5月

2020年10月02日(金)

「シュン」これまでのツイート 1945年5月1日~15日

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NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)の社会状況や人々の暮らしを、3つのTwitterアカウントで発信しています。
ここでは、中学1年生「シュン」の過去のツイートを読みやすく、まとめて掲載しています。
戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記などに基づき掲載します。


1945年5月1日~15日のツイート

【1945年5月1日】 13:00
英語では「私は立つ」というのを “アイ スタンダップ” というらしい。面白いが、まだ少し難しい。
それにしても、学校を1歩でも出ると敵性語と憎まれる言語をこうして学習できるというのはつくづく不思議なことだ。

【1945年5月1日】 16:00
柔道の倉田教官は八段と聞くのでさぞ精悍な方かと思っていたのだが、附属の教官らしい面白い方だったな。面白い講和の中で日本武道の精神というものをしっかり伝えてくださるのには感服した。
ああ、柔道、武道、日本古来の武道よ!

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【1945年5月2日】 12:00
一限の図画の仲教官が町内の会合に出るため休んでおられたので、担任の三木教官と野球をした。僕は珍しく良い球を打ったのだが、次の打席でチェンジになったのでそのまま負けてしまった。
くそっ、口惜しい。

【1945年5月2日】 15:00
このあいだ、我らが同盟国たる伊のムッソリーニ首相が殺害されてしまった。
ああ、ああ、残念だ!ちくしょう、米英め!本当に鬼のような奴等だ!
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。


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【1945年5月3日】 8:00
ムッソリーニ首相に続き、ドイツ総統のヒトラー氏が名誉の戦死を遂げられたそうだ。常々から祖国を愛し、愛する祖国のために一生を捧げてこられたヒトラー氏は、遂に自らの生命を祖国のために捧げられてしまったのだ!
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。

【1945年5月3日】 8:10
これでとうとう我が同盟国の二総統は、その生命を我が国と同じ世界平和のために捧げてしまった。
彼らの無念は、我らが必ず晴らさなくてはならない。僕は二総統のために、ここに心から追悼の意を示そう!
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。


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【1945年5月4日】 9:00
ついに独の首都ベルリンが敵の手中に落ちてしまったらしい。悲嘆に暮れる間もなく、先程この廣島にも警報が出た。
やはり世の中は非人道、不正が通るのだろうか。無念だ!僕達は正しさのために勝利を得なくてはならないのだ。

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【1945年5月5日】 15:00
またもやB29が来襲した。奴らは遊びに来るような心持ちで日本へやってきて、節句のお祝いに爆弾を投下していったのだ。僕達は退避壕で米国を恨み、悲憤の涙を流した。
ヤンキーめ、この仇はきっと取ってやるぞ。きっと、きっと。
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。


【1945年5月5日】 15:02
共に退避した生徒の二人が壕の中で私語をしたので、教官にビンタをされて朝礼台から吹き飛んでいた。壕の中で私語をするのは利敵行為で、米の味方をするのと同じことなのだという。悲嘆に暮れる僕達の中に利敵行為をする者がいたとは、残念なことだ。

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【1945年5月6日】 12:00
今日も朝からB29がやってきて、楽しみにしていた小谷先生の授業を台無しにしてしまった。近頃は敵機が爆弾も落とさずにただぐるりと廻って去っていくことが多い。本当に遊んでいる訳でもないだろうに、一体何をしているのだろう。

【1945年5月6日】 12:01
そもそも、このように他の都市が大規模な爆撃を受けている中で、広島ばかりがいつまでも無事でいられるはずがないのだ。いつか必ず廣島も爆撃されるに違いない。それを考えると、夜も落ち着いて眠れないくらいに恐ろしくなってくる。

【1945年5月6日】 13:00
昼食の後に野球をした。最近うすうすと勘づいていたのだが、どうも僕に野球は向いていないらしい。せっかく三木教官が目を見張るようないい球を投げたのに、守備の僕が球をこぼしたのでセーフになってしまった。これでは仲間に合わせる顔がない。

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【1945年5月7日】 14:00
話し方の勉強をするために「今年の春」を皆の前で読んだ。
思ったことを言葉にして話すのは、難しいものだ。その後の工作の授業だが、みな金槌やノコギリはどうやって手に入れたのだろうか。
後で高田に聞いてみようか。

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【1945年5月8日】 8:00
本日は大詔奉戴日。
勝利に向けて心を整える。独のヒトラー総統も伊のムソリーニ統師も共に死去した。ドイツの降伏は時間の問題。
ここが踏ん張り時である。神風を吹かすのだ。米英撃滅に向けてただひたすらに戦うのだ。

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【1945年5月9日】 15:00
最近は毎日のように警報がなる。また今日も発令された。そんな日でも僕は学校にいく。普段と、変わらない。
でも戦況は変わった。独が降伏した。負けることで米英から酷い待遇を受けるのだ。そう思うと、絶対に負けられない戦いだ。

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【1945年5月10日】 11:00
また敵機がきた。次は何の用だ。
そんなこと考えていると空襲警報が発令。大勢で空を飛ぶ姿に、実に腹が立つ。奴らは態度が大きすぎる。
今風で煙が舞っているのが見えた。どこかがやられたのか。

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【1945年5月11日】 15:00
楽しみだった国文の授業が警報のせいでなくなった。また一つ米国への恨みがました。「やれん」とはこのことである。
その後の英語の授業は再開。
敵兵と出会った時に話を聞き出すため、今日も英語を勉強する。
勝つためにも兜の緒をしめるか。

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【1945年5月12日】 16:00 
最近は軍人勅諭の五ヶ条を覚えている。だが教官から説教。他の組と比べて覚えが悪いのだとか。頑張ったのだがな。大事件発生。実験用の磁石が盗まれたらしい。放課後北組全員が取り調べを受ける。僕は無実だ。

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【1945年5月13日】 10:00
朝からサイレンが不気味な音を響かせている。
今日はよく警報が発令される。
敵は日曜日だから大挙して来襲してくる恐れがあって心配だ。

【1945年5月13日】 13:00
少しでも食糧増産を手伝いたいので、畑へ行き、野菜の手入れをした。
美味いのが出来るかな。
一心にやり過ぎて、大切なくわを壊してしまった!
壊すまで夢中になるなんて、畑仕事は実に面白い。

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【1945年5月14日】 8:00
本日は中学生になって最初の勤労奉仕だ。
朝早くから、牛田の工兵橋に出動した。
なんと、軍馬の飼料として、藁を大きな機械に入れて押し潰して針金を通し、四角に結んで倉庫に納めるという作業だ。

【1945年5月14日】 11:00
藁のゴミが沢山出て、閉口してつい立ち尽くしてしまった。あと足も痛くなった。だがこれも日本のためになるのだ、頑張らなくては。
帰りに良いことがあった、三木教官の家を見つけた。
今度ご挨拶に行こうと思う。

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【1945年5月15日】 9:00
朝からまた警報が発令される。
そのとき、敵機の爆音と共に物凄い『ドドーッ』という音がして、戸障子がガタガタと震えた。
驚いた。まだ心臓が波打っている。
くそっ!
いまいましい、米軍め。これは爆弾を落としたな。

【1945年5月15日】 13:00
5、6時間目の授業のときにもまた警報が鳴った。
だから午後の授業時間は抜けてしまった。
くそっ!遂に2時間分の勉強が遅れたのだ!
復習するぞ!でなければ、立派な人物にはなれぬ。

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このプロジェクトの目的は、戦争の記憶が薄れつつある中、若い世代に被爆体験を継承し、戦争の時代の社会状況についてリアリティーをもって伝え、考えていただくことにあります。
「シュン」のモデルは、1945年当時、広島の中学1年生だった新井俊一郎さん(13)です。現代の広島の10代が新井さんの日記などを読み、その味わいを大事にしつつ、若者の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。時間は日記などをもとに推定。必要に応じて注釈をつけます。