博多へ旅行・出張に来たならば、九州一の繁華街・中洲へ。ネオンと喧騒が渦巻く街には、1人客に優しい老舗や居酒屋も数多く点在している。なかでも、中洲唯一の立ち食いおでん酒場「博多のおでん」は別格。1958(昭和33)年、屋台として始まった歴史を追いながら、その魅力に迫る。
Yahoo!ライフマガジン編集部
中洲の魅力は “博多美人と呑める” だけではない!
東京の歌舞伎町、札幌のすすきのと合わせ、日本三大繁華街と称される福岡の「中洲」。街にはクラブやスナック、バーが立ち並び、きらびやかなネオンが博多の夜を彩る。しかし、中洲の魅力は、博多美人や美男の店だけではない。
明治時代に電灯会社や電話局、劇場が開設され、大正時代には映画館が次々と建ち繁華街として発展した中洲の街。その歴史は古く、昭和から続く酒場や数多くの飲食店が軒を連ねるグルメな街としての顔も秘めている。
スナックが並ぶ雑居ビルの一室に、ひっそりと
目指すのは、にぎやかな中洲の「ロマン通り」から一本入った路地にある古い雑居ビル。表には高級クラブ、奥にはスナックが立ち並び、少し近寄りがたい雰囲気だが…。
勇気を出して足を踏み入れると、ビル1階の再奥に店の看板を発見! 洋風の扉とミスマッチな赤提灯(ちょうちん)に、ワクワクが止まらない。
開店して間もない時間帯ながら、この日の店内は仕事帰りのサラリーマンでほぼ満員。みんな、カウンターの向こう側にドドンと鎮座するおでん鍋にくぎ付けだ。
九州のおでんといえば、カツオや昆布を主体とした関西に近いうどんダシのような色味を想像するが、鍋をのぞいてびっくり。ダシは、まるで静岡おでんのように真っ黒!
なぜ黒いのか? 味は辛いのか? 甘いのか? 早速そのおいしさをレポートしたいところだが、店の歴史を知らずして「博多のおでん」の味は語れない。
長い歴史に幕、そして再出発
屋台から雑居ビルへお引っ越し
「博多のおでん」の創業は1958(昭和33)年。以来59年間、福岡唯一の立ち食いおでん屋台としてその歴史を刻んできた。現在店を切り盛りするのは、3代目の上野フジエさん・興一さん夫妻と、娘さん。
- おかみの上野フジエさん
- おかみの上野フジエさん
- 「元は私の叔母が始めた屋台で、その後私の父が継ぎ、今から約35年前に私が引き継ぎました。しかし去年の3月に、市の条例で屋台の立ち退きが決定しまして……」。
そう、日々中洲を飲み歩く博多っ子の間では有名だが「博多のおでん」は2017年3月まで、立ち食いのおでん“屋台”だったのだ。福岡の屋台で「立ち食いスタイル」を貫いていたのは、おそらくここだけ。
福岡に屋台が登場したのは、終戦直後の昭和20年初頭といわれている。昭和24年にはGHQ(連合軍総司令部)の取り締まりによって全廃命令が出るも、屋台事業者が集まり「福岡市移動飲食業組合」を結成。昭和31年には県条例が施行され、屋台の営業が認められるようになったそうだ。
「博多のおでん」はまさにその頃誕生した屋台で、立ち食いスタイルは創業時の名残。
娘さんが、屋台時代の写真を見せてくれた。昭和の時代の写真かと思いきや、こちらは去年の屋台営業最終日に撮影したものだそう。
「何枚撮っても心霊写真みたいにモヤがかかっちゃって…。“昔の”常連さんたちが、名残惜しんで来てくれたのかも(笑)」。
「60年近く続く名屋台の最期やもん。そりゃ~往年の常連さん(幽霊)も駆けつけるばい」と、まだまだ現役の常連さん。店内にどっと笑いが起こった。
- おかみの上野フジエさん
- おかみの上野フジエさん
- 「市の条例によって廃業した屋台も多いです。でも、代々受け継いできたこの味を途絶えさせたくなくて…。何より、何十年も通い続けてくれているお客さんがいるから、うちは絶対に辞めるわけにはいかないと決意しました」。
家族の想いは一つ。立ち退きの条例が決定してすぐに物件を探し、2017年4月、屋台があった場所から道を一本隔てた現在の場所へと引っ越しが完了。長年親しんだ屋台に別れを告げ、実店舗を構えての再出発となった。
「屋台がなくなったのは寂しいけど、おでんの味も雰囲気もそのまんま。何にも変わらんところが良い」。30年来の常連さんは、そう言ってにっこり大根を頬張った。
別の常連さんは「寒空の下、震えながらつつくおでんも最高でしたけど、今は雨風しのげるし、冬でもビールがうまい(笑)!」と、グラスを一気に傾ける。
漆黒に艶めく
おでんの秘密に迫る
隣のお客さんにつられ、まずはビールで乾杯。「博多のおでん」といえば、剣菱(日本酒)か五代(麦焼酎)のお湯割が定番だが、移転してからはドリンクメニューもちょっぴり増えた。若者や女性には新登場のジンレモンやムギゴゴ(麦焼酎+午後の紅茶)が人気だとか。
乾杯が済んだら、満を持しておでんを注文。「博多のおでん」最大の特徴は、創業以来一度も絶やすことなく継ぎ足しながら守り続けてきた真っ黒なダシだ。
「なんでこんなに黒いのかって? ベースはカツオと昆布ですが、そこに博多の甘いお醤油(しょうゆ)を加えているからですよ」とフジエさんはにっこり。
色濃い見た目とは裏腹に、味わいは想像以上にじんわりと優しい。まろやかなうまみと甘味が後をひき、酒もついつい進んでしまう。
具材は約30種。大根や卵、厚揚げといった定番ネタから、福岡のおでんネタとしてポピュラーな「ぎょうざ」(を包んだ練り物)、「クジラ」といった変わり種までバラエティーに富む。
すべて食材ごとに下処理を施して煮込むため、仕込みに有する時間はなんと5時間以上。さらには煮込みすぎて辛くならぬよう、具材は毎日新しいものに取り換えるというこだわりようだ。
こんにゃくや豆腐はしっかりと味が染み、葉物野菜はシャッキリとした食感が残っている。酒飲みの友「スジ」も、大きくてブリンブリン! ほとんどのネタが150円~200円という良心価格にも感激。
どのネタからも丁寧な仕事ぶりを感じるが、中でも看板は毎日手作りする「いわしつみれ」(200円)。口に運べば、ふわふわとろり。誰もが思わず「うまいっ!!!」とうなる、至高の逸品だ。数十個限定なので、見つけたら迷わず注文を。
持ち帰りもOK!
中洲みやげはこれで決まり?
おでんと酒にふけっていると、隣の紳士がカバンからおもむろにマイタッパーを取り出した。そう、「博多のおでん」はテークアウトもできるのだ。
もちろん、マイタッパーがなくともテイクアウトは可能。ヘルシーなおでんは中洲のお姉さんにも大変喜ばれるので、差し入れに買って行く客も多い。
老いも若きも垣根なく
愛され続ける博多の味
- おかみの上野フジエさん
- おかみの上野フジエさん
- 「屋台時代は、やれヒジが当たっただの、肩がぶつかっただのでけんかが始まったり、ベロベロに酔って屋台の横を通る車にひかれそうになるお客さんも多かったですよ(笑)。でも、移転してからは若い方や女性のお客さんも増えてくれて、前よりもぐんと入りやすい雰囲気に変わりました」。
ご機嫌に酔いどれたお父さんから、仕事終わりのお姉さん、楽しそうにはしゃぐ若者グループ…。「博多のおでん」は今夜も、中洲に訪れる人々を懐深く迎えてくれる。屋台はなくなり、中洲の街も日々変化しているけれど、その確かな味わいと温もり、客の笑顔は変わらない。
ラーメンもいいけれど、次の出張のシメは「博多のおでん」で決まり。あなたの知らない、ディープな福岡の魅力に出会えるかもしれない。
おまけの小ネタ
かつて屋台があった駐車場横の街路灯には「博多のおでん」の看板が今なお残っている。この看板に明かりが灯っていれば「開いとうよ」の証(たまにつけ忘れもあるけれど…)。ただし、14人前後で満員になる小バコ店なので、事前に電話で確認して出かけよう。
取材メモ/巾着の中にスジ煮がぎっしり詰まった「ばくだん」と、しっとり甘い「たまご焼き」はあったらラッキーな絶品ネタ。逃さずに注文を。ちなみに、移転したことを知らず、閉店したと思っているお客さんもまだ多いそう。私も移転当時は知らずに「ない!?」とかなりうろたえました。看板の下で同じように顔面蒼白(そうはく)しているお客さんを見かけたら、ぜひ教えてあげてください(切実)。
構成=シーアール 取材・文=森絵里花(écris.m) 撮影=恵良範章
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