142.恐怖の伝書鳩
リアム=ラードーン、国境の近く。
赤い結界のあたりまで、俺はブルーノを送ってきた。
ブルーノが帰るついでに、世間話をしながら一緒に来た。
彼はしきりに恐縮していたが、俺としては兄でもあるから、そこまでかしこまらなくてもいいって思うんだけど……難しい。
俺は普通に歩き、彼は乗ってきた馬に乗らず、手綱を引きながら俺と一緒に歩いている。
ふと、ブルーノが見あげながら、感慨深そうにいった。
「いつ見ても、とてつもない魔法ですね」
「ん?」
「この壁ですよ」
「ああ」
俺も同じように、顔を上げて赤い結界をみた。
「最近では、これの事をレッドラインと呼ぶものもいるそうです」
「レッドライン」
「赤色のデッドライン、それを合わせてレッドラインだとか」
「なるほど」
俺は深く頷いた。
赤いデッドラインとは上手い事を言うもんだな。
確かに、敵ならここを越えてきたら容赦はしない様にしてる。
「そんなに恐ろしいものでもないんだけどな。あくまで敵として侵入するのなら許さない、ってだけのもので」
「でしたら、観光のツアーを組ませていただいてもよろしいでしょうか」
「観光?」
「はい、こういった、非日常的な自然の光景を好む好事家がかなり多いもので」
「ああ……それはわかる」
旅行好きの中でも、取り立てて秘境とか、ちょっとでも何かあれば身の危険があるような場所にあえて行きたがる連中がいる。
改めて赤い結界――レッドラインを見あげた。
うん、そういう者達が好みそうなロケーションだ。
「分かった、好きにやっていいよ。ラインを越えさせた方がいいのかな」
「その方が喜びましょう」
「じゃあ後で、関所的な物を作って常駐させよう。ある程度の手続きをさせた方がそれっぽくて向こうも喜ぶだろう」
「ありがとうございます」
ブルーノは深々と頭を下げた。
「その際、一切の生命の保証はしない、苦情も文句も言わない、といった誓約書にサインさせた方がよろしいのかもしれません」
「いいね、それ。まあ、そういう細かいのは任せるよ」
「はっ、ありがたき幸せ」
ブルーノは深々と頭を下げた。
彼が来る度に、何かしら
詳細を実際に聞いた事はないが、ここまで次々と何かを持ってくるってことは結構儲かってるんだろうな。
ブルーノとは、この体に乗り移ってから――転生直後から一緒で、色々アドバイスもしてもらった。
これくらいで恩返しになればいいな。
そうこうしているうちに結界のすぐそばに来て、ブルーノは早足で俺の前に出て、振り向いた。
「ここまでで結構でございます、陛下」
「ああ、また遊びに来てくれ」
「ありがたき幸せ」
そう言った後、ブルーノは振り返りもせず、しばらくの間俺をじっと見つめた。
「どうした、何かあるのか?」
「……はい、迷いましたが、やはり陛下のお耳に入れておいた方がよいかと思いまして」
「うん?」
「チャールズ・ハミルトン」
俺は一瞬きょとんとなった。
五秒くらいかかって、ようやくその名の主を思い出した。
俺とブルーノの父親、ハミルトン家の現当主だ。
最近は名前も聞かず、俺が「約束の地」の建国に没頭してたから、すっかり忘れていた。
本当の父親ならさすがに忘れないんだろうが……俺はちょっと前にこのリアムの体に乗り移ったばかりだからなぁ。
父上、って呼んではいても、実の父という感覚がほとんどない。
「父上がどうかしたのか?」
「最近とくに焦っておられる様子です」
「焦ってる?」
「はい。娘を輿入れさせるために運動してらっしゃるようですが、意外とそれが難航しているらしく」
「……あぁ、ってことは貴族の、えっと……更新? がヤバイから焦ってるってことか」
「ご明察でございます」
そこまでヒントを出されてご明察も何もないんだが、ブルーノはやはり恭しく頭を下げてそう言った。
「これまではプライドもあり、陛下との接触を避けていた節がございましたが、どうやら風向きが変わったようで」
「来るかもしれないって事か」
ブルーノは静かに、無言のままうなずいた。
「わかった。警告ありがとう」
「恐縮です」
ブルーノはそう言って、もう一度頭を下げてから、身を翻して立ち去った。
律儀に馬を引いたまま歩いて、ほとんど豆粒大になって見えなくなった距離まで離れてから、馬にまたがった。
俺はその場に立ちつくしたまま、考える。
そうか、父上がか。
『ふふっ、人の自尊心というのは本当無駄なものだな』
「どういう事なんだラードーン」
『お前の父親、自尊心をもっと早く捨てていれば、お前とジャミールの間を取り持てただろうに』
「ああっ!」
俺はポン、と手を叩いた。
ジャミールとの和平交渉。
かなりもめたこともあって、一時は戦争状態ギリギリまで突入していた。
いや、実質開戦してたのかな、あれは。
そこにもし父上が入ってきて、双方の仲を取り持てたら――文句なしの功績、貴族免許の更新になった。
しかし父上は動かなかった。
ブルーノは「プライドかもしれない」といった。
プライドに邪魔されて好機を逃したのなら、ラードーンが呆れ笑いするのも仕方ないか。
『その点、お前はいい』
「え?」
『無駄なプライドがない』
「俺だって男なんだし、プライドくらいあるぞ」
『無駄な、といった。全くの骨なしならそれはそれで問題だ』
「なるほど」
俺が頷くと、ラードーンはまた「ふふっ」と聞き慣れた笑い声を漏らした。
『さて、ここでもう一仕事だな』
「え?」
どういう意味だ――って聞く前にそれを理解する。
赤い壁――レッドラインの向こうの物陰から三人の男が現われて、いともあっさり壁を越えてきた。
「へへっ、ずっとここで待った甲斐があったぜ」
男の一人が舌なめずりしながら、俺をじろじろと見つめて来た。
みた感じ……冒険者っぽい?
そういう、荒事になれている感じの雰囲気を出している。
「お前達は?」
誰何するが、返ってきたのは嘲笑混じりの軽薄な言葉だった。
「俺達が何者かなんて、お前に知る必要はねえよ」
「そうそう、今から俺達にボコボコにされるんだから」
「安心しな、生きてつれてかなきゃならんから、命までは取らねえよ」
「えっと……誘拐、か? 相手を間違ってないか?」
「いいや、魔物の王、あんたが目的だよ」
魔物の王……それなら確かに俺だ。
「なんでまた……」
「俺らはずっと待ってた、小僧、お前が一人になるところを」
「守ってくれる魔物がいなくなって、一人になった所をなあ」
えっと……つまり……。
『お前の事を、魔物に守られているだけの小僧だと思っているのだろう』
「な、なるほど」
俺はちょっと苦笑いした。
「えっと……俺の事、噂とかで聞いてるよな」
「はっ、あんなの当てになるかよ。こんなガキがさ」
「大方ギガースとか人狼にくっついてるだけで、噂に尾ひれ背びれがついたんだろ?」
「子供一人ならなにも怖くねえ」
「あぁ……うん」
なるほどそう思われてるのか。
それは仕方ない、のかな。
「ってわけで、抵抗しなきゃそんなに痛くしねえからよ」
そう言いながら、男の一人が近づいてきた。
手に縄を持っていて、それで俺を縛るつもりなんだろう。
『殺すな、生かして恐ろしさを伝える伝書鳩になってもらえ』
「わかった」
俺はふぅ、と息を深く吸い込んで。
「パワーミサイル……67連」
拳を突き出し、無詠唱で魔法を放つ。
67本の魔法の矢が、三人の男を一斉にボコボコにした。
防御も回避も出来ず、ボロ雑巾の様になって吹っ飛んだ。
息はちゃんとあるらしい。
俺はボロボロになって、倒れている三人に近づく。
「リジェネレーション」
普段は使わない方の治癒魔法を使う。
ヒールとかと違って、ゆっくりと治していくから、あまり使わない。
が、今はこれでいいだろう。
苦痛を少しでも長引かせつつ、恐怖をすり込むには。
『うむ、いい処置だ。やはり魔法の使い方は抜群だな、お前は』
ラードーンにも褒めてもらって、ちょっと気分がよかった。