2010年の7月7日に書いたアメブロ記事が閲覧不可になっていたので転載する。「ピンク」とあだ名されたキモメンばかりにモテて困っているOL、めろさんの質問に答える形でピンク映画について解説したものである。この考察は、のちに「囚われの淫獣」を発想するきっかけとなった。
■ピンク映画とAVの違いはなんなんですか??
ちなみに私のあだ名、一部でピンクです(笑)
ピンク映画に出ていそうだからだそうです。
めろ 2010-07-06 21:08:19
では質問にお答えします。ピンク映画とAVの違いは、まずフィルムで撮影しているかビデオで撮影しているかの違いであると言えます。今やごく普通の劇場公開作品でさえビデオで撮影されることがほとんどなので、その区分けはより曖昧ですが、ひとまずそういうことです。
両者とも男の性欲を慰撫する映像ジャンルとして登場し、オナニーのネタを提供するために製作されます。
ピンク映画の歴史は、映画館に通うことが国民的娯楽であった時代からのものですから、比較的長い。諸説あるものの、その一本目とされる小林悟監督作「狂った欲望」が59年、「肉体の市場」が62年の製作ですから、家庭用ビデオデッキが普及した80年代半ばばからはじまるAVとは25年くらいの後先があるでしょうか。
もちろん映画館に通うより自宅でレンタルの方が映画観賞の方法として手軽であり、またオナニーのネタという本来の目的を考えると、その場でオナニー可能な自宅観賞の方が適しているに決まっています。
そんなわけでピンク映画はその役目を終えて消えようとしている、と言われて早くも二十年くらいたちますが、なぜかなかなか消えない(笑)。
これは会社というものは自転車操業でも回るには回ってなかなか潰れないからとも言えますし、住宅事情の悪さによって自宅でAVが観られないシルバー層は意外に多いとか、理由はいろいろ考えられますが、やはり物語の文脈の中でエロスに耽溺したいという客層があるからではないかと思われます。
AVは、ビデオの特性を生かして、ドラマではなくドキュメントの方向に進化しました。ピンク映画では例外的にしか見られない「本番」(演技ではなく本当にセックスをすることですね)は、今やAVの基本条件にもなっています。もちろんリアルにセックスをそのまま収録した方がオナニーのネタとしては優れていると言えるでしょう。でも、スポーツ中継よりスポ根ドラマが観たいとか、警察ドキュメントより荒唐無稽な刑事ドラマやハードボイルド、推理ミステリーが好きだという人がいるのと同じ理由で、リアルなセックスドキュメントより荒唐無稽なセックスドラマに酔いたいという層は少数派ではありますが、確実に存在するようです。もちろん戦地ルポタージュも戦争の生の姿を伝えますが、時として計算の上に作劇された戦争映画の方がかえって戦争の真実を暴きだすことが、稀な例とは言いながらもあり得る、ということは理解していただけるのではないでしょうか。
ピンク映画は、登録商標である「にっかつロマンポルノ」と並べて語られることも多いのですが、比較的予算の潤沢な同シリーズとは明確に区別された、独立プロダクション系の低予算作品群につけられた名前でした。
「おくりびと」でアカデミー賞を受賞した滝田洋二郎監督がピンク映画出身であることは有名ですが、他にも若松孝二監督、高橋伴明監督、「ヒーローショー」の井筒和幸監督、「それでも僕はやってない」の周防正行監督など、多くの天才が、そのキャリアをピンク映画からスタートさせています。
それは、低予算ゆえの風通しのよさに起因したのだろうと思われます。一時期は日本で映画監督として成功するための登竜門、などと言われたりもしていたようです。
とは言いながらも、映画館の老朽化や代変わりでピンク専門の映画館はどんどん閉館され、現在では全国で70~80館くらいだと聞きます(あ、まだそんなにあるんだ、とも思いますが、例えばビデオ、DVDレンタル店が8000~10000店舗あることを考えれば、ピンク映画がAVと比べてどれだけ商業として小規模かわかるでしょう)。配給収入で利益を得る映画会社も製作本数を減らして経費削減に努めるしかなく、今度こそピンク映画は消滅しようとしています。年間製作本数は60本前後。AVは500本とか、直販品を数えると1000~2000本以上だといいますからまさに十分の一とか、三十分の一とかとにかく比較にならない規模ですね。
またデジタルビデオカメラ、パソコン映像編集ソフトなど、民生機器の飛躍的向上で、現在では自主製作でもプロと変わらないクオリティの作品を作ることが可能です。つまり、無理にピンク映画でデビューする必要はなくなり、若手監督の登竜門としての役割も終えているのです。
現在のピンク映画の作り手の多くは、まともな映画は監督させてもらえないけどプロでいたい、という才能も実績も中途半端な監督くずれの吹き溜まりの様相を呈しています(俺もそのひとりですね)。で、さらにタチが悪いのは、本来のズリネタ提供という職業上の責務を離れて、表現の場であると思い込んではばからない勘違い監督が少なからず存在するということです(あ、もちろん俺もそのひとりです)。
そしてそんな責務放棄の開き直りを認めてしまう微温湯的な甘さが業界全体を包んでいる。ファンの方々もそれを許している。それどころか一緒になってああ、面白い、ぬるぅいぬるぅいあまぁいあまぁいきもちいいぃぃぃ、などと悪習を助長している。一般のひとにも観て欲しいぃぃぃ女性客にも観て欲しいぃぃぃ普通の映画より面白ぉぉぉぉおぉいって、そんなわけあるかよ、馬鹿が。
というのが、だいたいまあピンク映画というものです。商業として成立し、あるいは成立させようとシビアに切磋琢磨し、男性たちの性欲昇華の一助としてその中心的役割を果たしているのが、AV。もともとそのために作られたのにもうとっくに役割を果たせなくなってヤケクソみたいに迷走を続け、自滅をまぬがれようともがいてよけいに自滅の道を突き進んでいるのがピンク映画、と言えるでしょう。
さて、めろさん。ブログを拝読すると、大変に魅力的な女性のようですね。勘違い男ホイホイですか。いい男はちっとも近寄ってこないのに勘違い男、キモメンばかりがゾロゾロホイホイ言い寄ってくる。セクハラの嵐の中の孤軍奮闘はさぞかしストレスが溜まるでしょうね。ご自分で分析なさっているように、優しそうな風貌や語調が誤解を招いているのでしょう。
つまりそれがピンク映画的ということなのです。
癒されたい癒されたいあああこの世界は地獄だ地獄だだって誰もヤラせてくれないぞイケメンばかりもてはやしやがってクソ死ね殺す殺す殺してやるこの勃起してやまない俺のちんちんをどうしてくれるおまえなぜ俺を愛さない殺す殺す死ね死ね死ね。あ、なんだかあっちは甘ぁいぞ優しぃくしてくれるかもだぞぉうれしいなうれしいなヤラせてくれるかもだぞ企画通してくれるかもだぞ監督させてもらえるかもだぞなぁにヤラせてくれないならレイプしてやればいいんだ力は俺の方が強いしあの程度の目力で俺の性欲を押しとどめられるものならやってみやがれ女が女どもが振るのか俺を振るのか面白いんだよ俺の映画はすごいんだよ俺のちんちんは愛さないのかそうかそうなのか愛さないのかならストーカーしてやろうか裸の写真を撮って看板にしてやろうか百万くらいなんでもないぞ俺を傷つけるヤツいは思い知らせてやるけけけけけっけえけけ。
かくなる上はあきらめて勘違い男たちの生け贄としてその身を捧げてくださることを切に願います。
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