<戦後の韓国を描いたドラマ クッキ>


第2 4 現代-38度線のナゾ



毎年8月15日が来ます。


祖国分断のキッカケになった祖国解放75周年が過ぎましたが、

今回は軍事境界線について語ります。


朝鮮を南北に分断する軍事境界線、元々38線上に有った事から38度線とも呼ばれます。


ではどう言う経緯で、誰が引いたのでしょうか。簡単に追って行きたいと思います。


一番最初に38度線を提案したのは日本です。

1896年国王がロシア公使館に逃げ込む「俄館播遷事件」(아관파천)が起こり、朝鮮を巡りロシアと角逐を繰り広げる事になった日本は、ロシアとの協議において、朝鮮の38線分割案の提案を行いますが、ロシアは一顧だにせず拒否します。


露日戦争前夜の1904年にも39度分割案を打診しますが、またもや拒否され露日戦争に突き進んで行きます。

<日露戦争 風刺画>

この様に朝鮮分割案は元々日本の専売特許だった事に注目する必要があるでしょう。


では実際の38度線はどの様に引かれたのでしょうか?

ドイツ敗北を控えた19452月ヤルタ会談にてアメリカのルーズベルトはソ連のスターリンに対日戦争参戦を要請し了承されます。その時点で朝鮮分割案は存在しません。

<ヤルタ会談>

8月8日合意に伴ってソ連が対日宣戦布告を行い戦争に突入します。

長期化すると思われた戦線は日本軍の壊滅で呆気なく崩れ、11日朝鮮北部の咸鏡北道 青津(청진)まで解放されます。


残念ながら金日成将軍を隊長とする88旅団はギリシャでの失敗に鑑(かんが)み勢力温存の為、本隊の兵力としては投下されず一部偵察隊のみ参加した事は前回述べました。

<ソ連 進軍路>

その時、フィリピン沖までしか進んでいなかったアメリカは驚き、急遽38度線での武装解除を提案、了承されます(11)


勿論アメリカが望んだのは大陸の足場確保で有り、7月中旬に起草されたと言います。元々単独占領し長期の委任統治を狙って居たのですが急遽切り替えた訳です。

実際アメリカ軍が南に上陸したのは日本が降伏した後の98日でした。


全域占領も充分可能で、有利だったソ連スターリンが何故その提案に了解したかは今も謎のままですが、推測可能です。


①対独戦争で国内人口の15に当たる2000万人が死亡したとされるソ連としてはこれ以上被害を出したく無かった

②旧ロシア時代から極東での目的は(今も)不凍港の確保に有り、北部朝鮮で事足りた(中国東北部に比べた朝鮮の重要度の希薄さ)

③南朝鮮が日本の樺太などの領土確保と引き換えだった

④異を唱え核を持つアメリカと事を構える準備が無かった(①とも繋がります)

<スターリン>


従来から分断にアメリカの責任を問う声は多いですが、ソ連にも大きな責任が有ると言って良いでしょう。

特にスターリンは共和国に対しても何度か致命的なミスを犯しています。現体制上、声高に言えないのが悔しいですね。


では何故38度線だったのでしょう。

それは日本が敗戦の直前1945年5月に軍の管轄を変更、38度線以北を関東軍が、以南を内地軍(17方面軍)が管轄下に置いたからです。

アメリカはそれぞれの武装解除を理由とした訳です。

<ソ連 ベルリン解放>

あくまでこれは推測に過ぎませんが、ドイツの分割を目にした日本は、自国の分割を朝鮮に肩代わりさせようとした節が有ります。

それを見越してのこの時期に於ける軍の管轄の変更でしょう。


資料が残っていない為憶測しか出来ませんが、もしそうだとすると分断において日本は朝鮮を植民地にしたと言う広義の「責任」も有りますがミクロ的、直接的責任も負って居ると言えます。


実際、地政学的にメリットはさして有りませんが、連合国による日本列島の4つの分割案は有名ですね。戦後、日本をアジアの基地として利用すべく単独占領にこだわったアメリカが応じる訳は有りませんでしたが(笑)。


日本はアメリカの心理的効果を狙った原爆投下により心理的にばかりか歴史的記憶までアメリカに同化してしまった様です。(アメリカの原爆によって日本が降伏したと言う誤解)

<広島 長崎原爆投下>

不謹慎ですが、2分割するには38度線は色々な矛盾はあれど理に叶った分け方だった様です。長さはおよそ半分、北が1.2倍大きいが人口は2500万人中南が1600万人、北が900万人1.7倍近く、首都서울と第二の都市평양が分かれます。


日本だと東京の東日本と大阪の西日本みたいな感じですね。さしづめ境界は日本アルプスでしょうか。よっぽど歴史的には日本の方が関ヶ原や幕末の例を取る迄も無く東軍、西軍と分裂の歴史が多い様に思います。勿論今や東京圏への一局集中が一番の問題では有りますが。


因みに最近発表された世界で一番大きく、人口を有す都市は神奈川、千葉、埼玉も含めた東京圏(都心から50km圏内)だそうです。人口は3500万人位だそうで、アメリカや中国、インドの都市より巨大と言うのは意外ですね。チョット脱線が過ぎましたか。


朝鮮の南北の気性を分けて見る向きも有りますが、東北人と関西人の気性が異なるのと同じで、むしろ世宗(세종)期などに下三道(경상,전라,충청)から北方(평안,함경)へ民を移住させた歴史が有り、よっぽど日本より均一と言えましょう。

長期の体制、文化の違いで言葉も体格も段々違って来ているのが残念です。


この様に日本が裏方としてお膳立てと下準備をし、アメリカが主演を、ソ連が助演をする形で我が国の38度線での分断が決まったと言って良いでしょう。

独立運動勢力は沢山居ましたが、解放の主体的力量になり得なかった我が国の決定力不足が正に悔やまれます。


次次回から戦争にまつわる幾つかの謎に迫りたいと思います。

その前に解放後の話しを。


<参考文献>

集英社編 日本の歴史

山川出版社 世界歴史体系 朝鮮史2

山川出版社 朝鮮現代史

朝鮮史研究会編 朝鮮の歴史

祥伝社  孫崎享 朝鮮戦争の正体


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<映画 スターリンの葬送狂騒曲>



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