賽銭を電子マネーで〜?!
12月26日のネット版「産経ニュース」に・・・
お賽銭もキャッシュレス 防犯の利点、仏教界には警戒も
・・・という記事が載った。(以下、青字は、記事の引用)
「キャッシュレス元年」とも呼ばれた令和元年も1週間を切った。その波は宗教界にも広がり、神や仏に奉納する賽銭(さいせん)を、電子マネーで受け付ける寺社も出てきた。小銭を持ち歩かない外国人旅行客への対応や防犯対策で利点があり、利用者の評判も悪くないという。一方、宗教に関する個人情報の流出や課税への可能性を懸念し、「不適切」と訴える声もある。
■「現金にこだわる必要なし」
四国八十八カ所霊場の一つ「平等寺」(徳島県阿南市)。空海が814年に建立した古刹(こさつ)は、昨年12月からキャッシュレス賽銭を試験的に導入した。
本堂にあるタブレット端末に任意の金額を入力し、決済アプリを立ち上げたスマートフォンをかざす。これで賽銭が完了する。
「社会のキャッシュレス化が進む中、寺社も変化する必要があると考えた」と話すのは谷口真梁(しんりょう)住職(40)。
一方、導入後1年間で利用者は50~100人程度にとどまり、割合でいえば1%にも満たないという。
しかし、意義は大きいと考えている。
かつて寺社には現金ではなく、米や野菜を供える風習があった。
これが貨幣経済の浸透で賽銭へと変化した。
谷口住職はこうした過程を踏まえ、「現金にこだわる必要はない」と指摘。
「通貨に代わる新たなものがあれば、検討するのは当然だと思う」と力を込める。
この「現金にこだわる必要はない」という住職の指摘は間違っている。
もともとは現金に代わって米や野菜だったのだから「現金にこだわる必要はない」という論法も違っている。
米や野菜で奉納したのは確かだけれど、昔、石高というくらいで、米は経済として流通したものだった。
貨幣経済となる以前の話である。
やがて、その代わりとして金銭になった。
これの元は神道にある。
もともと「賽」の字は「神から福を受けたのに感謝して祭る」という「お礼参り」の意味がある。
神道で今賽銭をどう考えているか分からないのだけれど、この考えによれば、神道の側としては、電子マネーは受け入れ易いのかも知れない。
仏教としては、賽銭に「喜捨」という概念を考える。
賽銭は投げる。
お金を投げるというのは罰当たり、という感じだけれど、賽銭だけは投げる。
神道的にも「自身の罪を金銭に託して祓う」という考えもあり、必ずしも「神から福を受けたのに感謝して祭る」というものを指して賽銭とは言い切れないものでもある。
それなら「投げる」ということはあり得ないからだ。
やはり、仏教的には「喜捨」であり、神道的にも「祓い」なのだと考えられる。
それは現金でないと意味が無い。
「投げる」という行為にこそ意味があるからだ。
■下鴨神社も導入
東京・港区の愛宕(あたご)神社は、年始の仕事始めの日に限り、キャッシュレス専用の賽銭箱を設けていた。
賽銭で集まった小銭を金融機関に入金する際に手数料が取られることがあり、「せっかくの浄財が減るのを避けたかった」(担当者)。
泥棒対策になることに加え、神社周辺で現金を持たないビジネスマンが増えたことも背景にあるという。
賽銭ではないが、年間300万人が訪れる世界遺産・下鴨神社(京都市)も今年5月から、授与所でのキャッシュレス決済を導入した。クレジットカードや電子マネーを使い、お守りなどへの支払いができる。
「(現金を持ち歩かない)外国人旅行者の要望やキャッシュレス化を進める政府の方針も踏まえて導入を判断した」(担当者)。
現在、授与所でのキャッシュレス決済は、全体の1割程度を占めるという。
「せっかくの浄財が減るのを避けたかった」というのも何だかナサケナイ。
小銭だと余計に手数料が取られるということ?
そういう金融機関があったとしても、クレジットだって、手数料が掛かるんじゃない?
お守りの支払いを電子マネーにするのはいいと思う。
しかし・・
そして賽銭は「対価」ではない。
商品に対する価格では無い。
■「収益行為」?
賽銭などのキャッシュレス化には否定的な意見もある。
京都府内の約1千の寺院が加盟する「京都仏教会」。6月、宗教活動のキャッシュレス化は「不適切で受け入れない」とする声明文を発表した。
同会は、賽銭や拝観などの宗教活動がキャッシュレス化すれば、参拝者や信者の行動や個人情報が第三者に把握されるリスクがあると指摘。
また、手数料の発生により、これまで「宗教行為」とみなされていたものが「収益事業」とされ、課税される可能性も出るなどと訴えている。
一方、売店などで扱うポストカードやお土産などのキャッシュレス化は容認した。担当者は「神道やキリスト教など他の宗教にも私たちの考えをお伝えした」と話す。
キャッシュレスにすると収益事業になるから、とはワタシも誰かに聞いた。
これは今のところ、決まっていないようだ。
これから税務署で検討されるということだと思う。
「賽銭や拝観などの宗教活動がキャッシュレス化すれば、参拝者や信者の行動や個人情報が第三者に把握されるリスクがあると指摘」というはズレてると思う。何言ってんだ?と思う。
ところで、普段現金を持ち歩かない外人さんにも・・・というけれど、賽銭にたいする信仰が無い人はする賽銭行為をする必要はない、と思うよ。
形だけ真似ても、信仰が無くてした賽銭には意味が無い。
信仰が無い人にはしなくていい、という案内があってもいいと思う。
わざわざ電子マネーを使うことはない。
小銭を持っていなければ、賽銭は入れずにお参りだけすればいい。
信仰がある人なら、社寺にお参りする時には小銭持参。・・・これ、そんなに難しいことじゃないでしょ。
当たり前の事として、認識していればいいこと。
そういうものでいい。
それを電子マネーとかやっちゃうと、単なる金儲けになってしまう。
それを寺社がやったら「金儲けですよ」と言ってるようなことになってしまう。
そういえば「トレビの泉」とかに小銭を入れたり、何となくみんながやってるから・・・というのもある。
日本でも、御神木とか、安芸の宮島の鳥居の割れ目にコインを入れるというのは迷惑行為だ。
何となくお金を添える、という意識もあるね〜。
キャッシュレス化は賽銭泥棒対策にもなるというが、ウチでは、賽銭箱の鍵は掛けていない。
泥棒をさせるということは良くないことだけれど、賽銭を取らなければならないほど困ってるなら、どうぞ、とも思っている。
今のところ、泥棒さんは来てないようだけど・・・
もっとも・・・
賽銭を「喜捨」だとか「お礼」だとか「祓い」だと思っている人はいないように思いますけど、ね。
多くは「お願い事への対価」と思ってるかも知れない・・・(^^;)
そういう意味では「信仰」とは言えない・・・か?
この記事へのコメント
賽銭は奉仕活動してくださる地元の方へのお礼・寸志・感謝という意味合いを込めて投銭するのですが、、、
物理的に存在する硬貨を投げて入れる、、、チャリンと発音して、、、
歩いて登壇し、二礼二拍手一礼し帰路へ、、、。
このアナログ的?な行為が尊いのであります、、、
故に便利だから電子化とは、、、違和感はあります、、、。
あのジャランジャランと音を出すのも魔を祓うんだと言いますが。
まあ、大体の人が、寄付、みたいな気持ちですよね。
ありがとうございました、の意味。
喜捨というお布施の意味。
魔を祓う、という意味。
色々あってのお賽銭、ですが、大体は、お願い事をする対価、のように思ってるのかな?・・と思います。
我々の側でキチッとした理屈ができてないですからね〜。
仕方ないですね。