心底思いました。
今、そうなっているか自分では分かりませんが、僕が人と出会う時に大切にしている点です。
ですから、ママレモンさん。
「少し無理して気を遣ってる時もある」と書かれていますが、「無理」は必ず伝わります。無理が伝われば、ママレモンさんが目指す「気持ち良い関係」は生まれないと思います。
言わずもがなですが、ママレモンさんが夫の前では「のびのびと暮らせて」いるのは、もちろん、気を遣うことに無理してないからですね。
で、ママレモンさん。「気を遣っているのに気を遣っていると相手に感じさせない」のは、「気を遣っている」ことを上手に隠すことではないと思います。「無理をして気を遣わない」ということで、それはつまり、「相手との会話を上手く楽しむ」とか「自分なりの楽しみを見つける」「そもそも、必死になることをやめて、リラックスして相手と接する」ということだと思います。
ただし、嫌な相手とか理不尽なことを言う相手とどうしても友好なフリをしなければいけない時は、「無理して気を遣う」というより、「嘘も方便」とか「おべんちゃら」とかのレベルだと思います。
そうではなくて、ママレモンさんの書く「気持ち良い関係」になりたい相手、「思いやりとして、気遣いしたい」相手の場合には、ママレモンさんがリラックスし、お互いの関係を楽しむことがとても大切なんだと思います。
大丈夫です。少しずつ、気を遣う時の無理が減っていけば、相手との気持ちよい関係は間違いなく育っていくと思います。
肩の力を抜いて、やっていきましょう。僕も、日々、そう思いながら、一人一人と話しているのです。
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