「大人の世界」に
潰された若いカップル

 暮れになると、週刊誌は合併号を出します。通常60万部が実売という当時、合併号は2週間売るので100万部近い実売を目指します。

 しかしこの時は、締め切りが近づいても、売り物になるネタがまったくありません。締め切り前日の編集会議で花田編集長が「信じがたいんだが、貴花田と宮沢りえが別れるという話があるんだよ。でも、あと1日しかないから、年明けに調べてみるか」。

 勢いに乗っている編集部は、こういう時の反応が違います。デスクの1人だった私が、「それだけの話なら、とにかくなんとか合併号に入るよう努力しましょう。花田さんのニュースソースに私が直接会って、モノになるかどうか見極め、なりそうなら大量に記者を動員して間に合わせましょう」と言うと、全デスクが賛成しました。

 その日のうちにニュースソースに接触。最終的な決断は、私が貴花田後援会の幹部に話を聞いたところで決まりました。幹部は、宮沢家の財産や家系など驚くほど詳しいデータを持っていて、2つの家族…というより、この場合、「2つの会社」というべきなのでしょうが、まったくうまくつきあえないだろうということを示唆しました。

 もちろん、そういう個人データを記事で公表はできません。当時の週刊文春を読んでいただくとわかるのですが、記事は確信をもって破談へ、となっていますが、中身はほとんどありません。しかし、婚約発表から約2カ月、2人は双方がまだ好きなまま、破談を発表しました。

 我々も含めて大人の世界に潰されたのでした。

 しかし、こうした仕事のしかたは、いつしか変わっていきました。私が編集長時代、田中真紀子さんの長女に関する記事で、地裁で発売停止処分を下された(その後、高裁で勝訴)とき、実は同じ週、週刊新潮も仮処分差し止め訴訟を提起されていました。

 相手は長嶋一茂さん。我々の田中真紀子さんの長女の記事と同じく、名誉毀損での訴訟ではなくプライバシー侵害を理由にした仮処分差し止めでした。後で、この週刊新潮の話を聞き、時代の変わり目にいたのだなと実感しました。

 戦後高度成長期の象徴的人気者といえば、田中角栄と長嶋茂雄でした。メディアからの人気は絶頂。そして、2人とも、メディアがどんなに面白おかしく書こうが、抗議などしないことで有名でした。

「記者さんも商売なんだから、しょうがないだろ」というのが田中角栄のいつものセリフだったそうですし、長嶋さんも同じです。

 メディアに自由に書かせて、そのプライバシーも含めて売り物にして人気者になる…という構図は、この時期から変わりました。人気者の象徴2人の家族からプライバシー侵害が提起されたのです。