平成最後の「KEIRINグランプリ」が30日、静岡競輪場で行われる。今回で歴代2位となる11回目の出場を果たす村上義弘(44=京都)が、2回の優勝を含めたこれまでのGPの思い出、そして競輪の未来を熱く語った。3回連載で送る。(聞き手・栗田文人)
今年で自身11回目のGPを迎える。昨年は落車が続いて体中で30カ所近く骨折。日本選手権やオールスターにも出場できず、GP出場権を逃した。その結果を受けて、昨年暮れにこう思った。「来年(18年)は1つ下がって再チャレンジする年にする。自分はチャレンジする権利を得たのだ」。この気持ちで戦ってきた結果、今年はG1優勝こそできなかったが、GP出走権を得ることができた。「チャレンジ成功」といっていいだろう。
今年は脇本雄太-三谷竜生の後ろを回る。脇本に限らず今回のGPメンバーでいえば新田祐大、その他でも渡辺一成、深谷知広らナショナルチームの選手は常に爆発の予感が漂う。彼らは速く、そして激変している。速く走るトレーニングや自転車のセッティングなどが数値化され、確立されている。そして、それを選手が具現化できている。かつてF1先行と呼ばれ、当時4000人以上いた選手の中で一番強かった吉岡稔真さんのタイムは、今や、ほとんどの選手が出せるようになっている。
そもそも、競輪と競技を別物と考えるのはナンセンスだ。競輪のトップが世界でももっと活躍するようになってほしい。SSイレブンも当時のやり方は間違っていたかもしれないが、目指すところはそこだった。実際、今、その流れになってきている。これからはさらに、脇本クラス以上の選手が競輪界から出てくることを期待したい。
競輪を根底からゴロッと変える必要はないが、いつまでも特殊なジャンルに収まっていてはほしくはない。伝統文化は守るだけでは駄目。その時代、その時代で、枠から1歩踏み出すことが大切だ。だから、エボリューションなど、新しい形態、スポーツとして認められるようなレースが増えることはいいと思う。
競輪がもっとスポーツ選手として認知され、格好いいと思ってもらえるような仕事にしていきたい。それが、若い選手、これから選手になろうとしている人に我々が残してあげられることだろう。競輪は子供のころに抱いていた夢を実現させてくれた、自分がここまで生きてきた証し。自分と同じように、競輪に人生を救われる若い人をもっと増やしたい。
レースに臨むにあたり「これだけやれば、このぐらいのレベル、このぐらいの仕上がりになる」という答えは分かってはいても、さまざまなことへの試行錯誤もしなくてはならない。そもそも練習というのはいくつになってもしんどいものだ。
ただ、ここまで多くの人に支えられてきた。今、力だけで勝負できる自分ではないが、それでも村上義弘を応援してくれるファンがいる限り、それに応えるため最大限の努力をしている。1日1日、1戦1戦しっかりと。言うまでもなく、今日のKEIRINグランプリ18も全力で戦う。(おわり)