海洋科学の歴史


2005年12月27日更新
海洋研究開発機構 山田 稔 編纂

海人のビューポート

 
2005年10月19日 観測史上最大のハリケーン「ウィルマ」882 hpが発生した。
2005年3月 JAMSTECはスマトラ島沖地震(M9.0)震源地海域の地震直後の海底変動を「なつしま」「ハイパードルフィン」により調査した。その結果、大規模な亀裂や崩落が45kmにわたっていたことが判明した。
2005年2月 京都議定書がロシアの批准をもって発行した。気候変動に関する国連枠組み条約の一つである京都議定書が発効したことは世界の国々に大きなニュースとなった。
2004年12月26日 史上最大の大津波被害インドレシアスマトラ島北端沖で発生した巨大地震(M9.0)による津波がインド洋沿岸各地を襲い30万人以上の犠牲者が出る。
2004年4月 日本で地球観測サミット開催地球環境や災害を国際的に監視するための第2回「地球観測サミット」が45カ国の政府代表ら約300人が参加して東京都内で開かれた。小泉首相は、「地球上で起こっている現象を正確に把握し、適切に対処するために、地球観測は大きな役割を果たす。人類の未来を支える観測システムの基礎が築かれることを期待する」と挨拶。政府代表も地球環境を重視すべき時代になり、海洋の観測網がこれで更に整備されることになる。
(第1回地球観測サミット2003年7月米国ワシントンDC)
2003年11月 世界の海洋の水温等リアルタイムデータの公開自動浮沈型の漂流フロート「アルゴ」が世界の海洋にすでに1,000個(目標3,000個)投入され、海洋をリアルタイムで観測したデータが公開されている。また、エルニーニョ観測の「トライトンブイ」データも公開されインターネットによる海洋観測データの公開が進んでいる。パソコンで世界の海の状況が調べられる時代になった。

1万m級無人探査機「かいこう」はビークル部分を流失
2002年11月 スーパーコンピュータによる気候変動予測の開始世界最速の処理能力を持つ「地球シミュレータ」(約500億円)を使ったモデル計算による気候変動予測が開始された。地震波の伝搬のシミュレーションに成功するなど成果がでてきた。

潜水調査船「しんかい2000」は運航休止となる(2004年3月に廃船)
2000年 今世紀後半の北極圏の気温、過去400年間で最高となる米コロラド大学
1999年11月 H-IIロケットの捜索・回収宇宙開発事業団が打ち上げに失敗した「H-IIロケット8号機」のエンジンの捜索が行われ、東京都の広さから車一台程度の大きさのエンジン本体を水深3,000mから回収した。JAMSTECの海中ロボット(ROV)など捜索・回収に活躍するとともに、海底の人工物の捜索技術や海底の絶対位置の精度は著しく向上してきた。

海上空港としての機能を検証するため1,000mメガフロート(超大型浮体式構造物 幅120m)着陸実験実施
1998年 国際海洋年(International Year of the Ocean)
 国際海洋年は、地球上のすべての生命の源であり、人類繁栄の礎でもある海洋の大切さについて広く理解を深めることにより、海洋環境を守ることを目的としている。ユネスコの政府間海洋学委員会(IOC)が提唱し、国連が定めたものである。

地球温暖化が問題となる世界の平均気温が最高を記録し"地球温暖化"が問題なった。

PNGのアイタペ地震津波:2,600人が犠牲となる。

オゾンホールが観測史上最大となったとNASAとNOAAが発表。

NASAは木星探査機「ガリレオ」による木星の衛星「エウロパ」の画像から「表面の氷の下に海があると見られる」と発表。

20世紀最大のハリケーン「ミッチ}が発生する。11月
1997年1月 ナホトカ号の捜索日本海にロシアのオイルタンカー「ナホトカ号」が遭難、後部は水深2,500mに沈む。福井県沿岸など油汚染の被害が大きかった。「ドルフィン3K」によって船体の各油タンクからの油流失状況を調査し、その後2年間の追跡調査が行われた。

20世紀最大のエルニーニョ現象発生1997 - 98年に20世紀最大のエルニーニョ現象発生し世界中に大きな被害がでる。

熱帯降雨観測衛星TRMM打ち上げ成功、地球観測衛星「みどり」(ADEOS)打ち上げ成功しかし、約10ヶ月で太陽電池パドルの異常により機能停止する。

深海調査研究船「かいれい」と海洋地球研究船「みらい」完成

火星にも昔は水があった:NASAは火星に到着した無人火星探査機「マーズ・パスファインダー」からの情報で「数十億年前は火星にも水があった。」と発表

超大型の台風13号は台風本体の雲の直径が3,200キロと過去最大となった。

グアム島で観測史上最大の最大瞬間風速105.5mを記録する。12月

我が国最大規模の海水淡水化装置(逆浸透膜方式)4万トン/日が沖縄に完成。

インドネシアのスラウエシ島近海で生きたシーラカンス(亜種)発見。

1996年 メタンハイドレート発見アメリカ東海岸沖合のブレイク海嶺で大量のメタンハイドレートが発見された。メタンは温度0℃で23気圧相当の水圧でハイドレート状態となる燃える氷である。

・気象衛星「ノア」の高性能信号を受信し、海面水温の分布を公開できるようになった。6月

1995年 1万メートル級無人探査機「かいこう」完成、マリアナ海溝チャレンジャー海淵で10,911.4mの記録達成

海峡横断ガスパイプライン敷設ジブラルタル海峡を横断するガスパイプライン(47キロ 水深388m)完工

阪神・淡路大震災が発生し死者6000人を超す(M7.3)
1994年 国連海洋法条約が発効バルバドスで世界島嶼国会議が開催された。国連海洋法条約で島嶼国に広大な排他的経済水域が認められ、島の価値が格段に上がった。
1993年 深海底長期観測ステーションの設置世界で初めて相模湾初島沖1,170mの深海底の群発海底地震域に観測ステーションでリアルタイム観測を開始した。
1997年高知県室戸沖水深3,572mに海底地震総合観測システム運用開始
1999年北海道十勝沖水深3,400mに海底地震総合観測システム運用開始 深海底を連続的に観察することで深海の様子を知るとともに深海生物の生態情報も併せて得られるようになった。


北海道南西沖地震が発生し奥尻島では30mを超える津波が発生。7月13日

IOCなど国際機関は世界最深部のチャレンジャー海淵の推進を10,920+/-10mと決めた。

1992年 ROV作業の記録ROV「カーブIII」は水深5,261mからヘリコプターを回収しサルベージ作業の記録となる。

世界海洋観測システムがスタートブラジルリオで地球サミットが開催され、ユネスコIOCは世界海洋観測システム(GOOS)の宣言を行った。このGOOSは気候に与える海洋の役割と海洋の変化の解明などを目的としている。
1991年 環境圧潜水の世界記録コメックス社(仏)が水深701mの潜水シミュレーション実験に成功する。ダイバーによる環境圧潜水の模擬実験で世界記録となる。
1989年 海洋深層水の利用始まる高知に水深320mからの海洋深層水の汲み上げ施設完成し、海洋深層水の利用が始まる。水槽でワカメ、コンブ、深海性魚類の飼育、一方では深層水を使った清涼飲料、塩など商品化も進む。現在では富山、沖縄、静岡などに施設が完成し海洋深層水ビジネスが活発になる。

潜水調査船「しんかい6500」完成。6,527mの潜航記録

伊豆東部手石海丘で海底噴火が起きる。このためJAMSTECの飽和潜水実験が延期となる。7月13日
1988年 気候変動予測の観測体制整う世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)によって気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立された。気候変動を精度よく行うために国際連合を中心に世界海洋循環実験(WOCE)や全球海洋観測システム(GOOS)など設立された。

北海においてアザラシの大量死、PDB汚染が原因とされている。

ダイバーによる300m潜水技術の開発浅海域での高度な水中作業を実証するため、海中作業実験船「かいよう」から潜水ベルで水深300mまでの飽和潜水作業に成功。
1990年には複数チームによる水深300mの長時間潜水活動も行われ、陸上とほぼ同等のダイバーによる水中作業能力は高く評価される。


商業捕鯨が世界で全面禁止となる。

ハリケーン「ギルバート Gilbert」は888ミリバールと史上最大規模に発達した。

1987年 世界の総人口、50億人に達する。

南アフリカ航空機のボイスレコーダ回収モーリシャス沖水深4,268mに沈む南アフリカ航空機からROVでボイスレコーダを回収する。
1983年 ソ連のミサイル攻撃で大韓航空機がサハリン沖へ撃沈、米海軍のROV3ヶ月間捜索(経費80億円)するも未回収(ソ連が回収)、
1985年 アイルランド沖に沈むインド航空機(水深2,042m)のデータレコーダをROVで回収。無人機ROVの有用性が実証された。


モルディブ共和国ではサイクロンによる高波が発生し、マレ島1/3が冠水する。
1986年1月 スペースシャトルチャレンジャーの捜索スペースシャトル「チャレンジャー」打ち上げ直後に爆発。原因究明のために広範囲(水深65 - 900m)に捜索行われる。数機のROVと2隻の潜水調査船が活躍する

海洋観測用実用衛星「ジオサット」(米)打ち上げ
1985年9月 「タイタニック号」は深海観光の名所
1912年 大型豪華客船「タイタニック号」46,328トンは大西洋西部で氷山に衝突して、3,800mに沈む。1,503人死亡。
1985年 曳航体「アルゴージェイソン」は「タイタニック号」の船体をサイドスキャニングソーナとカメラで捜索しついに3,800mで確認する。
1986年 潜水調査船「アルビン」は外部装備のROV「ジェイソン・ジュニア」で「タイタニック号」の細部を撮影する。
1995年 ロシアの潜水調査船「ミール」が「タイタニック号」へ潜航したところ、装飾品の大半が持ち去られていた。
2003年 ロシアの潜水調査船「ミール」はこれまで41回「タイタニック号」へ潜航する。一人350万円で「タイタニック号」への潜航を受けている。多くの潜水調査船、無人探査機、デープ・トウが活躍する。
2004年、「タイタニック号」へ潜航するのを規制する国際規定が制定された。


ウィーン条約オゾン層の破壊を守るオゾン層保護のためのウィーン条約の採択。
1984年 「KAIKO」計画(日仏共同)発足 日本海溝調査仏「ノチール」1985年進水、5,130mへ潜航、1986年は日本海溝へ潜航する。日本近海は深海研究のメッカである。

水路部の測量船「拓洋」はマリアナ海溝で10,924mを測る。

しんかい2000」が相模湾でシロウリガイ群集を発見

今上天皇ハゼ科魚類の分類学を御研究。共同執筆「日本産魚類大図鑑」発刊

仏国立海洋研究所(IFREMER)発足

1982年 国連海洋法条約が成立した:領海は12海里以内、排他的経済水域(EEZ)は沿岸から200海里以内、大陸棚は200海里を越えて延びていれば350海里まで認めることとなった。これで日本は世界の管轄海域の広さで6番目にランクされた。

今世紀最大級のエルニーニョ現象発生1982 - 83年にかけて大規なエルニーニョが発生、モデル、シミュレーションなどでエルニーニョ現象の研究に拍車がかかった。

南極観測船「しらせ」就航

1981年 潜水調査船「しんかい2000」進水:日本における本格的な深海調査が開始された。
1979年 海洋温度差発電成功海洋温度差発電装置「ミニオテック」が53キロワットの発電に成功(ハワイ沖)

東太平洋海膨で300℃以上のブラックスモーカーと熱水鉱床を発見

日本で最初の海底地震常時観測システムの運用を開始する。
1978年 海洋観測用実験衛星「シーサット」(米)打ち上げ
1977年 ガラバゴス沖化学合成生物群集発見潜水調査船「アルビン」によりジョン・コーリスらははガラパゴス沖水深2,500mで世界ではじめて熱水噴出域(17℃)に生息する嫌気性化学合成代謝に立脚した生態系を発見する。
1978年 東部太平洋海嶺で熱水鉱床を発見 日本では、
1984年 「しんかい2000」により生きたシロウリガイの発見(相模湾1,100m)
1985年 四国沖でハオリムシを発見
1986年 沖縄トラフで熱水噴出現象発見
1988年 熱水噴出孔生物群集を発見(小笠原海形海山)
1989年 ブラックスモーカ発見(沖縄トラフ)炭酸ガスハイドレートを発見(沖縄トラフ1,400m)「しんかい6500」により日本海溝でプレートの裂け目「マネキンの頭部」見つかる。
1992年 小笠原鳥島沖で鯨骨生物群集を発見
2000年 無人探査機「かいこう」はインド洋初の熱水噴出孔生物群集を発見


静止気象衛星「ひまわり」を打ち上げる
1976年 地中海汚染防止条約が採択正式名は「汚染に対する地中海の保護に関する条約」であり、特別保護地域を特定し、またその設置を促すことにより、海洋環境、その生態系バランス、資源及び合法的な利用に対する保護を行うことを目的としている。また自然や文化の遺産として重要な海洋・沿岸地域を保護、保全するために適切な対策を取ることが決められている。

中国河北省で唐山地震(M7.8)により死者24万人(20世紀最大の死者数となる)7月27日
1975年 海底石油の生産活発石油価格の高騰で海底石油・天然ガスの開発活発潜水調査船、ROVなど数多く製造・運用される。
1947年 メキシコ湾で沖合油田開発が開始される。
1984年 石油生産量のうち海底油田の占める割合はヨーロッパ90% アジア60% 中近東30% 北アメリカ20%となり、アジアが急増している。


200カイリ策定国連海洋法会議が領海12カイリ、経済水域200カイリの統一原案を策定

沖縄国際海洋博覧会開催沖縄の本土復帰を記念して沖縄本部で沖縄国際海洋博覧会「海-その望ましい未来」が開催され、海洋都市アクアポリスなどが展示された。
1974年 ソ連の潜水艦引き揚げハワイ沖水深3,000mに沈んだソ連の潜水艦をハワード・ヒューズ率いるグローマー・エクスプローラー(36,000トン)が回収する。深海からの大型重量物の回収例として知られる。ソ連の機密情報を得るため1,260億円とも言われる経費が使われた。
1973年 中央海嶺で地殻誕生を確認FAMOUS計画で潜水調査船「アルビン」「シアナ」「アルシメード」が大西洋中央海嶺で海洋地殻が誕生していることを立証した。

ワシントン条約採択:「絶滅の恐れのある野生動物の保護を図ることを目的とする条約」通称ワシントン条約がアメリカで採択された(3月3日)。そして75年に発効となった。日本は1980年に同条約を批准し、60番目の締約国となる。これによりクジラ、ウミガメ、サンゴ、シャコガイなどが保護されることになった。
1972年 海洋投棄規制条約採択陸上で発生した廃棄物を海洋投棄する船舶、航空機及び人工海洋構造物からの海洋への投棄ならびに廃棄物その他の洋上消却を規定している海洋投棄規制が採択された。ロンドン条約とも言う。海洋汚染に歯止めがかかった。

海洋深層水の実験施設:コロンビア大学ローエル教授は、カリブ海セントクロイ島で、深層水のみで育てた海藻を餌に魚の実験養殖施設を運用
1971年 JAMSTEC発足科学技術庁と経団連は認可法人海洋科学技術センター(JAMSTEC)を発足させた。

ラムサール条約採択:特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約が採択された。
1970年 「海洋観測指針」の刊行:「海洋観測指針」(気象庁編)が発刊された。
1969年 新しい潜水調査船などの開発初の原子力潜水調査船「NR-1」13人乗り数週間の潜航可能(754m)が開発される。
1969年 海洋調査潜水艇「ベン・フランクリン」600m 約1ヶ月メキシコ湾流を潜航調査。
1969年 大気圧潜水服「JIM」304m 開発される。
79年シルビア・アールはハワイ沖へ潜航。
84年 一人乗り潜水船「デープローバー」1,000m完成。海洋科学のための潜水船が開発されるようになった。


原子力船「むつ」が進水する。

7/20:アポロ11号により人類初の有人月面着陸が行われた。月の静かな海に一歩をしるしたニール・アームストロングは「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と述べた。

1968年 「アルビン」沈没により深海微生物の研究進む潜水調査船「アルビン」は支援母船「ルル」から誤ってハッチから浸水し海底に落下させてしまう。約1年後水深1,500mに落下していた「アルビン」の回収に成功する。回収された船内に残されていたサンドイッチから深海では腐敗が進まないことが判明した。ここから深海微生物の研究が本格化する。現在海洋微生物(好塩菌、好冷菌、好圧菌その他の極限環境微生物、共生微生物)の研究が盛んとなりビタミン類、有用脂質、抗生物質などに利用が期待されている。

モーガン(米)、ビジョン(仏)、マッケンジー(英)プレートテクトニクス説を提唱する
1967年 軍用イルカなどの研究始まる米海軍はサンデイエゴにNaval Undersea Centerを設立し、Marine Mammal Systemと題し、イルカ、アシカなど海棲ほ乳動物の優れた能力(潜水能力、音響探査、聴覚能力など)を利用したミサイルの早期回収、機雷の掃海、ダイバー支援、敵船舶やダイバーの侵入警戒などに対応した実験と訓練が行われ、ベトナム戦争やイラク戦争に出動した。ソ連においても黒海のクリミア半島のセバストポリの近くの軍事施設に50頭あまりのイルカ訓練施設が建設されて各種実験や訓練が行われていた。
1966年 落下した水爆の捜索・回収B52戦略爆撃機は他の飛行機と空中衝突しスペイン沖に水爆4発を落とす。この緊急事態に米国政府は潜水調査船「アルビン」、「アルミノート」、「キャブマリン」を動員し、大捜索を実施、3発を回収した。更にROV「カーブ」を使って水深868mから残りの1発を回収(落下から79日目)した。

ミシガン湖のセグロカモメのDDT汚染が報告され、環境汚染が問題となる。

1965年 南極観測船「ふじ」完成。

仏海底居住実験「プレコンチナンIII計画」(水深120mに30日間)に成功
1964年 海底居住実験が開始される米海軍は「シーラブI」により58mに4人が11日間生活(バミューダ沖)し、シーラブ II では62mの海底でスコット・カーペンターが13日間生活した(ラホヤ沖)。マンインシー計画ではバハマ沖132m実験実施。
日本では1972年 シートピア計画30m実験、1973年 シートピア計画60m実験が実施された。


潜水調査船「アルビン」完成、「よみうり号」引き渡し

太平洋横断ケーブルが開通する

アラスカで世界最大級のアラスカ地震(M9.2)が発生する。
3月27日
1963年 スレッシャー号は内部波により沈没原子力潜水艦「スレッシャー号」試験潜航中に内部波に引き込まれ水深650mで圧壊、後に潜水調査船「トリエステ」により水深2,500mで確認される。

有史以来最大のハリケーン「フローラ」がキューバを直撃。死者行方不明4,200人、家屋倒壊30,000軒
1961年 人類初の宇宙飛行4月12日ソ連のユーリー・ガガーリンは人類初の宇宙飛行を行い、「地球は青かった」と名言を残した。
1960年 世界最深部への挑戦マリアナ海溝の世界最深部へはこれまでいろいろなチャレンジが行われてきた。1960年潜水調査船「トリエステ」は10,911mに潜航し、小さく平らな魚とエビ、いくつかのクラゲを観察したと報告している。
1995年 JAMSTECのROV「かいこう」は10,911mに潜航する。以降「かいこう」は約20回潜航し、最深部からバクテリア、有孔虫、カイコウオオソコエビを採取した。しかし、まだ魚類など大型の生物は観察されていない。
最深部の測量は日本の測量艦「満州」が1925年10月にピアノ線で9,814.6mを測り満州海淵と名づく。その後、チャレンジャー号やビチャーシ号・拓洋の計測から10,920m±10mとなり、最深部は理科年表で10,920mと記載されている。暗黒の深海がスポットライトをあびる。


チリ津波が日本を襲うチリ沖で発生した地震(マグニチュード8.5)による津波で日本でも死者122名でる(5月23日)。津波は19,000キロを24時間で伝わり平均時速800キロの高速であった。

北極点の下を原子力潜水艦が調査する米海軍の原子力潜水艦「ノーチラス」、「スケート」は北極の氷の下を潜航して厚みなど計測した。このうち、「ノーチラス」は北極点を経て北極海を横断した。

世界の深海潜水船が日本で潜る仏バチスカーフ「FNRSIII号」1958年3,100m
仏「アルキメデス号」1962年9,500m、1967年日本近海で潜航したが記録不明
仏「ノチール」1985年5,130m、1986年は日本海溝へ潜航する。日本近海は深海研究のメッカである。
1959年 伊勢湾台風が襲う死者・行方不明あわせて5,098名。9月26日

メローらはマンガン団塊の調査結果を発表

1958年 アラスカのリツヤ湾に高さ500m史上最大の津波が襲う
1957年 国際地球観測年(IGY: International Geophysical Year)
日本で南極観測が開始される。観測船「宗谷」により「昭和基地」で第1次越冬隊が越冬した。


海底掘削「モホール計画」提案される。

10月4日世界最初の人工衛星「スプートニク」が宇宙を飛んだ。「地球を取り巻く宇宙空間の研究」や宇宙からの海洋観測が開始された。

米Vare社は移動できる水中テレビカメラシステムを開発する。

ソ連ビチャージ号はマリアナ海溝で11,034mを測量する。

1956年 中央気象台が気象庁に昇格する。
1954年 世界最初の原子力潜水艦「ノーチラス号」(攻撃型)が竣工する。

海洋油濁防止条約:油による海水の汚濁の防止のための国際条約が採択

9月26日:青函連絡船「洞爺丸」4,337トン沈没、1,155人死亡

1952年 明神礁爆発:水路部観測船「第五海洋丸」が遭難し乗員31名不明 9月24日、小笠原諸島のベヨネーズ列岩(明神礁)での海底火山爆発であった。
1951年 北大潜水艇の活躍「マリンスノー」を命名北海道大学は科学調査用潜水艇「くろしお号」を完成(1951年):北大井上教授は206mに潜航(1951年)
後に鈴木昇氏が「マリンスノー」と命名、中谷宇吉郎教授(雪氷学)が「深海の雪マリンスノー」を世界に広める。ホタテなど水産資源の調査など行う(381潜航)。
後に潜水船「よみうり号」(6人乗り300m1964 - 70年471潜航)も作られ、サンゴの調査など行う。オーナーは読売新聞社

観測データとして最初にエルニーニョ現象(51年春~52年冬)が観察される。

レーデェル・カーソンが「われらをめぐる海」を出版。ベストセラーになる。海の誕生や海底の様子、そこに棲む生き物などをわかりやすく紹介した最初の本となる。

1950年 深海底引きで7,000mから魚採集デンマークの Galathea は深海トロールで7,000mから魚、10,060mから生物の採取に成功した。

チャレンジャー号(英)は最深部を音響で計測チャレンジャー八世号は世界で最も深い部分を発見し(チャレンジャー海淵)35,600フィート(10,863m)を計測する。世界で最初に音響測深を行ったのはドイツの「メテオール号」の南大西洋航海である。この音響技術は第一次世界大戦でドイツ潜水艦が活躍したため、これに対応して潜水艦探知技術が進歩し音響測深機が考案された。

米オーエンは水深5,500mで水中カメラの撮影に成功。
1949年 昭和天皇は海洋生物のご著書出版:「相模湾産後鰓類図鑑」を岩波書店から出版。日本の天皇が海洋科学に深い理解をされモナコ国王に次いで有名となる。
1947年 日本で海上の定点観測が開始される。10月
メキシコ湾で沖合海洋油田が開発される。
1946年 サウジアラビアに世界初の本格的な大型海水淡水化装置建設される。
1945年 ピストンコアラーで堆積泥を21m採取に成功ボルゲ・カレンバーグ(スエーデン)は開発したピストンコアラーで21mの採泥に成功する。
1943年 スクーバが開発されるクストー・ガニアンは簡易潜水器スクーバを開発する。手軽な潜水が可能になり、科学者などが潜水して生物学、考古学、海洋工学などに多くの発見が見られた。
1941年 日本海洋学会が創立。
1938年 シーラカンスの発見アフリカモザンビーク海峡から生きていたシーラカンスが発見された。その後200匹ほど捕獲され、多くが解剖された。
1997年にはインドネシア沖でもシーラカンスが発見され亜種と同定された。これまで潜水艇やROVでの捜索が行われた。

メキシコ湾で最初の海底油田発見(コレオリ沖1,800m)

1934年 室戸台風が上陸し死者行方不明3,036人に達する。9月21日、中心気圧911.6hpa
1933年 三陸地震津波が発生 3月
1932年 第2回国際極年(IPY)
1930年 ウッズホール海洋研究所設立
1929年 世界最初の深海作業船は日本製だった水深200mまで潜航できる西村式豆潜水艇1号が完成し漁場調査などに使われた。(1929年)ビービーとバートンの潜水球による310m潜水の前年であった。

海底地震で海底ケーブル切断ヨーロッパ・アメリカ大陸間の海底ケーブルが11月28日のグランドバンクスの地震による乱泥流で次々切断された。詳しい地形調査とピストンコアーの技術が向上した。

G.クロード(仏)は、キューバで世界初の海洋温度差発電実験を開始、翌年10日間にわたり22kWの発電に成功

1925年 世界に名を挙げた日本の潜水技術10年前に地中海に沈んだ「八坂丸」(水深91m)の金貨(23億円)を狙って多くのダイバーが挑戦したが、日本人(片岡弓八)が周到な用意をして全ての金貨を引き揚げ、世界で注目された。
シロチョウガイの採取:高級ボタンの材料であるシロチョウガイを潜水機を使って採るため多くの日本人が豪州で移民扱いとして認められていた。(明治時代)
アワビ・タイラギ漁に潜水機を使用:増田万吉はアワビ漁にヘルメット潜水機を使用し潜水漁業の基礎を作った。1875年

10月:マリアナ海溝を日本の測量船「満州」が9814.6mをピアノ線(錘測)にて成功。後に「満州海淵」と名付けられる。
1924年 沖縄 西表島で海底火山が噴火 10月31日:西表海底火山の噴火で流出しはじめた軽石は、黒潮に乗って11月20日頃には沖縄諸島、翌年5月には北九州、6月には四国、7月には駿河湾、一方、能登半島、9月には北海道松前郡、10月に礼文島に漂着と記録されている。

日本で最初に天気図が新聞に掲載される。

1923年 関東大震災が発生:死者142,807名、M7.9 9月1日
1922年 日本の海図の水深の単位が尋(ヒロ)からメートル(米)に変更された。
1921年 日本で最初の観測船による海洋気象観測を開始する。
1920年 中国で海原地震(M8.5)が発生し22万人の死者が出る。12月6日
1913年 和田雄治気象官、海流瓶による海流の調査を行う。5月27日
1912年 大陸移動説ウエゲナー(独)は大陸移動説(大陸の移動を視点においたもの、地球上の大陸が移動する)を提案する。
1960年代後半 プレートテクトニクス論の支持高まる。地球の表面をいくつかに分かれたプレートの殻が動き、大陸も一緒に動くと考えるもの。
4月15日:英サザンプトンを出港した大型豪華客船「タイタニック号」46,328トンが大西洋北部で氷山に衝突沈没し、1,503人が死亡。
1911年 ノルウェーのロアルド・アムンゼンは犬ぞりで南極点に到達。12月14日
1909年 アメリカ人ロバート・ピアリーは犬ぞりで北極点に到達する。4月6日
1908年 シベリアのツングースカ上空に落下してきた小天体が大爆発半径30キロの森林が燃え尽きる。6月

イタリアのシチリア島でメッシナ地震(M9,2)により11万人の死者がでる。12月28日

1905年 スクリップス海洋研究所設立

世界最初の海図発行モナコのアルベルト皇太子は世界最初の地中海の海図を発行する。
1903年 モナコ海洋博物館が開設されるアルベール1世の構想で「海の科学」を主題とする海洋博物館が開設、クストーも館長を務める。
1900年 アメリカの海洋調査艦「アルバトロス」日本近海調査アメリカの海洋調査艦「アルバトロス Albatross」は横浜港へ入港、日本近海を調査する。5月
1896年 明治三陸地震津波:高さ38.2mの津波が襲い死者2万7千人余りの被害がでる。(日本最大の津波被害。日本は繰り返し大津波に襲われる津波被災国である)6月15日
1894年 魚用の標識タグが発明されるデンマークのピータセン(C. G. Petersen)は漁獲量保護のため魚用タグを発明する。
1891年 日本に水準原点が国会議事堂前の憲法記念館の庭に設置される
1887年 モナコのアルベール一世は地中海、大西洋、北氷洋の海洋調査を実施。

プランクトンが命名されるヘンゼンによって海中を漂う生物を「プランクトン」(ギリシャ語:浮浪者の意)と名付けられる。1884年、ヘンゼンはプランクトン定量ネットを考案、プランクトンの研究を始める。

1886年 観測船から海水温度と比重の計測に成功ロシアの観測船「ビチヤズ」は調査航海で初めて海水温と比重を測ることに成功する。

日本標準時が制定される

1884年 日本に天気予報が始まる

松原新之助述「海洋学」に日本で最初に海洋学の名前が世に出た

1883年 第1回国際極年(IPY)

ジャワ島クラカトウ火山爆発:津波で死者3万6千人(史上最大の津波被害者)の被害発生。

1877年 上野に科学博物館ができる
1875年 日本に気象台(東京気象台)が設けられる

沖縄石垣島に日本最大の地震津波85mが襲う

1872 - 76年 チャレンジャー号(英)世界一周海洋調査行うイギリスのポーツマスを6名の調査団を載せて海洋調査航海(乗員240名)に出航、横浜に寄港し、相模湾など調査する。横須賀に1875年(明治8年)4月26日 - 5月3日まで寄港し艦艇を修理した。後に50巻もの調査報告書が刊行され海洋学の基礎を築く。これまでは深海に生き物はいないと信じられていたがチャレンジャー号の調査で深海にも多くの生き物がいることが分かった。また、採水された海水の化学的分析も行われた。あわせてマンガンノジュールも採集されていた。
1858年 ヨーロッパ・アメリカ大陸間に海底ケーブル敷設大陸間をつなぐ電話回線がつながる。事前調査として詳しい水深測量など行われ、中央海嶺の存在が明るみになる。
1857年 ダイオウイカ(Architeuthis)の存在が初めて学術論文に記載された
1854年 安政大地震:関東甲信越地方(M8.4) 金沢八景、浦賀、江ノ島へ大津波。
1837年 ベルガウスの地図に日本海流(黒潮)の流れが記載される
1783~87年 天明大飢饉:4月から秋まで長雨。全国的な大凶荒となる。
1752年 黒潮(黒瀬川9の最初の記載:「日本志東海部伊豆国属嶋地図」に黒瀬川(黒潮)と初記載。1775年「改正日本興地路程全図」にクロシホ(黒潮)の文字が初記載された。
1707年 富士山大噴火:鎌倉にも五寸程火山灰積もる。麥採れず。

駿河湾から四国沖に掛けて宝永地震(M8.4)が発生:死者2,800人(地震の規模は日本最大となる。)10月28日

1703年 元禄大地震(M8.2):江戸、関東諸国大地震、民家が多く倒壊し被害甚大。
1646年 琉球国絵図に「黒潮」の存在が初記載される
1556年 中国で華県地震が発生:死者は83万人に達する。地震災害史上最大の被害となる。1月23日

参考資料:

"Exploring the Ocean World-A History of Oceanography-" (C.P.Idyll Editor)
"Introductory OCEANOGRAPHY" (Harold V. Thurman, 2003年)
"潜水調査船などの開発経緯" (山田 稔 編纂)
"海洋のしくみ" (日本実業出版社, 東京大学海洋研究所編, 1997年)
"改訂宇宙から深海へ 図説海洋概論"(豊田恵聖監修 1997年)
"黒潮遭遇と認知の歴史"(京都大学出版会、川合英夫、1997年)

 
海人のビューポート