期間限定再掲載:巻き込まれ異世界召喚記SG1話&場面集
プロローグ①
帰り道に足を止め、公園のベンチに座って少年は顔を下に向けた。
尊敬する父がいる。
敬愛する母がいる。
それはとても素晴らしいことだと思う。
けれど父が持つ『名』は凄すぎて、それが子供ながらにも分かってしまうから。
足りない、と。
そう思ってしまう。
周囲がどれほど自分を賞賛しようとも関係ない。
父が誇れる息子になっていないと思ってしまう。
「どうすれば……いいのかな」
父が大好きだ。
父の息子だということに誇りを持てど、嫌だと思ったことはない。
だから足りない。
実力が圧倒的に不足していることに悔しさしか覚えない。
素晴らしい両親から愛されているからこそ余計に苦しい。
「……どうしよう」
「何が『どうしよう』なのよ?」
と、その時だった。
一人の女性が声を掛けた。
その人は少年もよく知る女性で、父とも関わりが深い人物。
「ユイ。あんたはどうして、こんなところで俯いてるの?」
再び問い掛けられて、少年は少し泣きそうになった。
だから、ぽつりと己が胸の裡にある想いを吐露する。
「足りないんです」
「何が足りないと思ってるの?」
「“全て”が足りないんです! 尊敬する父が誇れる息子になれないんです……っ!」
習い事をしていても、賞賛される。
さすがは父の息子だと褒められる。
だけど違う。
敬愛する父の息子として、まだまだだと思っているのに。
もっと色々なことを知っていきたいのに。
これだと前に進めなくなってしまう。
「このまま、足りていないのに賞賛されることが正しいと僕は思えないんです!」
いつか慣れてしまうことが怖い。
勘違いしてしまうのが怖い。
とはいえ女性としては、そのように考える少年に驚きの表情を見せた。
「あんたが良い子だっていうのは、わたしも知ってるわ。あんたのお父さんもあんたを誇りに思ってる」
父親が父親なのだから重圧も凄いだろう。
なのに真っ直ぐ育ち、優しく育っている。
同世代と比べてもたくさんの引き出しを持ち、少年に敵う同世代など王の子供達ぐらいだ。
「けれどあんた自身は足りないと思ってるのね?」
「……はい」
恥じない息子でありたい、と。
誇れる息子でありたい、と。
誰にも譲れない意思がある。
「だったら、そうね」
だから女性は思った。
自分にだけは少年に出来ること。
自分だからこそ少年にやってあげられること。
最強と呼ばれる『大魔法士』の弟子――キリア・フィオーレが『大魔法士』の息子――宮川結人へ送る新しい関係。
「ねえ、ユイ。わたしの弟子になる気はあるかしら?」
プロローグ②
その世界が、少女にとって全てだった。
語られる世界は雄大で、憧れて、揺るぎない。
小さな部屋で過ごす少女にとって、窓から見える景色と絵本の中が『世界』の全てだった。
だから――少女は“あの日”のことを忘れない。
その姿が、いつまでも目に焼き付いている。
その声が、いつまでも耳に残っている。
たった一度だけの出会いだったけれど、それでも消えることはない。
薙いだ剣戟に憧れて、その強さに魅せられて、立ち振る舞いと優しさに温かくなる。
あの時の約束は、今も胸の裡にある。
『君の“居場所”を見つけること。それが僕との約束だよ。そして――』
幼い日々に刻まれた、大切な約束。
絡ませた小指と共に浮かぶ、あの御方の笑顔。
二人でやったポーズ。
今でも鮮明に思い出せる。
だから行こうと思った。
あの御方がいる国へ。
この国では見つけられなくても、あの国であれば見つけられると思ったから。
「ティア。準備は出来たかい?」
祖母の声に頷いて、少女は荷物を持つ。
「向こうで迷惑をかけないように」
「大丈夫よ、おばあちゃん。ちゃんとやるから」
荷物を持って少女を家を出た。
一度だけ振り返って祖母に手を振り、今まで過ごしてきた家に頭を下げて前を向く。
そして右手の小指に一度だけ目をやった後、右手の人差し指と左手の親指をくっ付ける。
さらに右手の親指と左手の人差し指に触れさせて、真正面に突き出した。
指で額縁を作って覗いた後、ティアと呼ばれた少女はそれを壊すように大きく広げる。
「――よし、行くわよ!」
目指すは大国リライト。
この世界において、最も有名な国であり――
――エレスティア・ノーザンライトが約束した、伝説の大魔法士がいる国。
巻き込まれ異世界召喚記SG
簡易的第一話――出会った二人
セリアールという世界が、日本からやって来た異世界人によって救われてから二十年弱。
今日も平和な日常が繰り広げられていた。
「結人、リオネ。今日から学院が始めるけど準備は大丈夫?」
リライトと呼ばれる国で、とある一家の長は朝から息子と娘に話し掛ける。
見た目的には三十代の後半に差し掛かった頃だろうか。
温和な表情で朝食を摂りながら、二人の子供のことを気に掛けた。
「僕はもう大丈夫です。リオネは?」
「私も問題ありません。準備万端です」
結人、と呼ばれた少年は十七歳。
父の面影を残しながら、少しばかり母の要素も入っている。
どちらかといえば格好良いと呼ばれる少年だ。
彼は父も通ったリライト魔法学院と呼ばれる学校に通っており、今日から二年生となる。
一方、リオネと呼ばれた少女は十四歳。
リライトの宝石と呼ばれるほど美しかった王族――アリシア=フォン=リライトと双璧を成すと称された美貌を持つ母から受け継いだ容姿は、端的に美少女と言えるだろう。
こちらは普通の中等学校に通っており、普通に穏やかな日々を過ごしている。
すると父と子供達のやり取りを微笑ましく見守っていた母親も口を挟んだ。
「そう言った優斗さんは、ちゃんと準備できていますか?」
「もちろんだよ、フィオナ。昨日のうちに終わらせてるからね」
出会ってから二十年近く経っている二人だが、未だに空気は変わらず柔らかい。
一家の長――宮川優斗はこの世界の人間ではない。
異世界から召喚された人間だ。
さらに言えば世界を救った大魔法士と呼ばれており、現存する伝説でもある。
目の前で美味しそうに朝食を食べている様子からは全く想像できないが。
加えて彼の妻であるフィオナも、リライト最強の精霊術士と呼ばれている。
こちらも三十後半にして変わらない美しさに目を向けると、どうして強いのかと理解に苦しむ。
「父様は今日、何かあるのですか?」
準備があるということは、何かあるのだろうと結人が尋ねる。
すると優斗は笑って、
「今年は僕が入学式で祝辞を言わないといけないからね。だから魔法学院に行くんだよ」
「えっ? でも去年は修叔父様がやってましたよね?」
「基本的には一年ごとに交代でやってる。去年は修がやったから、今年は僕の番ってこと」
そう言って朝食を食べ終わった優斗は、席を立った。
「リンは入学式で、もう出てるみたい。だから二人も遅刻しないように」
◇ ◇
優斗から少し遅れて結人とリオネが家を出る。
中等学校と魔法学院は通学路が途中まで一緒なので仲良く歩いていると、見覚えのある顔があった。
「あれ、修司?」
結人と同じ黒髪の少年が振り向く。
その容姿は伝説の大魔法士と相並び、幻と呼ばれた始まりの勇者である存在にそっくりだ。
「おっ、結人とリオネじゃん!」
修司と呼ばれた少年は振り向くと、二人のことに気付いて笑みを浮かべる。
そして見せびらかすように制服を纏った自身の姿を広げた。
「どうよ、この制服! 意外と似合ってるだろ?」
結人より一つ下の修司は、今日がリライト魔法学院の入学式だ。
幼馴染みの二人に制服姿を見せるのも今日が初めて。
だからこそ見せつけるのだが、結人とリオネは彼の姿をマジマジと見て苦笑してしまった。
「似合ってはいるんだけど、昔の修叔父様とそっくりだね」
「はい。写真で見た姿に瓜二つです」
昔と制服のデザインはほとんど変わっていないため、学院時代の修がいるかのように錯覚するほど修司は父親に似ている。
「というか修司、今日からは僕のことを呼ぶときに先輩を付けてくれないかな?」
「えっ、またかよ? 面倒なんだけど」
「面倒でもやるんだよ。中等学校の時と同じように、敬語を使えとは言わないから」
「へいへい、結人先輩」
そう言った修司は、ふと一人足りないことに気付く。
「そういやリンはどうしたんだ? あいつも入学式だったろ?」
「先に行ってるよ。むしろ入学式なのに僕達と同じ時間に出てる修司が遅い」
「父さんと母さんに言ってくれ。あの二人に付き合って遅くなったんだからよ」
制服を着た修司を見てテンションが上がった両親に、あれやこれやと写真を撮られまくって遅れたらしい。
「ライドとかも今日、会えるのか?」
「ライド先輩は生徒会長だし、他の面々も何人かは生徒会にいるから入学式に参加してるし会えると思うよ……っていうかライド先輩を呼び捨てにするなら、捨て身の覚悟でしなよ。あの人、信奉者の集まりみたいなファンクラブとかあるし」
「マジかよ?」
「修司が王子でも、ぶっちゃけ旗色は悪いよ」
幼馴染みの一人であるライドは、超絶イケメンの生徒会長だ。
結人より一つ上の三年だが、その人気は他の追随を許さない。
「中等学校でもライドさんのファンクラブに入っている人がいますよ」
「えっ、そうなの?」
「はい。私も幼馴染みですし、時々ですけど写真やサインを貰えないかと強請られます」
「……うわ~、そっちにも被害がいっているのは驚いたよ」
リオネが結人の言葉に苦笑したところで、ちょうど中等学校と学院の分かれ道に到着した。
「それでは私はこっちなので、お兄様も修司さんも気を付けて登校して下さいね」
「何を言ってんだよ? リオネは美少女なんだから、そっちが気を付けて登校しろよな」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってリオネは二人から離れていく。
まあ、大精霊の守護もあるから問題はないのだが、気を付けるに越したことはない。
それからは修司と二人で学院に到着すると、そこで別れた。
結人は掲示されているクラスを確認して、教室に到着する。
クラスメートのほとんどは見知った顔だったが、その中で結人には見慣れた光景が広がっていた。
なので鞄を置いて早々、結人はそこに歩み寄る。
視線の先にあるのは机に広がっている図面と、そこに必死に何かを書き込んでいる少女。
母親の容姿を受け継いで美しいのだが、眼鏡を掛けて唸っている姿は父親にそっくりだ。
「……あのね、雫。わざわざ教室で図面を広げる理由はあるのかな? というか、ちゃんと寝たのかな?」
ポン、と肩……ではなく頭を鷲掴みする。
掛けられた声と行為で相手が誰なのか気付いた少女は、ビクリと身体を震わせた。
「ち、違うぞ結人! 昨日はしっかりと寝たのだ! ただ、寝る間際に思い付いてしまったから図面に残しているだけで……っ!」
「始業式でそれをやる必要はあるの?」
「わ、忘れたらどうするのだ!?」
「忘れたら頭をぶっ叩いて思い出せてあげるから大丈夫」
そう言って結人は机の上にある図面を片付け始める。
「ああ……っ! 今度こそ父上に勝てるかもしれないアイディアが!」
幼い頃から変人の名をほしいままにしている彼女は、今日とて通常運転だ。
そして自分と彼女の関係も、父親の代から二代揃って同じ。
「あのね、雫。僕だって普段は言わないけれど、新しいクラスになって初日からそれはない。今日はすぐに帰れるんだから、そこまで我慢してね」
「だが私は今すぐに書き起こし、検証をしたいのだ!」
「学院が終わってからだよ。それが出来ないのなら君の弟やリステルに留学してる卓弥にも話を通して、君が意気揚々と僕達に見せた欠陥図面をばら撒くことになるけど」
「うっ……、ずるいぞ結人! あれが私の恥だと知っているというのに!」
「だから脅しに使えるんでしょうが」
机の上を綺麗に整頓し、図面を彼女の鞄にしまい込む。
いきなり起こった二人のやり取りに周囲は呆然と……しない。
ほとんどのクラスメートは二人の関係性を知っているし、雫の生態も知っている。
むしろ見慣れたやり取りで、気にすることがない。
驚いた表情を浮かべているのは、結人と雫のことを知らない人だけだ。
それから少しして、担任の教師がやってきた。
新しいクラスになったことで、各々が自己紹介を始める。
顔馴染みが多い中で、やはり注目されるのは新顔。
「エレスティア・ノーザンライトです。今日からリライト魔法学院に転入しました」
聞き覚えがない名前と、見覚えがない容姿。
結人はちらりと自己紹介をしている少女に視線を向けた。
彼女は堂々とした様子で、長い銀髪を少しだけ揺らして頭を下げる。
「レイズール王国から来たばかりなので、右も左も分かりませんが仲良くして下さい」
そう言って座った彼女にクラスメートが拍手を送る。
結人も知らない国だから、おそらくは遠方だろう。
珍しいところから来たんだな、と淡々とした感想を抱く。
そして数人の自己紹介が挟まって、結人の番となる。
「ユイト・ミヤガワです」
自己紹介といっても、大げさに説明することはない。
というよりしっかりと言ってしまえば、自慢と思われかねない。
なので簡素に自己紹介を纏めようとした結人だったが、ふと自分の名前を聞いて振り向いた少女がいることに気付いた。
――ノーザンライトさんは、僕が誰の息子なのか分かったみたいだね。
ほとんどのクラスメートは結人が誰なのかを知っている。
けれど結人のことを知らずとも、彼の苗字を知らない者はいない。
だからこそ結人は誇らしかった。
蘇った伝説であり存在する御伽噺。
唯一無二の二つ名――〝最強〟の意を持つ『大魔法士』。
このような父に対して、敬愛以外の感情を持てるわけがない。
今頃、父は入学式で挨拶をしている。
きっと新入生が全員、尊敬の眼差しで見ていることだろう。
いや、父を前にすれば世界中の人間はほとんど、同じような眼差しを向ける。
自分だってその光景を見る度に、父が誇れる息子で在ろうと思えた。
「今日から一年間、よろしくお願いします」
けれど父が凄いからといって、決して傲慢にならず。
されど必要以上に卑屈にならず。
思っていることを最小限、声にして結人は自己紹介を終える。
◇ ◇
それからは今年のスケジュールを簡単に教師が説明して、始業式は終わった。
結人は雫を彼女の実家に叩き込んでから、帰宅の道を歩く。
今年も彼女の面倒で色々と大変そうだ、と苦笑しながら歩いている……途中だった。
ふと視線の先に、今日見知った転入生の姿があった。
――ノーザンライトさん?
彼女は何かを探すように周囲を見ていたが、不意に結人の方向を向く。
そして結人のことを認識すると、銀の長髪をふわりと揺らしながら結人の前に立った。
この行動で自分に用がない、と思うのは難しい。
「えっと、ノーザンライトさん? もしかして僕を探してた?」
「ええ、その通りよ」
結人の問いにはっきりと頷いた少女は、確認するかのように問い掛ける。
「確認なのだけど、貴方のお父様が大魔法士様だというのは間違いないかしら?」
「そうだと言ったら、どうするつもり?」
結人にとって、その問いはいつものことだ。
今日、転校してきた少女が自分に声を掛けるということは、父を紹介してもらいたいか父のサインをもらいたいか。
どちらだろうかと結人は考えたが、彼女の視線を受けてしまえばすぐに違うと気付いた。
打算ではなく、浮ついた気持ちでもなく、まるで希うかのような視線。
もっと単純に、もっと強い願いがあると思わせるほどの瞳を彼女は結人に向けた。
そして、
「いつかでいいから、私に会わせてほしい。お願いできるかしら?」
今すぐに、ということではなくて。
けれどどうしても会いたい、ということが分かるほどの強い声で。
エレスティア・ノーザンライトははっきりと、結人に己の願いを告げた。
「理由を訊かせてもらってもいいかな?」
だからだろうか。
結人も理由を問いたくなった。
どうして父に会いたいのか。
どうしてそれほどの意思を持っているのか気になった。
少女は一瞬だけ逡巡した様子を見せたが、頼んでいるのだからと思い直し凜とした声で伝える。
「私は昔、事情があって襲われたことがあるの。その時に助けてくれたのが貴方のお父様――大魔法士様よ」
誠実に会いたい理由を述べていく。
「そして私は大魔法士様と一つの約束をした。ずっと昔のことだから大魔法士様は覚えていないだろうけど、それでも私は約束を糧に頑張っていくことができた」
一時たりとも忘れたことはない。
忘れようとも思わなかった。
「だから約束を果たせたら『ありがとうございます』って。それだけでもいいから伝えたいのよ」
~~以降、場面集~~
結人とティアが二人で歩いていると、目をまん丸くして驚いている少女が立っていた。
リライト魔法学院の制服を着ている少女は、意外なものを見たと全身で表していた。
すると結人が少女の様子に気付き、声を掛ける。
「リン、どうしたの?」
「どうしたも何も、兄さんが女性と連れ立って歩いているというのは驚きに値しますよ」
栗色の綺麗な長髪を背でまとめているリンと呼ばれた少女は、結人のことを兄と呼んだ。
しかしながらティアは二人ことを見比べて首を捻る。
どう考えても容姿から何から似ていないからだ。
「えっと、妹さん……なのよね?」
「宮川家の家臣、ワグナー夫妻の一人娘であるリンフィール・ワグナー。僕とは兄妹同然に育てられてるんだよ」
「えっと……家臣よね?」
「常識で照らし合わせないほうがいいよ。うちは色々な意味で異常だから」
◇ ◇
王城門から出ると、一人の女性の姿が結人とティアの目に映る。
次第に判明されるシルエットに、ティアが驚きの声を上げた。
「ね、ねえ、ユイト。あの人って六将魔法士のキリア様よね?」
「そうだよ。宮廷魔法士にして六将魔法士であるキリア様」
と二人が話していると、結人に気付いたキリアが話し掛けてきた。
「久しぶりね、ユイ」
「お久しぶりです、師匠。今回はまた遠出となりましたね」
「あんたの父親のせいだけどね」
顔を見合わせて、結人とキリアはくつくつと笑い合う。
「わたしがいないからって、鍛錬を怠ったりはしてないでしょうね?」
「当然です。師匠に想像以上の成長を見せたいですから」
「良い心がけだわ」
と、ここでキリアが結人の隣にいる少女に視線を向ける。
「彼女はユイのクラスメート?」
「はい。今年度から転校してきたエレスティア・ノーザンライトさんです」
結人に紹介されて、ティアが慌てて頭を下げる。
「お、お初にお目に掛かります、キリア様。わ、私はユイトのクラスメートのエレスティア・ノーザンライトと申します!」
緊張しながらも一気に自己紹介するティアに、キリアは苦笑いを浮かべた。
「別に緊張しなくていいわよ。畏まって挨拶されても面倒なだけだしね」
「し、しかし六将魔法士において唯一、独自詠唱の神話魔法を扱えるキリア様に憧れる者達は多いと伺っています!」
「それはわたしの師匠が師匠なだけで、普通の神話魔法を教えてくれなかっただけよ」
再びくつくつと笑うキリア。
するとティアが不意に思い出す。
「そういえばさっき、ユイトはキリア様のことを師匠と呼んでいたような……」
「まあね。こいつはわたしの弟子よ」
キリアは結人の頭に手を置くと、ガシガシと撫で回す。
そして満足するまで撫でると、キリアはふと結人に聞いた。
「そういえばユイは今年も闘技大会に出るのよね?」
「はい。今日、彼女と一緒に登録してきました」
キリアは結人の言葉で再び、じろじろとティアの立ち姿を見る。
「なるほど。この子も悪くないわね」
◇ ◇
乱れた息は自分が弱いことの証。
現に目の前にいる少女は息一つ乱さずに佇んでいる。
「……っ!」
彼女が結人にとって、もう一人の妹だとしても関係ない。
宮川家に連なる家臣の子だとしても知ったことじゃない。
「私は約束したのよ。ユイトと決勝で戦うって」
だから負けるわけにはいかない。
一方でリンもティアの気迫に表情を柔らかく崩した。
「兄さんの妹としては微笑ましく、嬉しい限りではありますが――」
本来ならば諸手を挙げて笑っているだろう。
兄と共に歩もうとしてくれる女性がいるのだから。
だが、今この場においては彼女の願いを叶えてあげることはできない。
この身はリンフィール・ワグナー。
宮川家の家臣にして、宮川家から愛情を頂いた存在。
故に、
「――私としても、決して負けられない理由があります」
◇ ◇
「……残念だったね、ティア。僕もリンがあれほど強いとは知らなかった。だけどリンは決勝を棄権するから、実際のところは見た目以上に接戦だったのかもしれないよ」
まるで放心するかのように座り込んでいるティア。
けれど彼女にとっては、結人との約束を守れなかった以上の衝撃が今の戦いにあった。
「……ねえ、ユイト。貴方の妹は“誰”に戦い方を教わったの?」
「僕は誰かに教わったって聞いたことはないけど……、今のはどういう意味?」
「だって、あれは……」
しかし結人の疑問もティアには届かない。
なぜなら忘れもしない。
忘れられるわけもない、あの日と同じもの。
「ユウト様と同じ……だったのよ」
大魔法士の剣捌き。
追いかけ続けていたものと同一が、そこにあった。
◇ ◇
宮川邸の庭で斬り結ばれる剣戟において、結人も彼女の違和感に気付く。
「リン。君はまだ全力じゃないよね?」
「私の剣は兄さんに向けるものではないと知ったのに、それでも全力を見たいんですか?」
「見たい。素直にそう思う」
本当の姿のリンを正しく見据えたい、と。
兄としてそう思うから。
一方でリンは一度、優斗に視線を向けた。
そして大きな頷きを返されると、リンは大きく深呼吸をして、
「わかりました、兄さん」
兄の気持ちを了承した。
同時、明らかに空気が張り詰め、
「――来なさい、八曜」
剣の名を呼んだ瞬間、華麗なショートソードが彼女の手元に存在していた。
「……師匠と同じ聖剣」
思わず息を飲む結人に対して、リンは剣を抜いて右足を軽く前に出す。
右腕は力を入れておらず垂れるように下がっているが、それすらも自然体と呼べるほど胴に入っている。
そして、その立ち姿は彼の存在と瓜二つ。
鋭く貫く眼光に圧倒的な冷静さ。
感覚ではなく、事実として理解している相手との力量差による余裕。
それが誰に似ているのかを、いち早く察したのはフィンドの勇者とキリアだった。
「優斗くん、あの子はもしかして……」
「先輩、リンフィールってまさか……っ!」
本当にそっくりだった。
構えも雰囲気も何もかも。
まさしく、大魔法士の直属とも言うべき存在感。
「ご明察の通りだよ、二人とも」
だから優斗は頷いた。
過去から現在に至るまで、明かされている弟子の名は一人。
彼女以外に弟子など存在しないとまで言われていた。
しかし、事実は違う。
「大魔法士に弟子は“二人”いる」
だから結人にリンが負けることはない。
それを証明するかのように圧倒する威圧を持った、リンの存在感。
けれど、それでも師匠であるキリアが認めるわけにはいかない。
「……っ、ユイが負けるとは決まってないわ」
「いいや、結人は負ける」
確かに勝てる可能性はある。
ほんの僅かだとしても、絶望する状況ではない。
しかしそれでも優斗が断言するには理由がある。
「僅かな可能性を掴ませるなど、させると思うか? たとえキリアが教えていたとしても、だ」
実力差は確かに優劣を決める。
けれど勝敗に直結はしない。
僅かであろうとも気を緩めれば逆転は十分にある。
だが、
「そもそも、そのことをお前に教えたのは誰だと思ってる?」
隙を突けるよう結人に教えたのがキリアならば、キリアに教えたのは優斗。
「何よりお前は結人の中にある可能性を一つ、見つけていない」
結人はキリアにとって初めての弟子。
素直で真っ直ぐに、キリアにとって誇れる弟子だ。
当然、甘やかしたわけではないし、手を抜いたわけでもない。
けれど誇らしい弟子だからこそ油断した、彼女の師としての未熟さがある。
「繋がりを忘れるな、キリア」
「……つな……がり?」
「そうだ。血縁だということ以外、リンと結人に大きな違いはない」
優斗もフィオナもリンのことを家臣の子供として、大切な家族として扱ってきた。
それはもう一人の娘だと胸を張って言えるぐらいに。
「だからリンに当て嵌まることは当然、結人にも当て嵌まる。教えておくから、師として今後に役立てろ」
優斗は八曜を地面へと突き刺したリンを見て、誇るように笑った。
「あの子は僕のもう一人の娘といっても過言ではなく、フィオナのもう一人の娘といっても過言ではないということは――」
あの子が結人のことを兄として慕うことに文句などない。
あの二人が兄妹のように過ごしてきたことに間違いはない。
つまり繋がりを見据えれば、
「――そう。リンは“マリカ”の妹だということだ」
◇ ◇
結人にとってリンは、しっかりした妹だった。
宮川家と家臣の付き合い方は変だと思われたかもしれないが、妹がもう一人いることは結人にとって嬉しいことだった。
『尊きは力そのものなり』
もちろん、今でもリンが自分のことを『兄さん』と呼べるのは、父の影響が大きかった。
父が周囲に難癖を付けられるミスを犯すわけがない。
何も言わせないほど完璧に物事をこなす父が隙を見せるわけがなく、文句を言わせるわけがない。
『気高さは力そのものなり』
けれどそれは父だけの考えではなかった。
もう一人、誰にも文句を言わせないために頑張ろうとした者がいた。
『果てなき存在。されど身近な存在である貴女様に与えていただきたい』
結人を兄として慕うために。
優斗とフィオナをもう一つの両親として敬うために。
『全てを断ち伏せる力を』
“絶対の意思”を以て、繋がりを証明しようとした少女がいる。
『だからこそ今、ここに顕現すべきは――』
そして証明は今、確かな証拠によって証される。
結人とリン、フィオネの姉として存在する者に対しての繋がり。
間違いなく彼女達が兄妹だと理解できる唯一絶対の加護。
それは、
『――“龍神”の御力なり』
リンの直下に生じた魔法陣から、白色と桜色の光が溢れ出す。
「載せなさい、八曜」
膨大な魔力量と“力”が地面へ突き刺したショートソードに宿り、剣自体の存在を聖剣から更なる高みへと導いていく。
精霊の加護だけではなく、龍神の加護を加えたショートソード。
紛うことなく聖剣の枠を越えた至高の一剣。
「神剣――茉莉桜」
名を呼んだ瞬間、白色と桜色の粒子が花吹雪のように舞う。
リンの存在感と神剣の存在感が、さらなる威圧感を醸し出していた。
少女は地面に突き刺した神剣を抜き放ち、兄に対して告げる。
「私は大魔法士の弟子として、同世代に負けることが許せない。私の持つ矜持が負けることを許さない」
自分は『最強』の弟子であり、大魔法士の存在を請け負う存在。
だから負けるわけにはいかない。
「たとえ――相手が大魔法士の息子だとしても、それは同様です」
師が許そうとも、師が気にせずとも、己の感情と想いで否定する。
時を経ても違わず繋がる『大魔法士の弟子』としての矜持。
「いきますよ、兄さん」
大魔法士の薫陶を受けた二人目の弟子が、一番最初に薫陶を受けたキリアの弟子へと剣を向ける。
「実力の差を感じ取れるのなら、一瞬たりとも気を抜かないでください。感じ取れないのなら、一瞬たりとも見逃さないでください」
最強の直属と最強の直系。
されど実力差のある二人の戦いは、問わずして結果が分かる。
「これから私が貴方を傷つけず、圧倒します」
◇ ◇
初めて見た妹の強さ。
何も出来ず、何も敵わなかった。
けれど結人は悔しさを押し殺して顔を上げ、立ち上がり、妹へ声を掛ける。
「今一度、君が誰なのかを聞かせてほしい」
見知っている。されど見知らぬ姿の彼女が何者かを、己に刻もうと思う。
リンも兄の言葉に感じ取ったものがあったのか、佇まいを正し、
「お初にお目に掛かります」
綺麗な礼を以て、自己紹介を始める。
「私は大魔法士のもう一人の娘にして、大魔法士の弟子――リンフィール・ワグナーと申します」
この時だけは結人の妹ではなく、大魔法士の弟子として。
強者としての雰囲気を持たせたまま、リンは告げた。
「僕も改めて名乗る」
だから結人もあらためて声にする。
「僕は大魔法士の息子にして、六将魔法士キリアの弟子――宮川結人だよ」
妹の凄さを忘れてはいけない。
彼女の強さに恐れてはいけない。
そして、この悔しさを決して風化させるわけにはいかない。
「僕の完敗だね」
◇ ◇
「ユイ。どうして負けたのか分かる?」
師の質問に対し、結人は首を振る。
どのような経緯を辿れば彼女に勝てる自分に至れたのかが、分からなかった。
幾らなんでも剣技、魔力、全てにおいて結人が下回っているというのは、常識で考えれば理解の範疇を超えていた。
「理由は二つあるわ」
キリアは真っ直ぐに結人を見据えながら、優斗から授かった答えを紡ぐ。
「大魔法士の息子として、恥じない自分で在りたかったのはあんた。大魔法士のもう一人の娘として、誰にも文句を言わせたくなかったのがリンフィール」
どちらの想いが上で、どちらの想いが下というわけではない。
だが、
「血が繋がっていないからこそ、繋がりを必死に求めていたわけね」
強さの証明が繋がりの証明になると信じて。
『最強』のもう一人の娘が、事実として世代の『最強』であることを証明する。
「わたしはあんたのこと、死ぬ一歩手前まで追い詰めて特訓した」
だからこそ世代でトップクラスの実力を持っている。
二十歳以下だろうと間違いなく五指に入る。
「けれどあの子は、死ぬ半歩手前まで追い詰められて特訓した」
才能を凌駕し壁を越える。
キリアが結人にやったことよりも、さらに踏み込んでいく。
「必然、あの子のほうが実力は上ってわけよ」
結人の才能がリンより上だったとしても関係ない。
優斗はリンの実力が結人の実力を上回るよう鍛えたのだから。
「そして、もう一つ。これが一番大きな理由ね」
キリアは本当に悔しそうに呟きながら、結人に頭を下げた。
「ごめん。わたしが師匠として未熟だった」
一番大きな問題は、この一点。
優斗よりもキリアのほうが師として劣っていること。
「わたしが貴方と同じ歳のころ、先輩に言われたことを思い出したわ」
キリアとクリスの勝負のあと、優斗が本音を漏らしたことがある。
「弟子が負けるのは本当に悔しい。たとえ可能性が低かったとしても、可能性があるのなら掴めると思ってた」
あの時の優斗と同じように、結人がリンに圧倒されている姿を見て思わず拳を握りしめてしまうほどに悔しかった。
「ホント、あんたが良い子で弟子として申し分ないだけに……悔しさが倍増よ」
リンが優斗の弟子だということも、さらに想いを強くさせる。
「教え足りてない。先輩にまざまざと見せつけられたわ」
宮川結人という少年が持つ可能性の全てを思い付いていなかった。
「……そろそろ、ユイのことを先輩に渡したほうがいいのかもね」
弟子を強くするのであれば、それがベストなのかもしれない。
しかしキリアからこぼれ落ちた言葉に対し、結人は首を振る。
「絶対に嫌です。僕の師匠は師匠だけですから」
父であろうと関係ない。
唯一、結人にとって大切なのは誰に習いたいのか、ということ。
「僕がこれからも習いたいと思う人は最強の大魔法士じゃありません。最高の六将魔法士である師匠です」
父であろうと敵わない。
キリアこそが結人にとって最高の師。
「これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
礼儀正しく、いつものようにキリアに頭を下げる結人。
キリアは弟子の姿を見て、呆れるような嬉しそうな感じで問い掛ける。
「ユイ。あんたはこれから、どうなりたいの?」
「正直、大魔法士の息子としては申し分ないほどの実力を持ってるとは思います。だから最初の目標は達成してますが――」
一番最初、キリアに語ったことはすでに解決している。
けれど、
「――妹に負けたまま、というのは嫌です。リンがどのように思っていようと、妹に守られたいと願う兄になりたくありません」
自分は彼女の兄だ。
だというのに、妹に負けっぱなしなのも守られっぱなしなのも性に合わない。
「だから、決まっています」
答えは一つだ。
「リンよりも強くなる。それが僕の目標です」
大魔法士の弟子に勝つ。
それが今の結人の目標だ。
「あんたの意思の強さは知ってる。だから叶えられるかどうかは、わたし次第よ。それでもいいのかしら?」
「僕は師匠が父様より劣っているなど思えません」
リンの師が最強であろうと問題になるわけがない。
こと結人に物事を教えるのであれば、キリアこそが一番。
「だって僕の師匠ですから」
◇ ◇
「リン。これで証明は出来たんじゃないかな?」
優斗が声を掛けると、リンはふるふると首を振った。
「まだまだです。わたしは平民で、家臣の子ですけど――ユウト様とフィオナ様はもう一つの両親だって胸を張って言いたいんです」
そのためには足りないものが多すぎる。
決して満足出来る状況ではない。
「だから頑張るんです。兄さんを兄さんだと言えるように、ユウト様がもう一人のお父さんだって胸を張れるように」
はっきり言うと、優斗は仕方なさそうに息を吐いた。
「リンは僕の大切な家臣の娘で、僕も可愛がってきた。僕達はずっと昔から、リンと繋がりがあることを認めてる」
そのために色々としてきた。
誰にも文句を言わせないためにやるべきことをやった。
「結人のことを『兄さん』って呼ぶことを許してて、僕のことを『ユウト様』って呼ぶことを許してる」
そう言った瞬間、リンの顔がこてんと傾いた。
「ユウト様って呼ぶのを許してるっていうのは、どういうことですか?」
「リンは僕がどうして『ユウト様』って呼ぶのを許したか、覚えてないみたいだね」
「お、覚えてないです」
リンは昔からずっと優斗のことを『ユウト様』と呼んでいた……はずだ。
自分自身ではそう思っていても、実際は違うらしい。
すると優斗はくすくすと笑って、
「リンは昔、僕とフィオナのことを『とーさま』『かーさま』って呼んでいたんだよ」
「ほ、本当ですか!?」
「本当だよ。結人が僕のことを父様って呼んでるから、それが当然だと思ったんだろうね」
懐かしむように話す優斗に対して、リンは顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
「で、いつだったかな。リンの両親がやっぱり僕達のことを『父様』『母様』って呼ぶのは不味いと思って、リンに僕やフィオナのことを『ユウトさん』『フィオナさん』って呼ばせるようにしたんだよ」
優斗自身はリンに何と呼ばれようと構わなかったが、リンの両親が「隠し子だと思われたらどうするんですか!?」と説教した。
「というわけで僕自ら他の家臣と同じように『ユウトさん』とか『ユウトおじさん』でいいんだよってリンに伝えたら、嫌だって叫んで大泣きしちゃったんだ」
「な、泣いたんですか?」
「それはもう、僕にひっついて離れないレベルの大泣き」
大声で叫いて、ぎゅうっと掴んで絶対に離れないという意思をまざまざを見せつけた。
「泣きながら『にいさんが「とうさま」ってよんでるのに、リンだけ「とうさま」ってよべない! だからあいしょーでよぶの! 「ユウトさま」ってよぶの!』ってね」
「愛称……ですか?」
どういうことだろう、と本人は分かっていないが優斗は理解しているようで丁寧に解説する。
「どうやら『ユウトとうさま』だから、『ユウトさま』みたい」
フィオナも同じだ。
基本的に家臣に対して、さん付けを強要する優斗とフィオナがリンにだけ様付けを許している理由。
それは呼び方が愛称だからだ。
「ついでに言えばリンがリオネに『どうかリンフィールと呼び捨てに』って伝えた時、大泣きした時があったよね」
数年前、家臣の娘であることだし主人の娘に姉と呼ばれるのは不味いと思ったリンが名で呼ぶように伝えたことがあった。
「あれは参りました。まさかリオネがあんなに泣き叫ぶとは思わなくて」
「あの時、リオネは本当にリンと似てるなって思ったよ。全く同じことをやってるんだから」
「残念ながら私は折れましたけどね」
「……あのね、リン。僕もフィオナも様付けの理由が理由だけに折れてるんだよ」
◇ ◇
キリアと結人の話が終わると、優斗は近付いてキリアの頭をポコっと叩いた。
「馬鹿か、お前は。何が結人を僕に渡したほうがいい、だ。僕の弟子になる条件を忘れたのか?」
必要なのは〝強くなりたい〟という絶対の意思。
決して折れず、決して折られることのない想いこそが大切だ。
「結人は僕じゃなければならない……なんてことはない。だから僕が結人を弟子にすることはない」
結人の意思は大魔法士の弟子、というものに対しては向いていない。
「むしろお前じゃなければ駄目だった、と。僕はそう思ってたよ」
軽い調子で話す師弟だが、そこでキリアはふと気付いたことがあった。
目の前にいるのは超絶親バカであり、そのためには何でもやるような人間だ。
つまり、
「ねえ、先輩」
「どうした馬鹿弟子?」
「謀ったわね?」
あの日、偶然出会ったことでキリアの弟子になった結人。
けれど本当に偶然なのかと問われてしまえば、今の言葉を聞いてしまえば首を捻らざるを得ない。
そして案の定、優斗はすっとぼけたような表情でキリアに伝えた。
「息子の機微に気付けないほど、仕事に傾倒した記憶はさらさらないよ」
「……この、クソ師匠」
◇ ◇
強大な魔物に囲まれて窮地に至った瞬間。
どうにかして切り抜けなければいけない場面だというのに、
『駄目なのは怠けて相手に寄り掛かること』
ふと思い出すのは尊敬する父の言葉。
――怠けて生きてきたつもりはありません。
結人は内心で強く、そう思う。
いつも貴方の息子として懸命に生きてきたつもりだ。
父が誇ってくれる息子として必死に頑張ってきたつもりだ。
『けれど、いつか自分だけの力ではどうにもできない時が来る』
一人だけの力では足りない。
自分だけの力だけでは届かない。
その時は必ずやってくる、と。
父はそう言っていた。
『だけどね、その時にどうするかは簡単だ。大切な人に頼ればいいんだから』
一人で駄目なら、二人で。
二人で駄目なら、三人で。
三人で駄目なら、もっとたくさんの人でどうにかする。
『間違えてほしくないのは、誰かに頼るのは駄目じゃないってこと』
だから『大魔法士』と呼ばれる父にも、大切な仲間がいるのだと教えてくれた。
けれど、その言葉が脳裏に浮かべども結人は首を振る。
――本当にそうでしょうか?
妹は『頼っているんです』と言っているけれど、それだけじゃないのではないか。
リンには使えても、自分にはまだ扱える実力がない。
やるべきことを、成すべきことをしていないから駄目だと思ってしまう。
『いつか結人にも分かる時が来る。頼るべき時に頼ることの難しさと大切さを』
それが今なのかは分からない。
父や叔父からすれば、この程度と思ってしまうことなのだから。
「だけど……」
これが怠けようと考えた結果なのか、頼っているのか判断ができないとしても。
どうしても、今この瞬間だけは負けられない。
何が何でも負けることはできない。
「僕の大切な人を守るために」
だから疑問に蓋をして、閉じ込めてしまう。
妹が伝えてくれたことを信じるために。
『どんなに格好悪くても、どんなに情けなくても、その姿に苦笑いを浮かべて許してくれる人が私達にはいます』
リンの言葉を思い出し、心の中で強く頷く。
母に似ていて、父に似ている人。
そして自分達にとっては、母よりも父よりも近い人。
『兄さんにとって大切なことは、私やリオネにとっても大切なこと。だから――』
もう一人、自分達兄妹と同じ気持ちを持ってくれる人がいるから。
なりふり構わずお願いしよう。
胸元にある龍神の指輪を握りしめ、心からの声を自分達の大好きな人に伝えよう。
「“姉様”。力を貸して下さい」
想いを言葉に乗せる。
こんな時に頼ってしまいごめんなさい、と。
それでも今は力が欲しい、と。
――不出来な弟で申し訳ありません。
本当は泣きたくなる。
偉大な姉に頼ってしまう自分に。
大好きな姉の力を我が物顔で使おうとする自分に。
――それでも……僕は負けられない。
大切な人がいるから。
大事にしたい人がいるから。
どうしても勝つ必要がある……と、その時だった。
『やっと頼ってくれましたね、ユイ』
声が聞こえた。
他の人達には聞こえずとも、自分にははっきりと。
『ユイは私の弟なんですから、もっと気楽にお姉ちゃんに頼っていいんですよ』
握りしめた龍神の指輪が輝いている。
まるで『力を与えよう』と言っているかのように、光が溢れている。
「……ありがとうございます、姉様」
心からの言葉を姉に贈る。
そして一つ、深呼吸して思い返す。
妹はどのように紡いだのかを。
何を以て詠唱と成したのかを。
一つ一つを理解していき声として発したのは、リンと違わず“龍神の加護”を持った者が使える詠唱。
『尊きは力そのものなり』
つまり――龍神の弟と妹だけが謳える神話に通ずる魔法。
◇ ◇
「あれほどの魔物共を倒すとは恐れ入りましたが、この魔物はSランクの中でも上位」
新たに召喚した魔物にエルガルドは再び、冷酷な笑みを零す。
「お伽噺の魔物と呼ばれています」
普通では相手にならず、確実に異常が必要となる相手。
壁を越えし者では駄目で、超越者と呼ばれる者達でしか相手にできない魔物。
「正統な理由は私にある。だというのに君は立ち塞がるつもりなのですか?」
エルガルドはティアを守るように立つ結人へ話し掛ける。
Sランクの魔物を倒したのは予想外だが、それでもこの魔物――ヴェリアルを倒せるわけがないのだから。
しかし結人は前を見据え、
「僕はここで『退く』ということを教わっていません。この場において逃げることも、倒れることも、負けることも教わっていません」
譲れない時に譲ることを教わっていない。
「ティアは僕にとって、誰にも譲れない大切な人。だから立ち向かう」
隔絶した実力差があろうとも、可能性が潰えようとも関係ない。
「それだけで僕には十分過ぎる理由です」
逃げてはいけない時がある。
それが今で、結人にとってはこの瞬間。
「君は息子なだけであって、『伝説』ではないのです。ヴェリアルを倒す可能性は断じて存在しない」
エルガルドは失笑を禁じ得ない。
お伽噺の舞台に立てるのは、同じくお伽噺の存在だけ。
どうしたって結人が相手になるわけがない。
「私とて傷つけるのを望んでいるわけではありません。だから――」
「――『伝説』が現れたら、一体どうなるんだ?」
明後日の方向から飛んできた一言が、周囲の空気を全て変えた。
登場したのは、その場にいる全員にとって想定外の人物。
誰もが現れるわけがないと。
結人も、ティアも、エルガルドさえも登場するとは思っていなかった存在。
「子供同士の諍いだと思って静観していたが、これはやり過ぎだな」
鋭い眼光に圧倒的な威圧。
年齢を重ねて尚、衰えることのない無二の存在感。
言葉に違わず『伝説』と呼ぶに相応しい二つ名を持つ者。
「……父……様?」
宮川優斗が結人とティアを守るように、立ちはだかった。
◇ ◇
「僕も随分と甘く見られたものだな」
父はいつでも父だった。
優しく、温かい雰囲気でいるのが結人にとっての父だった。
「どのような事情があろうと、リライト王国内でお伽噺クラスの魔物を暴れさせていい理由にはならない」
けれど今、自分達の前にいるのは千年来の伝説を蘇らせた張本人。
世界を救い、紛れもなく唯一無二の“意”を持つ存在。
「そして知っておけ」
世界最高の聖剣である九曜を抜き、圧倒的な風格と余裕を持って魔物に相対する父の姿。
「現代に蘇った御伽噺というものを」
結人の知らない宮川優斗が――大魔法士が目の前に現れた。
◇ ◇
父の力を疑ったことはない。
けれど今まで見たことはなかったからこそ、戦慄を覚える。
「……これが世界に名だたる伝説の二つ名――大魔法士」
世界を救い、お伽噺を奏でる最強の存在。
「父様の……本当の“力”」
憧れたところで届かない。
願ったところで至ることはない。
それほどまでに隔絶された実力者。
「……っ」
名を呼ぶことすら躊躇わされる父の雰囲気に、結人は息を飲み込む。
しかし優斗は息子へ振り返ると、
「いや~、久しぶりに戦闘で大魔法士モードに入ると疲れるね」
いつものように柔らかい笑みを浮かべた。
普段の父の姿に戻ったことに、結人は安堵の息を漏らす。
「結人も普段の父様じゃなくて焦ったみたいだね」
くすくすと優斗は笑い声を漏らすが、ふと息子の隣に立ちすくんでいる少女が視界に入った。
「とはいえ、ちょっと失敗したこともあったかな」
そこには硬直して呆けた少女がいた。
ティアの様子に気付いた結人は、慌てて紹介を始めようとする。
「しょ、紹介します父様! 彼女は――」
「いや、大丈夫だよ」
けれど優斗は結人の言葉を止めると、ティアの前に立った。
過去に一度だけ、二人が出会ったことを結人は知っている。
とはいえ十年も前に一度だけあった出来事。
ティアが言っていたように到底、父が覚えているとも思えなかった。
けれど、
「久しぶりだね」
その一言が、ティアをさらに硬直させる。
目を丸くして言葉を失っている彼女に、優斗はさらに言葉を続けた。
「本当は君が会いに来てくれた時に会おうと思ってたから、こういう状況で再会するのは失敗だったよね」
ティアは優斗から語られることに思わず息を飲み、結人に目をやった。
しかし結人は父が言っていることの意味が理解できず、首を振るしかない。
「だけどやっぱり、あの小さかった女の子と再び会えたのは嬉しいよ」
懐かしそうに目を細めながら、優斗は笑みを深めた。
ティアは憧れの人から零れてくる言葉に“まさか”という期待を禁じ得ない。
「…………ユウト……様……」
彼は数多の人達と出会い、数多の人達を救った伝説の大魔法士。
忘れていると思っていた。
忘れられて当然だと分かっていた。
なのに、
「……覚……えて……いるのですか?」
笑みを零している優斗の姿を見てしまえば、諦めは一転して期待に変わった。
そして期待に応えるかのごとく優斗は一歩前に出て近付くと、“あの時”と同じようにティアの頭を柔らかく撫でて伝えてくれた。
「君の“居場所”は見つけたみたいだね」
それは結人も知らない優斗とティアの約束。
絵本の世界しか知らなかった少女が交わした、お伽噺との大切な約束。
たった一度の出会いを覚えていた証。
「……はい」
撫でる手の温かさは昔と変わらず。
果たせた約束を伝えられることに、どうしようもなく喜びがある。
覚えてくれていることに、震えるほどの感謝がある。
「……はいっ。見つけることができました」
涙が零れる。
嬉しさと感謝とがない交ぜになって、どうしても涙がこぼれ落ちてしまう。
だけどティアは言葉を止めない。
「貴方との約束を胸に刻み、貴方を尊敬し、貴方の背を追いかけて、追い続けて……っ!」
一人の男の子と――出会った。
「貴方の息子に出会いました……っ!」
伝説の大魔法士と呼ばれる宮川優斗の長男。
父を尊敬し、母を敬愛し、両親の威光に頼ることなく頑張り続けた少年。
初めて『恋愛』という感情を教えてくれた、大好きな人。
だから彼の隣にいたくて、彼の隣こそが約束の場所。
「結人が私の居場所なんです!」
他にはないと断言できる。
断言できてしまうほどに、彼のことが好きだ。
「そっか。それほど僕の息子のことを想ってくれてありがとう」
優斗はポンポン、と。もう一度だけティアの頭を撫でて結人に振り返る。
「結人は彼女の気持ちに応じることの出来る感情を持ってるのかな?」
「当然です、父様」
そして不意に話を振られた結人も、迷うことなど決してない。
二人の約束の中身も、二人の会話の意味も正しい意味を理解してはいない。
けれど惑うことも揺るぐこともない。
「僕は尊敬する父様と敬愛する母様の姿を見て、育ってきました」
互いが思い合う。
互いを大切にする。
それがどれほど美しく、素晴らしいことなのかを知っている。
「僕はずっと父様にとっての母様みたいな人を見つけたいと、そう思っていました」
愛することの大切さを。
慕うことの尊さを理解しているからこそ希った。
「そして――見つけたんです」
大魔法士との約束を大切にしながら、父と自分を重ねない女の子。
一人の少年として、向き合ってくれた少女。
「何があっても、共に生きたいと願う人を」
巻き込まれ異世界召喚記 結城ヒロ @aono_ao
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