「クリエイターを目指す若者、とり...」、@emerinel さんからのスレッド
クリエイターを目指す若者、とりわけ少女達は、その夢を搾取に利用されてきた。
低年齢化が顕著になってきたのは90年代あたり。
女子高生ブームの台頭だ。
某ギャル雑誌がその象徴だった。
女子高生を中心とする少女達が読者モデルになり、誌面作りに参加する、という構成。
自撮りを加工したり、自分達のイケてる!カワイイ!を貫き、性にも奔放。
大人や男の言いなりにはならずに自分達でカルチャーを作り出していく。
これぞ女性のエンパワメント!
……のように見えた。
「行け!女子高生カメラマン!」
という企画が目玉になり、多くの女子高生の作品が投稿された。
日常の1コマを切り取ったものからやがて性的な表現が奨励されるようになる。
競うようにどんどん過激な写真が投稿され、巻頭見開きに下着を脱いだ臀部のアップが掲載されるまでに時間はかからなかった。
そもそも元は男性向けのエロ雑誌。リニューアルしたとはいえ、同じ男だらけのスタッフで運営していて、読者モデルも数千円の謝礼と、バイト代にすらならないような薄給で、多くの女子が自ら搾取されに行っていた。
幼い子ども達の承認欲求を利用した、権力者による扇動の恐ろしさがわかるだろう。
今、当時の編集に携わってた男達が、あれは自分達が仕掛けたものだったと得意げに語っている。
流行のポーズも、企画も、全部仕組まれていたのだと。
同人物によって、ファッション誌とコラボした「おしゃれヌード」が仕掛けられた。
女性の性はお洒落でポップなアートとして評価され、さらにオタクカルチャーや性産業とも融合して今に至る。
当時、天才カメラマンだと持ち上げられていた女子高生の名前を今聞くことはないが、仕掛人達は名声を得て下劣なキャラも変わり、新たなビジネスを展開したり、世界で評価されている。
エロカルチャーで旨味を得るのはいつも男たちだ。
性的搾取を女性のエンパワメントと錯覚させて取り込む戦略は昔から手を変え品を変え、巧妙に仕掛けられている。
独創的でも前衛的でもタブーでもなんでもなく、古来から手を替え品を替え、無数の女性達が飲み込まれて消えていったありきたりなパターンだ。
全部繋がっている。
女性が性を売るリスクの責任は誰も取ってくれない。持ち上げるだけ持ち上げて、搾り取ったあとは手のひら返しで捨てられる。
その思惑に気付きながらも、あえて自分は特別だと思っているのかもしれない。あるいは自傷行為かもしれない。
その多感さや大人びた自立心さえも利用されているのだ。
十代の青くヒリヒリとした自意識に群がる黒い欲望や、物議を醸し出す一連の反応までが丸ごとアートだ、などと傍観的に解釈することもできるだろう。
そういう無責任なポジションで女を切り刻み、名声を得た男性芸術家もいる。
男は何も痛まない。
気づくのは何年後か、はたまたずっと突き進むのか。
「主体的な性表現」をする女子達は、自身への評価、自分の意志を懐疑し、考えてみて欲しい。
それは本当に「自由」だろうか?仕組まれた枠組みの中で操られているだけではないか?
痛みに麻痺してしまっていたとしても、現実は好奇の的になり、個人情報を玩具にされ、女叩きの道具になってしまっている
彼女は被害者であり、だが社会に影響を与える加担者にもなり得る。
焚き付けている魑魅魍魎は傷付くことなく、祭り上げた女性が最前線で矢を浴びるのを楽しそうに眺めて野次を飛ばし、女の血を養分にしてブクブクと肥える。
批判者達は一見保守的に見えるかもしれないが、透明化しているモンスターを暴き、権力に反逆し、手垢に塗れた既存の価値観を壊そうとしている。
前衛的な挑戦はどちらだろうか。