※注意
パルスィ×さとり あるいは さとり×パルスィ
色々と捏造、独自解釈。若干病み要素あり
ネチョまで遠いのにネチョ薄め、申し訳ありません
※注意終了
――思考の路線が不意に絡まり、まるで予期せぬ問いが頭に浮かんだのは、水の流れに身を投じて何日目のことだっただろう。
もし、怒りを怒りとしてではなく、全ての怒りを水の流れのごとくに穏やかに連ねることができたのなら、この身はなにか、良い方向に変わっていたのではないか、と。
HOLLOW LIFE
1
夜。薄暗い橋上。水橋パルスィの叫び声がパルスィ自身を破壊する。脊髄まるごと砕いていくような膨大な熱量が喉の奥から溢れ出す。背中に押し付けられた欄干が軋んでひび割れぱきりとしなる。頭蓋骨を鷲掴みにされ、彼女の視界はどす黒いクレヴァスに覆われたように左右で泣き別れになっている。
ずくんと疼く体の芯が、ひどく生理的で直接的で不躾な反応を示す。記憶の蠕動が爆発する。ひとがひとり鬼になる瞬間の、コップの底に溶けず残った砂糖の屑のような甘ったるさが蘇る。
ずるずるずるずるずるずるずる、精神的外傷の瘡蓋が無理矢理引っ張り出された音がする。
パルスィは大鎌のように腕を動かす。打擲するように足踏みをする。
クソ野郎、と詰まった喉の奥で叫ぶ。このクソ野郎。
視界が潤む。
舌が痙攣する。
下腹部が痺れる。
膣がしなる。
膝が震える。
頭を振り、頭蓋骨の拘束を外そうとする。緩んだ指に歯を立て、千切れるまで力を篭める。無我夢中で足を折り畳み、相手と自分の体の間に入れて、思い切り蹴飛ばす。
相手が橋の上に仰向けに倒れる。クソ野郎、とパルスィはもう一度叫ぶ。濁流に似た響きがある。パルスィの声にしろ、肉体の動きにしろ。食い縛った歯の隙間から火のような息を吐く。
――ふたりは一緒に眠っていた。どこまでも穏やかな月の灯りが、虫の声さえ遠い寝所に、青白い光を注ぎ込んでいた。優しい寝息を立てて、深い深い眠りに身を落としている今でさえ、ふたりは一心同体のように見えた。
情事のあとの、汗の饐えた甘い匂いが鼻についた。ふたりの体は互いの湿った息を吸い込み、生々しいはずの体の押し付け合いに、神聖な儀式のあとのような恭しさがあった。
幸せなのですね、と彼女は言った。長い放浪のあと、家路につく旅人のように。あるべき場所にあるべきものがあるのですね。収まるべきところに収まったのですね、あなたたちは。
祝福します。
『起きるなよ』と、彼女は言った。『優しく終わらせてやるから』
白い障子に、ぱっと花咲くように、黒い血飛沫が舞った。
古明地さとりは背中から橋に叩きつけられる。肺が一瞬、全機能を失ったように痙攣し、息ができずに喉が詰まった。がっ、がっ、と固まってしまった息を吐き出し、酸素を求めて自らの喉を叩いた。
身体が動くようになると、猫のようにぱっと起き上がって、緑色の眼の女から離れた。幻術紛いの催眠術をありったけぶち込んだため、こちらの頭まで捻じ切れてしまいそうだった。蹴られた腹を両手で押さえる。痛みはあるが、そんなものに構っていられるものか。
女のトラウマを読み取るのは簡単だった。それは奥底にそっとしまってあるものではなかったから。そういうやつはたまにいる。こちらが催眠術など使わなくても、常に自らのトラウマを思い続けている者というのは。
自らの傷口に指を突っ込んで、治らないよう弄り続けて、そこから流れ出た血を燃料に心のエンジンを稼動し続けている愚か者。盲目のまま走り続けて、壁に頭から激突して、脳味噌が垂れ落ちて初めてそのことに気づくような類の女だ。
そんな者を相手に戦いたくはない、とさとりは思う。けれども退くこともできない。もはや地上に居場所はないのだ。第三の目を閉じ、抜け殻のようになってしまった妹を連れ回して、泥鼠のように地上を徘徊することはもうできない。
自分たちに最後に残された避難経路。この女がその世界の番人だというのなら、丸ごとぶち壊してでも押し通ってやる。
ぜえぜえと喉を鳴らして、さとりはパルスィに飛び掛る。もう一度頭を鷲掴みにするために腕を振る。手首を掴まれ、捻じり上げられる。さとりは相手の顎のあたりに自らの額を打ち付ける。
歯の折れる音がする。
力の弱まった手を振り払って、頭を掴む。そうして脳髄に直接幻術を叩き込む。さあ、壊れてしまえ。壊れるまで、何度だって想起させてやる。
「あああああああああ――ッ……」
さとりは崩壊した怒りに任せて叫びを上げる。
――彼女は腕を振るった。ぱっくり喉元が裂けて、ふたりの命が飛び散った。それでもまだ、ふたりは死んでいなかった。彼女は頭を潰した。ふたりが失禁して、その不吉な匂いが鼻について、それでようやく死んだことがわかった。
そうして彼女は部屋を出ると、月の光で幻想的に反射する白い砂の庭に降りて、鯉の泳いでいる池で手を洗った。ことの間、ずっと秘所に突っ込んでいた大きな張り子を抜くと、とろとろと粘る蜜が膝に伝って、ああ、と全身が震えるような思いをするのだった。
がつん、という不吉な音をさとりは聴いた。女の身体が突然何倍にも膨れ上がったかのような威圧感を覚えた。それでも手を離すわけにはいかなかった。逆に押し倒されるような形になっても手を離さなかった。相手のほうが頭ひとつ分大きい体格のため、単純な力比べではどうしても遅れを取る。それでも幻術を叩き込んでいる限り、絶対にこちらのほうが優位に立っている、はずだった。
パルスィは両腕から力が抜けていくのを感じる。心を司る妖怪である以上、心が傷つけばどうしたって体は崩れる。傷口を錆びついた刃物で抉り返されているような気分がある。剥き出しの核を嬲られているような感じがある。
――殺した。ああ、殺してしまった!
彼女は自らの秘所に指を差し入れる。そこはもう既に熱く濡れている。じんじんと痺れるような快楽のせいで、熱せられた坩堝のようになっている。
『ころした、あっ、ころした! やっところした! わたしのいとしいひと!』
ほんの少し動かすだけで、じゅくじゅくという音が耳の奥まで反響する。
『あっ、あっ、あっ! やった! ころせ、ころせた! わた、わたしの、ぁあん、わたしだけのひと! ひぁ、わたしだけのものに、やっと!』
立っていられなくなり、池のへりでうつ伏せに倒れこみ、腰だけを高く上げる。
親指で蕾をくるくると回すようにしながら、人差し指と中指を揃えてピストンさせる。
『もう、もう、だれにもわたさない! やっ、あっ! わたしの! わたしだけの! あああーっ……!』
激しく、強引に捻じり切るように、何度も。
『……っ、――あっ、あ、あ……!』
ねだるように腰を振る。二本の指じゃ足りない。薬指も添えて、三本で。
『もっと……もっとぉ、おまえさまぁ……』
更なる快楽を求めて、それまで突っ込んでいた張り子に手を伸ばした。
もう、冷たくなっていた。
不快になって池に放り投げると、なにを勘違いしたのか、鯉が張り子に飛びついた。
堕ちるところまで堕ちていくことの黒々とした甘みがある。絶望はときに抗うことのできない快楽そのものになる。オルガズムの寸前のどうしようもない切なさに似ている。おかしくなった頭が粘ついて蕩け落ちるような感覚。
『あ、あっ……おかしく、おかしくなりそうぅ……』
今まで保っていたものが崩壊する。
濁流のように身を蹂躙していく想いに身を任せてしまおう。
心をすっぽりと覆うヴェールのような闇を振り払えない。
『すごい、ああ、すごい、すごいきもちいぃ』
道徳も、理性も、今まで大事だと思っていたもの全てが、意味のない単なる張りぼてのようにしか思えなくなる。
『わたし、ころして、ころしたことをおかずに、あぁん、あのひとがしんだことをおもって、ひとりでしてる! ひとりでヤってる、ふぁ、ああ、すごい、これすごいよう! ひとりで、ころしてするのすごいのぉ、らめえ、ちんこいれられるよりぜんぜんすごいよう!』
心が心を砕いていく。
血が血を沸き立たせる。
『ひゃああアア! しゅごいぃ、これすごいのぉ! おまえさまぁ! おまえさまにされるよりずっとひもちいいのお! おまえさまをころしてひとりでじゅぼじゅぼするほうがしゅごくきもちいいのお! ち、ちがぬるぬるして、べとべとして、あつくて、ふぁあ、まんこにこすりつけるとらめ、しにそう、しにそうなくらいしぬ! しぬよう! きもちよすぎてしんじゃうのぉ!』
加速度的な勢いで快楽ばかりが増長していく。
蕾に当てていた親指をずらして、剥き出しになった肉芽に触れると、それだけで全身に電流が走った。
『あ、あ、あ、ああぁアア……!』
――
『……イけない』
ぽたりと、砂に蜜が落ちる。ぽたぽたと染み込んですぐに乾く。
『イけないよう』
指先から根元まで、ほとんど痛みさえ感じるほどの強さで抜き差しする。じゅるじゅるじゅくじゅく、音だけはますます大きくなる。
胸の底でぽっかり空いた大きな穴が、鈍い重みを全身にもたらす。
秘所は疼くばかりで、行為になんの手応えもよこさない。
『きもちいいのに、きもちいいはずなのに、イけないよう、どうして、どうして、おまえさまはもうわたしだけのものなのに、わたしいがいのおんなにふれられることもなくなったのに、こんなにしあわせなのに、わたし、どうして、イけないの』
もうどうしようもないほど、そこだけ土砂降りにあったかのように濡れそぼっているというのに。
『あ、あっ……うぁあ……』
善がり声が、次第にその質を変化させていく。
『ひああ……いああ……っあ、うあああああ――』
もう、それは快楽からくる震えの声ではなかった。
『あああ……うぁああああ……ああああああああああ』
ただの嗚咽だった。
『アアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああ――』
「……っ、ッ!」
さとりは今すぐ目を背けたかった。耳を塞ぎたかった。いっそ第三の眼さえ閉じて、粉々に砕いてしまいたかった。
相手から流れ込む途方もない黒い感情が、大槌で幾度となく叩くように脳髄を揺らしてくる。あまりにも直接的すぎる。傷痕に深く触れすぎる。
嫉妬に狂った鬼の橋姫。さとりはそこでようやく自分が相手にしている者の正体を知る。自分に圧し掛かり、壊れる寸前の魂を抱えて痙攣する女のことを。知りたくはなかった。壊さなければならない相手のことなど知りたくもなかった。
極力なにも考えないように頭を白く染める。ここで退くわけにはいかない。地上へ戻されるわけにはいかない。自分ひとりならまだいい、だが私には守らなければならない妹がいる。
「はやく……っ」
それでも、この女から流れ込んでくる苦痛は――この女が感じている苦痛は――あまりにも激しすぎる。生々しすぎる。
余すところなく覗いてしまったことへの凄まじい罪悪感で気がおかしくなる。
「はやく壊れて……!」
そのほうがずっと楽だ、と心のなかで言う。
抱えきれない荷物を背負うくらいなら、死に直面するほうがまだいい……
――パルスィは音速の世界を生き抜いている。
周りの風景が加速に次ぐ加速を経て、光と影の境界線を失い、光だけが際限なく広がっている。
こんなのはもう二度とごめんだ、二度と耐え切ることはできない、と胸の奥底に封印していた記憶が次々と蘇ってくる。
ふたりを殺しただけではすまなかった。
鬼と化した娘の責任を取るため、まず両親が自ら命を断った。
娘を殺された絶望から、私からあのひとを奪った女の家族が命を断った。
あのひと以外に跡継ぎのいなかったあのひとの両親が憤死し、血族が絶えた。
どこの誰に責任があったのか、議論がなされる。その結果、互いに互いを糾弾する無意味な諍いが起こり、ふたつの家の間で闘争が起きた。
夜な夜な鬼の仕業に見せかけた暗殺が繰り返され、ひとり、またひとりと死に絶えていった。
血族最後のふたりは、自分たちの愚かさを顧み、世を儚み、揃って入水自殺を遂げた。
そして誰もいなくなった。
どこかで誰かが止めていればそれで簡単に終わっていたはずの連鎖が、行き着くところまで行き着いてしまった。
そうしてあとには、鬼と化してなにもかも失った自分だけが残った。
どこまでも空虚な生だけが。誰に届くこともない歪な性だけが。
「壊れない……」
パルスィは鉄を噛み砕くように言う。
「私は壊れない……!」
緑色の蛇に似た空気がパルスィの背中から立ち昇る。
「私は壊れない……私は……私は壊れない……!」
「壊れてッ!」さとりは叫ぶ。
「壊れない、私は絶対に壊れない、このクソ野郎、やれるものならやってみろ、私は絶対に壊れない!」
自分の頭を鷲掴みにしている手を掴み、もう片方の手で相手の頭を鷲掴みにする。
「壊れろ!」
「壊れない!」
ぎしぎしと互いの腕がしなり、軋み、手さえなければほとんど接吻できる距離まで互いの顔が近づく。
緑色の眼をした怪物と剥き出しにされた心の傷が互いの喉を噛み砕くための闘争を始める。
絶叫がふたりの耳にこだまする。
「私 は 絶 対 に 壊 れ な い !」
橋の木板が根こそぎ吹き飛ばされ、夜の暗い白煙のなか、ふたりは川面に落ちていく。上も下もなく縺れ合いながら。体にしろ心にしろ、水の流れのように。
2
そこで眼が覚めた。
一瞬、ここがどこなのか全くわからなかった。それまで見ていたものが夢だということに気づくまで、拳を開いたり握ったりして、呆然としていた。
手のなかは生温かく、汗ばんでいた。
足の裏で、とんとんと地面を叩く。いつもの、橋の上だ。私は欄干に背をもたれて、立ったままうとうとしていたようだった。
何百年前の記憶だろう。
さとりのやつがここに来た当時のこと。私がここの番人になってからすぐのこと。
灼熱地獄跡に、まだ地霊殿なんかなかった頃のこと。
すごく疲れていた。はあ、と溜息をついて、両手で髪をぐしゃぐしゃにする。
すぐ、川に身を投げたくなるくらい、全身が熱かった。
とんだ悪夢だ。
星熊勇儀が来たのは、そのすぐ後のことだった。
どうしたんだ、って驚かれるほど、私の顔色は悪かったらしい。
別になんでもないって言って、用件を聴くと、なんでも彼女主導で、慰労会みたいな宴会を開くらしい。
「この前の異変で、巫女や魔法使いにこてんぱんにされた連中を集めて、盛大に祝うのさ」
「なにを?」
「我々と地上の連中との和解を」
「ただ飲みたいだけなんじゃないの」
「まあ、そういうのもないわけじゃない」勇儀はそう嘯いた。「ヤタガラスの力を得た地獄鴉とやらに、一度会ってみたいしね。巫女たちも招くつもりだよ。この前のことで気に食わないことがあれば、そこで弾幕勝負でも吹っかければいい」
別にいまさら、そういうことをしたいとも思わなかったけど。
たくさんひとが集まるところも苦手だったけど。
「行くわ」
と、私は言った。
自分から吹っかけたくせに、勇儀は驚いたような顔をして私を見た。
「なによ」
「いや、随分素直に答えてくれたな、って思って。パルスィはこういうの苦手だろう? 半分、無理矢理にでも連れてくつもりだったからさ」
私は溜息をついた。「そういうのほんとやめてよ、姐さん」
巫女や魔法使いが、さとりと戦ったということは、勇儀に聴いて知っていた。
だから、その宴会には、もちろんさとりも出席するはずだった。
あいつが私と同じように、人付き合いが嫌いなのはわかるけれど、きっと勇儀は、無理矢理にでも連れてくるつもりだろう。
そう考えていたのだけど、それ以前に地霊殿が宴会の会場だった。
まあ、そもそもの原因があそこのペットたちだったのだから、当然といえば当然なのだけど。
名もない妖精やら地獄鴉やらまで集まってきたので、物凄くうるさくて、乾杯の音頭もろくに取れなかった。
地上からは、巫女や魔法使いと、彼女らをサポートした妖怪がくるものとばかり思っていたのに、その妖怪たちの連れまで大勢押し寄せてきたので、宴会というよりは祭りのような騒ぎになった。
押し出されるようにして外に出ると、勇儀が地べたに座って、地上の連中相手に飲み比べをしていた。始まったばかりだというのに、もう潰れているやつらもたくさんいて、まさに死屍累々といった様子だった。
勇儀と向かい合ってるのは、二本角の小さな鬼で、たぶん、巫女のサポートをしてたやつだろう。
さとりが自分から進んで、そういう場に参加することはないと思ったけれど、地面に転がってるやつらを見て回って、そこに彼女がいないことを確かめた。
しばらくきょろきょろしていると、門の端の暗がり、柵の陰になっているところに、紫色の髪を見つけた。
近づいていくと、さとりの方でも私に気づいて、グラスに落としていた目線をこちらに向けた。
さとりを探している私の心を読んだのか、怪訝な表情を浮かべるのが見えた。
「久し振り」
さとりの前まで来て、私は言う。
「……お久し振りです」
「元気だった?」
「はあ、まあ、それなりには」
「いつ以来かしら、こうして話す機会。地霊殿の落成式以来?」
「……あのときは擦れ違ったときに頭を下げただけですが」
「隣、いい?」
「ええ」
私はさとりの横に座る。
ぎゃーぎゃーとひっきりなしに誰かが騒ぐ声が、ここまで届いてくるけれど、フィルター越しの音楽みたいに、静かな空気は乱されていなかった。
周りを見ても、さとりのペットらしい影もなく、やはりというかなんというか、彼女はひとりのようだった。
横目でさとりを見る。私がここにきたことで、なにを思い、なにを考えてるにしろ、それは表情に出ていなかった。地底の妖怪特有の、白すぎるほど白い肌が、そのまま仮面のように見える。
あのときは気づかなかったけれど、残酷なほど細い首筋に、薄紫色の血管が浮いている。よくもまあこんな華奢な体で肉弾戦なんぞ挑んできたものだ。私も一応、鬼なのに。
「地上の連中が来たの、あんたのペットのせいだって? どいつ? ここにいる?」
「今勇儀と飲んでる鳥です。あともうひとりは……たぶん屋内に」
「ああ、あれ。ていうかあんた、姐さんのこと名前で呼ぶような仲だったの?」
「姐さん……?」さとりはこちらを向かないまま眉間に皺を寄せた。「以前彼女に、そう呼ぶよう言われたからですが。ああでもまあ、そうですね、彼女なら姐さんと呼んでも特に違和感はありませんね」
さとりはそう言って、グラスに口をつけた。
騒がしく酒を酌み交わしている勇儀たちのほうを向いたまま、私を見ようともしない。特徴的な第三の眼も、じっとさとりと同じほうを見ていて、微動だにしない。
ふと思う。
心を読まれるには、この第三の眼の視界に入らなければならないんだろうか。
別に読まれて疚しい思いもないのだけれど、試しに、こちらを向け、と思ってみた。
全然反応がない。
この紫もやし、と思ってみた。
……やっぱり反応はない。
ほんとに読めてないんだろうか、と疑う。直接聴いても良かったのだけれど、知らないほうが気が楽かもしれない、と思って止めた。
「なにか用事でも?」
しばらく黙っていると、さとりがそう訊いてきた。こちらを向いた拍子に、第三の眼もこちらを向く。
さとりの顔ではなく、第三の眼のほうにこっちの眼がいってしまった。
「……気になってたから? どうして?」
「そりゃね、あれだけ印象的な出会いをした女のその後を、知りたくないことってある?」
黙ったまま心のなかに留めておいても伝わっただろうけど、こちらの調子が狂うので、思ったと同時に言った。
さとりは申し訳なさそうな顔をした。
「印象的、ですか。ええまあ……これ以上ないくらい印象的ではありましたが」
「面倒ごとを押し付けられるみたいにして、灼熱地獄跡の管理なんか任されて。地霊殿を建てるのだって、姐さんたちの手伝いがあったからって、そんなに楽なものでもなかったでしょうに」
「追い出されなかっただけマシです。いえ、充分すぎるくらい充分だった、あのときは……もちろん、今でも」
さとりはそう言って、また顔を逸らした。第三の眼も、逸れた。
「これだけ立派なお屋敷に住んで……」と、私は言う。「たくさんのペットを飼って……安定した仕事を持って……妹もいるんだっけ? ……」
「なにか?」
「妬ましい」
そう、なかなか妬ましい。
ああいう出会い方をした相手が、そういう状況にあるっていうことは。
私とは大違い。
さとりは首を振る。
「所詮は仮の住まいです。いつ追い出されるかわからない」と、さとりは言う。「ペットは最近、私に近づいてきません。燐にしろ空にしろ。いつやめろと言われるかわからない仕事に、安定した、なんて修飾語をつけられますか。妹は心を閉じ、私の眼の届かない場所に行ってしまった」そこで自嘲気味に笑う。「妬むのなら、もっと立派なひとを相手におやりなさい」
「望んで、望んで……」私はグラスの酒を飲む。「さらに望んで……もっと望んで……そうして全てを手に入れてみても、結局はなにひとつ満たされてない。中身のない空っぽの人形。自分なんて蜂の巣みたいに穴ぼこだらけ、そう自分で思ってる」喉の奥を鳴らすみたいにして笑う。「でも、そんなのって結局はどうでもいいことよ。あんたが自分のことをどう思ってるかなんて知らない。私があんたを妬ましいって思ってるの。要はそういうことよ」
「……相手なんて誰でもいいから妬みに来た、ということですか?」
「そういうんじゃないの。でも結局はそうなるのかもね。私ってほら、心を読むなんてことが出来なくても、やっぱり嫌われ者だから」
機嫌を悪くしたのか、さとりはそこで立ち上がった。怒りでか、首筋が赤く染まっているのが見えた。
そのまま立ち去るのかと思ったら、肩を落として長く息をついて、また座り直した。
「……私はあなたにひどいことをしました。あのときはどうしても……殴り込みのような形しか思い浮かばなかった。それくらい切羽詰っていましたから。けどどう理由付けしても、悪いのは全面的に私だった。一度、きちんと謝っておきたかった」
「あんたのことは妬ましいけど、そんなに嫌いにもなれない。地底に逃れたってこと自体、私たちは途轍もなく大きなシンパシーのなかにいるようなものだし」
実際、傷口を抉られて掘り返されたことについて、私はさとりを責める気にはなれなかった。
そもそもああいうトラウマをつくったってこと自体、自業自得のようなものだったから。
清く正しく生きていて、そこでつくったトラウマを抉られたのなら、さとりを憎むこともできただろうけど。
やり場のない怒りというのは、やっぱりやり場がないわけで、それを他人に向けるのは、お門違いというものだ。
「謝られたくない。これから先、私はあんたを不快にするような言動をたくさんするかもしれないから。そんなことしないって誓うのは簡単だけど、私自身、一度は行き着くとこまで行き着いた女だし」
「自分を信用することができない?」
「読める?」
「いえ……今のは私自身が思ってることです」
さとりはそれでも、謝りたそうな表情をしていた。
お酒をもらってきます、と、さとりは立ち上がった。
「他の方のところに行きますか?」
私は少し考えて言った。「ここにいる」
さとりは頷いて、背を見せた。
怖ろしく、小さい背中だった。
ほとんど子供と言ってもいいかもしれない。
岩壁に張り付いた薄氷のような、危うい印象すら伝わってくるほど。
酒に火照った頭で、ぼんやりと彼女を見送る。
さとり、と心のなかで呼びかける。
彼女はこちらを振り返らない、けれども本当に、彼女は背後の者の心を読むことができないのだろうか。
そう思わせることで、安地にいるような安心感を相手に与える、自分を過小評価させる、そういう計算があるのかもしれない。私の心を覗いたときに、咄嗟にそういう考えに行き着くほど、彼女は頭のいい女なのかもしれない。
頭の回転が速い女だということは、疑いようもないことだ。現に私とあれだけの騒ぎを起こしておいて、どんな紆余曲折を経たかは知らないけれど、こうして地霊殿の主に納まっているじゃないか。そのまま追い出されていてもおかしくなかったのに、そうした罰をみな潜り抜けているじゃないか。
一方で、彼女は本当に、第三の眼に映った者の心しか読めないのかもしれない、とも思う。鬼のように、一切の嘘をつくことのない、ただの必死な女なのかもしれない。
さとり、と私はもう一度呼びかける。
覚はひとの心を読む。だったら覚の心は誰が読む?
さとり。私の声、ちゃんと伝わってる?
さとり。
さとり。
こちらを向け。
私を見ろ。
さあ。
私を――
「ふふん! 八咫烏様の力を手に入れた私はいまや全身全霊アビスノヴァ! 全力全壊制御不能の超絶無敵臨界点突破真っ最中よ! もはや鬼ですら私の足元にも及ばない!」
「ん? んんん? おっと、おっとぉ? 言ってくれるじゃないのお嬢ちゃん、そこまで挑発されちゃあ応えないわけにもいかないねえ! 強い者と見れば力比べをせずにはいられない、さあて、いっちょやり合おうじゃないか! ええ!?」
「おー? おー? なんだい勇儀、しばらく見ないうちに地底にも随分面白いのが増えたもんだねえ! こいつぁひとつ、私も混ぜてもらおうかい!」
「お姉さま! あそこでなんか面白そうなことやってるよ! 私も行ってきていい!?」
「ええフランもちろんよ、ただし紅魔館当主の妹として、無様な姿を見せることだけは許されないわ。やるのなら徹底的におやりなさい、この私が許す! っていうか私も行く!」
「爆符『ペタフレア』ああああああ!!!!!!!!!」
「力業『大江山颪』いいいいいい!!!!!!!!!」
「鬼神『ミッシングパープルパワー』ああああああ!!!!!!!!」
「禁弾『スターボウブレイク』っ!」
「魔符『全世界ナイトメア』あああああああ!!!!!!!!!」
今まさにさとりが向かおうとする瞬間。
突然、地霊殿が、爆発した。
なにが起こったのかは、わからなかった。
宴会が終わると、またいつもの日常が戻ってきた。
爆発した地霊殿を建て直すために、紅魔館とかいうところの連中が頻繁に出入りするようになった以外は、やっぱり橋の周辺は静かなものだった。
跡形もなく消し飛んだので、ひとが住めるようになるには、まだだいぶ時間がかかるとのことだった。
火炎猫や地獄鴉なんかはもともと灼熱地獄跡に暮らしているわけだからともかくとして、さとりや彼女の妹はどうするのか。
勇儀にそれとなく聴いたら、妹のほうは行方知れずで、さとりは今は古都の宿に泊まっているとのことだった。
随分な貧乏くじを引いたもんだと同情はするけれど、人生なんて大抵はそんなものだ。
ある朝、いつものように橋に向かうと、橋の中央部、欄干に交差させた腕を置くようにして、さとりが川の流れを見つめていた。
鬼火の薄暗い光が川面に反射して、彼女の顔を下から淡く照らしている。
珍しい……というより、今まではありえなかった光景だった。
「朝から晩まで、ずっと宿に滞在しているわけにはいきませんから」
と、さとりは言った。
「古都に知り合いは? 勇儀以外に」
「いませんよ。買出しなんかは、みんなペット任せでしたし」
「わざわざこんな辺鄙なところまで来なくても」
「地底一の嫌われ者が、あんなところを毎日うろついているわけにもいかないでしょう。正直なところ、ここと地霊殿以外に地底はよくわからないんです」
さとりは肩を落とした。
さとりの隣に立つ。川の流れに目をやりながら、ぼんやりと時間を埋め始める。
紅魔館の妖精メイドたちが、きゃんきゃん喚きながら地上から降りてきた。
ここ最近では見慣れた光景だ。
仕事できたというよりは、遠足にでもやってきた子供たちのような雰囲気で、統率もなにもあったものじゃない。
みんながみんな楽しそうに笑っていて、仲が良さそうで、妬ましい。
五分くらいで、全員ここを通り過ぎた。その間、さとりはずっと俯いていて、一言も物を言わなかった。
嵐が通り過ぎた後のように静かになって、ようやくさとりが口を開いた。
「……賑やかですね」
「最近はね」私はそう短く答えてから、「歓迎のひとつもしたいところだけど、生憎これが仕事だから。昼間っから酒というわけにはいかないし。こうして話すだけなら大丈夫なんだけど、いい?」と続けた。
「話さなくてもいいくらいです。時間が潰せれば」
実際、話すことなんてあんまりなかった。
私もさとりも、そんなに会話が得意なほうじゃなかったから。
川の流れをじっと見つめて、ひっきりなしにざらざら動く水の銀色を追っていれば、大抵、それで一日が終わる。
いつもはそうしているのだけれど、やっぱり勿体なく思えて、私は隣にいるさとりを見ることにした。
私が見ていることには気づいてるくせに、さとりはなにも言わない。
変な時間だ。
暇に飽かせて、おもむろに手を伸ばしてみる。
頬を摘まんで、引っ張ってみる。
……柔らかい。よく伸びる。丸っきり子供の皮膚だ。
あのときは全っ然気づかなかったけれど。
「やめれくらさい」
遊んでいると、やんわりと手を払われた。
そうして一日、ぼーっとしていた。
特になにを話すこともなく、時折、気紛れに手を伸ばして髪を弄ったりして。
私が家に帰るころ、さとりも宿に帰っていった。
次の日もさとりはきた。
その次の日も。
よほど、旧都の居心地が悪いのだろう。私もあそこにはあんまり近づかないから、気持はわかる。
嫌われ者同士、というわけだ。
私はたぶん、少し嬉しかったのだと思う。
たまに勇儀やキスメやヤマメが来る以外、ここには誰も訪れてこない。それで淋しいのかと言われれば、それも少し違う。
私くらい長い間ひとりでいると、そういう感情も削れ切ってしまうから。
望んでそうなったのではないにしろ、さとりは恐らく、私がこうして妖怪になった理由を知っている、ただひとりの女だ。
心を読むという能力が、どれくらいの次元で作用したのかは知らないけれど、たぶんあのどうしようもない殺意を、そのあとの行為を、さらにそのあとの結果も、全部見られた。
逆の立場だったら、きっと、私は私に近寄らない。
奥底にそういう衝動を持っている女には触れたくない。
けれどもさとりは、こうしてやってきている。
どういうつもりかなんて知りたくもないけど。
最初にそういう出会い方をしたものだから、いまさら読まれて困る心もない。
友人というにはあまりにもあっさりした関係だけど、少なくとも、隣にいて不快な相手ではなかった。
そういう想いは読まれていて欲しいのだけれど、実際、どうなんだろうか。
地霊殿が建て直されたら、さとりはまた、あそこに引き篭もるつもりなんだろうか。
3
地霊殿を与えられた日のことを忘れない。
地獄の火の明かりに反射する、ステンドグラスの鮮やかな色。
こおん、こおんと、私の足音がそこらじゅうに反響する異空間のような静けさ。
床に手をつくと、大理石の頑丈な手応え、その下から届いてくる不穏な温かさ。
夢にも見たことなかった、素晴らしく広大でしっかりした我が家。
ああ、やっと。
やっと、誰に追われることもない安寧を手に入れることができたんだ、と。
心の奥では、それがただの隔離でしかないことを理解していながら、私は喜んだ。
ぺたりと、窓際に座り、黒ずんだ外の光景を眺めた。
閉じた瞼の裏で闇を見据えながら、それでもまだ、耳にこだましていたのは、トラウマの奔流のなかで叫び続ける、橋姫の声だった。
第三の眼が捉える妖怪たちの声が、私に容赦なく突き刺さってくる。
旧都へ続く道。
地霊殿が壊れてしまい、ひどく申し訳なさそうに謝る勇儀に、宿を紹介された。
地図をもらったので、そこへ行くまでの道のりはわかる。
行方の知れないこいしは心配だけど、今は仕方がない。
燐や空は、地霊殿を建て直すために残り、寝起きは灼熱地獄跡でするらしい。
旧都へ行くのは、私ひとりだ。
けれど、足が進まない。
膝ががくがくと震えて、全く力が入らない。
かつての記憶が、怖ろしく歪に蘇ってくる。
地上で、あらゆる人妖から追い回されていた頃の記憶。
あの妖怪は、私を食い殺そうとしている。
あの樹の裏には人間が潜んでいて、刀を手に私を狙っている。
心を読まれ、暴かれることへの恐怖が、第三の眼から流れ込んでくる。
幻だ、と首を振ってごまかそうとする。
寒いはずがないのに、歯ががちがちと鳴った。
怖くてたまらない。
自分の息がうるさい。
昔は、こんなことはなかったのに。
地霊殿で長いときを過ごすうちに、私は広所恐怖症にでもなってしまったのだろうか。
立っていられない。ろくに歩けないまま、道端の石に腰掛けてしまった。
けれど座ってみても、状況は全く改善しないのだ。
呼吸さえままならない。
地霊殿は壊れた。私の身を守るものはもうなにもない。
心が黒く染まっていくのがわかる。
いっそ、このまま、気絶でもしてしまったほうが楽なのではないか……
自分の身を抱くように腕を回して、食い縛った歯の奥から息を吐く。
そうして私は、収縮していく自分の心のなかを覗き込む。なにか、頼れるものはないのだろうか。こんなときになにひとつ見出せなくなるほど、私は空虚な張りぼてなのだろうか。
頼れるものを、見つける。
「私は壊れない――」
うわごとのように、私は口にする。
「私は壊れない……」
全身の血が入れ替わっていくような感覚がする。
「壊れない、私は壊れない、私は絶対に壊れない」
戦場に送られた言葉。
「やれるものならやってみろ……」
立ち上がる。大丈夫、立ち上がれる。
死に直面するくらいなら、抱えきれない荷物を背負うほうがまだいい……
古都で過ごす時間はブラックホールそのものだった。
部屋を締め切り、一日中毛布を被り、世界から自分を遮断する。
それでも第三の眼が捉える心の声は余すところなく私に届いてくる。
『ほら、あそこの宿』
『覚妖怪がいるらしいぞ』
『地霊殿の?』
『近寄るな、心を読まれるぞ』
『はやく出て行けばいいのに』
そういう言葉がもたらす感情は、地霊殿に住むようになってから、長い間味わうことのなかったものだった。
もう、免疫なんて丸っきりなくなってしまっていた。
胎児のように丸まって、眠ることさえできず、嵐のような時間が過ぎ去ってくれるのを待っていた。
けれども、私の一部は。
こういうことに向き合う機会は、今をおいて他にないのだと、確かにわかっていた。
どんなところに逃げ込んでも、いずれは向き合わなければならないものだ、と。
私の心は、私自身がどうにかしなければならないことだ。
「もし辛いのなら、ここじゃなく、私の家に……」
言いかけた勇儀の言葉を、首を振って否定した。
もともと勇儀には、数え切れないくらいたくさんの恩がある。
パルスィとやりあったことの後始末もそうだし、地霊殿建設の際もそうだ。
これ以上借りをつくりたくなかったし、心配もかけたくはなかった。
申し訳なさそうに勇儀は頭を掻いた。
地霊殿が直るまでまだだいぶかかりそうだ、とか、金輪際酒の席で弾幕を撒き散らすのはやめる、とか、そういうことを話した後、勇儀は思い出したように言った。
「パルスィとはあれ以来話をしたかい?」
その名を聴いて、どくんとひとつ、心臓が跳ねるのを感じた。
それを悟られないよう、できるだけ小さな声で、「なぜ?」と訊き返した。
答えはなかった。おまえさんにもわかってるだろう、という心の声が聴こえて、沈黙が場を満たした。
――もう一度、会ってみるといい。話ができなくても、おまえさんたちはきっと気が合う。パルスィだって、あんなことがあっても、おまえさんを嫌いなわけじゃなかっただろ?
おまえさんたちは鏡に映った虚像みたいにそっくりだよ――
パルスィの言葉が、いまだに頭の奥でがんがん鳴り響いている。
私は絶対に壊れない。
私はその言葉に問いかける。
本当に?
地霊殿で再会した彼女は、壊れていなかった。
私のことを嫌いになれないと、言ってくれた。
パルスィの手がこちらに伸びてくるのを感じた。
地底の妖怪特有の、白すぎるほど白い皮膚。氷のように体温の低い、長く、細い指先。
あのときとなにも変わらない、その感触は覚えている。
私の頭を鷲掴みにした危うい力強さはもうなく、気だるげな、弱々しい緩やかさだけが残っている。
耳にかかっていた髪を払われ、そっとその辺りに触れられる。
パルスィにとっては、単なる暇潰しでしかないとわかっていても、なんだか妙な心地がする。
心を読むのが自分だけでよかった、と思う。
「なんか紅くなってるわよ」
「パルスィがしつこく触るからでしょう」
「あ、そ」
俯いていないと、頬まで紅くなっていることを指摘されそうで、怖かった。
会うことのなかった空白の時間。私が地霊殿に、パルスィが橋にいた長い年月。
恐らく、パルスィは私のことを思い返すことなんてなかったのだろう。
時折、ふと思い出すことはあったかもしれないけれど、それは間違いなくどうしようもないマイナスイメージの発現でしかなかっただろう。
けれど、私は。
夜毎に――地上を蠢いていたときの毒のような記憶の蠕動が夢を蝕むたびに、あの獰猛な言葉とともに、彼女のことを思い出してきた。
私は壊れない。
ずっと、その意味を考え続けてきた。
その言葉に縋ってきた。
『おまえさんたちは鏡に映った虚像みたいにそっくりだよ。パルスィは他者に向かう自分の心と、おまえさんは自分に向かう他者の心と、怖ろしく長い間戦い続けてきた。心そのものと戦うとき、自分がどれだけ強くならなければいけないのか、おまえさんらはわかりすぎるほどわかっている。そうじゃないかい?』
と、勇儀は言ったのだった。
たぶん……
私はきっと耐え切れる、と。
彼女がこうして存在しているという証明がある限り、信じ続けることができる。そう思っているのだろう、私の心は。
私の髪を弄りながら、パルスィが心で呼びかけてくる。
彼女はそうやって、第三の眼の効果範囲を見極めようとしているけれど、そういう意図がわかるので、私はあえて返事をしない。
『ねえ、さとり』
聴こえてる、と、私は心のなかだけで返事をする。
『さ、と、り』
気だるく、もののついでのような――だからこそ甘ったるい、穏やかな声。
『さとり』
これだけ距離が近いと、ほとんど耳元で囁かれるような、生々しい感覚を伴う。
私はじっと俯いて、川の流れを見つめている。
『こっち向いてよ』
なんだか息苦しい。
パルスィの言葉が近い。
『私を見て』
どうせ聴こえてないだろう、という日和見から、その声はもうほとんど誘惑するように響いている。
冷たい指先がするすると移動して、私の唇をなぞってくる。
指が突然、近くにきたような気がして、ぞくっとした。
そんなことをしてもパルスィはなにも思わないから、単なる暇潰しの意図しかないのだ。
もしパルスィが私の心を見ることができて、私がこんな想いでいることがわかったら、そんな軽はずみなことをするわけがないのだから。
ただのスキンシップ。
ただの……
『随分とまあ、綺麗な形の唇よねぇ』
「……っ」
心のなかで不意打ちのように褒められて、頭とお腹のあたりがきゅっと熱くなった。
『呆れてるのかしら。さっきからちっとも振り払おうとしないけど』
手を動かそうとして、やめる。今拒絶の言葉を吐いても、きっと私の口からは、情けないくらいに弱々しい、意味を為さない呻き声しか出ない。
『……やっぱり読めてないのかしら。こんなに近くにいるっていうのに』
もう少し、触れられていたいという気も、無きにしも非ず――
「――ッ!?」
唇を割って、人差し指が入ってきた。
驚いて、反射的に歯を立ててしまった。
堪らなくなってパルスィを見ると、くすくすと邪気のない微笑みを浮かべて、こちらを見下ろしてきていた。
「眠ってるかと思った。あんまりにも反応が薄いもんだから」
どくん、どくんと、心臓が鳴っている。
頭が火照って、うまくものを考えられない。
だから、「あんたさあ」とパルスィが声に出したとき、一瞬、それが心の声なのか現実に出された声なのか、判断がつかなかった。
「地霊殿が完成したら、また引き篭もって出てこないつもり?」
「……それが」
息が詰まって、言葉が途切れた。
頭のなかで、旧都の宿で聴いた心の声が再生される。
「――今までもそうしてきたことですから」
自分のそうした声を聴くのが辛かった。
それは私の意志ではなかったから。
本当は、引き篭もりたくなんかなかった。自分を隔離するみたいなことをしたくはなかった。
またこうして、パルスィの隣に来て、彼女の心の声を聴いていたかった。暇に飽かせて物憂げに触れてくる彼女の指先を感じていたかった。
「ねえ」
私はその声に、パルスィのほうを向く。
――パルスィの声は、嫉妬に狂った妖怪だとは思えないほど明るくて。
その表情は、どこまでもどこまでも穏やかで。
「そうしたらたまに、遊びに行ってもいい?」
そんなわけあるはずないのに、自分のしてきたこと全部が、赦されたみたいに感じた。
「雨……」
パルスィがぽつりと呟いたのと同時に、私の耳に、冷たい滴が落ちてきた。
あれよあれよという間に勢いが激しくなって、私はパルスィに手を引かれ、橋の下へと避難させられた。
鬼火の暗い灯りも届かない、影のなか。
ざあざあと降る雨の先端が、川に夥しい数の波紋をつくって、流れていく。
橋の下と言っても、木板の隙間から滴る水が、私の首筋の辺りに落ちてくる。
どうしようかと思っていると、急に視界が狭まった。
パルスィが、自分の上着を脱いで、私に被せていた。
「パルスィ?」
「地霊殿の主に、風邪を引かせるわけにもいかないでしょう」
「でもあなたは」
「私が臥せって誰が困るって言うのよ」そう言って、パルスィはひらひらと手を振った。「これでも一応は鬼だから。出来損ないみたいなものだけどね。少なくともあんたよりは丈夫にできてる」
タンクトップのような、黒いインナーだけになって、パルスィは私の隣に座った。
雨はますます激しくなっていく。
滴り落ちる水の粒も、どんどん増えていく。
パルスィの上着が、水を吸収しきれなくなる。
ぱっと、世界が白く光って、遅れて稲妻の轟音が聴こえてきた。
ひっ、と、反射的に情けない声を上げていた。
「雷は嫌い?」
「……そうでもないです、けど、こうして外で音を聴くのは久し振りですから」
「私なんかはもう慣れっこだけど、地底の雷も。地上と違って、そこらじゅうに跳ね返って、響いてくるのよね」
がん、とまた雷がどこかに落ちた。岩の弾ける音が聴こえた。
私の反応を見て、パルスィがどうしようか、迷っているのが読めた。
『……姐さんだったら、こういうとききっと、見てるほうが妬ましくなってくるような対応をするはず……』
パルスィの脳裏に、勇儀の姿が浮かんだ。
五割り増しに男前で、ちょっと吹きそうになったけれど、そのあとに思い浮かんだ彼女の行動を読んで、笑えなくなった。
顔中に血が巡るような、熱さを覚える。
「パルスィ――」
ちょっと待ってください、という間もなく、私はパルスィにすっぽりと覆い被られるようにされていた。
ちょうど、彼女の胸が私の頭のあたりにくるようになって、背中に腕を回されている。
があん、と、光と音がほとんど同時に奔った。
怖ろしいくらいの緊張が、私の体を縛ってくる。
ろくに息ができない。
体中が熱い。
心臓が破裂するんじゃないかっていうくらい私の胸を内側から殴打していて、今にも叫びだしたくなるような、どうしようもなさが頭を沸き立たせる。
「パル――」
「ん、大丈夫。ここなら安全だから」
小さな子供にそうするように、私の耳元でそう囁いて、背中を優しく叩いてきた。
……本当に不思議なことに、そうされた瞬間、私のなかから緊張が一気に解れた。
「あ……」
「大丈夫。大丈夫」
心の声が聴こえる。
どこまでも緩やかに、大丈夫、と囁いている。
パルスィの体からは清涼に流れる小川の匂いがする。
指先は冷たかったのに、今触れている箇所からは、じんわりと温かみが伝わってくる。
とろん、と、眠くなってくるような穏やかさ。
「どうして――」
と、私は喘ぐように言った。
「私は……私は」
全身からすっかり力が抜け落ちているのに、体の底から震えが来るような、不思議な気分だった。
「あなたに、あんな、ひどいことをしたのに」
パルスィの心に偽りはなくて、それが余計に辛く響いてきて。
「なんでそんなに、優しくできるの……」
妬ましい、と思う。怒りを怒りとしてではなく、全ての怒りを水の流れのごとくに穏やかに連ねていることが。
嫉妬心を操るということ。それは結局のところ、自分の嫉妬さえ客観的な位置から静かに見つめることができるということ。
どれだけ強くなれば、そんな領域に到達できるのだろう。
自分の心と戦うとき、私たちはどれだけ強くならなければならないのだろう。
「明日があるさ、とか、明日は今日より良くなる、とか、そういうたわごとっていつでも言えるわけじゃないけど。言える連中は妬ましいとは思うけど」
と、パルスィは私の耳に唇を押し当てるようにして言った。
「私たちだってお互い、少なくとも、あの頃よりはだいぶマシな女になってる。もしあの頃の私たちがここにいたら、きっと今の私たちを妬ましいって思うはず。そんなろくでもない過去に、いつまでも自分を所有させておくわけにはいかないでしょうが。自分を壊させるわけにはいかないでしょうが」
雷が光った。今度は音が聴こえてくるまでだいぶ時間がかかった。
「さすがの私でも過去を妬むことまではできない。だからあんたも、昔私にしたことなんて忘れちゃいなさい。私たちは今と明日だけ妬んでいればいいのよ」
砂に雨が染み込むように、その言葉は私の心にしんと落ちていった。
「止んだわね」
パルスィの声が聴こえた。
いつしか雨音は遠くに過ぎて、時折橋のへりから落ちる水滴の、ぽつぽつと響く軽い音だけが、川の流れる音に混じっていた。
雷ももう、静かになってしまった。
けれど私の鼓膜には、きんきんと耳鳴りの音ばかりが届いてきて、パルスィの声だって、心の声がなければ聴こえていたかどうかもわからない。
パルスィの身体が、私から離れていく気配がした。
私はパルスィの服の裾を掴んで、彼女を見上げた。
「さとり?」
――どうしたの? 顔真っ赤よ、あんた。
ああ、そうなのか、と思う。
正直なところ、自分がなにをしようとしてるのか、よくわからなかった。
パルスィの心の狼狽を通して、自分の姿を見ていた。
触れたい。
無性に、彼女の体に触れたい。
そんな欲求ばかりが膨れ上がっていた。
私はパルスィの顔を両手で挟むように引き寄せて。
頭がぽーっとなって、なにがなんだかわからなかったけれど。
その唇に自分の唇を押し付けた。
「……」
「……」
周りの音も遠ざかって、パルスィの心も波紋ひとつない水面のように静かになって。
膝に力が入らなくて、パルスィの胸に倒れこむような形になった。
空や勇儀のような、わかりやすい大きさじゃないけれど、それでもやっぱり、私より全然大きい。
パルスィの身体が倒れて、私の視界も傾いた。
濡れた雑草の水滴が飛び散って、冷たい。
パルスィはぽかんと口を開けて、こちらを見上げている。
鬼火の光はどこまでも薄暗くて、彼女の輪郭を曖昧にする。
顔に顔を寄せると、そこに落ちた影が私の影じゃないみたいに大きい。
そう言えばパルスィの上着を頭から被ったままだったっけ。
心臓が早まるのを聴いた。
ただ、それが私のものか彼女のものなのか、ちょっといまいちわからない。
ぐるぐるしているのが私の思考で、しん、となっているのが彼女の思考。
剥き出しの二の腕が、なんだか新鮮な感じがする。
頬に頬を当てた。
「あたたかい」と、自然に声が出た。
「……ぇ、ぁ、ありがとう……?」
パルスィはまだ状況を把握してないようだった。
頬にキスした。
そこでようやく、パルスィの心がざわっと揺らめいた。
「っ、なに、して――」
たぶんその問いかけには私自身答えられないだろうと思ったので、唇を塞いだ。
心のなかに浮かんだ問いも、それで一旦霧散した。
燐がまだ人型になれなかった頃、よく私の膝でそうしたように、体を捻じるように動かしてパルスィの体に押し付けた。
なんだか変に幸せだ。
そうしているだけで満足できそう。
パルスィの頭のなかには、たくさんの疑問符が浮かんでいるけど、明確な単語はなにひとつない。
顔を持ち上げて、笑いかけた。
たぶん顔の筋肉のいろんなところが緩んで、原型なんて見当たらない、それはもう情けない表情になったことだろう。
パルスィはまだ混乱していて、唇の端だけ曲げるような、ひくついた笑みを返した。
情愛というには曖昧すぎて、情欲というには穏やかすぎる。
私自身にもはっきりしない、真っ白な感情。
私の心は誰にも読めない。私にさえよくわからない。
恋、なんだろうか。
ずっと想い続けてきたことには変わりないのだろうけど。
信仰みたいなものに近いんじゃないだろうか、と思う。
どちらでもいい。
抑え込んでいたものが解き放たれたようで、スピード自体は大したことないのだけれど、なんだか色々、止まりそうにない。
どくどくと、私の胸の下で彼女の心臓が鼓動している。
彼女の吐息が、手のひらに包み込めるくらい近くにある。
嬉しい。
興奮するとか、愛おしいとか、そういうのを抜きにしてまず嬉しい。
最初の邂逅は激しすぎて、自分が自分じゃないみたいだった。
今は間違いなく私なのだ。ありのままの私。
止まってしまった私を見て、パルスィの心がまた動揺するのが見えた。
――ただのじゃれ合い?
――スキンシップ?
拒絶するしないの境界線上を、ぐらぐらと揺れ動いている。
うん、私もよくわからない。
首筋をかじる。
かじって、舐めた。
私の代わりに漏れてくる雨水を受け止めていた皮膚はしっとり湿っている。
汗と違って、砂糖水のように甘い。
私の手が脇腹に触れると、彼女の身体がぴくりと震えた。
くすぐったがる心が見えたので、そのままさすった。
彼女がくすぐったく思えるところに指先を這わせ続ける。
「さとり……」
「なんですか」
私の声は私の声じゃないみたいに無垢な代物だった。
自分のやっていることに迷いも罪悪感もないような。
「――? ……、? ? ……」
混乱しているのは、たぶん、これが彼女の知っている行為とはまるで似つかないものだから。
激しすぎ、剥き出しでありあすぎた心のせいで鬼と化したくらいなのだから、たぶん性行為も、もっと直接的で、速いものだったんだろう。
そういう風に私が動いていれば、きっと彼女も、すぐに拒絶してきたんだろうけど。
もっとも性行為という自覚自体、私のなかでさえ曖昧なものでしかなかった。
行為を一度止めると、パルスィはますます混乱した。
――やっぱり、単なるじゃれ合いなの? だったらあんまりむきになって引き剥がすのもなんだか……
おもむろに、頭の上に手を伸ばす。
川の流れはぞっとするほど冷たい。
指先がどんどん冷え切って、感覚がなくなっていく。
水の滴るまま自分の顔に触れると、そんなわけないのに、じゅ、と水が蒸発する音が聴こえるような気がした。
私の肌はもう少し体温が低くなかっただろうか。
ブラウスのボタンを外す。
陰になって、パルスィの眼からは私のそんな行動がわからなかったらしい。
パルスィはぼんやりと橋を見上げていた。
その顔に口づける。
頬、額、鼻先、顎、唇、瞼、こめかみ――
彼女の足の間に、自分の足を捻じ込んだ。
膝を立てると、彼女の視線が泳いだ。
感覚の戻らない指先でパルスィのお腹を撫でると、くすぐったさより冷たさに驚いてひくりと震えた。
「……ねえ、これって」
彼女はどこまで許してくれるのだろう。
心を読んで、彼女が本気で嫌がったところでやめればいいと思うけれど、あまりにも突然拒絶されると間に合わない。
今はまだ、大丈夫。
けれどそれより、私がこれを止められるのかどうか。
思考が流れていく。
自分に懐いてはしゃぐ子供を、微笑みながら許容する母親の心模様。
今のパルスィの気持ちに、一番近いものがあるとすればそれだ。
……なんだか悔しい。
キスをして、舌を入れた。
私のほうはそれだけでいろいろと破裂しそうになるのに、彼女のほうはだいぶ余裕があるのが悔しい。
喉の奥に逃げていく舌を追ったら、逆に巻き込まれて吸われた。
驚いて動きを止めてしまうと、彼女の動きも止まってしまった。
おずおずとまた動かし始めると、それ以上に滑らかな彼女の舌が私の口腔に押し返してきた。
……こ、これはだめだ。
勝ち目がない。
私が為すがままになる寸前で彼女の動きが止まる。私が動こうとしてもちっとも思い通りにさせてくれない。
私が動かないと、彼女が動いてくれない。
翻弄されるために攻めているようなものだ。
唇を離そうと顔を上げたら、追われた。
逃げ腰になった瞬間に攻め込まれて、蹂躙される。
私が上になっているのに溜まった唾液を丸ごと押し込まれてぐちゃぐちゃになった熱いものを飲まされ喉が熔ける。
力が抜ける。
足に足を絡ませられて、そこを基点にぐるりと身体が回転する。
がくんと視界が揺れる。
背中が痛くて、咳き込んだ。
手首を掴まれて地面に押し付けられていた。
「……あんたさあ」
鼻先がこすれあうくらいパルスィの顔が近い。
「私のこと好きなの? それともただの戯れ? 私はあんたの心が読めないんだから、ちゃんと言葉にしてくれないとわからない。私としては……なんていうか……遊びでこういうことしたくはないんだけど。水辺の女だからって巫女でも遊女でもないんだから」
……言葉にするなんて、無理だ。
こうして傍にいるだけで、どんどんおかしくなってくるのに。
パルスィの心を通して見る自分の姿は、もう丸っきり、自分であるように見えない。
今にも熔け落ちてしまいそうなくらい、首の際まで真っ赤に染まっている。
遊びなんぞでこうなるものか。
パルスィが私の心を読めないのが、辛くてたまらない。
「……お願い、します……」
どうにか、声に出すことができた。未発達の出来損ないのような言葉だったけれど。
「今だけでいいから、どうか……抱いてください」
懇願する声は跡形もないほど潤み崩れていた。
「あなたにトラウマを突きつけたことが私のトラウマだった。あなたという存在を容赦なく壊しにいったあのときの私が。でもあなたはこうして存在し続けている。背筋を伸ばして、生き続けている。その事実そのものが――」
切なさばかりが勝手に溢れて止まらない。
完全にできあがってしまっている。
思考なんて所詮は言葉のぐだぐだだ。
身体の熱だけが本物で、それは頭をばかにする。
ばかになった頭のまま、パルスィの唇にキスをする。
体勢が苦しい。
パルスィがぱっと上半身を起こしたので、届かなくなる。
馬乗りの体勢だから、どれだけ動いても全然びくともしない。
手首が抑えられているので、動けば動くほど体中が痛い。
それでも動く。
息が荒くなる。
パルスィがこちらを見下ろしてきているのが、近づいてくれないのが哀しくて、勝手に涙が出てくる。
潤んだ視界のなかで、私がパルスィを呼ぶ声を遠くに聴いた。
なんだかもう、どうしようもない。
触れたい。
滅茶苦茶にしたい。
されたい。
どうか、私の心を読んで。
パルスィ。
お願い。
――さらさらと流れていく音が聴こえる。
水も。心も。体も。熱も。
伝わったのかどうかはわからなかった。
届いてくる心は白く熱せられた光色で埋まっていて。
唇が落ちてくる。
「――静かにして。黙ってて」
耳に押し付けられるようにして声が聴こえる。
橋の上を、たくさんの妖精たちが飛んでいく。
地霊殿の修復に来た紅魔館の妖精メイドか。
見られた?
第三の眼はパルスィの心にだけ集中していて、彼女たちの声までは聴こえない。
背徳感を覚える余裕もない。
パルスィの顔が近い。
私は無我夢中のまま手を伸ばして、黒いインナー越しに彼女の胸に触れる。
「……っ」
大人しくしてなさい、と彼女の心が言う。
無視する。
首筋に唇を押し付ける。
押し付けられた体はろくに動かないので、指だけを動かし続ける。
柔い。
布越しにようやく突起を見つけて、摘まんだ。
体勢が体勢なのでちっとも巧くいかなかったけれど、それでも何度も扱いているうちに、硬くなってくれた。
「っ、」
ほんのわずかな吐息が耳にかかり、そこからじんわり熱くなる。
わずかに力が緩んだ隙に、足を素早く絡める。
妖精たちの声はあくまでも陽気だ。
スカートがいろいろと邪魔だ。
脱いでしまいたい。
地底の暗さではきっと、橋の上からここまでは見えない。
そう思っていたら、いきなり下から刺激がきた。
「……あんたがそういうつもりなら……」
声を上げそうになったら唇を塞がれた。
「――!」
「大人しくできないんだったら……」
下着の間から指を入れられていた。
――濡れすぎ……
じんじんと鈍く疼いてひくつくそこに、いきなり突き立てられた。
背中が反り返って声帯が震えて勝手に腰が浮いてそういう反応全部をパルスィの身体に押さえつけられた。
スカートに垂れた蜜が腰の下で熱い。
「ん――ッ、む、んぅ……!」
――さっきのだけで、こんなになるものなの? ちょっとだらしないんじゃない?
違う。
それはずっとあなたを想っていたから。
永すぎる時間のなかで凝縮されていた感情がこの瞬間に解き放たれただけ。
パルスィの舌に塞がれて息ができない。
手の力が勝手に抜け落ちていって胸に触れることすらままならない。
痺れたように震えること以外に動くことを許してもらえない。
もっと強い刺激を求めて腰部がひくついているのに、パルスィの指は突き立てられたまま微動だにしない。
このまま妖精が全員いなくなるまで待たされるの?
そんなのってない!
なんとかして腰を動かそうとするけれど、びくともしない。
来そうなのに来ない。
どんどん深く広くなっていくばかりで際限がない。
もっと。
もっと!
自分でも浅ましく思えるくらい、みっともなく腰を揺すった。
秘所からとぷんと溢れて落ちて、足の付け根を擦り合わせたいけれどそれさえできない。
じんじんと悲鳴を上げるみたいに鈍く甘くひくつく。
善がり声を上げることさえ許されず、行き場を失った情欲がぐるぐるぐるぐる同じところを回ってる。
「――っ、ん――! ん――! ぅ、んっ……――ッ!」
今声を上げれば間違いなく上を飛んでる妖精たちに聴かれる、それはわかるけれどそんな羞恥心なんて粉々になるくらい高められたまま放してくれない。
「……さ、さとり」
パルスィの動揺が見えた。
妖精がいなくなって、拘束が緩んだ。
もう羞恥心もなにもなかった。
絶頂寸前で止められた肉欲が疼いている。
自分で動いてしまいそうだったけど、その衝動をなんとか押し止めて、言葉を紡いだ。
「お願い、お願い、パルスィ、パルスィ!」
自分の声じゃないみたいだった。
濡れた雑草のわずかな揺れが太腿の辺りをくすぐる、それだけで気がおかしくなりそうなくらい快感を覚えている。
彼女にされたい。
彼女の指でいきたい。
水浸しになった世界で、パルスィが頷くのが見えた。
私の熱情に反して、あたりは静かだった。
私たち以外の誰の声も聴こえない。
一度抜かれて、挿れられる、それだけで軽く達した。
「――ぁ、あ、は――っ」
自分の喘ぎ声を怖ろしく遠くに聴いた。
切なさを越えて哀しくなる。
ただこのためだけに空虚な生が解き放たれる。
親指に引っ張られて核芯が剥き出しにされる。
押し潰されて意識が飛びかける。
「あ……ぁっ!」
「ぅあっ、あっ、ひあ、あ! あ!」
挿し入れされるたびに絶頂するような錯覚があった。
「うぁっ! ああっ! ッ、ひゃ、ぁああああ――、!っ、 ひああああ! ふぁああッ、っ! あぁああああああ!」
ぐちゃぐちゃにされた秘所が捩れて元に戻らないんじゃないかと要らぬ心配が頭の隅に浮かんだ。
地上から吹き抜ける風に世界が揺さぶられる。
「ああああっ! パルスィ、パルスィ、ぁあ、もっと!」
大量出血のようなオルガズムも、
「お願い、もっと……! もっと、もっとぉ!」
潤み続け、溢れ続ける途方もない肉欲も、
「ぁ、あ、ぅあ――あ、あ、あ!」
流れ続ける川のせせらぎに呑まれて溶けて落ちていった。
4
建て直された地霊殿の門にさとりはいる。外と内の境界線上に。自分を守ってきたものと自分を責め立ててきたものが出会う細く狭いスペースのなかに。
第三の眼が地霊殿のなかにいる者たちの心を捉えている。燐や空がそこにいる。他の数多くのペットも。もしかしたらこいしも、そこにいるのかもしれない。
彼女たちの心には自分の帰還を祝う純粋な気持ちに満ちている。ただ見ているだけで胸の底から温かくなるような穏やかなものが。空の心には申し訳なさも混じっている。怒られるのが怖いけれど、怒られなくてはならないのだと、彼女なりに覚悟している。
遠ざけていたのはどちらのほうだったのだろう、とさとりは思う。近づいてこなくなったペットにほっとしていたのは、たぶん自分のほうだった。心と向き合わずにすむことに安堵を覚えていたのは間違いなく自分だった。彼女たちが近づいてこなくなったのは、彼女たちのほうでそれを敏感に察していただけだったのではないか。
逃げ続けることはできない。過去の夢に囚われたままいつまでも臥せっていることはできない。
大丈夫、と自分に囁く。大丈夫。私は壊れない。
私は絶対に壊れない。
「ただいま」
文章も力強くてかなり好きです。GJ!
パルスィの穏やかさが好い。
ぜひ続いて欲しい。
勝ち目がない。
あまりのかわいさに悶絶余裕でした
またまた良いモノを読ませていただきました
ばるぱるかっこいい
需要はあるよ!
ぜひ続きを書いて!
続きも期待しています
需要はあります。是非とも続きを。
勇パル派の私が完全に引き込まれていました。
あなたは何という選び辛い選択を突き付けるのか
ほんとありがとう
需要?あるに決まってます
読んでる間4回悶えた
『さ、と、り』
『さとり』
これはいかん、致命的だ!
パルパルのダイレクトハートスキンシップでさとりのLPはもう・・・!
設定的にもこれぐらいエッチに長けてる方がしっくり来るなぁ。
パルスィ、さとり、どちらの心理描写も見事でした。