5月
2020年10月02日(金)
「シュン」これまでのツイート 1945年5月16日~31日
NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)の社会状況や人々の暮らしを、3つのTwitterアカウントで発信しています。
ここでは、中学1年生「シュン」の過去のツイートを読みやすく、まとめて掲載しています。
戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記などに基づき掲載します。
1945年5月16日~31日のツイート
【1945年5月16日】 9:04
今日の1時間目は図画である。
訓練のため図画の仲教官が休んでおられる。
自分達は米国軍用機のマークを書いた。
憎たらしい米軍め。
【1945年5月16日】 13:00
音楽では『皇統』というのを習った。なかなか難しい。
今度の音楽の時間に、一人ずつ歌わされるそうだ。
練習の成果を発揮出来るようにきちんとせねば。今日もまた警報が出た。
市内の者は全員帰宅。
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【1945年5月17日】 7:00
本日は早朝から建物強制疎開作業に出動した。
学校に集合して、裁判所の南の道路が疎開のために散らかっていたため、片付けなどの作業を、特別学級を除いて1・2年の全員が行った。
【1945年5月17日】 14:00
ごみを焼くために大きな火を焚いて火柱を上げた。綺麗な力強い火は実に壮観だ。
ところが、我が校の1人の生徒が倒壊した家屋残骸の下から1人の真っ黒な死体を発見して大騒ぎになった。もう骨と皮だけであった。可哀想に。
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【1945年5月18日】 9:00
作業開始2日目。本日は1年生の名前順に、15名ほどが学校の農園に出動する。僕もその中の1人だ。
ナス、キュウリ等の苗の植えつけを行う。農作業をするのは悪くない。多くの苗が風になびいているのを見るのは壮観だった。
チシャを2本づつ頂く。
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【1945年5月19日】 7:00
今日は雨が降っているため、外での作業は中止となり、学校で授業を受ける。久しぶりなのでしっかりと支度をして向かおう。
【1945年5月19日】 10:00
書道の時間が特別に国文にかわった。教えてくださるのは、あの小谷教官だ。本日の内容は「戦国の武士」の織田信長のところ。小谷教官は踊ったりしながら信長の動きを真似て教えてくださるのだ。
とても面白い授業だった。
【1945年5月19日】 13:00
昼食を食べた後、サイレンが空襲の警報を伝えたので、帰宅することになった。
注意しながら帰らなければ。
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【1945年5月20日】 10:00
苗の植え付けなど、農園での作業が十日間続行されるそうだ。勉強する時間もなく、段々と疎かになっているのを感じる。一所懸命覚えた軍人勅諭にある、「ものの用にたち得べしとも思われず」の様になる。今の状況に甘えてはならない。
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【1945年5月21日】 8:00
湿り気の多いどんよりとした空気。まるで梅雨に入ったみたいだ。よし、この空気に飲み込まれず、姿勢を正して学校へ行こう。
【1945年5月21日】 14:00
警戒警報が発令された。外はどしゃ降りだ。こんな中をびしょ濡れになって帰宅しなければいけない。全速力で家へ帰ろう。
【1945年5月21日】 17:00
よく考えれば附中に入学してからはや二ヶ月。もう五月も終わろうとしている。月日が経つのは早い。嗚呼。
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【1945年5月22日】 8:00
今日も雨が降っている。学校で授業だ。1限目に式典がある。
【1945年5月22日】 9:00
昭和十四年の今日は、天皇陛下から青少年に有難き勅語を賜った日だ。その記念すべき日に、「戦時特別教育令」が発布された。我々、今の日本の青少年が国難に向かって勤労奉仕等するための案である。
なんといい日だろうか。僕も奉仕しなければ。
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【1945年5月23日】 10:00
上級生班長の横山さんを含む我等十七名は、引き続き疎開奉仕隊の別働隊「食糧増産奉仕隊」として、富岡教官の指揮の下で国難突破のために奉仕する。大学農園の畑で一心に鍬を振るのだ。
【1945年5月23日】 12:00
戦争に勝つには、食糧確保が必要だ。
ドイツ、イタリアはどうだろう。どこも食糧が尽きて敗北してしまった。そうならないためにも、我等奉仕隊は国のために汗を流して畑を耕しているのだ。
さあ、もっと励もう!日本の国家のために!
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【1945年5月24日】 10:00
「腹が減った」は弱音だ。日本の兵士は、米英撃滅のため、命をかけて戦っておられるのだ。ドイツやフランスは、敵のデマによって国民は負けると弱音を吐き、勢力を落としてしまった。武士の心を持つ日本人は必ず打開できるはずだ!
【1945年5月24日】 14:00
我が国が戦いに勝利するには、この食糧難を打開することが重要になってくる。僕が一生懸命働き、耕すことで、日本の勝利に繋がるのだ。
腹は減っているが、さあ、働くぞ!
【1945年5月24日】 15:00
今日は奉仕隊が耕す畑の上を練習機が飛んでいる。尽忠なる特攻隊の練習だろう。日本の勝利のため、一心に練習なさっている。僕は一心に畑を耕す。
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【1945年5月25日】 10:00
今日も農園での作業である。いつものように作業していると、なんと何千もの蜂が巣から逃げ出してしまっていた!これでは生物の実験で使えなくなってしまう。すぐに教官に来ていただき、巣に戻す。女王蜂が2匹いたらしいので、巣箱を二つにしてやった。
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【1945年5月26日】 16:00
明日は日曜日なので、学校は休みである。なんて嬉しいんだ!寮生たちは帰省のために荷物をまとめたり部屋の整理をしたりてんてこ舞いだ。やはり人間にとって休息ほど嬉しく楽しいものはない。今日はどうした訳か警報がならない。珍しいな。
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【1945年5月27日】 18:00
今日は休日だったので、父と朝、袋町の浅野図書館に行って本を借り、先ほどは髪の毛を切ってもらった。僕の憧れであり尊敬している父が自分の髪に触れている。引っ張られたところが痛い。
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【1945年5月28日】 12:30
本日も学校で畑を耕したり、大八車で肥やしを積み運んだり、実にくたびれた。5月の終わり、初夏の強い日差しが僕を突き刺すようだ。すぐに全身が汗でびしょびしょになってしまった。
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【1945年5月29日】 17:00
作業中、「ワーッ、蜂が出た!」という声がして、その方を見ると、なんとあの何千もの蜂たちがまた巣を抜け出して空を飛び回っていた!すぐに教官を呼び、総動員で蜂たちを巣に戻した。刺されたところがヒリヒリして痛痒い。ああ、今日もよく頑張った。
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【1945年5月30日】 12:30
十日間の農園作業が終わり、今日は久々の授業だったので気が緩んだ。確かに、一日中炎天下の中での作業は、とてもくたびれる。
【1945年5月30日】 13:00
いや、だめだ。恩師の早瀬先生がおっしゃっていた「そのようなことで戦争に勝てるか」という言葉を思い出す。そうだ、これくらいの作業でへこたれていては日本を背負っていくことは出来ないのだ。そうだ、反省だ。
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【1945年5月31日】 15:00
遂に本日一日は学業を休んだ。
実に今日というほど自分が情けない日はなかった。いくら農園作業はくたびれるといっても、たったあれだけの作業で倒れるとは!情けない。本当に情けない。「そのようなことで戦争に勝てるか。」まったくだ。
【1945年5月31日】 17:55
またも敵機B29がやって来た。「今日こそやられるかもしれない」という恐怖が体中を駆け巡り、防空壕へ隠れようと走る方向を変えたその時だった。
【1945年5月31日】 18:05
なんと爆弾ではなく大量のビラが降ってきたのだ。紙片が光を反射して空いっぱいに飛び散る様子は、空に銀色の粉を振りまいたようで、とても美しかった。
【1945年5月31日】 18:20
米兵め、日本の特攻精神、大和魂を考えてみろ。そのくらいのごまかしで動揺するような日本人ではないのだ。いやいや、英米にとってはいくら考えてもわからないものだろうな。
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このプロジェクトの目的は、戦争の記憶が薄れつつある中、若い世代に被爆体験を継承し、戦争の時代の社会状況についてリアリティーをもって伝え、考えていただくことにあります。
「シュン」のモデルは、1945年当時、広島の中学1年生だった新井俊一郎さん(13)です。現代の広島の10代が新井さんの日記などを読み、その味わいを大事にしつつ、若者の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。時間は日記などをもとに推定。必要に応じて注釈をつけます。