4月
2020年10月02日(金)
「シュン」これまでのツイート 1945年4月1日~15日
NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)の社会状況や人々の暮らしを、3つのTwitterアカウントで発信しています。
ここでは、中学1年生「シュン」の過去のツイートを読みやすく、まとめて掲載しています。
戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記などに基づき掲載します。
1945年4月1日~15日のツイート
【1945年4月1日】 11:00
国民学校の早瀬先生がしきりに大井の合否を気にするので、直接聞いてやろうと思ってわざわざ大井の家に行ったのに、いなかった。本来あいつが直接先生に伝えるべきだろうに、勝手なものだ。
【1945年4月1日】 18:00
酒井君と遊んできた。囲碁も将棋も僕が勝った。
酒井と将棋を打つといつも僕と同じ手を打つので閉口する。今日だって僕が穴熊を組んだ途端あいつも組んだので、将棋盤をひっくり返してやろうかと思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月2日】 8:00
防空壕の壁がはがれた!あんなに一生懸命つくったのにもう壊れるなんて、やっぱりセメントに水を入れすぎたかもしれない。
スコップを持ってすぐに直しにかかる。いつでも父に見せられるようにしておきたい。
【1945年4月2日】 17:33
昨日酒井君が貸してくれた航空朝日を読んで、戦闘機の浪漫に思いを馳せている。
【1945年4月2日】 17:35
僕は色が見分けられないので操縦士にはなれないと周囲に言われるが、それなら整備兵になってやろうか。戦闘機を整備するところを想像すると胸が高鳴る。
【1945年4月2日】 22:20
朝に塗りなおしたセメント、だんだんと乾いているようだ。一安心。これで父に見せられる。
とはいえ本当に焦った。もう壊れないでくれ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月3日】 14:00
今日は米の配給の日である。
米がもらえるのである!朝食後久しぶりに配給所に米をとりにいった。
20キロ、多少重かったが弟がいるのであまり重くないフリをした。実際米の重さより米を食べられる楽しみが勝り、いつもより重くなかったかもしれない。
【1945年4月3日】 19:48
しょっちゅう喧嘩をしている弟だがこのようなちょっとした時間を、一緒に過ごせるのは、幸せなことだな。その後の酒井君との予定がなくなったのは米に免じて許そう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月4日】 9:03
今日は少し曇っている。大切な入学式があるというのに。せめて雨は降らないでくれ。
緊張と、どんよりとした天気が僕の気持ちを圧迫する。
【1945年4月4日】 13:00
本日入学式。
校長先生が「附中生らしく勉強に勤しめ」とおっしゃる。
校長先生のお話の後、校舎を見学する。途中、高等師範学校の講堂を見上げたときには、ぐっと拳を握ったな。
【1945年4月4日】 16:00
入学式から帰宅!畳で大の字になる。
圧迫から解放されたからか、附中生になった喜びが心の底から込み上がってきた。
一中に入学した新久や正木も喜んでいるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月7日】 20:20
1年生で行軍をした。
弁当を持って比治山まで無言で歩いた。
途中馬にちょっかいをかけて軽く腕を噛まれていた奴がいた。
腕が青くなっていたので「大丈夫か」と声をかけると強がっているのか「これぐらい大丈夫」と返してきた。大丈夫では無いだろうに。
【1945年4月7日】 20:21
弁当を食べおわり、それから学校へまた無言で帰る。
学校に着くと無言で歩いたせいか、緊張から解き放たれ、どっと疲れが体にきた。
明日は休校日らしいから、しっかり体を休めよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月8日】 6:00
今日は太平洋戦争の詔勅が出されたことを記念した大詔奉載日である。そして鈴木内閣が誕生した。
【1945年4月8日】 11:00
残念だ。附属国民学校のときお世話になった早瀬先生と久しぶりにお話をしたいと思い、朝高田と名柄と待ち合わせをして先生のお宅に向かったのだが惜しくも不在なようだ。どこにいらっしゃるのだろう。時間を空けてまた行ってみよう。
【1945年4月8日】 11:10
早瀬先生を探して、先月まで通っていた附国に向かうと、なんと渡辺、吉野、三保がいた。それぞれ今は違う中学校に通っているので会うのは何日ぶりか。なつかしいな。よく漫画を見せ合ったり雪を投げて遊んだりしたものだ。
【1945年4月8日】 18:00
名柄たちと別れ、高田と一緒に早瀬先生のお宅へ行くと、先生がおられた。ついに会うことができた!少しの間だったが久しぶりにお話しができて、附国の時に戻ったような楽しい時間だった。今日は色々となつかしい気持ちにさせられたな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月9日】 8:30
先輩方の敬礼に感動。朝から体育館での朝礼。
僕たちは気を付けの姿勢で先輩方を待つ。 僕たちがする敬礼に対して、先まで綺麗に揃った手の角度、先輩方の敬礼に凄まじいほどの気迫を感じた。
中学生になったのだ。僕はやっと立派な大人になったのである。
【1945年4月9日】 8:45
体育館から教室に戻り、担任の教官から帳面や鉛筆などの配給を受けた。
「B」の鉛筆だ。絵を描く僕は、明日で良いのに誰よりも早く鉛筆を削ってしまった。
この鉛筆を使って今から絵を描こうかな。
大切に使おう。
【1945年4月9日】 12:00
敬礼の甘さから修身の教官に殴られた。やはり国民学校の時とは厳しさが格段に違う。
【1945年4月9日】 12:05
午後は敬礼等、教練を習うこととなっている。次からは注意を受けないよう、しっかりとここで練習をしよう。
【1945年4月9日】 14:00
学校にオルガンがあったので、国民学校の教官から教わったことを思い出し、一度にガーンと全ての鍵盤を押してやった。確かにB29のような音がした。この音を聞いたら、直ちに自らの持ち場を守れるようにならなければならぬ。
【1945年4月9日】 18:00
今日は帰宅する際に上級生から身だしなみについて「なにしとる。貴様の帽章は上下が逆さまじゃ。」と説教を受けた。教官に殴られたばかりなのに。悔しい。
一日中キツく注意をされてしまった。こんな事は初めてだ。
【1945年4月9日】 20:00
今日も大したものは食べられなかった。
1月頃に食べた天丼が懐かしいな。あれは本当に、ほっぺたが落ちたようにうまかった。しかしこのご時世、皇軍将兵の方々を差し置いて僕などが贅沢をする訳にはいかない。気を引き締めよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月10日】 17:00
教官が1年生皆に「今日からは日誌をつけて提出しろ」と仰った。
僕は言われる前から日誌をつけていたが、今日改めてその日誌を「米英撃滅日誌」と名づけることにした。こんなにいい名前もないだろう。
よし、これから今日の分の日誌をつけよう。
【1945年4月10日】 17:05
そもそも、今我々の進むべき道は米英撃滅ただ一つである。天下の附中生たる僕がこれまで日記に米英撃滅の名を冠さなかった事は恥ずべきことだ。気づかせてくださった教官に感謝する。これからは帝国学徒として相応しい日記を付けていかねばなるまい。
【1945年4月10日】 17:10
この文章を書いている今も、沖縄方面宛の特別放送がかかっているのだ。硫黄島は敵の手に渡り、飛行場は敵が使用している。無念だ。無念だ。ただ米英撃滅あるのみだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月11日】 14:00
特別攻撃隊が地上部隊と協力して総攻撃を開始した。ついに我々が攻撃に転ずる時が来たのである。我が方の作戦にまんまと引っ掛かっているとも知らず得意になっておる米兵の、米国の愚かなことよ。今こそ米国撃滅の好機である。
【1945年4月11日】 14:05
しかしこの重大戦局において、我が学習態度はどうだろう。教官の訓話を奉じる時でも、気を抜けば怠け心がむくりと起き上がってきて、飯のことなどが頭に浮かぶ。こんなことではいかぬ。
心を鎮めよう。心を鎮め、米英撃滅に向けて日々鍛錬に励むのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月12日】 8:00
つい5日ほど前にも行軍をしたのに、今日も行軍らしい。今度の日曜日も行軍だという噂もあるし、なかなかに憂鬱だ。
いや、しかしこれも自分たちの鍛錬のためである。憂鬱などと言ったら罰が当たる。
【1945年4月12日】 12:00
前回の行軍の時に馬に噛まれた久保田は、今日は家の都合とやらのために電車で饒津神社に先回りするらしい。本当は馬が怖くなったのだろうとからかってやったら真っ赤な顔で怒られた。
【1945年4月12日】 17:00
前回よりなお良い成績を残してやろうと気を張って歩いていたのに警戒警報に邪魔された。神社には着いたが、飯を食べたか食べないか分からないうちに帰宅させられるとは。恨めしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月13日】 10:00
今日は教室の天井板を外す。何故かと思うたら屋根と天井板の間で焼夷弾がとどまって消し止めるのが遅れてしまうかららしい。僕にはとても想像がつかないことであった。
目からうろことはこの事である。
【1945年4月13日】 16:00
今日の試験はなかなか難しかった。生物などは自分の研究した青虫について書くだけなので良かったが、数学や国語はそうはいかない。読んでいて、少し難しいと思うところがあった。
もっと真面目に勉強しなくてはならないと胸に誓った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月14日】 10:00
米国のルーズベルトに天罰が下った!
このように心地いい朝も久しぶりだ。ルーズベルトが死んだことは、ここから我らの側が勝利を挙げることの現れに違いあるまい。僕も気を緩めず毎日の鍛錬に励もう。
※注 戦争の時代の社会状況を伝えるため、当時の日記に基づいて掲載します。
【1945年4月14日】 16:00
学校で、軍人が天皇陛下より賜る勅諭を謹書した。僕もこれで一人前の皇国の臣民に近づいただろうか。
生徒部長の訓話にもあったが、ひとつのことに粘り強く心を打ち込んで、より強い皇国の臣民にならねばならぬ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【1945年4月15日】 8:00
今日は日曜日なのに行軍があるので、登校した。
行軍についての朝会をした後全員で無言で護国神社に向かった。
着いて手水舎で手を清めようとすると桜の花が水面に浮かんでいた。
珍しいと思い、少し微笑んでしまった。
次は公園に向かう。
【1945年4月15日】 12:00
公園に着くと桜が咲いていた。先ほどの光景を思い出した。春だ。
川の水が澄んでいて空気が美味しい。
その岸辺で弁当を食べる。良い景色の場所で食べる弁当はいつもよりも美味しく感じる。
ーーーーーーーーーー
このプロジェクトの目的は、戦争の記憶が薄れつつある中、若い世代に被爆体験を継承し、戦争の時代の社会状況についてリアリティーをもって伝え、考えていただくことにあります。
「シュン」のモデルは、1945年当時、広島の中学1年生だった新井俊一郎さん(13)です。現代の広島の10代が新井さんの日記などを読み、その味わいを大事にしつつ、若者の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。時間は日記などをもとに推定。必要に応じて注釈をつけます。