お知らせ: 令和2年12月31日をもって本「英語質問箱」を閉じます。これまでご利用いただき、ありがとうございました。千葉大学での「外国語質問箱」から始まって「英語質問箱」へと移行し、微力ながら、いくばくかの社会貢献ができたように思います。学問の進歩は速く、わたくしの知識が時代遅れになる前に、このような公開サイトを閉じるのが賢明であると判断いたしました。今後は、個人的にご質問を受けることはいたしますが、質疑応答を公開することはいたしません。これまでのご利用に、深く、深く、感謝いたします。
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この質問箱は英語に関する疑問に國學院大學・久保田研究室がお答えするものです。英語に関する疑問の中には本や辞典を見てもすぐには解決しないものが少なくありません。そんなとき、この質問箱をご利用ください。この質問箱は、堅く言えば、大学における研究成果を社会に還元することを意図しているものですが、ざっくばらんに、学びたい人と管理人が、膝つき合わせて学問談義をする場というくらいにお考えください。
<投稿の方法>
○質問は一回の投稿で一つのみとします。要点を絞って簡潔にお書きください。この掲示板の仕様で、管理人からの回答には字数制限があります。用例が問題になる場合は出典を明記してください(著者名、書名、ページ;ウェブ上のものであれば URLなど)。自作の用例にもとづくご質問はそのままではお答えできません。必ずネイティブスピーカーによるチェックを受けてください。投稿の内容は、「投稿」というアイコンが出て、これをクリックしてはじめて送信されます。なお、投稿画面の「メール」欄は記入不要です。また URL 欄には何も書き入れないでください。携帯電話からは、閲覧はできますが、投稿はできません。
○初めて投稿される方は、投稿後すぐに、管理人(國學院大學 久保田正人)宛にメールで簡単な自己紹介をしてください。「投稿題名○○、氏名○○(ご名字だけでも可)、職業(学生、社会人、教員など)」といった内容でけっこうです。メール機能はこのページの最下段にあります(「管理者へメール」)。この情報は、管理人が投稿者の方々の概略を知りたいのと、投稿に関して投稿者に問い合わせやお知らせがある場合に使用します。どうしても匿名でなければという方は、どうぞ他のサイトにお回りください。管理人が身元を明らかにしていることを理解してくださる投稿者の方へ、心を込めて回答します。(投稿欄の「投稿者名」は任意のお名前でけっこうです。)
<採用の基準>
投稿された質問にお答えするかどうかは、その質問が学問的におもしろいかどうかによります。ご自身の考察のあとがうかがえる投稿にはできるかぎりお答えしますが、たんに問題集の解答を求めるだけの投稿や英文の日本語訳を求めるだけの投稿には応じません。ご自身でどこまで考えたかを伝えてください。敷居が高いですか? あまりむずかしく考えずに、まずは投稿してみてください。
<回答の取り扱いについて>
管理人からの回答は、できるかぎり正確を期しますが、絶対ではありません。回答をどう評価するかは投稿者ご自身の責任でご判断ください。また、回答は投稿順とは限らない場合があることもご承知おきください。
<検索の仕方>
質問される内容についてすでに質疑応答がなされている場合もあります。投稿欄のすぐ下の(右端の)「検索」機能をご利用ください。
<英語科の先生方へ>
質問箱への投稿では差し障りがある場合は、「管理者へメール」を使って、直接、お問い合わせください。その場合、ご勤務校とお名前をお知らせください。この方法でいただいた質問は公表しません。
<お知らせ>
・(2017/07/03)管理人の新著、安井稔・久保田正人『英語クラスターハンドブック-基本単語のつながり用例辞典』(本文 647 ページ、開拓社)が出版されました。
・(2014/9/11)管理人の新著、安井稔・久保田正人『知っておきたい英語の歴史』(開拓社)が出版されました。
・(2013/11/19)管理人の新著、久保田正人『英語学点描』(開拓社)が出版されました。
・(2010/08/17)全文スクリプト付きの映像による講義・解説を紹介します。英語の勉強にも有益です。海外大学英語講義集(千葉大学の土肥充さん(現在、國學院大學教授)が主導したプロジェクトです)。
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(管理人) if only は if を強めた形で、事実でないことや実現しなかったことが、事実であったり、実現していてくれたらと願いつつ、嘆き悲しむ文として用いられます。「~であってさえしたら」というほどの意です。if と only が連続している形もあれば、離れている形もあります。このような節で用いられる would は仮定法過去の用法です。would の他に Oh, if he could only come!(あの人が来てくれさえしたらなあ)のように could が用いられる場合もあれば、If only I were rich!(お金持ちであったらなあ)のように were が用いられるものもあります。いずれも仮定法過去です。
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(管理人) cannot help doing に該当する文を英文解釈してみればよいのではないでしょうか。例えば I can't help thinking that he is still alive. を英文解釈してみると、「私には、彼がまだ生きているとしか思えない」というくらいになると思います。この解釈が make things better あるいは類似の比較表現でパラフレーズできるかどうかです。この help は「(考えを)変える」「~しないようにする」というくらいの意ですから、make things better のようにプラスの値を持つ比較級を内在させた意味とは離れているように思われます。ただし、help のうしろに動名詞ではなく名詞が置かれている場合は、make things better というパラフレーズは必ずしも無関係とも言い切れないように感じます。I can't help it if he doesn't come.(彼が来なくても、どうしようもないよ)における help は「その状況を良い方向に変える」というくらいの意でしょう。ここには若干ではあってのプラスの値を持つ比較級表現の存在を感じさせるようにも思われます。
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(管理人) rowdy/loudly、royal/loyal における、綴り字・発音の類似性と意味の類似性は「偶然」です。語源も異なります。rとlは音声上はまったく別の音です。ただし、共通点もあります。それは「流音」(liquid)という性質です。流音というのは、舌先を上顎に近づけて、あるいは接触させて、その中間または両側から気息を通して発する有声の子音を指します。舌先を上顎に近づけて、舌の中間から気息を通して、発する音がrで、舌先を上顎に接触させて、舌の両側から気息を通して、発する音がlです。lを発音するとき舌先は口腔の前の方(歯茎の裏)に接触するので、これを[+前方性](前方性がある)と記述することもあります。またrを発音するときは舌先は口腔の前の方には進まないので、[ー前方性](前方性がない)と記述することもあります。この「前方性がある・ない」という性質が聴覚上どのように把握されているかは不明ですが、なんらかの事情で「前方性がある・ない」が区別できなくなると、reflector も lefrectol も同じ音の連続として聞こえるようです。しかしそれは脳の障害によるものであって、健常者はしっかりrとlを区別して聞いているので、英語の母語話者は rowdy/loudly、royal/loyal に近似性は感じないと思われます。
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(管理人) もちろん、The price of electricity made from solar energy is higher than <that of electricity> made from gas or oil. のように of electricity を繰り返すこともできます。ただ、いま思い返してみると、当時は、of electricity を繰り返す方がかえって作為的な文になるように感じたのではなかったかと思います。つまり、of electricity がなくとも十分に内容が伝わるのに、文法的に made from gas or oil の修飾を受けるのは electricity であって price ではないはずという理由で of electricity を入れるのは、冒頭の文のように electricity という名詞が出ている場合のことであって、that によって the price of electricity 全体を代用させた場合は、その意味が理解されている限り、made from gas or oil を後続させても、あまり違和感はないように思われます。実際の言語使用では、このくらい緩やかな使い方も許容されるということです。ただし、このような文を大学入試(模擬?)問題の模範解答として出すのが適切であるかどうかはおのずと別の話になります。ですから、どのレベルの学習者を対象としているかによって解答は変わってきてもよいと思います。of electricity のある形を模範解答とし、これがない形も許される場合がある、とでも、注を付けておけばよいかもしれません。
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(管理人) 仮定法過去は基本的に条件節を含意します。ただ、明確に含意している場合もあれば、条件節が話者の念頭にほとんどなくて用いられる場合も少なくありません。明確に含意している場合の例としては、例えば、I should like to go.[If I could のような条件節が含意されています]などがあります。条件節がほとんど話者の念頭にない場合の例としては、たとえば I should say he was over fifty.(彼は 50 歳を超えていたように思いますが)などがあります。ここでは should の例を挙げましたが、いずれの用法も義務を示す shall の意義が仮定法過去の形を用いることによって弱められたことに由来します。その点からすると、「仮定法過去形の助動詞は『助動詞の屈折した形が仮定法過去形であること』から表現が和らげられるのではないでしょうか」というお考えは妥当だと思います。
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(管理人) すぐ思いつくのは、quick(ly) をはじめ、clean(ly)、clear(ly)、direct(ly)、fair(ly)、fast(ly)、fine(ly)、free(ly)、hard(ly)、high(ly)、just(ly) 、late(ly)、loud(ly)、most(ly)、near(ly)、pretty(ly)、real(ly)、right(ly)、sharp(ly)、short(ly)、sound(ly)、sure(ly)、tight(ly)、wide(ly)、wrong(ly) などですが、-ly 副詞がありながら、形容詞と同形の副詞用法を持つ語彙については、一般的な傾向が2つ挙げられます。1つは、必ず動詞のあとに置かれること。Come quick. はよいのですが、*Quick come. は不可。もう1つは、形容詞と同形の副詞用法は口語体にほぼ限られる点です。それを示しているのが、英和辞典においては≪略式≫という表示で、英英辞典では INFORMAL と記してある注記です。意味については、ほとんど差がないものもあれば、hard と hardly のように全く別の意味になっているものもあって、千差万別です。その中でも quick を挙げられたのは、この語が、いわば「いわくつき」だからでしょうか。たいていの英英辞典では形容詞と同形の quick は「教育のある人は、通例、用いない」という主旨の注記が付いています。つまり、今日の状況として、副詞としての quick は評判がよくないようです。歴史的にも、副詞としての quick は quickly より 300 年ほどあとに登場しているので、あとから割り込んできたことになります。それでも、現在、口語体で生きているというのは、それなりに quickly と異なるところがあるからでしょう。たとえば、副詞用法の quick はおおむね「すばやく」「あっという間に」(with great speed)のように速度の速さに限定して用いられ、quickly は、そのほかに「じきに」(after only a very short time)や「ほんの少しの時間」(for a short time)の意でも用いられます。わずかながら棲み分けの初期状態が発生している可能性もあります。
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(管理人) まず基礎的な解釈をまとめておきましょう。引用された箇所において she / her で表されているのはすべて Mrs. Reed で、 I / me はジェインです。そして最大の問題が、saying 以下の、直接話法のふりをした間接話法ですね。いかにもビクトリア朝の英語らしくゴテゴテした文章ですが、まず話法の基本を押さえておきましょう。直接話法の基本は、相手の発言を正確に引用するところにあります。相手が用いた表現をそのまま引用しなければ虚偽の引用となります。それに対して間接話法は、内容が虚偽でなければ表現の選定は話し手(ここではジェイン)次第となります。そうするとジェインは、おばの発言を引用するという形をとりながら、その実、おばの発言内容を自分の言葉で言い換えていることになります。なぜそんな手の込んだ手法を用いたかというと、おばはジェインを疎外する理由を自分の言葉で正当化したのでしょうが、疎外される側のジェインからすればそれはおばの言い分であって、それをこちらの言葉で言い換えることによって、おばの偽善をさらけ出そうとしたのではないかと推測されます。この部分は、say のような発言動詞を伴っているという点で「直接話法寄りの描出話法」ともいえる、異様な話法ですが、シャーロット・ブロンテがこのような話法をわざわざ考案したのは、ジェインの心の奥底を表現するには、こういった実験的な話法が必要だったからだではないかと思われます。ただ、標準的な描出話法ではなく「直接話法寄りの描出話法」を用いることで、どのような差異が生じているかという点も知りたいところですが、そこまで行くとわたくしの手には負えません。なお、今回の回答を用意するにあたり、ブロンテ姉妹の専門家でもある岩上はる子・滋賀大学名誉教授から貴重なご教示をいただいたことを付記します。
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(管理人) 回答が大幅に遅れました。これは「叙述属格」(predicate genitive)と呼ばれるもので、所有代名詞が be 動詞の補語に置かれているものです。回答が大幅に遅れたのは、この構文がどのような基底構造から派生されたものであるかといった、形式面ばかりに議論が集中し、英語を外国語とするわれわれにとって最も重要な(と思われる)「英文解釈」がなおざりになっていたために、この構文が用いられている前後の文脈から、この構文がどのような意味を表そうとしているかを調べていたのです。結論から述べると、例えば The future is ours to build. における ours は「われわれの責務」あるいは「われわれの権利」というほどの意であるらしいことが分かりました。したがって ours を for us に書き換えた構文とは形式面でも意味面でも無関係であるといえるかと思います。また、この構文は時として否定形で出てくるときがあります。例えば、The money isn't yours to spend. のような例です。この否定文は、「君にはその金を使う権利などない」というほどの意を表しています。つまり、「権利の否定」「責務の否定」です。このように肯定文と否定文の英文解釈を相互に比べ合ってゆくと、この構文で用いられる ours のような所有代名詞が our duty / our responsibility / our entitlement のような意味であることが鮮明に浮かび上がってきます。これまで収集された用例を前後の文脈を参考にして英文解釈してみてください。先行研究についてはあまりよく知らないので、インターネットで predicate genitive で検索してみてください。
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(管理人) 相手の発言を間接話法で引用する場合は、相手の用いた表現をそのまま引用するのではなく、話し手あるいは書き手が、その人の発言の主旨を別の言葉で言い換えているのが通例です。ですから、"it was not a big deal" は引用符が付いているのでトランプ大統領の言葉なのでしょうが、it had not been presented in an alarming way that demanded immediate action はそのままトランプ大統領自身が発した言葉というわけではないのでしょう。あくまで主旨をとった(と書き手が考えている)表現です。それでもこの直接話法と間接話法の表現を比べてみると、間接話法の方が表現が強くなっています。この差を示しているのが even であるように思います。つまり、even as he argued は、「"It was not a big deal" よりさらに踏み込んで、it had not been presented in an alarming way that demanded immediate action とさえ主張した」というくらいでしょうか。
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(管理人) My car wouldn't start this morning. の論理構造は would [not start] で問題ありません。「~しないことを意志としてもつ」ですから「拒絶」を表します。ここでもまた「意志の否定」ではなく「否定の意志」です。【以下、回答を差し替えます】「OALDが間違っている」というのは was not willing to という語順を問題視しているのでしょうか。was not willing to do となっていても、was willing not to do となっていても、否定のかかりかたは同じです。どちらも「~しないことを意志としてもつ」です。
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(管理人) 先行詞を含んだ関係代名詞としての what は、単数でも複数でも呼応します。what の直後に動詞が置かれている場合は What is needed のように単数形になるのがふつうですが、たまに複数形にもなります(ということを、ずっと以前、英作文の指導で有名であった金子稔先生がどこかに書かれていました[書名を思い出せません])。そして、主節動詞の数(すう)との関係ですが、原則として、主語の what 節内が単数呼応の場合は、主節の動詞も単数になるのが通例です。例えば、LDOCE は次のような用例を掲げています:What matters is the British people and British jobs. そこで問題は what 節内は単数呼応なのに主節は複数になる場合です。お示しの what leaps ... are ... がそうです。これはおそらく、近くにある表現の数に引き寄せられる attraction(牽引)と呼ばれる現象ではないかと思います。what 節内では単数呼応させたとしても、主節の補語に複数名詞を用いるつもりで話したり書いたりしている場合、その複数に呼応して動詞も複数になるというのは十分考えられます。LDOCE の用例にしても、... is the British people and British jobs が ... are the British people and British jobs になっても、母語話者はそれほど不自然さを感じないのではないかと思います。ただし、what 節内が複数呼応の場合は、what の中身が複数であるわけですから、主節の補語にも必ず複数形が登場するはずのものです。したがって、what 内が複数呼応の場合は、必ず、主節の動詞もこれに連動して複数呼応しなければなりません。
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(管理人) [修飾要素+名詞]が[名詞+関係詞節]から派生されるという考え方は、初期の(1950年代後半~1960年代中頃の)変形生成文法にはありましたが、本来の形を過度に変える操作であるとして、その後は理論としての価値は認められなくなりました(ただし、便利なところもあるので、いまでも教育現場で使われています)。さて、お示しになられた表現は2つの種類に分けられます。(1)[現在分詞+名詞]:この形は[形容詞+名詞]と同じ強勢パタンをもち、形容詞・分詞に第2強勢、名詞に第1強勢が置かれます。つまり名詞の方に強い強勢が置かれます。a big house、(飛んでいる飛行機の意の)a flying plane、(踊っている女の子の意の)a dancing girl、(生き字引の意の)a walking dictionary などが該当します。このタイプの表現における形容詞・分詞は that is big/ dancing/ walking などのように関係詞節内の形容詞・進行形が前置されたのと等価であるといってよい例が多いのですが、an early lunch(早めの昼食)のようにこの説明が当てはまらないものもあるので(a lunch that is early は不可ですから)、こういうパラフレーズによる説明は便宜的です。もう一つは (2)[(動)名詞+名詞]:この形は typewriter のように、2つの語が合体して一つの名詞をつくる複合語と同じ強勢パタンをもち、前半の要素に第1強勢、後半の要素に第3強勢が置かれます。つまり前半の要素の方に圧倒的に強い強勢が置かれます。「踊り子」の意の a dancing girl や a meeting room、a sleeping bag(寝袋)などが該当します。こちらのタイプの表現における -ing は、純粋な名詞といえるものから動詞の性質を失わない動詞的動名詞といえるものまで含まれ、例えば(踊り子の意の)a dancing girl における dancing は辞書にも「舞踊」の意の「名詞」として独立して掲載されるくらいです(会議の意の meeting も同様)。関係詞節でパラフレーズしても、a girl that/who dances では不十分であり、少なくとも a girl that/who dances to entertain others というくらいにする必要があります。a sleeping bag はしばしば a bag for sleeping とパラフレーズされることもありますが、これは誤りであり、a bag for sleeping in が正しい。つまり、このタイプの表現における -ing は単純に関係詞節の動詞を持ってきたというのでは説明しきれないほど意味的に豊かな内容を含んでいるといえます。
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(管理人) ことわざは、すでに起こっている出来事に対する戒めを目的としているので過去指向の動名詞が用いられる、とお考えになればよいと思います。It is no use crying over spilt milk. という文は、こぼれたミルクを嘆いている人に向かって発するものです。「起こってしまったことを嘆いても仕方ないじゃないか。さあ、元気を出して、頑張ろう」というほどの意味でしょう。Seeing is believing. については「to 不定詞と動名詞 投稿者:frontier 投稿日:2015年 3月11日(水)」をご覧ください。この文は動名詞を用いる必然性があります。これを To see is to believe. のような不自然な不定詞文と並べるのは不適切です。一方、不定詞に関しては、「It is useless to ask him for advice.彼に助言を求めても無駄だ。では不定詞を使い、これから助言を求めても無駄だ、という未来志向的なニュアンスが感じられました。」という観察でよいと思います。It is necessary to learn English. のような文については、差し迫った、いわば「緊急性」が感ぜられますが、これも未来指向の一種でしょう。そうすると、これらの用例に関する限り、動名詞と不定詞の基本的な違いが見事に反映しているといえます。
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(管理人) お考えのような解釈も成り立つと思いますが、同じ方向を向きながら少しだけ異なる解釈も可能かと思います。言葉の進行が動作・出来事の進行よりわずかに遅れていると認識される場合、論理的には過去時制を用いるべきところに、現在時制が用いられることがあります。典型的な場面はスポーツ中継です。例えば野球の試合でアナウンサーがボールを追いながら言葉をつなげてゆくとき、その言葉は眼前の動作や出来事の進行よりわずかに遅れています。日本語では、「大きい、大きい。ホームランか? いや、とった、とった」となります。ボールをとった直後の解説ですから「とった」と完了形になります。ところが、これと同じ場面を英語では He makes the catch. と現在形で表現します。言葉の進行が動作・出来事の進行よりわずかに遅れるといっても、通常の人間の認識では、話しているのと眼前の動作・出来事とがほぼ同時に進行していると理解されるために、現在時制が用いられるのでしょう。ご質問の comes も、トラン大統領の発表自体は報道の時点から見れば過去のことであっても、それを視聴者あるいは読者の眼前に引き出して、まるで中継のように報道して、視聴者・読者の目にありありと浮かぶように叙述しているとも考えられます。なお、Where do you come from? の現在形については、これに相当する日本語は「ご出身はどちらですか」ですから、過去の出来事ではないように思います。
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(管理人) something には some が含まれており、some が単数名詞と組んだ場合、一定のレベル以上に内容が濃いことを表すので、something も「何か」といった軽い意味ではなく、「重要なものごと」「大切なものごと」「中身のあるものごと」といった意味になります。something が用いられている文脈で何が話題になっているか、何が重要な問題として認識されているかはおおむね既知ですから、その部分が、既知情報を表す that 節で表現されるのは自然なことだと思います。既知情報を表す制限用法の関係詞節は、先行詞についてすでに分かっている内容の一部を(いわば「吹き出し」のような形で)取り出して示すもので、その点で something と相性がよいのだと思われます。具体的な用例で見てみることにします。例えば This is something that you've done.(こういうことを君はしたんだぞ)とか I always had the sense of being sustained or nurtured by something that wasn't physically present.(私はずっと、姿かたちのないものに支えられ育まれているという感覚を持っていました)のような文において、当該の文脈で何が話題になっているかはよく分かります。最初の用例では聞き手がしでかしたことを叱責しているようですし、2番目の用例では神や霊のようなものが話題になっている文脈が見て取れます。どちらも既知情報といえます。something に関係詞節を付けるときはこういう文脈が必要であるようです。ちなみに COBUILD の WordBank の用例を勘定してみると、something that が 353 例、something which が 35 例でした。10 対 1 というのは、もはや量の問題ではなく質の問題といえます。
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(管理人) 2つの表現は冠詞に違いがありますが、どうして冠詞に違いがあるかというと、be 動詞の補語であるか否かの違いが反映しているからであると思われます。be 動詞の補語は、通例、主語の性質・特徴を表します。例えば He is just a child.(あの子はまだ子どもじゃないか)のようにです。同様に、The unrest has cast a pall over what is usually a day of national rejoicing.(この社会不安が、いつもなら国を挙げてお祝いする日に暗い影を落としている)の場合も、問題となっている日そのもの(つまりカレンダー上の何月何日)を指しているというより、むしろ、当該日の性質を表していると読み取れます。そのようにみてくると、what is an already packed calendar for international sport という表現に関しても、「日程」そのものより、日程の性質(つまり「予定で詰まって、変更がききにくい」という性質)に焦点が当てられた表現であるということになると考えられます。その他、次のような例も参考にしてください。If you look, you'll see what was a lake./What was once a novel approach had become orthodoxy.
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(管理人) should も ought to もお考えの論理構造でよいと思います。will についてもご質問ですが、will は意志未来の用法だけでなく、どのような用法の場合でも、will not go の論理構造はすべて will [not go] です。例えば Quirk et al (1972) A grammar of contemporary English, p. 384 が挙げている次の3つの文のパラフレーズが参考になります。(1) と (2) は意志未来の用法、(3) は推量の用法です。(1) Don't worry. I won't interfere (=I'm willing not to interfere)./(2) He won't do what he's told (=He insists on not doing ...)./(3) They won't have arrived yet (=I predict that they have not arrived yet). したがって、意志未来の用法の否定は「意志の否定」ではなく「否定の意志」になります。
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(管理人) You must not go. の論理構造は You must [not go] です。つまり「行かないことが義務である」→「行ってはならない」となります。You mustn't go. のように must と not が表記上くっついていても、論理構造は must [not go] です。どうして not が must と結びつかないかというと、話し手の意見あるいはもっと広く「話し手の思考」に直結する行為は常にプラスの値を持つからです。例えば、Dorian achieved so much but I do not think he ever achieved what he really wanted.(ドーリアンの成し遂げたことはすばらしかった。でもそれは彼が本当に成し遂げたかったことだとは思えない)という文において、think は話し手の思考を表していますが、not は思考のプロセスそのものを否定しているのではありません。むしろ、思考の内容を否定しているとみるべきでしょう。つまり、not は(構造上は主節の要素であっても)機能的には従属節の内容を否定しているのです。換言すれば、「思考の否定」ではなく「否定の思考」です。内容は否定的であっても思考という行為は常にプラスの値を持ちます。must に戻ると、must not は「義務・命令の否定」ではなく「否定の義務・命令」ということになります。それに対して have to や need などは(must と違って)客観的な事情を表す表現であり、その分、否定の対象になりうることになり、not have to や need not などにおける not は have to あるいは need を否定して「~する必要はない」となります。また「ちがいない」の意の must の場合はこれがさらにはっきりしており、例えば If you cannot perceive something, then it must be that it does not exist.(何かに気づかないというのであれば、それは存在していないということなんだよ)のように not と離した形で用いるのが通例です。否定の内容が100%に限りなく近い確率で成り立つと話し手は査定しているということです。
Don't go. は本来 Go not. という形であったものなので、その用法が継続されて、not は go と結びついています。ちなみに、do は現代英語では助動詞でも本動詞でも同じ形ですが、もともとは別の形でした。それがたまたま同じ形になってしまったのですが、Don't go. における Do は、本来動詞のうしろにあった not が前置されるようになったのを支えるための、意味内容を持たない補助要素として添付されているにすぎません。論理構造は do [not go] です。 |
(管理人) ご質問の内容がよく理解できないところがあるのですが、こういうことをご質問になられているのかしらと推測しながら基礎的な部分に限って回答します。まず、基本形に戻りましょう。例1と例2の基本形は、それぞれ、He is older than I am. と I have more foreign books than she does. です。ここに具体的な数値を入れると、それぞれ、He is [three years] older than I am.、I have [two hundred] more foreign books than she does. となります。この場合、あとから加えられた例1の three years がどこにかかるかというと、older でしょう。また例2の two hundred は(many の比較級の) more でしょう。いずれも比較級形容詞の程度(どのくらい上回っているか)を具体的に表しています。つまり、いずれも比較級形容詞を主要部とする形容詞句の、限定詞として機能していることになります。その点からすると、「(例2)は two, hundred, more, foreign がそれぞれ books を形容詞として修飾している」というのは適正な構造解釈とはいえないと思われます。また例2を I have two hundred books more foreign books than she does. のようにパラフレーズされていますが、それは無理でしょう。「数値+more」に名詞を組み込んだ場合は「数値+more+名詞」の形になるからです。例えば、There is room for three more.(あと3人、入れますよ)は There is room for three more people. であって、*There is room for three people more. ではないからです。つまり比較級形容詞の前の数字は数値そのものであって、There were more than two hundred there.(200人を越える人がそこにいた)のような文における、複数名詞を内包した代名詞的用法(two hundred people を two hundred のみで表現した代名詞のような用法)とは異なると思われます。
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