一ハ横一尺五寸バカリ 竪正中ニテ一尺一寸ホド |
来る十月朔日。北野松原におゐて茶の湯興行せしむべく候。貴賤によらず。貧富に拘はらず。望之面々来会せしめ。一興を催べく。美麗を禁じ。
約を好み。営申べく候。秀吉数十年求置候諸具。飾立置べく候条。望次第見物すべき者也。 天正十五年八月 |
一ハ横三尺五寸バカリ 竪正中ニテ一尺五寸ホド |
御定之事 | |||
一 | 。北野之森におゐて。十月朔日より十日之間に。天気次第に御茶湯被成べき御沙汰に付て。 御名物共残らず相揃させられ。数寄執心之者に見せさせらるべきため。かくの如く相催させられ候事。 | ||
一 | 。茶湯執心之者は。若党。町人。百姓以下によらず。釜一つ。つるべ一つ。 のみ物一つ。茶はこがしにてもくるしからず候。引さげ来しかるべき事。 | ||
一 | 。座敷の義は松原にて候条。畳二畳。 | ||
但し侘者はとぢつけ。いはなきに而も苦しからず事。 | |||
一 | 。遠国之者迄見せさせらるべき之儀。十月十日迄日限御延被成候事。 | ||
右は仰出され候義。侘者をふびんに思召候処。此度罷出ざる者は向後におゐてこがしをもたて候義。 無用との御異見に候。罷出ざる者の所へ参り候族までもぬるものたるべき事。 | |||
但遠国之ものによらず御手前にて御茶下さるべき旨。仰られ候事。 | |||
奉行 福原右馬允 蒔田権介 中江式部大輔 木下大膳亮 宮木右京大夫 |
(中略) | |
一 | 。又問。角力は如何。 答云。無し。本国に於て武事を習はす。人数を指揮して戦はしむることを教ゆ。 騎馬。歩卒一人打の術をば専らと為さず。故に其業も伝ふること少し。 |
(中略) |
おもひきや。かく隔りまいらせぬる身を。よくもおぼしも捨たまふらで。いともかしこきおゝせごとにかたじけなきに。
おそれみをも不顧。せめてつたなきふでして心ゆくばかりをまふしのぶるにこそ。さるは手になれし扇もいつしか秋の風たちて。
たへかねしあつしさもこの頃はすこしわするゝばかりに候。まつとよ君の御あたり。いと御たいらかに渡らせ給ふるとや。
つばらに承りさもらへば。こよなふ嬉しうなん。はたこたびはからざりき。あさ露の玉の御こと葉にそへて。
むらさきのゆかりゆかしきまでにそめなし給ふ衣恵み給ふる。うれしさたとふるにものなし。うからやからうちこぞりつゝ。
めでくつがへり忝うなん侍りぬ。もしみあたりの御さた候はゞ。よきに取なしおゝせ上てよ。つばらにいやきこへあげとうさもらへども。
元よりつたなきふでの跡。ひとしほわかりがたふこそと思はれぬを。よきにおしはかりたまへかし。はたあになる男もかはらぬみめぐみの厚を幾重にも申尽しがたふ忝うなん。
こもよきにおゝせ上てよと。ぬかづきおがみす。あなかしこや
いわ子
上 人々御ひろう |
長け七尺三寸 | 足の太さ一尺三寸五分 | ||
貫目三十五貫五百目 | 食一日に一升七合余 | ||
酒一度に一升を飲む | 衣三反余を着る | ||
牛をまたぐと云人呼んで牛胯と云とぞ。この牛をまたぐに因てか |
身の長 | 七尺三寸 | 手裏 | 八寸五分 | ||
足裏 | 一尺一寸 | 身重さ | 三十二貫目 | ||
衣着丈 | 五尺一寸 | 肩行 二尺二寸五分 袖 一尺九寸 |
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羽織 | 三尺八寸 |
右のこと専ら流行せしはこの三ヶ年以前にて。召捕へられしは去春の頃かと云。又かの嫗は拷問ありても少しも貪着せず。 全く吉利支丹の邪道を行て何の障苦も無き体なりと風説す。 |
前々より写本に相成。かし本に致し候右宗門本。亦は天草記抔も見当り候得ば。夫々御とがめ有之候故。 本屋に而も不残火中などいたし候様ほゞ承候。亥年より昨春頃迄は。京町々。右うはさ而已に候得共。其後一向沙汰無之候。乍併今以相済不申よしに御座候。 |
( | 斜翁。山の手の人。拳の名人。今既に没す。其門生五百人に及ぶと。斜翁の碑。三囲祠の境内に在り。 |
( | 海田祐輔。今江戸一と云。又名人。石町に住し。医を業とす。 |
( | 半月。舛屋源四郎の手代。茅場町に住す。今祐輔を配して両大関と呼ぶ。 |
( | 菊千。始め俳優市川団之助の弟子。今浅草広小路の料理茶屋。亦今上手と称す。関脇と呼ぶ。去臘拳会の開筵ありと云。 |
( | 亀丸。北の同心葛岡五郎右衛門。又当時の上手。幕の内と称す。 |
銘云。崎陽車応生東遊。以善酒令鳴于世。今也則亡。詩以悼之。一場之歓已矣。十手令厳乎。
憶昨戦其拇。酣歌敲玉壺。南畝覃 ひらく手の五ウは勝なり梅のはな 車応 |
但相撲方屋入之節者。行司召連罷出申候。且関取方屋入之節は。添相撲取弐人罷出申候。 |
但残る七拾四人は取組之用意仕候に付。方屋入不仕候。 |
結勝え | 扇子二本遣す | ||
関脇勝え | 弓弦遣す | ||
関勝え | 弓遣す |
但関相撲行司は吉田追風相勤候事 |
但素袍烏帽子着帯剣。行司之節。唐衣四幅袴着帯剣司之行司方屋祭并開口之節は狩衣大紋着用。 尤素袍に而も相勤来候。但此度御相撲之節は素袍着仕候。 |
( | 吉野山 | ( | 錦 野 | ( | 与佐海 | ( | 岩ヶ崎 | ||||
桂 山 | 尾上松 | 老 松 | 森ヶ崎 | ||||||||
( | 金 碇 | ( | 荒見崎 | ( | 安宅山 | ( | 今出川 | ||||
竜ノ崎 | 千年川 | 桜 野 | 和田川 | ||||||||
( | 荒 滝 | ||||||||||
角ノ森 |
( | 清 川 | ( | 鳴 沢 | ( | 由良戸 | ( | 都 山 | ||||
角田川 | 鳴見川 | 立 川 | 朝日野 | ||||||||
( | 岩手山 | ( | 鷹ノ川 | ( | 筆ノ山 | ( | 入間野 | ||||
松尾山 | 上総野 | 柴ノ森 | 片男浪 | ||||||||
( | 御所島 | ( | 鳴 戸 | ( | 淀 渡 | ( | 時津風 | ||||
初瀬島 | 若ノ浦 | 雲 林 | 黒 雲 | ||||||||
( | 熊野川 | ( | 浜野川 | ( | 荒 沢 | ( | 香取山 | ||||
戸 崎 | 浜 風 | 綾 川 | 竜ヶ鼻 | ||||||||
( | 荒 海 | ||||||||||
漣 |
( | 常盤川 | ( | 千渡浜 | ( | 諏訪森 | ( | 楠 | ||||
緑 川 | 雲の浦 | 袖の浦 | 荒 馬 | ||||||||
( | 杉ノ尾 | ( | 関ノ川 | ( | 玉の井 | ||||||
阿曾ノ森 | 荒 滝 | 荒 熊 |
( | 伊吹山 | ( | 鈴鹿山 | ( | 伊勢浜 | ( | 真 鶴 | ||||
鷲ヶ嶽 | 岩ヶ関 | 獅子洞 | 簑 島 | ||||||||
( | 出水川 | ( | 友 鵆 | ||||||||
戸田川 | 関の戸 |
( | 梶ヶ浜 | ( | 錦 木 | ( | 宮城野 | ||||
出羽海 | 東 | 雷 電 | 鷲ヶ浜 |
( | 緑 山 | ( | 八汐島 | ( | 奈良山 | ( | 荒獅子 | ||||
荒瀬川 | 越 柳 | 伊勢ノ浜 | 柳 川 | ||||||||
( | あけぼの | ( | 鷹ノ羽 | ( | 紅葉山 | ( | 二見山 | ||||
江刺山 | 金ヶ崎 | 名取川 | 三保ヶ崎 | ||||||||
( | 湊 川 | ( | 鶴ヶ岡 | ||||||||
須磨の関 | 増見川 |
( | 加茂川 | ( | 八雲山 | ( | 神楽岡 | ( | 住の江 | ||||
荒 鷲 | 飛鳥川 | 乱獅子 | 外の海 | ||||||||
( | 袖ヶ浦 | ( | 広田川 | ( | 更 科 | ( | 和田海 | ||||
高 尾 | 桐ヶ崎 | 越ノ浪 | 秋田川 | ||||||||
( | 不破谷 | ( | 若 崎 | ( | 琴ノ浦 | ( | 通り矢 | ||||
御崎川 | 手間関 | 室ヶ関 | 三浦潟 | ||||||||
( | 宮戸川 | ( | 黄金山 | ( | 梶ノ尾 | ( | 甲斐関 | ||||
鬼 嶽 | 山 分 | 荒 汐 | 富田川 | ||||||||
( | 島ヶ崎 | ||||||||||
不破関 |
( | 象ヶ鼻 | ( | 岩ヶ洞 | ( | 神撫山 | ( | 松 島 | ||||
広 渡 | 立 波 | 温湖嶽 | 滝ノ音 | ||||||||
( | 岩ヶ根 | ||||||||||
厳 島 |
( | 鳴 滝 | ( | 芝 渡 | ( | 名艸山 | ( | 和田原 | ||||
稲 川 | 鬼 勝 | 越ノ戸 | 増見山 | ||||||||
( | 伊達関 | ||||||||||
盤井川 |
( | 柏 戸 | ( | 陣 幕 | |||
九紋竜 | 西 | 雷 電 |
( | 谷 風 | |
小野川 |
右之趣は。其場に而町御奉行御指図に而。御徒目付を以勝負之訳御尋有之。御答書右之通に候由。 |
一。横綱之事 | |||
右は谷風梶之助相撲之位に依而授与畢。以来方屋入之節迄相用可申。仍而如件。 | |||
寛政元酉年十一月九日 | |||
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観御蔭参詩并序 | |
按御蔭参。以慶安三年庚寅。為権輿矣宮川夜話。御蔭。猶漢言光庇也。 参者何。参謁大神宮也。蓋爾時。行客相喚。皆曰御蔭。故時人謂之御蔭参耳。其月日始末。参謁多寡。余未詳考。 厥後。及宝永二年乙酉。御蔭参極多。閏四初九。至五月念九。五十日間。凡三百六十二万人。其多之至。 一日間得二十三万人玉勝間。明和八年辛卯。復有此行。始干初夏八日。至仲秋初九而止。 其間一百二十日。参謁者。凡二百七万七千四百五十人御蔭参日記。或曰。終於八月十九日。 凡四百四十一万九千人。一日登十九万九千者。此為盛之極云神異記。此前説。則日多十日。 数過一倍。未知孰是。蓋皆宮川渡口所舟量之而挙其大数耳。其余航海。直抵大湊等埠者亦頗衆矣。今茲。文政十三年庚寅三月之末。 阿波人。首倡御蔭。泉摂和之。遂及諸州。陸続継至。於是閏三初五。両宮祠官。於祠前。始授神符。人各一枝。 其数若干万。自此漸加云。今已旬余。来賽日盛。未知其数登幾万。又至何時而止耳。建以来。 有此挙者凡四。其間相距。率六十年。殆似有定数也。一日余携児輩。登八太山。々臨孔道。路上光景。一目可殫。 来往之夥。頗為壮観矣。因録其所目撃。并所耳聞者。以作此篇。皆取諸実跡。非敢誇言云。 | |
宇遅山神太神祠。徳輝万古照華夷。山田原頭豊受宮。恩高誰不推。 祀典自古無軒輊。称内称外類。西筑東奥南曁朔。朱門白屋尊若卑。 不択寒暑不憚遠。迭来迭去尽虔祈。今茲庚寅閏三月。阿人首倡知為誰。 | |
注。行路相伝。阿波徳島有一童子。年甫七歳。数請謁太神宮。父母不聴。一日忽失所之。 後経数日。童子来帰。曰。児頃参宮。阿波去伊勢。百数十里。非七日間所能来往也。父母疑而不信。童子曰。信矣。 児乗白馬来往。未嘗覚疲矣。所乗馬。即繋其籬下。父母往視之。籬下有竹馬。帯着神符也。父母駭以為神之所使也。 即日起身赴伊勢。隣里郷党伝而奇之。相継而発。遂及闔国云。或云。某家有乳母。数請参宮。主人不聴。一日乳母出而不帰。 所養小児。飢而死。棺葬已畢。適乳母負児帰来。謝曰。頃私参宮。敢謝不告。主人驚且怪之。乃発児処而視之。 棺中惟有神符。不見其屍。主人以為神奇。即日起程云。嗚呼。何者奸徒。作此伎倆。不惟欺愚蒙。足以擾衆心。 非可悪甚乎。古曰。仮於鬼神時日卜筮以疑人者殺。其斯之謂歟。余因謂。自古仮神仏以惑人者。一廃一興。無時而無之。 余幼時。聞稲垣地蔵。香火頗盛。継而有岩内及相州観音。又有大蔵寺地蔵。大沢大明神寺。近有須川稲荷。 其所感動。殆及十余里。但彼皆所仮者微矣。故不久而止。今又有御蔭参。所仮尤尊矣。故其所動者亦広矣。 雖感有広狭。其本出奸民之計則一也。雖則出奸計。一旦能動人者。蓋有神賛襄之耳。不則。豈能至如是乎。 | |
千百結伴始麕至。自此諸州競追随。或自学舎或隴畝。卒然升途糧不齎。相喚相呼称御蔭。 都人市女及村児。笠記郷貫腰佩杓。 | |
注。行客皆戴笠。々前録神号。傍記郷名。又書御影字。 腰挟小木杓。々亦記神号及御影等字。此皆平日。行乞来拝者之所為也。人賤之曰抜参。今也不惟抜参。雖服盛装者。 亦皆傚之。未解為何故也。 | |
一夥一団掲表旗。々々挙凡紙為幟。或剪紅帛或猩緋。各競異装駭人目。或扮猩々或虎姿。 | |
注。村人賤客。大率剪白紙為幟。々記神号及郷名。或有截彩紙為旒者。 甚至猩緋絨為幟。幟竿黒漆。旆以貼金瓢。若貼銀弾丸等。或掲紅絹傘。或擎五彩灯。或有一火一様。打扮猩々担大酒甕来。 或有一群数十。皆服黄斑衣装猛虎形者。各自標異。競駭人目。事頗猥褻。奢麗亦甚。 | |
蝉連魚貫来不已。一日二日々倍。富商大賈郷里豪。乞銭与酒賑飯糜。 小民亦醵銭与米。幾開粥院于中逵。又有貨郎魚估担子。又有耕牛樵馬助人疲。 | |
注。市客担轎者。大抵身服花紬。紙緞抹胸。紅帛為褌。或有頭戴小冠。 身穿白衣。擬廟祝者。或有長袖黄帯。結仮面。作女者。或有紅褌盛妝。襲以旧繿縷者。 競作異装。華靡頗甚。官禁止之。 | |
或茶或鞋麗不百。随分各自務恵施。 | |
注。恵則恵矣。然非義者之恵也。何則。我於行客。猶秦之視越。彼其肥瘠。 非所嘗関也。且一簟食。一枚銭。彼得之。不以為甚喜。彼不得之。又不以為窮也。而施者寡而受之者多。則積小成大。 一家所費。遂至千万之多矣。若分之郷党。救其緩急。則感恩者深。而所以為儀又大矣。富商郷豪。不知出於此。 区々務小恵。雖情属屋烏。其不知義也亦甚矣。 | |
一日余登旗山上。 | |
注。旗与八太。国読相通。 | |
下視孔道此嗟咨。西村東落笠相接。紛若群蟻慕羶移。須臾千百不暇数。綿々延々無断時。 肩摩轂繋誠非虚。衽幕袂帷不我欺。這箇山道猶如此。況復東南来往滋。 | |
注。東指洞津。南指田丸也。此行也。行旅道於田丸者為多。八太駅次之。 若夫津府。則京畿諸州皆道于斯。則比八太亦為多。八太村西。有大仰川。杉谷某。聞之舟人。曰。頃日所渡。 雖較有増減。大抵日及三万人云。則東南二道之多。可推而知耳。 | |
不知一道日幾万。総向山田入宇遅。郵亭村舎無容処。往々露宿満翠微。 | |
注。近有官命。市店村家。皆許舎客。然来往之多。猶不能給。有露宿者云。 | |
街巷填咽迷向背。或有難群泣路岐。鼠窃乗間狗偸起。拐騙児女盗行笥。乃命坊正与村長。 夙夜巡按若逐麋。房銭船貨低其価。轎夫馬隷戒姦私。 | |
注。駅舎馬隷等。貪直頗甚。行客患之。官為定其価。榜之街巷。曰。 房銭一夜百三十二銭。惟托薪炊者。三十二銭。一轎一里。直百七十二銭。一馬一里。直二百銭。但三人累騎者。云々。 其余貨直。大率准之。官府所由及坊正里長等。分部巡按。若有犯制者。随即罰之。不敢肆赧。 | |
或逓唐子或輿病。待客有恩坊姦威。 | |
注。婦女離群。稚子迷途者。不勝其多。故市街村巷。為開舗司。以待之。 若有唐子。則掲其郷里姓名。以俟来索。若無索者。駅站送去。罹疾病者。亦従此例。 | |
恩威兼行不惟我。沿路牧伯亦師々。維昔宝永明和際。来賽之盛存口碑。幼時聴作昔時話。豈料今日親見之。此挙果否称神旨。 | |
注。赤堀俊卿曰。此挙也。奸民所為。而戻於大神之旨尤甚矣。何則。子而不告親。 民而不辞長。私廃講習。縦輟耕耨。使父母有倚門之憂。君長有失時之慮。且其拝神也。皆一時客気。殊無感戴之誠。 則神豈之乎。凡吏於土者。須早諭而禁之。原文国字頗長。今節録其意。 | |
亦惟昭代属雍熈。雍熈已踰二百年。安寝飽食恩無涯。若夫神符降人屋。 | |
注。神符降於東街及幸街。又降戸木村。其它往々有之。但符製与両宮所頒頗異云。 余聞之京人恵美某。曰。神符降京者亦多。所司代松平伯耆君。命官吏按之。捕得奸民数人。深譲其姦詐而赦之。 既而下令曰。爾後有神符降。即附清火而沈之水。莫敢有隠焉。嗚呼賢哉。所司公。惟此一事。亦足以窺偉政之端也。 | |
行路又伝種々奇。 | |
注。大森某曰。聞之兵庫人。云。吾郷有角抵某者。平日負力。不信神仏。 聞人謁伊勢。則常譏笑之。一日神符降其家。以為奸民所為。乃焚而棄之。忽身体萎縮。不得動矣。衆以為神祟。 潔斉為謝。於是漸愈。得自食飲云。松坂有売花者。一顆直五銭。旅童誤以為三銭。 既食而欠二銭。主人責而罵之。偶有一僧。為倍之。即日闔家寝病以死。部田村売醴媼。倍其直而之。 得利頗多。忽発狂疾。凡如此類。不一而足。大抵謬伝妄説。非可敢信者也。 | |
奇談荒唐非可信。総出姦民射利為。由来神道崇正直。猶且人情騒如斯。有人儻行隠与怪。
揺天動地未可知。所以朝廷禁蛮教。朝令夕申固其宜。古人有言治慮乱。道心惟微人心危。一旦蜂起誰得禦。
触類備預莫失機。聞説辛卯年大旱。秋針枯尽田拆亀。只願今秋風雨和。邪欧窶稼若茨。
黎民長被神明沢。終身相楽脱寒飢。 文政十三年庚寅閏三月十七日 久居 春江河原田寛 撰 |
三月晦日 | 上 下 | 二百人 | 閏三月朔 | 上 下 | 千人 | 二日 | 上二千人程 下千人 |
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三日 | 六千人 五千人 | 四日 | 一万六千人 一万人 | 五日 | 二万三千人 三万七千人 |
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六日 | 二万三千人 四万二千人 | 七日 | 一万三千人 四万二千人 | 八日 | 一万三千人 四万六千人 |
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九日 | 一万六千人 三万九千人 | 十日 | 一万三千人 四万二千人 | 十一日 | 一万五千人 四万人 |
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十二日 | 一万四千人 三万八千人 | 十三日 | 一万二千人 四万人 | 十四日 | 一万三千人 四万二千人 |
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十五日 | 一万四千人 五万人 | 十六日 | 一万九千人 七万五千人 | 十七日 | 二万人 八万人 |
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十八日 | 二万千人 七万六千人 | 十九日 | 二万四千人 八万五千人 | 廿日 | 二万三千人 八万五千人 |
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廿一日 | 二万四千人 八万七千人 | 廿二日 | 二万三千人 八万七千人 | 廿三日 | 二万六千人 九万人 |
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廿四日 | 二万八千人 十万人 | 廿五日 | 二万七千人 十万人 | 廿六日 | 二万八千人 十二万人 |
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廿七日 | 二万三千人 九万八千人 | 廿八日 | 一万八千人 九万三千人 | 廿九日 | 一万八千人 九万八千人 |
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凡二百二十八万千二百人 |
右四歌は。予が邸内に住む角力玉垣が母の臆せし所。この婦年六十二。 |
右三歌は。亦邸内なる医者の老婦。六十七なるが云ふ。 左の歌も亦。邸内某の老婆が記せし所。前哥の後へつづくなり。婆年八十三。 |
以下の三歌。老女豊野が臆す。豊野年七十二。 |
あしたはよめのしほれ草あしたはよめのしほれ草。と和す。かくして。他の群これを聞くときは。嘲て曰。 しほれた草を矢倉に上て。下から見ればぼけの花。下から見ればぼけの花。と哥ふ。これ答哥たる所以。かくして。又他群を見ること有れば。迺後隊より歌て。 向ふに見ゆるは躍子じやないか」と云へば。前隊つけて。 躍があらばせり合もふそ」と云とき。他群哥て云ふ。 せり合はり合負れば恥よ。石でも擲てけがでもすれば。てんでの親の迷惑よ」と云て。終に双方相接り。強き方。弱き方を押破つて通り行く。其とき揚哥して云。 向のお山の相撲取草よ。ゑいやらやと引けばお手がきれる」と。同音声に叫ぶ。敵隊の答哥に。 お手の絶たにや御薬やないか云云」と云て過ぐ抔。今はかゝる体なることは無きぞと。物語り給ひき。かゝるとき男子とては数隊の中一人も雑ざることなりしと。此時の風俗は。 市中女児の群行さへも正しきことにして。戦国の余波尚存し。義勇の気かゝる婦女子のうへにも見へたり。 |
一 | 見機動随 時発鬼神 無測其妙 是軍法奥義 藤原清正 印 |
曰ふ。下総国葛飾郡古河の辺。中田村光了寺は。門徒宗にて。什物に静御前白拍子の舞衣有之。 蝦夷錦。胸に金糸にて日月の織紋あり。外に九寸五歩。手道具等品々有之。此こと白川楽翁様の御聞に入。 先年御入有之。古舞衣。片袖御所望に而。御借り請に相成り。其代として。御紋付御ふくさ并二重箱。 白川少将と御しるし御奉納有之候。 |
玉垣曰。中田村と古河との間に。しあん橋と云有り。静御前奥州へ下向の節。しあん致され候て。 武州葛飾郡栗橋在。伊坂村にて死去なされ候。其塚の印とて。大木の杉有り。太さ私五廻り半。凡三丈余と申すこと。 |
垣記す。この碑は。御郡代中川飛騨守。御代官中村八太夫手附。宍戸三蔵に命じてこゝに建つと。 この碑は。御能触山田嘉膳建つと。俗碑云に足らず。されども棄るに忍びず。 |
小白按るに。東鑑。文治五年閏四月晦日。義経於陸奥衣川舘。与泰衡合戦。義経家人等雖相防。 悉以敗績。義経自殺。云云年三十一。此ことに拠れば。静が没る。文治五年なること知るべければ。 義経没するは初夏にして。静の死するは秋なれば。路行の人に尋聞しと云こと。かたがた由有る也。 |
東鑑に拠るに。義経。梶原。逆櫓の争は。文治元年元暦二年也。改元す二月十八日とす。 |
十五才 | 若柳 繁松 | 大関 | 大石 政治郎 | 十五才 | |
十四才 | 東野 銀蔵 | 関脇 | 荒雲 金治郎 | 十四才 | |
十五才 | 冨ヶ岡 仙之助 | 小結 | 松ノ尾 秀治郎 | 十三才 | |
十四才 | 春風 倉吉 | 前頭 | 玉梅 舛太郎 | 十四才 | |
十三才 | 草摺 繁治郎 | 前頭 | 若竹 権太郎 | 十三才 | |
十四才 | 満月 金治郎 | 前頭 | 栄松 倉蔵 | 十四才 |
亀の井 | 玉の森 | ||
絹 笠 | 玉 緑 | ||
矢 車 | 白 藤 | ||
名取川 | 糸 桜 | ||
青 柳 | 八重桜 | ||
放 駒 | 宮 垣 | ||
亀ヶ崎 | 花 湊 | ||
綾 車 | 高 砂 | ||
花 霞 | 若 松 | ||
山 桜 | 都 鳥 | ||
若 駒 | 勇獅子 | ||
舞 扇 | 錦 川 | ||
春日野 | 友千鳥 | ||
花 筏 | 明保野 | ||
八ッ橋 | 総 角 | ||
鶴の尾 | 男 石 | ||
金 簾 | 東 雲 | ||
桜 木 | 明石潟 | ||
玉 椿 | 小松崎 | ||
満 月 | 栄 松 | ||
草 摺 | 若 竹 | ||
春 風 | 玉 梅 | ||
是より三役 | |||
富ヶ岡 | 松の尾 | ||
東 野 | 荒 雲 | ||
若 柳 | 大 石 | ||
結 |
押切 | 亀の井 | 玉の森 | ||
下手投 | 絹 笠 | 玉 緑 | ||
矢 車 | 白 藤 | |||
押切 | 名取川 | 糸 桜 | ||
さばをり | 青 柳 | 八重桜 | ||
放 駒 | 宮 垣 | 下手投 | ||
亀ヶ崎 | 花 湊 | 押切 | ||
綾 車 | 高 砂 | はたりのそと | ||
花 霞 | 若 松 | 双方疲れ引分 | ||
山 桜 | 都 鳥 | 外繋 | ||
若 駒 | 勇獅子 | 押切 | ||
頭捻 | 舞 扇 | 錦 川 | ||
春日野 | 友千鳥 | 踏越 | ||
花 筏 | 明保野 | 肩 | ||
八ッ橋 | 総 角 | 双方疲れ引分 | ||
捻 | 鶴ノ尾 | 男 石 | ||
金 簾 | 東 雲 | 突手 | ||
桜 木 | 明石潟 | 押出 | ||
玉 椿 | イタミ 小松崎 | 引分 | ||
満 月 | 栄 松 | 押切 | ||
投 | 草 摺 | 若 竹 | ||
春 風 | 玉 梅 | 投 | ||
是より三役 | ||||
押切 | 富ヶ岡 | 松野尾 | ||
東 野 | 荒 雲 | 突付 | ||
押出 | 若 竹 | 大 石 | ||
納 |
外足 | 亀の井 | 玉ノ森 | ||
絹 笠 | 玉 緑 | 出投 | ||
矢 車 | 糸 桜 | 投 | ||
踏込 | 名取川 | 白 藤 | ||
青 柳 | 宮 垣 | 突手 | ||
放 駒 | 花 湊 | 押切 | ||
押切 | 亀ヶ崎 | 八重桜 | ||
綾 車 | 高 砂 | はたりのそく | ||
花 霞 | 都 鳥 | 首投 | ||
山 桜 | 若 松 | 乗繋 | ||
行司 | 黄村辰之助 | |||
若 駒 | 錦 川 | 外繋 | ||
春日野 | 勇獅子 | 持出 | ||
舞 扇 | 明保野 | 疲引分 | ||
花 筏 | 友千鳥 | 上手投 | ||
持出 | 八ッ橋 | 男 石 | ||
金 簾 | 総 角 | 出 | ||
内 | 鶴ノ尾 | 明石潟 | ||
行司 | 黄村新治郎 | |||
桜 木 | 小松崎 | 押切 | ||
玉 椿 | 東 雲 | 疲引分 | ||
満 月 | 若 竹 | 押切 | ||
寄身悶 | 草 摺 | 栄 松 | ||
春 風 | 松野尾 | 投縺 | ||
是より三役 | ||||
行司 | 黄村辰之助 | |||
出投 | 富ヶ岡 | 玉 梅 | ||
投 | 東 野 | 荒 雲 | ||
押切 | 若 柳 | 大 石 | ||
結 |
又この図摂州名所図会と照すに。難波新地の中松野尾と云を見ず。又天王寺の辺に松屋亭在て。亦林泉有り。然ども其処を殊にす。因て今疑を存してこれを記す。 又三才図会に拠れば。天王寺は東生郡。難波新地は西生郡。然るときは別処か。 |
|
新地 | 松野尾之図 |
菊の間 金一朱 | | | 鶴の間 金二朱 |
さつきの間 銀三匁 | | | 亀の間 金二朱 |
池の亭 金一朱 | | | 桜の間 金二朱 |
同かこひ 同断 | | | 但し御供部屋付 |
小山の亭 同断 | | | 中二階 金二朱 |
滝の亭 金二朱 | | | 但し御とも部屋料理場御 つかひ被成候節は金二百 疋に御坐候 |
大山の芝 同断 | | | |
小座敷 同断 | | | 大座敷 金二百疋 |
亭坐しき 同断 | | | 但し御供部屋料理場御 つかひ被成候せつは金 三百疋に御ざ候 |
同かこひ 同一朱 | | | |
同二かひ 同二朱 | | | 大二かい 金二百疋 |
茶坐しき 同百疋 | | | 但し御とも部屋料理場 御つかひ被遊候節は金 子一両に御坐候 |
同かこひ 同一朱 | | |
当御屋鋪非道之御取扱に付。私共立行がたく。近近風烈之砌焼払可申者也。 | ||
この文は。出入の下坐見源太郎。親しく視て告る所なり。又吾が留守居手代り宮川は。目の当り見たり。曾て虚説には非らず。 |
又曰。かの深川の商。綱宗少将。游女高尾に邂逅せし一件に就。この商も拘ること有る由前人聞説す。 されどもこの城穿鑿のことに与らざれば。茲に贅せず。 |
往文有り茲に追附す 五月十二 衡改
猶々近日浅草寺奥山世俗評判之唐船を観に参る筈に仕候。白昼は憚候条。以夜陰可到と存候。冀くは林夫子と同伴と思候が。迚も不協と思断絶す。 以告 林答可笑 |
玉垣曰。御奉行の沙汰道理なり。若し米家奉行の御言を用ひず。諸人破乱の時に至らば。我が輩は弟子角力共多く率行。累米の中。二十俵三十俵を掠奪せんこと容易なり。米賈の懼れしこそ。我輩の不仕合なり迚。笑ひし。 |
大坂加番土井能登守殿家来医師雨宮宗寿方より。御目見医師兄方え之状 | ||
上略扠此度大坂表之珍事。定而御地に而も風評可仕。誠に不慮之大変に而御座候。
先荒増未虚実分り不申候。当十九日朝五半時頃。天満天神裏之方に出火御坐候趣に而煙見へ候処。次第に強く相成。
四ツ時頃に相成候処。御鉄炮奉行御用之趣に而。山里御多門に御坐候御鉄炮百五十挺。火縄玉薬共御出候に付。
何事歟出来候哉と奉存候処。前夜跡部山城守殿屋敷え町与力之内大塩平八郎と申者忍入。跡部之御子息を殺候由。
尤五人斗忍入候趣に御坐候。乍去山城守殿には別条無之。夫より奉行屋敷に而は用心致候趣。尤前方より少少知居候事と相見。
両町奉行与力同心。火事羽織に而早朝より天満橋を往来致候由。其内右大塩平八郎。自分屋敷并隣家与力屋敷へ火を懸。
百姓共を集め騒動に及び候。尤前日百姓には施行を致候間。明十九日には桜の宮と申所え参候様申聞置而。
参候節俄に一味可致噺有之。同類は町与力五騎。同心十人程。其外浪人者。角力も有之由。右火を付候後は。
車仕掛火矢に而市中一面に焼立候。少に而も火辺え寄候者有之候は。鉄炮に而打留候間。近辺え寄候事出来不申。
焼次第に御坐候間。八時頃には一面之大火に相成候。右に付。両町奉行は不申及。御城代よりも人数出。双方より大筒小筒に而打合候間。
鉄炮之響夥敷。御城内えは一面黒煙掛り。大手口。京橋口。玉造り口共柵を結廻し。人数を出し。鉄炮。切火縄。
鎗は鞘を除き。御本丸よりは具足を出し。只今合戦初り候勢に御坐候。此方様に而も弓。鉄炮。長柄等取調。
御持場極楽橋之上は土俵を組。大筒を仕掛。敵を待居候勢ひに御坐候。火事は弥火勢強。翌廿日。右同断。
尤廿日暁。尼崎。高槻より人数出張仕。大手前え陣取申候。右之次第に候間。私事も初而具足と申物を掛申候。
廿日夕方。此方様に而も京橋御定番替り被仰付。京橋を御固に相成候に付。御本丸より御貸具足三十領出。
皆々具足之上へ火事羽織着申候。御曲輪外に而は鉄炮之音不止。実に大変に御坐候。漸々廿一日暁七時鎮火致し。
六時頃には山里丸え引取申候。廿日昼頃跡部殿屋敷へ盗五人斗切込候由。未だ賊の在家はしれ不申候。同日夕方。
火勢少々衰へ候処。内本町え炮烙火矢打込。夫より又々大火に相成候。賊兵今朝は守口と申所へ引取候趣に御坐候。
風説まちまちに而。訳は分り不申候得共。兎角跡部殿を敵取様子に承り候。二日二夜少も眠り不申。飯も大結びに而。
誠に兵粮とに御座候。今日は御小屋へ引取。少休足致候に付認候間。乱筆不文御免可被下候。又跡より委細可申上。
先は無難に御坐候間。御案事被下間敷候。猶後便可申上候。恐惶謹言。 二月廿一日昼過認 雨森宗寿 雨森宗益様参人々御中 |
吹田村へ | 伊予松山御人数 |
手塚山へ | 岸和田御出馬 |
守口へ | 御代官根本善右衛門様御出張 |
西ノ宮へ | 薩州様御人数 |
鴫野 平野 | 京橋玉造御組 |
西町奉行前 | 高松御人数 |
東町奉行 跡部様御組与力 | 大塩平八郎 | ||
養子 | 同 格之助 | ||
十八日夜宿番之処。事露顕に付。 小泉円之助一同跡部様御寝所へ忍 入。討留損じ。迯出大塩に告候由。 くらがり峠に而首縊相果候由。 | 同組 | 瀬田済之助 | |
十八日夜済之助一同宿番之処。御 寝所え忍入候処。御用人之忰に 被討相果候。 | 同 | 小泉円之助 | |
同 | 渡辺良左衛門 | ||
同 | 庄司義左衛門 | ||
御弓方上田五兵衛様 御組小頭 | 竹上万太郎 | ||
玉造与力 | 大井伝次兵衛次男 | ||
守口名主 | |||
角力取 | 綾 川 | ||
淡路丁医師 継父藤井清吾 | 藤井鎌助 | ||
東御組 | 渡辺梶五郎 |
伊勢おんどはめづらしき事。始めて委しく見申候。珍々重々。以上。 六 十九 |
諸国売女の方言 | |||
●下総舟橋 | ・八兵衛 | ●武州川越 | ・這込 |
●中仙道桶川宿熊谷宿 | ・から尻 | ●上野高崎 | ・おしくら |
●上野妙義 | ・からさし | ●下総銚子 | ・提重 |
●相州小田原 | ・獏当時飯盛トナル | ・金蒔絵。銀蒔絵蓋。一歩二朱の別を謂なり | |
●信濃松本諏訪 | ・針箱 | ●同国飯田 | ・二百蔵 |
●越前敦賀 | ・干瓢 | ●越中富山 | ・紅蕈 |
●越後糸魚川 | ・二百三文 | 高田 | ・さわり |
長岡 | ・鼈・おは女 | 柏崎 | ・のゝ子 |
出雲崎 | ・鍋 | 三条 | ・土台石 |
寺泊 | ・手枕 | 新潟 | ・かしるり・ごけとも云 |
新発田 | ・蛮瓜 | ●加賀金沢 | ・当しやう |
●能登七々尾 | ・二八 | ●佐渡 | ・水銀 |
●出羽庄内坂田 | ・おこも上 | ・のれん下 | ・なべ下 |
米沢 | ・半棒おけさとも云 | ●同国秋田 | ・菜葉 |
●陸奥会津 | ・印札 | ●同国津軽 | ・けんぼう・さんぶつ |
●同国松前 | ・がのじ | ●同国南部 | ・おしやらく |
●房州小湊舟方 | ・おてんげん・うし | 又伊豆相摸両国とも | ・うしと云 |
●尾張名古屋 | ・百花 | ●伊勢路 | ・おじやれ |
●勢州鳥羽 | ・はしかね | 櫛田 | ・出女房 |
●近江彦根 | ・そうぶつ | 八幡 | ・畑菜 |
●丹後宮津 | ・糸繰 | ●因幡米子 | ・綿繰 |
尾州御用御花火 | |||
大からくり | |||
一。玉火 | 弐 | 一。皷ヶ滝 | 壱 |
一。大水玉 | 壱 | 一。錦玉 | 弐 |
一。虎の尾 | 弐 | 一。咲分玉 | 壱 |
一。獅子の尾 | 弐 | 一。赤玉 | 弐 |
大からくり | |||
一。末広御所車 | 壱 | 一。相生玉 | 弐 |
大からくり | |||
一。品蜂 | 弐 | 一。大藤棚 | 壱 |
一。登り竜 | 壱 | 一。相生竜 | 弐 |
一。熊蜂 | 弐 | 一。花乱星 | 壱 |
一。布引竜 | 弐 | 一。紅白玉 | 弐 |
からくり | |||
一。玉簾 | 壱 | 一。玉の尾 | 弐 |
大からくり | |||
一。錦玉 | 弐 | 一。弐段花笠 | 壱 |
一。大柳火 | 壱 | 一。玉蜂 | 弐 |
一。赤玉 | 弐 | 一。枝垂桜 | 壱 |
一。相生玉 | 弐 | 一。玉火 | 弐 |
大からくり | |||
一。明保野 | 壱 | 一。虎の尾 | 弐 |
大からくり | |||
一。相生竜 | 弐 | 一。千羽舞鶴 | 壱 |
一。弐段別 | 壱 | 一。獅子の尾 | 弐 |
一。玉追竜 | 弐 | 一。弐段咲分 | 壱 |
一。玉追虎 | 弐 | 一。品蜂 | 弐 |
大からくり | |||
一。拾弐挑灯 | 壱 | 一。布引竜 | 弐 |
大からくり | |||
一。紅白玉 | 弐 | 一。花揃 | 壱 |
水中 | |||
一。金魚 | 壱 | 一。錦玉 | 弐 |
水中 | |||
一。銀魚 | 壱 | 一。大玉柳 | 弐 |
一。狂乱虫 | 六 | 一。赤玉 | 弐 |
一。玉の尾 | 弐 | 一。相生竜 | 弐 |
大からくり | |||
一。玉蜂 | 弐 | 一。三国一 | 壱 |
大からくり | |||
一。夕納涼 | 壱 | 一。大水玉 | 壱 |
一。玉火 | 弐 | 一。大柳火 | 壱 |
一。武蔵の | 壱 | 一。後玉火 | 壱 |
一。虎の尾 | 弐 | 一。熊蜂尽 | 壱 |
大からくり | |||
一。獅子の尾 | 弐 | 一。花扇 | 壱 |
一。品蜂 | 弐 | 一。紅白星 | 壱 |
一。熊蜂 | 弐 | 一。布引竜 | 弐 |
〆 | 鍵屋弥兵衛 |
||
是より大からくり | |||
一。綾簾 | 壱本 | 一。涼々草 | 同 |
一。東祭礼 | 同 | 一。桜川 | 同 |
一。竜田川 | 同 | 一。住吉踊 | 同 |
一。虫尽 | 同 | 一。滝見車 | 同 |
一。緑り垣 | 同 | 一。花見蝶 | 同 |
一。大山桜 | 同 | 一。花玉垣 | 同 |
〆 | |||
大筒 | 拾六本 | 手筒 | 八十本 |
玉屋市兵衛 |
剛は。幼名金弥。父も忠右衛門と称し。名信義。相応武技も達し。人品悪からざりしが。世に合はずして。表勤にて終る。剛は予が名づけし者なるが。 遂に奥に入り。恭廟の奥の番まで勤たりしを。何か。旨に忤ふこと有て。居屋鋪までを召揚られしが。今は年数も過て。世広く務む。嘗て勤職の時は。翁も倶に御前に周旋せし輩なり。因て爾か云ふ。 |