塩見縄手(松江市) |
NORIO DEGUCHI |
去年の冬、12月の終り、私は久しぶりに正月を田舎で過ごすため帰省した。私が生まれたのは、島根半島の小さな村、人口1000人足らずの八束郡加賀村である。いまは隣村の大芦、野波と合併して島根町加賀と呼ばれている。
帰省すると私は松江によく出る。別にこれといった、はっきりした目的があるわけではないのだが、何か妙に心が騒いで落ち着かずとにかく松江に出たいと思う。松江は私が高校時代の3年間を過ごした町である。そして去年の冬。帰省すると、やはりすぐに松江に出た。京橋の近くのコーヒー店の川を臨む窓際の席に坐って本を読んだ。数頁読んだところで窓の外が急に暗くなって、小雨がパラつき、暗緑色の川面を軽く打った。雨はすぐに止んだ。物悲しい風景と思う間もない短い雨だった。
私はなんだかひどく落ち着かない状態にいる自分を知った。この川沿いの道をまっすぐ登ったところにいまはない私たちの学校があったのだと思うとたまらない気持になった。私は急いで店を出ると、京橋を渡り、足早に殿町を過ぎ、小走りに北堀川を渡り、息切れする自分を振り切って、北堀教会の前までやってきた。ここが、私の高校時代の下宿先であった。礼拝堂のすぐ裏に私の部屋はあったのだ。しかし、北堀教会もまた、いまはない北堀教会だった。旧い教会はすっかり取り壊され、跡形もなくなって、新しい教会の建築が始められたばかりのところだった。木造の、屋根もない、壁もない、ただ輪郭ばかりの北堀教会を冷たい冬の風が吹き抜けていった。私は歩いた。歩き続けた。夕幕れの町をいくつも通りすぎ、小さな橋を何本も渡った。私は急いでいた。急ぎすぎていた。私はいま、高校時代に親しい交際を続けていた少女の家の近くにまで来ていた。来ているはずだった。しかし、山々は切り崩され、田畑は埋め立てられ、宅地に造成され、駐車場に変わり、町はすっかり様子を一変させていた。私は少女を少女の家を探し求めて歩いた。歩きまわった。路地に迷った。自分を喪った。しかし、結局は少女が私を導いた。一軒の家の前に来て、私は動けなくなった。夕闇の向こうに、あの時と、私が初めて少女の家を訪ねた時とそっくりそのままの風景が浮かび上ったのだ。小さな縁側に少女が坐り、母上と姉上がおられ、そして私がいた。4人は楽しそうに笑っていた。小さな縁側は取り壊されることもなく、30数年の間、ひっそりと生き続けていたのだ。