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ジンギスカンの墓は、どうしてないか?
写真は、こちらからお借りしました。
モンゴル帝国をつくったジンギスカンを初めとするモンゴル諸国の墓が見つかったという事実は、現在のところまだひとつもありません。
これは、中国の漢帝国と長らく抗戦した匈奴(きょうど)などの王にしても同じです。
ヨーロッパーを荒らしたフン族のアッティラ大王は、金・銀・鉄の三重の棺(ひつぎ)に埋葬されたと伝えられていますが、これもまた、場所はまったく不明とされています。
それでは、何故これらの墓は見つからないのでしょうか?
一説には、中央アジアの遊牧民(ゆうぼくみん)は墓を地中深くにつくり、地上に墓石などの目印を置かない習慣をもっていたため、あるいは、彼らは一時的にドナウ川の流れを変えて、その川底に葬ったためともいわれています。
また、墓荒らしを恐れたためだともいわれていますが、いずれにしても、ひとつの場所に定住しない遊牧民らしい習慣なのかも知れません。
中国の史書には、「モンゴル人は、遺体を地中深く葬ると数百頭もの馬を走らせて地ならしをしてしまう」と伝えています。
が、それならばまったく分からなくしてしまうのかというと、そうでもありません。ある方法をとります。
それは、子供連れのメスラクダをつれて行き、墓の上で子ラクダを殺してしまうのです。
すると、母ラクダは、子供の死んだ場所を長らく記憶しており、年月が経ってもそこに行くと泣くので、墓の位置が分かるというのです。
何とも切ない話ではありますが、これは彼らの長い遊牧民暮らしから生まれた智慧なのでしょう。
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