第6話 イギリス人の男の子
小学4年生の夏休み。
イギリスの夏休みは7月と8月の2ヶ月間で、時々は近所の女の子と遊ぶこともあったけれど、基本的には自室で、ひとりでのんびりと過ごしていた。
そんなある夏の日。
イギリスに来て1か月以上経ち、少し気持ちに余裕が出てきた私は、福島で仲良くなった男の子のケンジ君と、北海道で仲良くなったミズキちゃんに手紙を書いていた。
手紙はポストに投函してから向こうに届くまで二週間かかるという。
わくわくしながら返事を待った私のもとには、二通の手紙。
ケンジ君とミズキちゃんからだ。
でもママが手に持っている二通の手紙はどちらも、すでにハサミで封を開けられた後だった。
「ママ、先に読んだの?」
少し不機嫌になりながら
「特に男の子からの手紙だなんて、変なことが書いてあったら困るでしょう? もう小学校の高学年になるんだから、これからは気をつけないと。それに女の子でも、静花の友達として相応しいかどうか、読まなきゃ分からないじゃないの」
私はびっくりして、言葉を失くした。
「もう文通はやめなさいね。このミズキちゃんて子、いじめに遭ってるんですって? 手紙に書いてあったわよ。いやだわ。変なことに巻き込まれる前に学校が変わって良かったこと。それに、ケンジ君も好きだのなんだのって、小学生が何をいってるのかしら。本当はこの手紙だって、静花には読ませたくなかったのよ」
ママはしぶしぶ、手紙を私へ手渡してくれる。
受け取った私は、(そんな……)と頭が真っ白になっていた。
私は文通を続けたいと言いたかったけれど、ママの言葉は絶対だ。何も言えない。
それでも諦めきれなかった私は、ママに内緒で手紙を出せないかと考えてみる。
しかし私は、お小遣いをもらったことがない。
欲しいものは欲しいと言えば何でも買ってもらえるけれども、自分が自由に使えるお金は1円も持っていないのだ。これでは便箋も切手も買うことが出来ないし、外出時はいつもママと一緒だから、こっそりお店に入って買う事も、ポストに投函することもできない。
結果的に、私はどうすることもできなかった。
それきり私は、手紙を書くことが出来ず、心の中で二人に何度も謝っていた。
二人からもそれから手紙は来ていない。
来てたかもしれないけれど、もし来てたならママが捨てたのだろう。
***
小学4年生の9月。
夏休みを終え、ロンドン市内の現地校へ転校した私。
けれどイギリスの新学年の始まりは9月で初日に行けたので、転校生として目立つことはなかった。
新クラスの先生は黒人の男性で、クラスメイトは男女が半々。
近くの席だったインド人の女の子が、私に興味をもって話しかけてくれた。
私は片言の英語で、あまり話せないと伝えると、優しく英語を教えてくれる。
私はインド人がとても好きになり、いつもその子と過ごすようになった。
それから、もうひとり、私にとって重要な女の子がいた。
クラスに日本人はいなかったけれど、他のクラスに同じ学年の日本人の女の子がいたのだ。
その子はバイリンガルで、言葉のフォローをしてくれるという。
先生もその子によく頼っていて、その女の子は一生懸命通訳をしてくれた。
そのおかげもあって、ゆるい勉強はスムーズに進めることが出来、より早く私も英語を身につけていく。
そんなある日の、昼休み。
クラスメイトの男の子が、日本人の女の子を連れて私のところへやってきた。
私はインド人の女の子と遊んでいたから、隣にはその子もいる。
「静花ちゃん。オリバーに通訳してくれって頼まれたから、言うね」
私は、男の子を見て、オリバーという名前なのか、と思った。
クラスメイトだから顔は知っているけれども、話したことはない。
「オリバーがね、付き合って欲しいんだって」
私は、きょとんとして、オリバーを見る。
オリバーは顔を赤らめながら、私をじっと見ていた。
「付き合うってなに?」
私が言うと、
「彼氏、彼女になるってことだよ。静花ちゃんを、ガールフレンドにしたいんだって」
私は心の中で首を傾げ、いまいち話がピンと来ない。
でもガールのフレンドってことは、女の子の友達って意味だと思うから、友達になって欲しいということなのかな、と思い、「いいよ」と言った。
ガールフレンドの意味が恋人である事も、恋人という言葉の意味も、この時の私は知らなかったのだ。
日本人の女の子は、それをオリバーへ英語で伝える。すると隣にいたインド人の女の子は、「オーマイガッ!」と言って赤面した。オリバーは瞬間、「イエス!」と叫んでガッツポーズを決めている。
「じゃ、私はこれで」
そう言って、日本人の女の子は去っていく。
そしてその日から、やたらオリバーがスキンシップをしてくるようになった。
基本、私のそばには、いつもインド人の女の子がいる。
でもオリバーは構わず、私のところへ突進してくるのだ。
私が英語の理解が追いついていないことは気にしていないようで、一方的に話してくるばかりだった。
朝、教室へ行けば「モーニン!」と挨拶をして、私の頭をなでなでする。
休み時間になれば、早口の英語で何かまくし立てながら、私の手をなでなでする。
廊下を歩いていれば、後ろからやってきて、ぎゅっと私を抱きしめる。
手をつなぐ。ほっぺにキスをする。やりたい放題だった。
あまりにも強引で、でも言葉の壁から話し合うこともできなくて、されるがままになっている私。
その行為を見せつけられているインド人の女の子は、いちいち、「ワオ!」と言って顔を真っ赤にする。
私は困惑するばかりだった。
そんな日々が三ヶ月、続いたとき、自宅で両親がまたもや私を転校させると言ってきた。
現地校に通っていたら、学力が落ちる。
四年後、日本に帰ったときに困るから、日本人学校へ通いなさいと言われた私。
せっかく今の学校に慣れてきたところだったのに……と落胆するも、仕方がない。
インド人の女の子と離れたくなかったけれど、それも今月でおしまい。
オリバーは、どんな反応をするだろう。
スキンシップが激しいのは玉にキズでも、とても優しい男の子だ。
別れるのはちょっと寂しいな、と思ったけれど、両親の決定は絶対で私にはどうすることもできない。
そして私の転校がクラスで告げられたとき、オリバーは私を見て、それからとても悲しそうな顔をした。
その姿を見て、私の心はズキズキする。
インド人の女の子も、びっくりした顔をして、それから泣きそうになっていた。
その姿を見て、私も泣きそうになる。
通訳をしてくれた女の子も、休み時間に来てくれて、寂しくなると言ってくれた。
涙する私は別れを惜しみながら、この学校ともさよならをしたのだった。
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