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願望の「if only」節内の「would」について

 投稿者:Mirin
 投稿日:2020年11月 2日(月)09時34分53秒
久保田先生、こんにちは。
前回は、当質問箱の趣旨を無視した質問内容となってしまい大変申し訳ございませんでした。
そのような質問をしておきながら大変恐縮ではございますが、今回の疑問にお答えいただけますと幸いです。

疑問と申しますのは、仮定法の分野で言及される「願望のif only」に関するものです。
先日、江川奏一朗先生の著書『英文法解説(改訂3版)』の256頁にて、『if only this nasty humid weather would go!』という例文を見かけました。訳は、『このいやなじめじめした天気が終わってくれればいいのだが』とされているのですが、この「if only」節内の「would」はどのような意味を表しているのでしょうか?
ifなどで導かれる「時・条件を表す副詞節内では、未来のことでも現在形を用いる」というのが現代英語のルールと理解しているのですが、上記の文では無生物主語であることから「意志未来」とも解釈できず、どのような意味で「would」が用いられているのか疑問に思いました。

長文となりましたが、お答えいただけますと幸いです。
何卒宜しくお願い致します。
 
(管理人) if only は if を強めた形で、事実でないことや実現しなかったことが、事実であったり、実現していてくれたらと願いつつ、嘆き悲しむ文として用いられます。「~であってさえしたら」というほどの意です。if と only が連続している形もあれば、離れている形もあります。このような節で用いられる would は仮定法過去の用法です。would の他に Oh, if he could only come!(あの人が来てくれさえしたらなあ)のように could が用いられる場合もあれば、If only I were rich!(お金持ちであったらなあ)のように were が用いられるものもあります。いずれも仮定法過去です。

cannot help doing

 投稿者:メットマン
 投稿日:2020年11月 2日(月)05時40分55秒 編集済
久保田先生
いつもすみません。(1)が(2)の意味に解釈される理由につきまして、ネイティブ8名に久保田先生の(私信による)お説を提示して尋ねてみましたところ、7名が"It makes perfect sense"とのことでした。一名だけ断言する自信がないとのことでした。一応、その方の理由を(3)に示しておきます。

Example (1) expresses the meaning described in (2). This is because one of the central meanings of the word "help" is "to make things better." Thus, the negative form, which could be considered comparable to the antonym, means "to make things worse."(English proofread by Kevin M)

(1) I cry every time I watch Somewhere in Time. The fact that Christopher Reeve passed so young certainly does not help the situation.(Debra S)
(2) She cries because of the story in the movie. The fact that he died young makes her cry even more.(Mary L)

(3) Maybe...but 'not helping' also means an absence of help, so it doesn't necessarily make something worse, just not as good as it could have been with 'help'.(Paul D)

質問なのですが、この”making things easier/better”は”cannot help doing”にも当てはまるのでしょうか。回答者の一人であるKevin M氏によれば、(4)に示します通り「無関係」とのことですが、ご本人によれば、これはあくまで一ネイティブとしての視点からの意見であって、学者さんと言うわけではありません:

(4) "I cannot help doing" has no connection with your context (i.e. (1)). It is a different problem. I see someone trip on a banana skin and I can't help laughing. It means I am amused by their misfortune and I can't refrain from laughing. It has absolutely nothing to do with the previous query about "it doesn't help the situation".(Kevin M)

いつもすみません。今回もどうぞよろしくお願いいたします。

http://

 
(管理人) cannot help doing に該当する文を英文解釈してみればよいのではないでしょうか。例えば I can't help thinking that he is still alive. を英文解釈してみると、「私には、彼がまだ生きているとしか思えない」というくらいになると思います。この解釈が make things better あるいは類似の比較表現でパラフレーズできるかどうかです。この help は「(考えを)変える」「~しないようにする」というくらいの意ですから、make things better のようにプラスの値を持つ比較級を内在させた意味とは離れているように思われます。ただし、help のうしろに動名詞ではなく名詞が置かれている場合は、make things better というパラフレーズは必ずしも無関係とも言い切れないように感じます。I can't help it if he doesn't come.(彼が来なくても、どうしようもないよ)における help は「その状況を良い方向に変える」というくらいの意でしょう。ここには若干ではあってのプラスの値を持つ比較級表現の存在を感じさせるようにも思われます。

rowdyとloudやroyalとloyal

 投稿者:ローニンセー
 投稿日:2020年10月22日(木)16時02分36秒
英語のrとlの発音の「相違点」については、これをウェブで検索すると沢山出てくるのですが、rとlの「共通点」はありますか?
辞書には

rowdy 騒々しい

loud うるさい

royal 王国の

loyal [主義・君主などに]忠誠心のある

等々のように、「ネイティブスピーカーでもいくぶんrとlの発音を同類のものと捉えているのではないだろうか?」と思わせる単語が出てきます。それともこれらの単語は、全く語源の異なる単語で、意味が似たのは偶々なのでしょうか?ネイティブスピーカーはrとlの発音を、ある意味で共通のものと捉えている点があるのでしょうか?
素朴な疑問ではありますが、ただこんなことがきっかけとなって、新たな結論が得られれば、と思っています。よろしくお願いします。
 
(管理人) rowdy/loudly、royal/loyal における、綴り字・発音の類似性と意味の類似性は「偶然」です。語源も異なります。rとlは音声上はまったく別の音です。ただし、共通点もあります。それは「流音」(liquid)という性質です。流音というのは、舌先を上顎に近づけて、あるいは接触させて、その中間または両側から気息を通して発する有声の子音を指します。舌先を上顎に近づけて、舌の中間から気息を通して、発する音がrで、舌先を上顎に接触させて、舌の両側から気息を通して、発する音がlです。lを発音するとき舌先は口腔の前の方(歯茎の裏)に接触するので、これを[+前方性](前方性がある)と記述することもあります。またrを発音するときは舌先は口腔の前の方には進まないので、[ー前方性](前方性がない)と記述することもあります。この「前方性がある・ない」という性質が聴覚上どのように把握されているかは不明ですが、なんらかの事情で「前方性がある・ない」が区別できなくなると、reflector も lefrectol も同じ音の連続として聞こえるようです。しかしそれは脳の障害によるものであって、健常者はしっかりrとlを区別して聞いているので、英語の母語話者は rowdy/loudly、royal/loyal に近似性は感じないと思われます。

代名詞thatについて

 投稿者:Aki
 投稿日:2020年10月18日(日)13時05分40秒
久保田先生、
投稿内容を書き換えました、お手数ですが、先ほどの投稿は無視して、
こちらをみていただけないでしょうか。

投稿日:2012年 6月28日(木)の投稿のなかでMarjoramさんは、

   The price of electricity made from solar energy is higher than that made from gas or oil.

という文で

   この that は、that of electricity made from ... とする必要はありませんか

と質問しています。これに、先生は

   それほど違和感がありません。

と答えていらっしゃいます。
僕もMarjoramさんと同じように、このthatに違和感をおぼえるのです。
というのは、thatがあらわしているのは” The price of electricity”という語の順列ではなくて、その語の順列の意味「何かの『値段』」のように思えるからです。もしそうなら、”that made from gas or oil”は「ガスか石油で作られた『値段』」の意味になり、非論理的になります。また、thatが意味を表しているなら、thatを”the electricity price”で表してもいいはずですが、

   the electricity price made from gas or oil

は、やはり『値段』がガスや石油で作られた、というように聞こえて、おかしくないでしょうか?
また、

   Which price of electricity are you talking abour?   That made from gas or oil.

は不自然ではないでしょうか? 日本語でも

  「どの電気料金について話してるんだ?」 「ガスか石油で作られた方だ。」

というよりは、「ガスか石油で作られた電気の方だ」。と答えるのが普通ではないでしょうか?

先生のお考えをお聞かせ願えれば、幸いです。
 
(管理人) もちろん、The price of electricity made from solar energy is higher than <that of electricity> made from gas or oil. のように of electricity を繰り返すこともできます。ただ、いま思い返してみると、当時は、of electricity を繰り返す方がかえって作為的な文になるように感じたのではなかったかと思います。つまり、of electricity がなくとも十分に内容が伝わるのに、文法的に made from gas or oil の修飾を受けるのは electricity であって price ではないはずという理由で of electricity を入れるのは、冒頭の文のように electricity という名詞が出ている場合のことであって、that によって the price of electricity 全体を代用させた場合は、その意味が理解されている限り、made from gas or oil を後続させても、あまり違和感はないように思われます。実際の言語使用では、このくらい緩やかな使い方も許容されるということです。ただし、このような文を大学入試(模擬?)問題の模範解答として出すのが適切であるかどうかはおのずと別の話になります。ですから、どのレベルの学習者を対象としているかによって解答は変わってきてもよいと思います。of electricity のある形を模範解答とし、これがない形も許される場合がある、とでも、注を付けておけばよいかもしれません。

婉曲用法の「過去形の助動詞」について

 投稿者:Mirin
 投稿日:2020年 9月 7日(月)22時50分6秒
久保田先生、はじめまして。

丁寧用法や婉曲用法で登場する「過去形の助動詞」は、辞書や参考書、資料等などでは「仮定法(叙想法)過去形(言外にif節の内容を含む/仮定の条件を含意)」と説明されています。その結果、表現された内容が和らげられるという説明もあります。

ここで質問なのですが、仮定法過去形の助動詞は「助動詞の屈折した形が仮定法過去形であること」から表現が和らげられるのではないでしょうか?「条件節の内容が含意されているから」「条件文の帰結節からの派生」などと、必ず条件文として考えなければ表現を和らげることとならないのでしょうか?

拙い文章となってしまい、申し訳ございません。
お答えいただけますと幸いです。
 
(管理人) 仮定法過去は基本的に条件節を含意します。ただ、明確に含意している場合もあれば、条件節が話者の念頭にほとんどなくて用いられる場合も少なくありません。明確に含意している場合の例としては、例えば、I should like to go.[If I could のような条件節が含意されています]などがあります。条件節がほとんど話者の念頭にない場合の例としては、たとえば I should say he was over fifty.(彼は 50 歳を超えていたように思いますが)などがあります。ここでは should の例を挙げましたが、いずれの用法も義務を示す shall の意義が仮定法過去の形を用いることによって弱められたことに由来します。その点からすると、「仮定法過去形の助動詞は『助動詞の屈折した形が仮定法過去形であること』から表現が和らげられるのではないでしょうか」というお考えは妥当だと思います。

副詞のquickとquicklyの違い

 投稿者:タカさん
 投稿日:2020年 8月11日(火)13時38分52秒
はじめて質問させていただきます。

いつも、勉強させていただいています。
本当にわかりやすくて何度も壁を乗り越えることができました。

今回また分からない困難な壁に遭遇し、足止めを食っていますのでお助けいただくと有り難いです。

その内容ですが、形容詞で同じ単語で副詞の役割も担う場合があるにも関わらず、接尾辞をつけて派生し副詞となる場合の、副詞の使い分けやニュアンスの違いがあるのでしょうか。
具体的な一例は、quickですが、単語自体、形容詞と副詞があり更に接尾辞-lyをとってquicklyと副詞化します。
この際、副詞のquickとquicklyの意味あるいは意味は同じでもニュアンスの違いや、ネイティブの使い分けはあるのでしょうか。

何卒お知恵をいただきたく存じます。
 
(管理人) すぐ思いつくのは、quick(ly) をはじめ、clean(ly)、clear(ly)、direct(ly)、fair(ly)、fast(ly)、fine(ly)、free(ly)、hard(ly)、high(ly)、just(ly) 、late(ly)、loud(ly)、most(ly)、near(ly)、pretty(ly)、real(ly)、right(ly)、sharp(ly)、short(ly)、sound(ly)、sure(ly)、tight(ly)、wide(ly)、wrong(ly) などですが、-ly 副詞がありながら、形容詞と同形の副詞用法を持つ語彙については、一般的な傾向が2つ挙げられます。1つは、必ず動詞のあとに置かれること。Come quick. はよいのですが、*Quick come. は不可。もう1つは、形容詞と同形の副詞用法は口語体にほぼ限られる点です。それを示しているのが、英和辞典においては≪略式≫という表示で、英英辞典では INFORMAL と記してある注記です。意味については、ほとんど差がないものもあれば、hard と hardly のように全く別の意味になっているものもあって、千差万別です。その中でも quick を挙げられたのは、この語が、いわば「いわくつき」だからでしょうか。たいていの英英辞典では形容詞と同形の quick は「教育のある人は、通例、用いない」という主旨の注記が付いています。つまり、今日の状況として、副詞としての quick は評判がよくないようです。歴史的にも、副詞としての quick は quickly より 300 年ほどあとに登場しているので、あとから割り込んできたことになります。それでも、現在、口語体で生きているというのは、それなりに quickly と異なるところがあるからでしょう。たとえば、副詞用法の quick はおおむね「すばやく」「あっという間に」(with great speed)のように速度の速さに限定して用いられ、quickly は、そのほかに「じきに」(after only a very short time)や「ほんの少しの時間」(for a short time)の意でも用いられます。わずかながら棲み分けの初期状態が発生している可能性もあります。

回答を再開します

 投稿者:管理人
 投稿日:2020年 7月21日(火)14時25分4秒
本務校の業務で時間がとれず、2ヶ月あまりのうちにいただいたご質問にも回答できない状態が続いていました。ようやく少し時間がとれるようになったので、これはおもしろそうと好奇心をくすぐられたご質問から回答することにします。回答は順不同になるので、ご承知おきください。
 

Jane Eyreの英語

 投稿者:imasan
 投稿日:2020年 7月16日(木)14時06分37秒
久保田先生、お世話になります。

Charlotte BronteのJane Eyreのpaperback版 Chap.I page 1 or 2 で

 Me,  she had dispensed from joining the group; saying, "She regretted to be under the necessity of keeping me at a distance; but that until she heard from Bessie, and could discover by her own observation, that I was endeavouring in good earnest to acquire a more sociable and childlike disposition, a more attractive and sprightly manner - something lighter, franker, more natural, as it were - she really must exclude me from privileges intended only for contented, happy, little children."

この" "マーク内はMrs. Reed (Janeの養義伯母)の発言ですが、She としているのは、何か意味があるのでしょうか? それも最初だけで、以後の発言に付いては I に戻るのですが。

ご教示宜しくお願い致します。
 
(管理人) まず基礎的な解釈をまとめておきましょう。引用された箇所において she / her で表されているのはすべて Mrs. Reed で、 I / me はジェインです。そして最大の問題が、saying 以下の、直接話法のふりをした間接話法ですね。いかにもビクトリア朝の英語らしくゴテゴテした文章ですが、まず話法の基本を押さえておきましょう。直接話法の基本は、相手の発言を正確に引用するところにあります。相手が用いた表現をそのまま引用しなければ虚偽の引用となります。それに対して間接話法は、内容が虚偽でなければ表現の選定は話し手(ここではジェイン)次第となります。そうするとジェインは、おばの発言を引用するという形をとりながら、その実、おばの発言内容を自分の言葉で言い換えていることになります。なぜそんな手の込んだ手法を用いたかというと、おばはジェインを疎外する理由を自分の言葉で正当化したのでしょうが、疎外される側のジェインからすればそれはおばの言い分であって、それをこちらの言葉で言い換えることによって、おばの偽善をさらけ出そうとしたのではないかと推測されます。この部分は、say のような発言動詞を伴っているという点で「直接話法寄りの描出話法」ともいえる、異様な話法ですが、シャーロット・ブロンテがこのような話法をわざわざ考案したのは、ジェインの心の奥底を表現するには、こういった実験的な話法が必要だったからだではないかと思われます。ただ、標準的な描出話法ではなく「直接話法寄りの描出話法」を用いることで、どのような差異が生じているかという点も知りたいところですが、そこまで行くとわたくしの手には負えません。なお、今回の回答を用意するにあたり、ブロンテ姉妹の専門家でもある岩上はる子・滋賀大学名誉教授から貴重なご教示をいただいたことを付記します。

S is somebody's to Vについて

 投稿者:neuro
 投稿日:2020年 6月15日(月)14時35分29秒
久保田先生、初めて質問させて頂きます。

Doris DayのQue Sera Sera (Whatever will be will be)の歌詞の中で"The future is not ours to see"と言う表現があり気になりました。これはWe cannot see the futureと言い換えられるのではないかと思い、他に以下のような例文を作りネイティブチェックを受けました。結果、全て自然な表現だと指摘されました。
The past is not ours to see. / The government is ours to create. / The night is ours to start. / Human rights are ours to enjoy.
自分で考えたところ、例えば"The future is not for us to see" つまりto不定詞に対する意味上の主語であるfor Sを所有代名詞に置き換えたのかと思ったのですが、一般にこのような書き換えは可能か、ということを質問させて頂きたいと思います。また先行研究がございましたらご教授いただけますと幸いです。
 
(管理人) 回答が大幅に遅れました。これは「叙述属格」(predicate genitive)と呼ばれるもので、所有代名詞が be 動詞の補語に置かれているものです。回答が大幅に遅れたのは、この構文がどのような基底構造から派生されたものであるかといった、形式面ばかりに議論が集中し、英語を外国語とするわれわれにとって最も重要な(と思われる)「英文解釈」がなおざりになっていたために、この構文が用いられている前後の文脈から、この構文がどのような意味を表そうとしているかを調べていたのです。結論から述べると、例えば The future is ours to build. における ours は「われわれの責務」あるいは「われわれの権利」というほどの意であるらしいことが分かりました。したがって ours を for us に書き換えた構文とは形式面でも意味面でも無関係であるといえるかと思います。また、この構文は時として否定形で出てくるときがあります。例えば、The money isn't yours to spend. のような例です。この否定文は、「君にはその金を使う権利などない」というほどの意を表しています。つまり、「権利の否定」「責務の否定」です。このように肯定文と否定文の英文解釈を相互に比べ合ってゆくと、この構文で用いられる ours のような所有代名詞が our duty / our responsibility / our entitlement のような意味であることが鮮明に浮かび上がってきます。これまで収集された用例を前後の文脈を参考にして英文解釈してみてください。先行研究についてはあまりよく知らないので、インターネットで predicate genitive で検索してみてください。

even as he arguedの意味と訳について

 投稿者:Fujibei
 投稿日:2020年 5月16日(土)18時34分25秒
いつものご指導ありがとうございます。
5月5日に投稿しましたが、未着の可能性を考えて再投稿するものです。

次の文は5月3日のNew York Timesの記事の一部ですが、コロナウイルス発生初期の段階でTrump大統領が受けた報告がどんな内容だったかについてのものです。
質問は最後の〈  〉の部分です。asはいろいろな用法や意味があっていつも手こずりますがeven as he arguedがうまく訳しこめません。とくにevenが何にかかっているのかはっきりしません。
President Trump said on Sunday that he was warned about the coronavirus in his regular intelligence briefing on Jan. 23 but asserted that the information was characterized as if “it was not a big deal.”
Speaking during a virtual “town hall” meeting on Fox News, 〈Mr. Trump confirmed reports that his intelligence briefings cited the virus even as he argued that it had not been presented in an alarming way that demanded immediate action.〉 (NYT, 5/3/2020)
私の試訳は次の通りです。「トランプ大統領は、当時の機密情報報告でコロナウイルスの件が取り上げられていたという報道は正しいと認めたが、すぐ手を打たないといけないほど差し迫っているという風には説明を受けなかった、とはっきり主張した」。
文意の取り方は正しいでしょうか。even as he arguedは「~とはっきり主張した」としましたが、訳としていかがでしょうか。
 
(管理人) 相手の発言を間接話法で引用する場合は、相手の用いた表現をそのまま引用するのではなく、話し手あるいは書き手が、その人の発言の主旨を別の言葉で言い換えているのが通例です。ですから、"it was not a big deal" は引用符が付いているのでトランプ大統領の言葉なのでしょうが、it had not been presented in an alarming way that demanded immediate action はそのままトランプ大統領自身が発した言葉というわけではないのでしょう。あくまで主旨をとった(と書き手が考えている)表現です。それでもこの直接話法と間接話法の表現を比べてみると、間接話法の方が表現が強くなっています。この差を示しているのが even であるように思います。つまり、even as he argued は、「"It was not a big deal" よりさらに踏み込んで、it had not been presented in an alarming way that demanded immediate action とさえ主張した」というくらいでしょうか。

wouldに関して

 投稿者:aozora
 投稿日:2020年 4月30日(木)22時23分10秒
久保田先生、こんにちは。前回もありがとうございました。

私は「英語質問箱」以外にも複数の質疑応答ブログをチェックしているのですが、木村忠先生宛の質問に次のような記述があります。

「would の用法をオックスフォード英英辞典で調べていたのですが、used to show that sth was not willing or refused to do sth. とあり例文に、my car wouldn't start this morning.とありました。」

この場合,オックスフォード英英辞典は would not do sth の論理構造を [would not] do sth と考えてるの?と疑問に思いました。以前の私の質問、「助動詞に続くnotについて」の回答には、「will は意志未来の用法だけでなく、どのような用法の場合でも、will not go の論理構造はすべて will [not go] です」とあります。これはこれで納得していました。

現在形の will not go の論理構造はすべて will [not go] だが、過去形の would not go の場合、 [would not] go、would [not go]どちらもあるということなのでしょうか?そんなことありそうにないよな~、だとするとオックスフォード英英辞典が間違ってるの?それとも Quirk et al (1972) の勘違い?いやいや、やっぱり私の解釈がどこかで間違っているはず、と考えるのですが、よくわかりません。

used to show that sth was not willing or refused to do sth.は 論理構造 [would not] do sth の説明になっていないのでしょうか?


 
(管理人) My car wouldn't start this morning. の論理構造は would [not start] で問題ありません。「~しないことを意志としてもつ」ですから「拒絶」を表します。ここでもまた「意志の否定」ではなく「否定の意志」です。【以下、回答を差し替えます】「OALDが間違っている」というのは was not willing to という語順を問題視しているのでしょうか。was not willing to do となっていても、was willing not to do となっていても、否定のかかりかたは同じです。どちらも「~しないことを意志としてもつ」です。

関係代名詞whatについて

 投稿者:MOE
 投稿日:2020年 4月27日(月)16時34分2秒
いつもお世話になっております。

When one considers the development of science and technology over the course of the twentieth century, what leaps to mind are some of the most spectacular technological achievements such as the exploration of the Moon and Mars (which is admired by many) or the invention of the atomic bomb (deplored by many), as well as path-breaking theoretical revolutions such as relativity theory, quantum mechanics, or the discovery of DNA.

出典 The Cambridge Companion to Postmodernism

上の文において、what leaps to mind are...となっていますが、whatは「what leaps to mind」の構造においては単数扱い、「what...are」の構造においては複数扱いになっているように思われます。

「what X be Y」の構文では「There be Z」の構文のように、後続する名詞の数によりbe動詞が変化するのでしょうか。手持ちの文法書ではそれらしい記載が見当たりませんでした。
よろしくお願いいたします。

 
(管理人) 先行詞を含んだ関係代名詞としての what は、単数でも複数でも呼応します。what の直後に動詞が置かれている場合は What is needed のように単数形になるのがふつうですが、たまに複数形にもなります(ということを、ずっと以前、英作文の指導で有名であった金子稔先生がどこかに書かれていました[書名を思い出せません])。そして、主節動詞の数(すう)との関係ですが、原則として、主語の what 節内が単数呼応の場合は、主節の動詞も単数になるのが通例です。例えば、LDOCE は次のような用例を掲げています:What matters is the British people and British jobs. そこで問題は what 節内は単数呼応なのに主節は複数になる場合です。お示しの what leaps ... are ... がそうです。これはおそらく、近くにある表現の数に引き寄せられる attraction(牽引)と呼ばれる現象ではないかと思います。what 節内では単数呼応させたとしても、主節の補語に複数名詞を用いるつもりで話したり書いたりしている場合、その複数に呼応して動詞も複数になるというのは十分考えられます。LDOCE の用例にしても、... is the British people and British jobs が ... are the British people and British jobs になっても、母語話者はそれほど不自然さを感じないのではないかと思います。ただし、what 節内が複数呼応の場合は、what の中身が複数であるわけですから、主節の補語にも必ず複数形が登場するはずのものです。したがって、what 内が複数呼応の場合は、必ず、主節の動詞もこれに連動して複数呼応しなければなりません。

flying planesについて

 投稿者:aozora
 投稿日:2020年 4月25日(土)17時48分54秒
久保田先生、こんにちは。

「生成文法がわかる本(研究社)」の44頁に Flying planes can be dangerous.があり、「飛んでいる飛行機はあぶないこともある」と「飛行機を飛ばすことはあぶないこともある」の二つの意味があると書いてあります。このことは理解できるのですが、下記のようなもう一つの解釈は不可能なのでしょうか?
Planes that fly can be dangerous.(運用に供されている飛行機は危ないこともある) この文中のflyに、分詞構文で動詞に付与されるingが与えられ、flyingとなり、thatが消えて、修飾語としてplanesに前置される。
dancing girl(踊り子)も同じように girl that dances (習慣的に踊る少女)が元の文だと勝手に思い込んでいたのですが、この理解がそもそも間違っているのでしょうか? walking dictionary も擬人的に dictionary that walks からだと思ってきました。
 
(管理人) [修飾要素+名詞]が[名詞+関係詞節]から派生されるという考え方は、初期の(1950年代後半~1960年代中頃の)変形生成文法にはありましたが、本来の形を過度に変える操作であるとして、その後は理論としての価値は認められなくなりました(ただし、便利なところもあるので、いまでも教育現場で使われています)。さて、お示しになられた表現は2つの種類に分けられます。(1)[現在分詞+名詞]:この形は[形容詞+名詞]と同じ強勢パタンをもち、形容詞・分詞に第2強勢、名詞に第1強勢が置かれます。つまり名詞の方に強い強勢が置かれます。a big house、(飛んでいる飛行機の意の)a flying plane、(踊っている女の子の意の)a dancing girl、(生き字引の意の)a walking dictionary などが該当します。このタイプの表現における形容詞・分詞は that is big/ dancing/ walking などのように関係詞節内の形容詞・進行形が前置されたのと等価であるといってよい例が多いのですが、an early lunch(早めの昼食)のようにこの説明が当てはまらないものもあるので(a lunch that is early は不可ですから)、こういうパラフレーズによる説明は便宜的です。もう一つは (2)[(動)名詞+名詞]:この形は typewriter のように、2つの語が合体して一つの名詞をつくる複合語と同じ強勢パタンをもち、前半の要素に第1強勢、後半の要素に第3強勢が置かれます。つまり前半の要素の方に圧倒的に強い強勢が置かれます。「踊り子」の意の a dancing girl や a meeting room、a sleeping bag(寝袋)などが該当します。こちらのタイプの表現における -ing は、純粋な名詞といえるものから動詞の性質を失わない動詞的動名詞といえるものまで含まれ、例えば(踊り子の意の)a dancing girl における dancing は辞書にも「舞踊」の意の「名詞」として独立して掲載されるくらいです(会議の意の meeting も同様)。関係詞節でパラフレーズしても、a girl that/who dances では不十分であり、少なくとも a girl that/who dances to entertain others というくらいにする必要があります。a sleeping bag はしばしば a bag for sleeping とパラフレーズされることもありますが、これは誤りであり、a bag for sleeping in が正しい。つまり、このタイプの表現における -ing は単純に関係詞節の動詞を持ってきたというのでは説明しきれないほど意味的に豊かな内容を含んでいるといえます。

動名詞、不定詞の違いと形式主語について

 投稿者:ks
 投稿日:2020年 4月20日(月)15時21分34秒
動名詞と不定詞の違いを、
動名詞 現在(進行的)または過去志向、消極的、一般性
不定詞 未来志向、例外はあるが主に積極的、特定性
と習いました。
例文
To see is to believe.⇔Seeing is believing.(ingは一般性→ことわざ)
It began to rain.⇔It began raining.のニュアンス
前者、これからどんどんふってきそう
後者、気づいたらふりはじめてた。
You should give up smoking by all means.(過去志向)
I cannot deny his having made a reasonable excuse.(消極的)
I must remember to see him.(未来志向)

ここで、今回気になったのは、形式主語文についてです。

It is necessary to learn English.英語を身につけることは必要だ。
to learn Englishが真の主語であるとするならば、これは名詞的に働いています。英語を身につけるのは必要だ。というのは、一般性が高い文のように見えたので、It is necessary learning English.のほうがふさわしいと思いました。しかし、どうやら形式主語文では動名詞は使わないようです。
しかし、例えば
It is no use crying over spilt milk.覆水盆に返らず。では動名詞を使っています。ことわざ的な意味なので一般性が高いど言えます。
これと比べて、It is useless to ask him for advice.彼に助言を求めても無駄だ。では不定詞を使い、これから助言を求めても無駄だ、という未来志向的なニュアンスが感じられました。
~しても無駄である、という時は形式主語文で不定詞も動名詞
も使えるのに、それ以外の主な形式主語文では不定詞しか使わず、さらに不定詞の意味があまり反映されていないように見えるのには、なにか理由があるのでしょうか。

例文引用
英文法の核 西きょうじ

 
(管理人) ことわざは、すでに起こっている出来事に対する戒めを目的としているので過去指向の動名詞が用いられる、とお考えになればよいと思います。It is no use crying over spilt milk. という文は、こぼれたミルクを嘆いている人に向かって発するものです。「起こってしまったことを嘆いても仕方ないじゃないか。さあ、元気を出して、頑張ろう」というほどの意味でしょう。Seeing is believing. については「to 不定詞と動名詞 投稿者:frontier 投稿日:2015年 3月11日(水)」をご覧ください。この文は動名詞を用いる必然性があります。これを To see is to believe. のような不自然な不定詞文と並べるのは不適切です。一方、不定詞に関しては、「It is useless to ask him for advice.彼に助言を求めても無駄だ。では不定詞を使い、これから助言を求めても無駄だ、という未来志向的なニュアンスが感じられました。」という観察でよいと思います。It is necessary to learn English. のような文については、差し迫った、いわば「緊急性」が感ぜられますが、これも未来指向の一種でしょう。そうすると、これらの用例に関する限り、動名詞と不定詞の基本的な違いが見事に反映しているといえます。

come(s)の用法と意味について

 投稿者:Fujibei
 投稿日:2020年 4月15日(水)12時57分47秒
いつものご指導ありがとうございます。

トランプ大統領がWHOへの拠出金を停止する、という次の報道記事の中で、 “ … announcement comes” という表現と “…announcement came” という表現がありました。

今までにもこの種の表現をメモしていましたが、His remarks come hours after … / The move comes just two days after … のように現在形のcome(s)を使っている例が多いように感じます。

私は、cameと過去形を使うのは「過去に起こった事実」をそのまま素直に表したものであり、come(s)と現在形を使うのは、過去の事実ではあるが、その内容は現在も継続している(生きている)ことを強調している、と解釈しましたが、いかがでしょうか。また、Where do you come from? のcomeとも意味的に共通していると感じていますが、いかがでしょうか。

President Donald Trump announced Tuesday he is halting funding to the World Health Organization while a review is conducted. (中略)
〈Tuesday's announcement about the halting of funding comes〉 days after a major US ally -- the United Kingdom -- announced an additional £65 million contribution to the WHO. (CNN, 4/15/2020)

President Trump (中略) said he planned to halt American funding of the organization. 〈The announcement came〉 as Mr. Trump continued to be angered by criticism of his response to the pandemic, which has been assailed as too slow and ineffective, failing to quickly embrace public health measures that could have contained the virus. (NYT, 4/15/2020)

 
(管理人) お考えのような解釈も成り立つと思いますが、同じ方向を向きながら少しだけ異なる解釈も可能かと思います。言葉の進行が動作・出来事の進行よりわずかに遅れていると認識される場合、論理的には過去時制を用いるべきところに、現在時制が用いられることがあります。典型的な場面はスポーツ中継です。例えば野球の試合でアナウンサーがボールを追いながら言葉をつなげてゆくとき、その言葉は眼前の動作や出来事の進行よりわずかに遅れています。日本語では、「大きい、大きい。ホームランか? いや、とった、とった」となります。ボールをとった直後の解説ですから「とった」と完了形になります。ところが、これと同じ場面を英語では He makes the catch. と現在形で表現します。言葉の進行が動作・出来事の進行よりわずかに遅れるといっても、通常の人間の認識では、話しているのと眼前の動作・出来事とがほぼ同時に進行していると理解されるために、現在時制が用いられるのでしょう。ご質問の comes も、トラン大統領の発表自体は報道の時点から見れば過去のことであっても、それを視聴者あるいは読者の眼前に引き出して、まるで中継のように報道して、視聴者・読者の目にありありと浮かぶように叙述しているとも考えられます。なお、Where do you come from? の現在形については、これに相当する日本語は「ご出身はどちらですか」ですから、過去の出来事ではないように思います。

somethingと関係代名詞

 投稿者:メットマン
 投稿日:2020年 4月 6日(月)20時23分7秒
久保田先生、質問が連続してすみません。関係代名詞について一つ質問にご回答いただけませんでしょうか。somethingではwhichよりもthatのほうが好まれると言う説明をたいていの文法書で見かけるのですが、なぜthatのほうが好まれるのでしょうか。somethingは意味自体が不確定であるがゆえに、(情報の点で)openな性質をもつ(と言えそうな)whichとの相性が良く、(情報の点で)closedな性質をもつ(と言えそうな)thatとは相性が悪いと言うのなら納得もいくのですが、どのネイティブに尋ねても(文法書にあります通り)thatのほうが相性がよいと答えます。なぜsomethingではthatのほうが好まれるのでしょうか。いつもすみません。どうぞご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。

※ whichがopenで、thatがclosedというのは中核的な意味でということなのですが、全く私の独断で、間違っている可能性があります。
 
(管理人) something には some が含まれており、some が単数名詞と組んだ場合、一定のレベル以上に内容が濃いことを表すので、something も「何か」といった軽い意味ではなく、「重要なものごと」「大切なものごと」「中身のあるものごと」といった意味になります。something が用いられている文脈で何が話題になっているか、何が重要な問題として認識されているかはおおむね既知ですから、その部分が、既知情報を表す that 節で表現されるのは自然なことだと思います。既知情報を表す制限用法の関係詞節は、先行詞についてすでに分かっている内容の一部を(いわば「吹き出し」のような形で)取り出して示すもので、その点で something と相性がよいのだと思われます。具体的な用例で見てみることにします。例えば This is something that you've done.(こういうことを君はしたんだぞ)とか I always had the sense of being sustained or nurtured by something that wasn't physically present.(私はずっと、姿かたちのないものに支えられ育まれているという感覚を持っていました)のような文において、当該の文脈で何が話題になっているかはよく分かります。最初の用例では聞き手がしでかしたことを叱責しているようですし、2番目の用例では神や霊のようなものが話題になっている文脈が見て取れます。どちらも既知情報といえます。something に関係詞節を付けるときはこういう文脈が必要であるようです。ちなみに COBUILD の WordBank の用例を勘定してみると、something that が 353 例、something which が 35 例でした。10 対 1 というのは、もはや量の問題ではなく質の問題といえます。

in what ... の用法と意味について

 投稿者:Fujibei
 投稿日:2020年 3月26日(木)19時33分31秒
いつものご指導ありがとうございます。
次の引用は「2020オリンピック」の延期に関する3月25日付のJapan Timesからです。

While unforeseen challenges and costs are also likely to emerge in the coming months, experts say three issues are paramount: Will new athletes be chosen to compete next year, who will bear the financial burden ? the IOC or the citizens of Japan ? and how will room be made for the Tokyo Games 〈in what is an already packed calendar for international sport〉.

in what is an already packed calendar for international sport はin the already packed calendar … としても同じような意味を表すと思いますが、後者が淡々と事実を述べているのに対し、前者のin what …は何か感情がこもっているような感じもします。

いくつかの参考書を見ましたが、in what … の用法について触れたものはありませんでした。敢えてin what … というからにはニュアンスの違いを表しているのではないかと愚考したのですが、先生のお考えをご教示ください。

 
(管理人) 2つの表現は冠詞に違いがありますが、どうして冠詞に違いがあるかというと、be 動詞の補語であるか否かの違いが反映しているからであると思われます。be 動詞の補語は、通例、主語の性質・特徴を表します。例えば He is just a child.(あの子はまだ子どもじゃないか)のようにです。同様に、The unrest has cast a pall over what is usually a day of national rejoicing.(この社会不安が、いつもなら国を挙げてお祝いする日に暗い影を落としている)の場合も、問題となっている日そのもの(つまりカレンダー上の何月何日)を指しているというより、むしろ、当該日の性質を表していると読み取れます。そのようにみてくると、what is an already packed calendar for international sport という表現に関しても、「日程」そのものより、日程の性質(つまり「予定で詰まって、変更がききにくい」という性質)に焦点が当てられた表現であるということになると考えられます。その他、次のような例も参考にしてください。If you look, you'll see what was a lake./What was once a novel approach had become orthodoxy.

助動詞に続く not について

 投稿者:aozora
 投稿日:2020年 3月14日(土)16時48分44秒
久保田先生、ありがとうございました。mustと同じく義務を表すshould.ought toも同じように考えていいのでしょうか?

You should not go.You ought not to go.の論理構造もそれぞれ You should [not go].You ought [not to go].なのでしょうか?

又、意志を表す will の論理構造はどうなっているのでしょうか?
I will [not go].行かないつもりだ。I [will not] go.行くつもりはない。
意志の will は「客観的な事情」ではないので、I [will not] go ではないのだろうと思うのですが、助動詞も元は動詞だったようですし、willの場合、辞書を見ると現在でも動詞があるので,動詞の名残が色濃く残っていそうな助動詞 will は否定できるのでは?と考えてしまいます
 
(管理人) should も ought to もお考えの論理構造でよいと思います。will についてもご質問ですが、will は意志未来の用法だけでなく、どのような用法の場合でも、will not go の論理構造はすべて will [not go] です。例えば Quirk et al (1972) A grammar of contemporary English, p. 384 が挙げている次の3つの文のパラフレーズが参考になります。(1) と (2) は意志未来の用法、(3) は推量の用法です。(1) Don't worry. I won't interfere (=I'm willing not to interfere)./(2) He won't do what he's told (=He insists on not doing ...)./(3) They won't have arrived yet (=I predict that they have not arrived yet).  したがって、意志未来の用法の否定は「意志の否定」ではなく「否定の意志」になります。

must notに関して

 投稿者:aozora
 投稿日:2020年 3月13日(金)11時45分6秒
久保田先生、こんにちは。今回も基本的なことだと思うのですが、質問させてください。

You must not go.(行かなければならない)のような場合,私は must は強い強制力を持つので、not go が絶対だと理解していました。You must / not go. しかし、ここ数日助動詞をいろいろ勉強していて、must not の notは must を否定しているみたいだぞ、という思いを持ちました。実際、must not で「禁止」を意味するという説明をこれまで見てきたように思います。そうだとすると、must の強制力を否定した結果が「禁止」になる理由がわかりません。強制力がないから必要がない、need not等なら腑に落ちます。must not が「禁止」を表すのは「文法化」(最近知った言葉ですが)という現象に当たるのでしょうか?ここまで書いてきて、否定命令の Don't はどうなんだろうという疑問も湧きました。命令に現れる do も強い強制力を持っているように感じます。Don't go. なら Do / not go.なのでしょうか? それとも、やはり not は do を否定して「するな」の意味になるのでしょうか?

わかりにくい質問だと思いますのでまとめます。
1:You must not go.の not は must をしているのでしょうか?
2:Don't go. の not は do を否定しているのでしょうか?

質問が二つになりましたがお許しください。出来ましたらご回答お願いいたします。
 
(管理人) You must not go. の論理構造は You must [not go] です。つまり「行かないことが義務である」→「行ってはならない」となります。You mustn't go. のように must と not が表記上くっついていても、論理構造は must [not go] です。どうして not が must と結びつかないかというと、話し手の意見あるいはもっと広く「話し手の思考」に直結する行為は常にプラスの値を持つからです。例えば、Dorian achieved so much but I do not think he ever achieved what he really wanted.(ドーリアンの成し遂げたことはすばらしかった。でもそれは彼が本当に成し遂げたかったことだとは思えない)という文において、think は話し手の思考を表していますが、not は思考のプロセスそのものを否定しているのではありません。むしろ、思考の内容を否定しているとみるべきでしょう。つまり、not は(構造上は主節の要素であっても)機能的には従属節の内容を否定しているのです。換言すれば、「思考の否定」ではなく「否定の思考」です。内容は否定的であっても思考という行為は常にプラスの値を持ちます。must に戻ると、must not は「義務・命令の否定」ではなく「否定の義務・命令」ということになります。それに対して have to や need などは(must と違って)客観的な事情を表す表現であり、その分、否定の対象になりうることになり、not have to や need not などにおける not は have to あるいは need を否定して「~する必要はない」となります。また「ちがいない」の意の must の場合はこれがさらにはっきりしており、例えば If you cannot perceive something, then it must be that it does not exist.(何かに気づかないというのであれば、それは存在していないということなんだよ)のように not と離した形で用いるのが通例です。否定の内容が100%に限りなく近い確率で成り立つと話し手は査定しているということです。

Don't go. は本来 Go not. という形であったものなので、その用法が継続されて、not は go と結びついています。ちなみに、do は現代英語では助動詞でも本動詞でも同じ形ですが、もともとは別の形でした。それがたまたま同じ形になってしまったのですが、Don't go. における Do は、本来動詞のうしろにあった not が前置されるようになったのを支えるための、意味内容を持たない補助要素として添付されているにすぎません。論理構造は do [not go] です。

具体的な差を表す比較級

 投稿者:蘭霧
 投稿日:2020年 3月12日(木)22時25分18秒
題名にもありますように、比較対象との具体的な差を表す比較級の構文についての質問です。

ex1)He is three years older than I am.
彼は私よりも3歳年上です。
ex2)I have two hundred more foreign books than she does.
私は彼女よりも200冊多くの外国の本を持っています。

ex1は比較級olderの前のthree yearsが副詞的目的格として働いき、olderを修飾している。(ロイヤル英文法より) 。
ex2はtwo,hundred,more, foreignがそれぞれbooksを形容詞として修飾している。
と認識しているのですが、間違いないでしょうか?

また、moreの場合はex1のように比較級の程度を表す名詞が比較級の前に来て副詞的目的格として働き、比較級を修飾するのではなく、ex2同様に比較級の程度を表す形容詞を比較級の前に置いて、moreを含めた形容詞それぞれがmoreの後の名詞を修飾する。
ということでしょうか?
ex1に倣えば、
I have two hundred books more foreign books than she does. になり、two hundred booksが副詞的目的格になるのではと思ったので....

ロイヤル英文法、表現のためのロイヤル英文法、英文法解説etc.を読んでみたのですが、差を表す比較級表現についてほとんど記載がなかったので、質問させて頂きました。
 
(管理人) ご質問の内容がよく理解できないところがあるのですが、こういうことをご質問になられているのかしらと推測しながら基礎的な部分に限って回答します。まず、基本形に戻りましょう。例1と例2の基本形は、それぞれ、He is older than I am. と I have more foreign books than she does. です。ここに具体的な数値を入れると、それぞれ、He is [three years] older than I am.、I have [two hundred] more foreign books than she does.  となります。この場合、あとから加えられた例1の three years がどこにかかるかというと、older でしょう。また例2の two hundred は(many の比較級の) more でしょう。いずれも比較級形容詞の程度(どのくらい上回っているか)を具体的に表しています。つまり、いずれも比較級形容詞を主要部とする形容詞句の、限定詞として機能していることになります。その点からすると、「(例2)は two, hundred, more, foreign がそれぞれ books を形容詞として修飾している」というのは適正な構造解釈とはいえないと思われます。また例2を I have two hundred books more foreign books than she does. のようにパラフレーズされていますが、それは無理でしょう。「数値+more」に名詞を組み込んだ場合は「数値+more+名詞」の形になるからです。例えば、There is room for three more.(あと3人、入れますよ)は There is room for three more people. であって、*There is room for three people more. ではないからです。つまり比較級形容詞の前の数字は数値そのものであって、There were more than two hundred there.(200人を越える人がそこにいた)のような文における、複数名詞を内包した代名詞的用法(two hundred people を two hundred のみで表現した代名詞のような用法)とは異なると思われます。

以上は、新着順1番目から20番目までの記事です。

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