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ID非公開
ID非公開さん
2020/12/28 3:52
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私は現在、博士課程で化学を専攻しています。
私は現在、博士課程で化学を専攻しています。 日本は学歴主義である一方で、大学に進学した多くの人は学部で卒業し、企業に就職しています。 故に、なぜさまざまなケースで学歴を気にするのか全く理由がわかりません。 確かに、企業等が就活生の尺度として用いるメリットは理解できますし、金の側面からしてみても統計的にも効率的な実施の為の意義はあると考えます。しかし、評価する側の人間に、果たして学歴を語る資格はあるのでしょうか。 日本人の大学進学者の多くは、真剣に学術を極めないし、そもそもアカデミックに残らないくせに、どこどこ大学を出ただの、そのような話が好きな人が一定数います。極め付けに、いい歳して入学難易度の難しさを比べたりしているのです。意味がわからないし、滑稽だと感じます。 (私は東京大学におりますが、例えばA大学とB大学を比べるという行為が全く理解できないし、しようとも思いません)。 色々物を言いましたが、結論、国民はそもそも学問そのものには興味がないのだと結論づけました。 あるいは、興味があっても、それにのめり込む環境は、衣食住の前では得るのが難しい。 故に、このような状況下では、いくら指標として便利だからとはいえ、評価する人もされる人にも、勉強を人の尺度として用いる権利はなくて、現状の評価手法は解体すべきだと考えます。 入学試験や入社試験には、単にその人の熱意と、今持ち得る知識を問えば良いのではないでしょうか。 このままこの現状は変わらないのでしょうか。 あるいは、変える必要はないのでしょうか。 皆様はどのように考えますか。 ※蛇足1:小さな本屋に本を買い求めに行くと、漫画本や自己啓発本、受験対策や資格試験の参考書が多く、学術書や文学書はあまり置いていません。理由は簡単で、需要がないのです。これだけ学歴学歴言われているのにも関わらず。 ※蛇足2:大学を卒業した人の口から、学問のことが聞こえてきたことは本当に少ないです。これだけ世間で学歴が大事だといわれているのならば、あってもいいのでは?と思います。逆説的に、それだけ学歴が単なるパスとしてのみ捉えているのであれば、今すぐ社会に、学歴を語るのを止めていただきたいのです。これは、利便性の問題ではなく、語る側の権利の問題だと思います。