「性的多様性」を主張するためだったと思うけど
「性の主張」は
「性の事実:ヒトがメスかオスのどちらか」の上での話であるものを、
「事実=主張の土台」を素通りさらには否認する展開をしているので、
「砂上の楼閣」とか
「虹の向こうに」とか
「蜃気楼」とか
そういうものでしかない。
横道
Story of My Life-1 対訳
http://noelani.seesaa.net/article/411303598.html
And I been waiting for this time to come around
But baby running after you is like chasing the clouds
● 現実否定
LGB、同性愛と両性愛は「性愛対象」についてであって「身体への否定」はない。
Tは「身体への否定」を土台にする。
「生まれた時はM/Fで」←受精で決定・永遠不変
「生まれた時にM/Fを割り振られ」←性別を人為設定とする、生物への否定
「間違った性別身体で生まれ」←受精からの否定・存在全否定
「すごく綺麗な女性になってみせる」←「妄想の女」へのコスプレに励む宣言
● 可不可
「トランスセクシャル(異セックス指向の人)」が
「トランスエイブルド(障害指向の人)」と
【自己の身体イメージの異常】として共通する、というのはそうだが、
「異セックスになる」は不変不可能、
「障害者になる」は可変可能。※倫理は別途、意向も別途。
※事故や病気による中途障害に本人の指向関係なし。
まとめると
「望んで異セックスになる」は不可能、
「望んで障害者になる」は問題大有りだが可能。
「絶対不可能を指向する人」は
「魔法使いを指向する人」
「錬金術師を指向する人」
「不老不死を指向する人」
どれも同じ。
「絶対不可能を指向し擬態する人」は
「風呂敷を背中に垂らしてスーパーマンになったつもり」
「ほうきに跨って魔女になったつもり」
要するに「コスプレ」。
そもそも、「なるもの」であるならばいちいち「トランス」をつけない。
「パイロットになる!」
教育訓練を受け資格を取りパイロットになった人を
「トランスパイロット」と言わない。
「英語を話せる人になる!」
その通りなった人を
「トランス英語スピーカー」と言わない。
「のし上がってやる!」
その通りなった人を
「トランスのし上がり」と言わない。
別の言葉、「成金」とか「たたき上げ」とかだよね。
だから「トランス何某」と言われて「何某」として対応する必要なし。
翻訳 チンセル語の「トランス」は「非」です
http://lttlleo.seesaa.net/article/476960168.html
●「L独立」が最善と思うが、まずは「LGBA/TP」では
LGBA 同性愛、両性愛、無性愛 性愛ありで指向先で少数者、性愛なしで少数者
TP トランスという認知障害、パラフィリアの病的・加害的性指向
前者は「自由」の次元
後者は「社会性」「精神医学」の次元
セックスカーストの人間社会で
トランスは性別を否定し区分を破壊し、
女性の存在を剥奪し女性を排斥する。
パラフィリアが問題なのは言うまでもない。
パラフィリアとは「男らしさの劇症化」である
http://lttlleo.seesaa.net/article/473147855.html
パラフィリアから見る事例~赤松直樹と宅間守
http://lttlleo.seesaa.net/article/473121124.html
チンセルがペドを擁護する理由:「パラフィリアだから」
http://lttlleo.seesaa.net/article/473133072.html