舞台裏日記

2020年06月15日(月)

シュンちゃんツイート(5月1~31日)は こうやって考えました&日記を書いた新井さん本人からひと言

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新井俊一郎さんが1945年に書いた日記をもとに、広島の10代がツイートを考える企画「#ひろしまタイムライン」。
https://twitter.com/nhk_1945shun
作ったのは「シュン」制作チームの5人。日記を読み、その味わいを大事にしつつ、若い世代の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。
このブログでは、5月のツイートの中で、メンバーがどんな意図で作ったのかを紹介します。

1945年5月1日
【制作チームのツイート】
英語では「私は立つ」というのを “アイ スタンダップ” というらしい。面白いが、まだ少し難しい。それにしても、学校を1歩でも出ると敵性語と憎まれる言語をこうして学習できるというのはつくづく不思議なことだ。

【制作チームの意図】
戦時中なのにシュンちゃんが学校で英語を勉強していたのが意外だったので、そこがよりわかりやすく伝わるように文章を補足しました。
(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)

【新井さんからひと言】
「学校を一歩でも外に出ると敵性語だと憎まれている言葉を、こうして学校で学べるというのは不思議だけど嬉しい」と、私なら書くでしょう。

1945年5月5日
【制作チームのツイート】
共に退避した生徒の二人が壕の中で私語をしたので、教官にビンタをされて朝礼台から吹き飛んでいた。壕の中で私語をするのは利敵行為で、米の味方をするのと同じことなのだという。悲嘆に暮れる僕達の中に利敵行為をする者がいたとは、残念なことだ。

【制作チームの意図】
日記には「利敵行為」の詳細が書かれていなかったので、新井さんにお話を聞いて詳しく補足しました。
(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)

【新井さんからひと言】
「空襲警報発令で防空壕に退避した級友二人が私語をしたので、警報解除後に教官からビンタをされ朝礼台から吹き飛んだ。退避中に私語を交わすとは利敵行為であり、敵の味方をするのと同じだとのこと。我々の仲間で利敵行為をする者がいたとは無念であり残念至極だ」と、私なら書きなおします。

1945年5月6日
【制作チームのツイート】
今日も朝からB29がやってきて、楽しみにしていた小谷先生の授業を台無しにしてしまった。近頃は敵機が爆弾も落とさずにただぐるりと廻って去っていくことが多い。本当に遊んでいる訳でもないだろうに、一体何をしているのだろう。

そもそも、このように他の都市が大規模な爆撃を受けている中で、広島ばかりがいつまでも無事でいられるはずがないのだ。いつか必ず広島も爆撃されるに違いない。それを考えると、夜も落ち着いて眠れないくらいに恐ろしくなってくる。

【制作チームの意図】
B29が爆撃をせずただ飛んでいるのを見て、「いつ攻撃されるのだろう」と恐ろしかったという話を新井さんから聞きました。日記には詳しく描かれていないその恐ろしさを表現しました。
(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)

【新井さんからひと言】
「…それを考えると、夜もおちおち眠れないほどの恐怖に襲われる。それが敵の狙いなのか。」と、私なら書き足します。

1945年5月9日

【制作チームのツイート】
最近は毎日のように警報がなる。また今日も発令された。そんな日でも僕は学校にいく。普段と、変わらない。でも戦況は変わった。独が降伏した。負けることで米英から酷い待遇を受けるのだ。そう思うと、絶対に負けられない戦いだ。

【制作チームの意図】
警報が出ても当たり前のように学校に行くシュンちゃんの生活を印象的に伝えようと、文章を工夫しました。
(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)

【新井さんからひと言】
「…いつもと変わらずに。でも戦況は変わった。独が降伏した。敗戦国となって米英から酷い目に会わされているのだろう。そう考えると戦いは絶対に負けられない」。単なる生活ぶりだけでなく、ドイツ降伏を持ち出した以上は敵愾心を強調したいから。

1945年5月27日
【制作チームのツイート】
今日は休日だったので、父と朝、袋町の浅野図書館に行って本を借り、先ほどは髪の毛を切ってもらった。僕の憧れであり尊敬している父が自分の髪に触れている。引っ張られたところが痛い。

【制作チームの意図】
新井さんの話をもとに想像を膨らませて父親との関わりを表現しました。家族がいること自体は75年前と今で変わらないと思うので、シュンちゃんをより身近に感じてもらえたらいいなと思います。
(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)

 【新井さんからひと言】
「…僕が尊敬する父が僕の髪に触れている。バリカンに髪の毛が引っ張られて痛かったけど、我慢、我慢」~私にとって父は「憧れ」という存在ではなく師匠、かな。人間国宝に指定された人の息子が、その父の弟子になって修行する、などというドキュメンタリー番組を見ることが多いけど、似たような関係だと思っています。でも、父と子という親しさを表現すべく、文末に二言だけ繰り返させました。

1945年5月31日
【制作チームのツイート】
遂に本日一日は学業を休んだ。実に今日というほど自分が情けない日はなかった。いくら農園作業はくたびれるといっても、たったあれだけの作業で倒れるとは!情けない。本当に情けない。「そのようなことで戦争に勝てるか。」まったくだ。

またも敵機B29がやって来た。「今日こそやられるかもしれない」という恐怖が体中を駆け巡り、防空壕へ隠れようと走る方向を変えたその時だった。

なんと爆弾ではなく大量のビラが降ってきたのだ。紙片が光を反射して空いっぱいに飛び散る様子は、空に銀色の粉を振りまいたようで、とても美しかった。

米兵め、日本の特攻精神、大和魂を考えてみろ。そのくらいのごまかしで動揺するような日本人ではないのだ。いやいや、英米にとってはいくら考えてもわからないものだろうな。

【制作チームの意図】
戦意を喪失させるようなことが書かれているアメリカ軍の宣伝ビラを軍国少年のシュンちゃんは許せなかったと思います。それでも、その情景を「とても綺麗」と日記で表現しているのが印象的で、興味を持ちました。読んでいる人にも、シュンちゃんが見ていた風景を想像してほしいなと思っています。
(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)

【新井さんからひと言】
「米兵め、日本の特攻精神や大和魂が分かるか、そんなことくらいで動揺するような日本人は居ないぞ。いやそうか、お前たちにはいくら考えても分からないだろうな」~宣伝ビラは、いま考えても、戦時中だということを忘れさせるくらい綺麗だった。私だけでなく級友たちの殆どが、この美しい空中ショーを鮮やかに記憶しているのです。それほどに印象的でした。
自分の弱い体力と学力を嘆く記述は本心です。本当に情けなくて悔しかった。だから人一倍頑張るようになります。それがなんと、戦時下にも関わらず、病弱だった私を逞しい日本男児の軍国少年へと変身させてくれたのです。戦争が私に与えた唯一の宝でした。

※新井俊一郎さんが1945年に書いた日記の原文はこちらに掲載しています。ぜひ原文と読み比べてみて下さい。
https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/genbun/shun/