【大相撲のブランド学②】横綱制度を築き上げた先人のプロデュース力
1300年以上もの歴史があると伝えられている相撲。その日本国有の競技は、単なるスポーツという枠にとどまらず、神事、文化、興行として長きにわたり守り抜かれ、今なお観客動員数やテレビ視聴率において抜群の人気を誇り続けている。壮大なる大相撲ブランドは、いかにして作られてきたのだろうか。相撲ジャーナリストの荒井太郎氏が3回にわたり、その秘密を解き明かす。
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髷の魔力
髷を結った力士たちは相撲を生業とするプロスポーツ選手であると同時に、わが国古来の伝統文化を今に伝える伝道師の役割も担っている。同じプロスポーツ選手でもその点がプロ野球選手やサッカーのJリーガーといったアスリートたちとは決定的に違う。
無名の力士でも髷があれば通りすがりに記念撮影をせがまれ、老人ホームへ慰問に行っておじいちゃん、おばあちゃんたちと握手をすれば涙を流しながら喜ばれる。お相撲さんに抱っこされた赤ん坊は丈夫に育つと昔から言われ、昨今は力士に"お姫様抱っこ"をされたがる女性が後を絶たない。髷の魔力というのはかくも絶大なのだ。
明治維新後、断髪令を免れた力士たちは引き続き髷を結うことを許され、今日に至っている。大相撲がこれほどの繁栄を築くことができたのも、髷を力士の象徴たらしめたように先人たちの卓越したプロデュース力に負うところが大きい。その最たるものが横綱制度であろう。
横綱になるには大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を残し、なおかつ品格も抜群でなければならない。横綱推挙状には「品格、力量抜群に付、横綱に推挙す」とある。こうして番付の最上位に上り詰めると降格することはない。その代わり、負けが込めば待っているのは「引退」の二文字しかない。ボクシングのチャンピオンなら一度、陥落してもまた這い上がればいいが横綱にはそれが許されず、過去には若くして綱を張ったものの十分な結果を残せず、力士寿命を全うすることなく土俵を去ったケースが少なくない。
他のスポーツのチャンピオン制度とは違い、常に勝ち続けなければならないという不条理さを包含している横綱制度だが、それこそが横綱は単なるチャンピオンではないという大きな付加価値を与えている。
横綱の権威
横綱制度は寛政元(1789)年、当時の強豪関脇だった谷風と小野川が相撲の家元である吉田司家から横綱免許を与えられたことを嚆矢とする。ちなみに当時の横綱は現在のような地位ではなく、強豪力士に与えられる称号であった(横綱が地位として明文化されるのは明治42年2月から)。
同年11月場所7日目、横綱免許を受けた谷風、小野川が麻で編んだ縄を廻しの上から腰に巻き、地鎮祭の四股踏みのような儀式を土俵上で披露したのが、横綱土俵入りの始まりである。江戸時代の風習として城や邸宅を建てるときの地鎮祭において、大関2人を招いてお祓いの地踏みを行っていたが、吉田司家がこの儀式にアレンジを加えて考案したのだった。
当初は1回限りのイベントだったが、39年後の文政11(1828)年に阿武松が横綱を免許されて以来、恒常的な制度として確立され現在に至るが、厳かな雰囲気を醸し出す横綱土俵入りはその権威を見事なまでに演出してはいないだろうか。
SNS全盛の現在、昭和の時代には圧倒的な輝きを放っていた各界の権威は様々なところで綻びを見せ、手が届かなかったアイドルには今や会いに行けるようになった。そんな時代になっても横綱の権威は、先人たちが考案したストーリーを何層も纏うことで保たれている。
「神」にまつわる演出装置
大相撲の世界において、こうした“演出装置”は様々な場面で施されているが、そのほとんどは「神」にまつわるものだ(もともと神事の側面もあるので当然と言えば当然だが)。例えば、本場所が始まる前日に行われる土俵祭では神様を土俵にお招きし、千秋楽の神送りの儀で再び天にお送りする。また、力士たちは無病息災を祈るために土俵上で塩を撒き、力水と力紙で戦う前の体を清めるのだが、塩、紙、水を用いるのは神道の禊祓いの形を取り入れており、このあたりのセンスには唸るしかない。
勝ち力士が懸賞を受け取る際は行司の軍配に向かって左、右、真ん中の順に手刀を切るが、これは五穀の守り三神への感謝の意とされ、左が神産巣日神(かみむすびのかみ)、右が高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、真ん中が天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)となる。この手法が制定されたのは意外に新しく昭和41年7月場所からだ。
土俵の上に垂れ下がる青、赤、白、黒の4色の房はそれぞれ春、夏、秋、冬の四季を表すが、これに古代中国の四方の守り神である青龍(北東)、朱雀(南東)、白虎(南西)、玄武(北西)を後から当てはめた。
四季と方角を一緒くたにするという“力技”も時には駆使しながら「神」を興行の演出に巧みに取り込むことでどことなく神秘性を醸し出し、ひいてはそれが大相撲のブランド力を高めていると言えるだろう。大相撲の興行が江戸時代からほぼ形態を変えることなく今も続いている底力は、まさにそこにあるような気がしてならない。
Taro Arai
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。女性向け相撲雑誌『相撲ファン』では監修を務めるほか、相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。