「オウム」を暴走させた3つの転機

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法務省は7月26日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した、6人の元教団幹部の死刑を執行した。6日には、元教団代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の執行がされており、これで一連の事件で死刑が確定した13人の元幹部全員が執行された。「これまで我々が知ることのなかった、誠に凶悪かつ重大な犯行だ」――。司法がそう総括した暴走のきっかけは何だったのか。三つの転機から迫ってみたい。

  • 死者27人1995年の地下鉄サリン、94年の松本サリン、89年の坂本堤弁護士一家殺害などのオウム真理教事件で、計27人を死なせた松本智津夫死刑囚は死刑が確定。
  • 負傷者6千人超1995年3月20日朝、オウム真理教幹部らが東京都内の地下鉄3路線5車両で猛毒のサリンをまいた地下鉄サリン事件で、13人が死亡、6千人以上が負傷した。
  • 起訴192人裁判で188人が有罪となり、うち13人の死刑が確定して2011年にいったん終結。12年に特別手配犯3人が逮捕されて再開したが、2018年1月、一連の事件のすべての刑事裁判が終結した。
  • 死刑判決13人一連の事件で、2005年から11年までの間に、計13人の死刑が確定した。一つの組織が起こした事件としては戦後最多。他に6人の無期懲役が確定している。

死刑囚

教団での肩書

松本智津夫(7/6執行)

尊師、神聖法皇

岡崎一明(7/26執行)

省庁制導入前に脱会

横山真人(7/26執行)

「科学技術省」次官

端本悟(7/26執行)

「自治省」所属

林泰男(7/26執行)

「科学技術省」次官

早川紀代秀(7/6執行)

「建設省」大臣
坂本弁護士一家殺害首謀実行実行実行
松本サリン首謀警備散布車両製作
地下鉄サリン首謀散布散布

死刑囚

教団での肩書

井上嘉浩(7/6執行)

「諜報省」長官

豊田亨(7/26執行)

「科学技術省」次官

広瀬健一(7/26執行)

「科学技術省」次官

新実智光(7/6執行)

「自治省」大臣

土谷正実(7/6執行)

「第二厚生省」大臣

中川智正(7/6執行)

「法皇内庁」長官

遠藤誠一(7/6執行)

「第一厚生省」大臣
坂本弁護士一家殺害実行実行
松本サリン散布製造製造・散布散布
地下鉄サリン総合調整散布散布送迎製造製造製造

転機1男性信者の風呂場の「事故」

富士山を望む静岡県富士宮市の教団総本部で1988年9月、一つの事故が起きる。修行中の男性信徒が突然、大声を上げ始めた。幹部が水をかけたところ、男性は死亡してしまった。公にすれば教団の活動を休止せざるを得なくなることを恐れた松本智津夫死刑囚は、警察には連絡せず、幹部らに男性の遺体を処理するよう指示。幹部らは遺体をドラム缶で焼却し、骨を湖に捨てた。その場に立ち会っていた別の男性信徒は同年末、教団の出版物の営業活動に当たるよう指示された。だが、男性は「営業をやっても功徳にならない」と感じ、教団からの脱会を訴えるようになった。男性の脱会で事故が表沙汰になるかもしれない――。松本死刑囚は89年2月の深夜、幹部らを集め、「男性の考えが変わらないなら、ポアするしかないな」と命令した。幹部らは、コンテナ内で両手、両足を縛られた男性の首をロープで絞め、殺害した。教団の活動を妨げるものは命を奪ってまで、口を封じる。重大な違法行為の連鎖は、この頃、始まった。

転機2総選挙の惨敗

オウム真理教は小さなヨガ教室から始まった。松本智津夫死刑囚は1978年、都内の予備校で出会った女性と結婚し、鍼灸(しんきゅう)師として生計を立てていた。80年代半ばころから「麻原彰晃」と名乗り、都内でヨガ教室を開いて指導するようになった。84年ごろ、前身の「オウム神仙の会」を発足。座った姿勢のまま宙を浮いているような写真を雑誌に掲載し、誰でも修行すれば超能力者になれると説くと、入会希望者は増えていった。87年には「オウム真理教」と名称を変更し、89年には宗教法人の認証を受けた。教団の力を拡大するためには政治力をつけることが必要だと考えた松本死刑囚は、90年2月には教団幹部らとともに総選挙に出馬したが、全員落選。真理党代表として東京4区から立候補した松本死刑囚の得票は、1783票だった。元幹部の一人は法廷で、当時の教団内の様子をこう語っている。「このころから、被害妄想や社会からの孤立感が出てきた。こうした問題を払拭(ふっしょく)するために麻原氏を神格化する風潮が教団内に蔓延(まんえん)していった」

転機3石垣島セミナー

総選挙で大敗した後の1990年4月、松本智津夫死刑囚は「オースチン彗星(すいせい)の接近で日本に天変地異が起きる」と「予言」。石垣島に約千人の信徒を避難させてセミナーを開いた。検察側の主張では、教団はこの時期に合わせ、ボツリヌス菌を東京にばらまき、人為的な「大災害」を演出することを計画。松本死刑囚の指示で、幹部らが菌の培養に取りかかり、プラント生産を目指したが、いずれも期限には間に合わなかった。「天変地異」の自作自演は失敗に終わったが、教団の武装化はこの時期から一気に深刻化していく。松本死刑囚は幹部ら二十数人を集め、「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」と無差別大量殺人の実行を宣言。兵器の開発などを次々に指示した。また、セミナーは大量の出家者を出したとされる。この頃までには、オウムの出家制度は尊師である松本死刑囚に、心身と自己の全財産を委ね、肉親や友人らとの接触など、現世における一切の関わりを断つものになっていた。布施の名目で信徒らの資産を根こそぎ吸い上げ、多額の資金を投下して教団の武装化を進めることになる。


教団は現在、主流派の「アレフ」と上祐史浩代表が率いる「ひかりの輪」などに分裂している。公安調査庁によると、いずれも松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚の強い影響下にあるという。同庁は松本元死刑囚の死刑が執行された7月6日、関連施設に一斉に立ち入り検査をするなど、情報収集の強化に努めている。(山本亮介)


オウム真理教をめぐる動き

1955年(昭和30年)3月2日

松本智津夫死刑囚が熊本県で出生

1984年(昭和59年)2月

「オウム神仙の会」が発足

1987年(昭和62年)6月

「オウム真理教」に改称

1989年(平成元年)2月

〈元信徒の田口修二さん殺害事件〉

静岡県富士宮市の教団施設で、教団を脱会しようとした田口さんの首をロープで絞めるなどして殺害

1989年(平成元年)6月

坂本堤弁護士らが「オウム真理教被害対策弁護団」を結成

1989年(平成元年)11月

〈坂本堤弁護士一家殺害事件〉

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横浜市の坂本弁護士宅に侵入し、弁護士と妻、1歳の長男の首を絞めるなどして殺害した

1990年(平成2年)2月

「真理党」を結成し、総選挙に信徒ら25人が立候補するが全員落選

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1990年(平成2年)10月

熊本県警が国土利用計画法違反などの容疑で教団を強制捜査

1993年(平成5年)11月

〈サリンプラント建設事件(~94年12月)〉

山梨県上九一色村(当時)の教団施設でサリン生成プラントを完成させたうえ、原料をプラントに投入して猛毒のサリンをつくろうとした

1994年(平成6年)1月

〈元信徒の落田耕太郎さん殺害事件〉

上九一色村の教団施設で、落田さんを絞殺。遺体をマイクロ波発生装置で焼いた

1994年(平成6年)5月

〈滝本太郎弁護士サリン襲撃事件〉

甲府地裁そばの駐車場で、被害対策弁護団の滝本弁護士の乗用車にサリンをまいて殺害しようとした

1994年(平成6年)6月

〈松本サリン事件〉

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長野県松本市内の駐車場で噴霧車からサリンを発散。住民8人が死亡し、約600人が重軽症となった。土地を巡る裁判で不利な判決を避けるため裁判官らの殺害を狙った

1994年(平成6年)6月

〈自動小銃密造事件(~95年3月)〉

自動小銃約1千丁を製造しようとしたが、警察の捜索で目的を遂げなかった

1994年(平成6年)7月

〈元信徒の冨田俊男さん殺害事件〉

冨田さんに「公安のスパイ」とぬれぎぬを着せ、上九一色村の教団施設で拷問の末、殺害した

1994年(平成6年)12月

〈水野昇さんVX襲撃事件〉

脱会信徒を連れ戻そうとして、都内の路上で会社役員に猛毒のVXをかけ重傷を負わせた

1994年(平成6年)12月

〈浜口忠仁さんVX殺害事件〉

会社員を「公安のスパイ」と思いこみ、大阪市内の路上でVXをかけて殺害した

1995年(平成7年)1月

〈永岡弘行さんVX襲撃事件〉

都内の路上で「オウム真理教被害者の会」会長にVXをかけ、重傷を負わせた

1995年(平成7年)2月

〈仮谷清志さん逮捕監禁致死事件〉

都内の路上で目黒公証役場事務長を拉致し、上九一色村の教団施設で監禁。脱会しようとした事務長の妹の居場所を聞き出そうとして、薬物を大量投与して死なせた

1995年(平成7年)3月

〈地下鉄サリン事件〉

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都心を走る地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の5本の電車でオウム真理教幹部らが一斉にサリンを散布。乗客ら13人が死亡し、6千人以上が負傷した

1995年(平成7年)3月

警視庁などが教団関連施設を一斉捜索

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1995年(平成7年)3月

国松孝次・警察庁長官が狙撃される

1995年(平成7年)4月

村井秀夫幹部が刺されて死亡

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1995年(平成7年)5月

山梨県上九一色村の教団施設に隠れていた松本死刑囚が逮捕される

1995年(平成7年)9月

坂本弁護士一家の遺体が、新潟、富山、長野各県で発見される

1995年(平成7年)10月

東京地裁が宗教法人としてのオウム真理教に解散命令

1996年(平成8年)4月

松本死刑囚の初公判

1997年(平成9年)1月

破壊活動防止法に基づく解散請求を公安審査委員会が棄却

2000年(平成12年)1月

教団が松本死刑囚の事件への関与認める。教団名を「アレフ」に改称。教団が団体規制法に基づく観察処分を受ける

2004年(平成16年)2月

東京地裁が松本死刑囚に死刑判決

2006年(平成18年)9月

最高裁が松本死刑囚の特別抗告を棄却、死刑が確定

2007年(平成19年)3月

教団の上祐史浩元代表が脱会表明。5月に新団体「ひかりの輪」を設立

2008年(平成20年)6月

事件の被害者らに、国が給付金を支払う法律が成立

2010年(平成22年)3月

国松元長官狙撃事件が時効を迎える

2011年(平成23年)12月

平田信受刑者が31日深夜、警視庁丸の内署に出頭。翌1月1日未明、逮捕

2012年(平成24年)6月

菊地直子元信徒を3日に、高橋克也受刑者を15日に、それぞれ逮捕

2016年(平成28年)1月

二審で懲役9年の判決を受けた平田信受刑者の上告を、最高裁が棄却

2017年(平成29年)9月

東京地裁がひかりの輪に対する観察処分を取り消す判決。国が控訴

2017年(平成29年)12月

菊地直子元信徒を逆転無罪とした二審判決に対する検察側の上告を、最高裁が棄却

2018年(平成30年)1月

最高裁が高橋克也受刑者の上告を棄却。一連の刑事裁判が終結

2018年(平成30年)1月

一・二審で無期懲役判決を受けた高橋克也元信徒の上告を、最高裁が棄却

2018年(平成30年)7月

6日、松本死刑囚ら7人の元幹部の死刑を執行

2018年(平成30年)7月

26日、6人の元教団幹部の死刑を執行

地名はいずれも当時。各事件の内容は、〈 〉は松本元死刑囚の関与が認定された事件。元教団幹部らの確定判決などをもとにした。