初めまして、
ソエル代表の早瀬莉子です。
まずはこのページを見てくださり
ありがとうございます。
きっとあなたがこのサイトに
たどりついたのは、
かつての私がそうだったように
「好きな英語で安定収入を得たい」
そんな想いがあったからでは
ないでしょうか?
現在私は、翻訳家としても
仕事をしながら自分の事業も運営
しています。
今では、自分でスケジュールを
管理して、三人いる子供達と
好きな場所に旅行に行ける
生活を楽しんでいます。
ですが、最初から私が
こんなに自由な生活が出来たか
というと、全くそんな事は
ありません。。
むしろ、翻訳の仕事に出会う前は
平凡以下も以下、お金も男運も無い
ボロボロのシングルマザーだった
のです。。
当時の苦しかった話をお伝えするのは
苦しい気持ちにもなりますが、
私がどんな想いで翻訳学校ソエル
を立ち上げたのかを知って頂き
たいので、思いきってお話しますね。
こちらには
簡単なプロフィールを。

早瀬莉子
昭和50年生まれ
神奈川県出身
子供3人と夫と家族5人暮らし
新卒でJALのCAに就職するも、
病気で泣く泣く退職
病気を克服し、
単身シンガポールに渡り
東芝シンガポールTV事業部で
社内翻訳・通訳として働く
日本帰国後、結婚するが2歳の息子を連れて離婚
しばらく露頭に迷うが、
楽天株式会社で社内翻訳・通訳として働く
楽天株式会社を退社、
翻訳業務を請負ながら、自分の事業を運営。
ソエル翻訳学校を設立。
それではここからは
私の長いプロフィールになります。
私は今40代なので、
アラフォー世代の方には
共感して頂ける
ストーリーになっている
と思いますが、
だいぶ長いので、具体的な翻訳業務や、
どんなビジネスやってきたのかだけを
知りたい方は、
「悪戦苦闘した
東芝シンガポール
TV事業部での翻訳業務」
以降から見て頂くのををお勧めします。
はじめに

現在は私は好きな時に
自分でも翻訳の仕事をしながら
このソエル翻訳学校を運営、
また、それ以外にも
3つの事業を運営しています。
好きなこと、
やりたいことを仕事に
生活が出来るようになったと
10年以上をかけて、
ようやく言えるように
なりました。
もちろん最初から上手く
いったわけではなく…。
特に結婚して玉の輿に乗れば
人生ゴールだと考えていた
浅はか過ぎる夢が壊れ、
当時2歳だった息子を
連れて離婚した頃は本当に
ボロボロでした…。
当時の苦しかった話も、
私がどんな想いで翻訳学校ソエル
を立ち上げたのかをお伝えしたい
ので、後々思い切ってお話しますね。
英語が大好きだった
学生時代

小・中学時代は、とにかく負けず
嫌いで、勉強もスポーツも一番では
ないと気が済まない勝ち気な子供
でした。
「勉強が好き」というよりは、
1番になりたいから常に頑張って
いたタイプ(笑)。
ですが、小学校4年生の時に
英会話教室に通っていた
親友が、
「りんごの事はAppleって
言うんだよ〜」
と自慢気に話しているのを聞き、
内心では嫉妬しながらも
「英語ってなんだか
かっこいいな」
と思ったのです。
生まれて初めて、
「1番になるためではなくて、
純粋に興味があるもの」
が私にとっては英語でした。
私は、自分の両親に、
「私も英語の教室に通いたい!」
と話してみたのですが、
「まだ小学校で習うのは
早いから、今は学校の勉強を
した方がいいわよ」
と、通わせてもらえず。。
それでも英語を勉強したいと
言う想いは諦めきれず、
お小遣いで
「NHKラジオ 基礎英語」
のテキストを書い、親には内緒で
こっそり英語を自分で勉強し
始めました。
親には内緒で、、と言うドキドキ感も
あったからだと思いますが(笑)
初めて目の前に広がった英語の世界に
夢中になりました。
基礎英語のテキストの中で、
「トムソーヤ」や、「赤毛のアン」
の小説の一節が紹介され、
原作を読める、という事に
とても感動しました。
今思えば、
これが私にとっての初めての
「翻訳」
という体験でした。
スチュワーデスの夢が
病気にぶち壊された日

その「英語が大好き」と言う
気持ちをずっと持ち続けて
いたのと、海外に憧れが
あったので、
小学生の頃から、
将来は
「スチュワーデスになりたい」
と考えるようになりました。
「大好きな英語を使いながら
世界中を飛び回れるなんて!
なんて素敵な仕事なの!」
と、もう頭はCAになる事以外
考えられなくなりました(笑)
そこから私はCAを目指して
猛勉強を重ねて
大学まで突き進み、
念願だったJALのCAとしての
採用が決まったのです!
これから夢だったCAとして
薔薇色の毎日が待っている
と思っていた私でしたが、
フライトをスタートして
1年もしないうちに、
何かを食べると胃が重苦しく
なり、とても立っていられない
と言う症状に悩まされ始めました。
病院をいくつも訪ねた結果
お医者さんに言われた病名は
「自立神経失調症」。
病院で出された薬を飲んでも、
さまざまな民間療法を試しても
症状は一向に良くならず、
まともに食事も出来なくなり、
スチュワーデスに戻ることも
叶わない現実に、
私は毎日泣きながら、
「死にたい」
と思っていました。
最終的にはフライトも出来なく
なり、私は泣く泣く
スチュワーデスを辞める選択を
迫られました。
私はスチュワーデスに
戻りたい気持ちでいっぱい
でしたが、
その時の体と精神状態では
とてもフライトが出来ない事を
十分に自覚していました。
今こうして書いていても、
もう20年以上も前のことなのに
悲し過ぎて涙が出てきて
しまいます…。
私は泣きながら、
スチュワーデスの制服を
羽田のCAステーションに返却に
行きました。
そしてJALを退職しました。
あの時の辛くて悲しくて
悔しい気持ちは、今でも忘れようと
思っても忘れる事が出来ないほどです。
病気をようやく克服し、
単身シンガポールへ。

そんな私が人生をもう一度
やり直そうと思うきっかけに
なったのが、
実は
「英語」
でした。
大学時代に、短期の交換留学プログラムで
訪れた時に友達になった、シンガポール人の
友達からの一枚の絵葉書が、私に一筋の
希望を与えてくれたのでした。
シンガポール人の友人から届いた
絵葉書には、
「How are you?
Come to Singapore again,
miss you a lot!」
とメッセージが書かれていました。
私は、大好きなシンガポール人の
友人ともう一度会いたい。
また英語で楽しく話しながら、
美しいシンガポールの街を
歩きたい。
そう心から思いました。
「まだ自分は20代半ば。。
もう一度人生をやり直せるはず。」
と決意した私は、
それから日本でも有名な心療内科の
先生を探し、京都に日帰りで診療を
受けに行ったり、
ひきこもってばかりいた生活に
終止符を打ち、社交ダンスを
習ってみたり、知り合いに紹介された
事務のアルバイトに
頑張って通うようになりました。
そのかいがあったのか、
体調は本当に少しずつですが、
改善していきました。
そして2年以上が経過し、
気がつくと多少の症状は
ありましたが日常生活を問題なく
過ごす事が出来る様になっていたのです。
その時、私はふと、あの時
絵葉書を送ってくれた
シンガポール人の友人の事を
思い出しました。
「もう私も20代後半…。
海外でずっと暮らしてみたいと
思っていたけど、今が最後の
チャンスかもしれない。」
私はそう考えると、
すぐにシンガポールに単身働きに
行くための準備を始めたのです。
そこから、海外の仕事を紹介してくれる
エージェントに登録をし、
実際にシンガポールへ渡り、
何社か採用面接を受けました。
そして、採用されたのが、
東芝シンガポールでの翻訳の仕事
でした。
悪戦苦闘した
東芝シンガポール
TV事業部での翻訳業務

何もかもが初めての
海外での仕事…。
初日からガッチガチに緊張して
東芝シンガポールに出社した
私が配属された先はTV事業部でした。
今までTVは見る側としては
興味がありましたが(笑)
TV機器そのものについては
全く知識がありません…。
私を、TV事業部が採用して
くれた理由は、
駐在として赴任してきた東芝
社員のおじさん等は英語が
苦手な方がほとんどなので、
現地のシンガポール人
社員との調整から、
会議、取扱説明書
資料の翻訳、
会議での通訳、
などなど、をおじさん等に
わかる様に通訳・翻訳を
して欲しいとの事。
通訳の方は、
シンガポール人の話す英語は
構造的にはシンプルなので、
そこまで難しくなかったの
ですが、
一番苦労したのは
TV機器の取扱説明書の
翻訳です…。
専門用語の知識が元々
ない中、それが英語に
なっている物を訳す、
という仕事が最初は非常に
難しく、
苦痛で苦痛で仕方
ありませんでした。
取い説明書の翻訳業務が続く時は、
あまりの苦手意識から気持ちが
落ち込み、日本に帰りたいと
涙ぐむ日もありまし…。
とはいえ、せっかく採用が
決まった仕事だったので、
本当に少しずつ専門用語に
慣れて行くところしかないと
決意しました。
毎日ネット辞書を引き、また
駐在員さんに質問をする、
の繰り返しで、四苦八苦
しながら翻訳をこなして
いましたが、
半年もすると、段々と
専門用語にも慣れ、
質問をしなくても
翻訳が出来る様
ようになってきました。
1年も経つと、TV事業部の
英語関係の仕事は全てこなせる
ようになり、
それから3年間、東芝シンガポール
で社内翻訳・通訳としてキャリアを
積む事が出来ました。
日本への帰国、
そして結婚から
わずか2年で離婚へ…

東芝シンガポールで
社内通訳・翻訳として仕事を
しながら、3年が経過すると、
年齢も30才手前になり、
日本への帰国を考える
ようになりました。
シンガポールにもたくさん
の友達が出来て、大好きな国
でしたが、
やはり帰国して、日本人と
結婚したいと思っていたからです。
そして、日本へ帰国をしてから、
友人の紹介で知り合った、
経営者の元夫と結婚しました。
結婚生活のスタートは、
経済的にも恵まれ、すぐに子供も
出来たので、友達からは羨ましがられる
ほど順風満帆でした。
ですが、息子が2才になり、
「私も仕事がしたい」
と夫に話す様になると、
専業主婦を希望する夫と全く意見が
合わず、事があるごとにぶつかる
ようになったのです。
いつもいつも不機嫌な夫と
これ以上結婚生活を続けられないと
ストレスもマックスになっていた頃、
激しい喧嘩をしてぶつかりあい、
とうとう私は息子を連れて逃げる様に
家を出てしまいました。
夫からは何度も
「やり直したい」
と連絡があったのですが、
もしまた今度夫婦喧嘩があったら、
私だけ追い出され、息子に二度と
会えなくなってしまうのではないか…。
夫には経済力があった分、息子を
取られるのが恐ろしく、とても
戻る気にはなれませんでした。
1本の電話が蜘蛛の糸に
楽天に翻訳業務で採用

息子を連れて2人で暮らし始めた
ものの、一番困ったのはやはり
お金の事です。
夫は私がもう戻ってこないと
見限ると、養育費も一切入れてこなく
なりました。
マザーズハローワークにも通い、
いろいろな会社を探してみましたが、
やはりシングルマザーという条件で
採用してくれるところはなかなか
ありません…。
この先息子と私はどうなってしまうの
だろうと、毎晩息子の寝顔をみる
度に涙がこぼれました。
このまま露頭に迷ってしまうのかと
絶望的になっていたのですが、
そんなときにシンガポール時代の
日本人の男友達から急に電話が
かかってきたのです。
「おぉぉ、久々!
今楽天の国際部で英語が出来る人
探してるんだけど、誰かいい人
いない?」
と開口一番に言われたので、
私は、まさに蜘蛛の糸が
下がってきたとは
この事だ!!と
「よかったら、私を採用して
もらえないかな?今すごく
仕事に困ってて…」
と一気に事情を説明しました。
その話を聞くとその友人は、私が
シンガポールでは東芝で翻訳業務を
していた私の事を知っていたので、
一度それでは楽天の社内翻訳の試験を
受けてみてはどうかと勧めてくれたの
です。
私は息子を育てていくためにはもう
この仕事にかけるしかない!と
社内翻訳の試験まで死ぬ気で
勉強をする事にしました。
子供が寝てからも、社内翻訳に通じると
思える問題集や、英文の事例集を勉強
したかいがあり、
私は楽天の国際部でまた社内通訳・
翻訳として採用してもらえる事
になったのです。
また、私は
「英語」
に、人生を救ってもらう事が
出来ました。
やはり最初は、IT系の専門用語
に慣れるのが大変でしたが、
周りの同僚が親切に教えてくれたので、
徐々に慣れる事が出来ました。
また、まだその頃は、楽天にも英語を
話せる人が少なかったので、
秘書業務の通訳・翻訳業務や、
社内の英語教育担当
なども任せてもらえました。
それから、10年近く楽天では
いくつかの事業部を移動しながら
ずっと翻訳・通訳業務をこなすことが
出来、息子も不自由させる事なく
育てる事が出来ました。
キラキラ女性起業家
ブームの実態と
「キャリア形成の大切さ」

そして、30代半ばを過ぎると、
自分の通訳・翻訳業務の仕事も
安定し、生活に不安がなくなってきた
のと同時に、
自分自身、また新しいチャレンジを
したくなったのです。
その当時、世の中は
「起業ブーム」で、
私も流行っていた「キラキラ女性起業家」
に憧れ、様々な起業塾に入り勉強しました。
ところが、実際にそういった起業塾に
入塾してみると
成功して稼げる女性は本当に僅かですし、
また、一旦売り上げを挙げられても継続
出来る女性も、もっともっと少ない実態を
知りました。
私はといえば、何年もかかりましたが、
かなりニッチなジャンルで起業したので、
試行錯誤しながら、事業を軌道に
載せることが出来ました。
そこで、楽天を退職し、
在宅で翻訳業務を請け負いながら
自分の事業を運営する事にしたのです。
ですが、その事業を運営する中で、
採用する女性たちと接していて、
「キャリアが無い」という事が
どれほど残酷なのかという実態を
目の当たりにしてきました。
結局これといったスキルの無い女性は
アルバイトをしてもなかなか継続出来ず、
結局また別の仕事を探す…という形で
安定した収入を得る事が出来ない方が
ほとんどだという事です。
もうお孫さんもいる50代の女性が
昼も夜も3つも仕事を掛け持ちして、
フラフラになりながら仕事をしていたり、
離婚がしたくても、経済的に自信が
なく、泣く泣く結婚生活を我慢しながら
子供を育てている女性も沢山いました。
「翻訳家」というキャリアで
全ての女性に一生稼げるスキルを

女性たちのその様な辛い
状況を見る中で、
私自身のことを振り返って
みました。
病気でCAを辞めた時も、
1人息子を連れて離婚した時も、
この先どうしようと露頭に
迷った時、いつも
「英語」
というキャリアが私を
助けてくれました。
英語の仕事といえば、
世の中には沢山ありますが、
翻訳の仕事は
時間にも縛られず、特に女性に
とっては子育てしながら
在宅で業務を行う事が出来ます。
また、やればやるほどキャリアに
なるので、年齢に縛られる事も
ありません。
全ての女性が、コツコツと
努力をすれば、安定して収入を
得る事が出来る、
「翻訳」というスキルを身に
つけられる仕組みを作れたらと
考えるようになりました。
ですが、私自身は翻訳の仕事に
携わってきましたが、教職のプロでは
ありません。
そんな時に、ご縁があり、
ビジネスパートナーから
佐藤謙治先生をご紹介頂く事が
出来ました。
佐藤先生は、
教職20年、翻訳家デビューまでの
基礎力を押し上げるスキルで定評の
あります。
実際に、佐藤先生の教え子の方で
翻訳家デビューをされた方から
佐藤先生の実力もお聞きしました。
そして、佐藤先生の教職にかけ
る熱い思いや、
また、私と同様に、
女性のスキル形成へ
貢献したい気持ちを共有する事と
なりました。
そして、今回創立したのが
この
「翻訳学校ソエル
女性専門翻訳家養成アカデミー」
です。
Soweluの語源は、古代ルーン語で
「太陽」。
「一生輝き続ける女性を
支え続ける存在でありたい。」
という想い込めて名付けました。
家事や子育てで忙しい女性のために、
短時間で効率よく、翻訳家としてお仕事を
して頂けるために、私たちが全力で皆様を
サポートさせて頂きます。
最後になりますが、
女性の人生はこれから100年時代と言われ
ています。
年を取ればとるほど、翻訳の
スキルを磨き、経済的にも豊かになれる。
そして女性としても輝き続けられる
女性を排出していく。
これが私たち、ソエルの理念です。
ぜひ一緒に翻訳家への扉を開きましょう。