4月

2020年10月02日(金)

「シュン」これまでのツイート 1945年4月16日~30日

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NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)の社会状況や人々の暮らしを、3つのTwitterアカウントで発信しています。
ここでは、中学1年生「シュン」の過去のツイートを読みやすく、まとめて掲載しています。
戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記などに基づき掲載します。

 

1945年4月16日~30日のツイート

【1945年4月16日】 9:00
空襲被害を防ぐための教室の天井除去がようやく終了したので、本日は大掃除。
机の上や教壇などに埃の塊がたくさん積もっている。
ホウキがボロボロなので掃くのに手間がかかった。腰が痛い。

【1945年4月16日】 13:30
午後の最初の授業は歴史だ。
外国のことを習う。
我が大日本帝国と世界がどちらが優れているかは一目瞭然だ。
僕はこの国に生まれたことに誇りを持っている。
我々青少年に国家の運命がかかっているのだ。
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。

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【1945年4月17日】 8:30
本日は今から四十年前の廣島高等師範学校附属中学校開校の記念日である。
全国に二つしかない高師附中だ。
さらに特別のように思う。
附中の生徒として胸を張れるような行いをして、先輩に負けぬ人物になりたい。

【1945年4月17日】 10:30
記念式典の後、グラウンドで体練会を行った。グラウンドまで駆け足で着くと、最初には一年生等の騎馬戦。
激戦だったが、僕たちは負けてしまった。悔しい、次は負けない。
そして生き残った一年生の騎馬が一騎。勇敢に上級生の騎馬に突入した。

【1945年4月17日】 11:00
次は棒倒し、また我が軍は負けてしまった。くそっ!よく守ったのに!
だから次のリレーで巻き返そうと思ったが僕たちは四位で最下位だ。
すると担任の三木教官が最後の周で爆走。突然の先生の参加で僕は驚き爆笑した。三位だ、先生の手柄だ!

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【1945年4月18日】 13:00
次の英語の時間に材料が揃ったため少しだけ高度計を作り、英語の授業を始めようかと思ったときに、サイレンがまた鳴り響く。
皆『またか』という顔をしていたが直ちに解除。
こんな状況だが僕は真面目に勉強をしよう。

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【1945年4月19日】 20:00
数学というのはつくづく難しいと感じる。教科書を開けた瞬間に目に入るたくさんの図。無数にある問題。僕は、距離の縮小や拡大の問題が一番苦手だ。小数点の計算問題はすらすらと解けるが、このようなややこしい文章問題はあまり好きではない。

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【1945年4月20日】 12:00
中学に入って新しくできた英語の科目。今日は、「起立」「着席」「礼」を習った。聞きなれない独特のカタカナの発音が面白い。
教官が帰られるとき「グッドバイ、ボーイズ」と言われたので僕たちが「グッドバイ、スー」と答えた。次も頑張ろう。

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【1945年4月21日】 12:00
本日午前中は教練だった。僕は指導生徒であるので、級長の代理をし、軍人勅諭を暗唱した。後に、教官殿に号令のかけ方を褒められた。普段あまり人を褒められる教官殿ではないので余計に嬉しさが増した。しかしもっと練習しなければ一人前にはなれない。

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【1945年4月22日】 12:00
今日は学校はなく、そしてとても天気が良い日だ。増産のため畑に母と二人で野菜を作りに行った。道端のささやかな畑だが、この野菜が僕たちの栄養分を満たしてくれるのだと思うと本当にありがたい。母にも沢山の栄養を取ってもらいたいものだ。

【1945年4月22日】 13:40
畑で種をまき終わった瞬間に耳をつんざくサイレンが鳴った。それと同時にB29が飛行機雲を引きながら空からぬっと現れた。ヒューンと気味の悪い音をたてながら、敵機から何かが落下してくる。爆弾だった。爆弾。B29。ついに敵がこの広島にも襲撃をかけた。

【1945年4月22日】 14:10
警報はほどなくして解除され、敵機もいつのまにかどこかへ消えていたが、僕の心臓のバクバクとした音はなかなか消えてくれなかった。
夕食時、父と母とあの音は確かに爆弾の落ちる音だったがなあと話した。僕はあのB29を、米軍を許さない。

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【1945年4月23日】 7:00
最近は戦局がより激しくなっている。日本の同盟国であるドイツのベルリンにはもう赤軍が迫っているそうだ。沖縄では米軍のヤンキー兵が到達した。
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。

【1945年4月23日】 7:01
我が国の特攻隊は休みもなく毎日出動し、その度に散っているそうだ。我々のために、そしてお国のために勇ましく戦って下さっているのだ。今こそ僕も恐れていてはいけない。陛下のため、忠に生き忠に死す良き日本人とならなくては!

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【1945年4月24日】 8:00
今の我々日本人の目的は、戦いに勝って憎き米英に打ち勝つことだ。ベルリンは赤軍に侵入され、激戦が展開中だ。そして不利な状況である。沖縄も同じだ。特攻隊も出撃しているというのに。なんと悲しく悔しいことだろうか。一致団結しなければ。

【1945年4月24日】 8:01
本日は考査があるので早く学校へ行こう。

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【1945年4月25日】 7:00
附中に入学してもう三週間が経とうとしている。周りの環境の変化も大きい。国民学校の恩師は疎開で遠くの山奥へ。皆ばらばらになった。いつ攻撃されてもおかしくない廣島から安全な場所へ皆行けたのだから、とても安心だ。

【1945年4月25日】 20:00
恩師が安全な場所へ移動できたとは言うものの、六年間も指導して下さった恩師であるから、御恩に報いなければ。恩返しをしなければ。それは我が国に尽くすことだろう。よし!憎き敵米英を撃砕してやろう!

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【1945年4月26日】 12:00
最近僕らの組の友達は級長と気が合わない。皆、級長をバカにしたようにあしらう。級長が皆によく怒ることが原因らしい。皆も悪いのかもしれないが、級長はもう少し大人になった方が良いと思う。

【1945年4月26日】 12:01
今日は数学の時間に平板測量というものをした。この時間に僕は級長に、一番大切にしていた消しゴムを貸してあげた。数学が終わり返してくれと言うと、失くしたと言う。そういうきちんとしてない所も、皆にバカにされてしまう理由なのかもしれない。

【1945年4月26日】 13:05
国文の小谷教官は、面白く勉強させるという信念で授業を行われる。我々をよく笑わせて下さる。楽しい授業で有難い。教官のお陰で先程の怒りも少し落ち着いた。

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【1945年4月27日】 15:00
本日も国文や物象など、いろいろな教科がある中で英語が一番難しい。特に発音が困難である、"th"の発音は別格である。皆出来ないので教官がため息をつく。授業が進んで行き、数学の授業中に警報がなる。だがすぐに解除されたので、授業を再開した。

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【1945年4月28日】 15:00
一時間目に軍人勅諭を習う。二時間目も教練である。ただ、一時間目とは違い、二時間目は校庭で戦場運動をする。一本橋の通過などを行う。私が橋を渡れずにいるなか、皆は簡単そうに進んでいた。悔しくてやれん。今日は三回も警報がなったが何も無くおわった。

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【1945年4月29日】 10:15
本日はめでたい日である。天長節である。学校では雨天体操場で式典が行われた。その後は休む間も無く、校庭に集合し教官のお話を聞く。教官のお話の途中に警報がなり、すぐ帰宅する。広島になにもなく安堵。

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【1945年4月30日】 7:05
轟音で飛び起きた。
遅れて窓が揺れた。地震?
何かが焦げた臭いがする。
爆撃か!
どこだ、どこに落とされた!
学校の方だ!急いで準備だ!

【1945年4月30日】 7:35
学校に大穴が空いてる。
周りの窓ガラスは割れている。
体に力が入る。米国め、いつかこの借りは返してやる。何倍。いや、何十倍にもして返す。

【1945年4月30日】 15:00
朝の爆撃で授業に身が入らないな。
集中、集中…。

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このプロジェクトの目的は、戦争の記憶が薄れつつある中、若い世代に被爆体験を継承し、戦争の時代の社会状況についてリアリティーをもって伝え、考えていただくことにあります。
「シュン」のモデルは、1945年当時、広島の中学1年生だった新井俊一郎さん(13)です。現代の広島の10代が新井さんの日記などを読み、その味わいを大事にしつつ、若者の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。時間は日記などをもとに推定。必要に応じて注釈をつけます。