弊社のトレーニングセンター品川会場は、品川の御殿山(ごてんやま)にあります。御殿山という字を見ただけで、なにか歴史の薫りを感じませんか。そこで、歴史好きな私が、今後数回にわたって、御殿山周辺、品川周辺の歴史スポット、歴史話をご紹介いたします。せっかく御殿山まで来ていただいたのですから、「帰りにちょっと寄ってみようかな」「散歩がてらちょっと足を伸ばしてみようかな」。そんな気分になっていただけるような、周辺のスポットを、歴史話を絡めてご紹介いたします。
その昔、有名なテレビのクイズ番組で、漢字のまったく読めない外国人が、「品川」という漢字をみて、とっさに「Three Boxes and Three Lines!」と叫んだという、まことしやかな逸話が紹介されていました。そんな品川ですが、まずは、弊社トレーニングセンターの最寄り駅、JR品川駅と京浜急行電鉄(以下、京急)の北品川駅にまつわる話からご紹介します。
下の画像は、品川駅、および北品川駅から、トレーニングセンターがある「御殿山トラストシティ」を含めた地図(MapFan)です。地図全体を見渡して、なにか不思議なこと、おかしなことに気が付きませんか?
ヒント:この地図は、上が北を指しています。
どこか不思議なところがある・・・? 品川北品川地図(MapFanより)
お気づきになったと思います。
そうです!
品川駅の「南」にあるにも関わらず、駅の名が「北」品川駅となっているのです。
なぜ、このようなことが起こってしまったのでしょうか。それは、現在の品川駅の位置に原因があります。
上:もういちど見てみよう 品川北品川地図 下:筆者撮影
そもそも品川という地名は、江戸時代に指定された旧東海道の宿場町の名称です。
ところがその位置は、現在の品川駅周辺にではなく、さらにもっと南に位置していました。
品川駅の南1Kmのところに目黒川が流れています。この目黒川と旧東海道が交わる、旧東海道沿いの一帯が当時の品川宿でした。
(品川宿とは、正確には、歩行新宿、北品川宿、南品川宿の3宿の総称です。)
下の地図をご覧ください。黄色の道が、旧東海道です。
北品川と南品川
目黒川をはさんで、北を「北品川」、南を「南品川」と呼んでいました。
現在の北品川駅は、「北品川」と呼ばれる地域に位置します。
ところが、明治5年(1872年)、この品川宿よりも北に位置する場所、本来の地名では高輪あるいは八ツ山と呼ぶべき場所に、品川と称する現在のJR品川駅が開業しました(※)。
そのため、北品川駅が品川駅よりも南に位置することになってしまったのです。
※開業当時の品川駅は、現在よりも300m程南に位置していました。現在の八ツ山橋の少し北側ぐらいです。現在の位置に移動したのは明治35年(1902年)です。
ですが、このように書くと、あたかも先に北品川駅が存在し、後から品川駅が開業したように聞こえますが、実際はその逆です。
明治5年(1872年)に品川駅が開業してから、50年以上もたった大正14年(1925年)になって、後から北品川駅は誕生しました。
(駅の開業そのものは明治37年(1904年)です。当初の名称は品川駅でした。大正13年に駅の位置を南に200m移動させますが、名称は品川駅のままとし、大正14年になって北品川駅に改名しました。)
つまり、京急(当時、京浜電気鉄道)は、すでに品川駅が存在することを承知の上で、北品川という駅名にしたのです。
まとめると、以下のようになります。
【品川駅、北品川駅の年表】
・1872年(明治5年) JR・品川駅 開業
・1904年(明治37年)京急・品川駅 開業
・1924年(大正13年) 京急・品川駅 を 200m南に移動
・1925年(大正14年) 京急・品川駅 を 北品川駅 に改名
そんな品川駅と北品川駅ですが、現在の東京都の区割りでいうと、品川駅は港区に、北品川駅は品川区に位置しています。
品川駅の高輪口(山手線の内側)は、現在、品川プリンスホテルを筆頭に、シティホテルが林立しています。(小高い丘になっています。)
また、反対側(山手線の外側)の港南口は、20数年前に再開発が行われ、今は、オフィスビルが林立しています。(再開発前は、旧国鉄の操車場などがありました。)そんな港南口のオフィスエリアですが、明治の品川駅開業当初、そこは海の中でした。いまでこそ、品川駅から東京湾まで、約2Kmもの距離がありますが、その2Kmに渡る陸地のほぼすべては、明治以降にできた埋立地です。
当時は、品川駅のすぐ横にまで東京湾が迫っていました。下の写真は、品川駅開業当初のものです。ただ、当時の品川駅は、今と同じ場所にあったのではなく、それよりも300m程南に位置していました。現在の八ツ山橋の手前、北側にありました。
上:Wikipediaより 下:トレーニングセンターより筆者撮影
ご存知のように品川駅は、日本で最初に敷設された鉄道、のちの東海道線(新橋、横浜間)の駅の1つです。東海道線は、おおよそ東海道(街道)に添うように敷設される計画でした。
ところが、建設当時、品川駅近辺(高輪、八ツ山の麓)は、山と海に挟まれた狭隘地で、東海道のすぐ横(東側)まで海が迫っていました。しかも、わずかな土地は軍部が占有し、軍部は鉄道敷設に不理解であったため、土地の提供を拒否したそうです。そこで、現在の田町駅から品川駅に至る部分については、海中に堤防を築き、その上に鉄道を敷設することにしました。おそらく、開業当初の品川駅は、まるで海に浮かぶ駅の様相だったことでしょう。(実際は陸の上の駅です。)
下の図は、当時の海岸線と東海道線の位置関係を確認することができる地図です(五号 新橋横浜間鉄道之図)。左が南、右が北になっています。赤い線が鉄道線路を表しています。線路が海上に存在したことがわかります。
❏ 五号 新橋横浜間鉄道之図(国立公文書館デジタルアーカイブ)
上:当時の線路と海岸線(国立公文書館デジタルアーカイブより) 下;歌川広重作「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」
また、上の浮世絵は、歌川広重作「東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図」です。海の上を蒸気機関車が走っています。
(前述のとおり、開業当初の品川駅は、八ツ山橋の北側近くに位置していました。題名の「八ツ山下」はそのためです。)
さて、一方の北品川駅ですが、品川駅に比べるとかなりこじんまりとした駅となっています。先にも触れたとおり、開業当初は、品川駅という名称でした。
ところが、大正14年(1925年)、京急は、現在の品川駅高輪口の向かい側(現在、「ウィング高輪WEST」がある辺り)に、「高輪駅」 を開業し、それにともない、駅名を北品川駅に改名しました。
Wikipediaによると、当初、高輪駅は、青山まで続く「青山線」の基点となる駅として開業しました。ところが、青山線の計画が中止となり、さらに、東京市電との乗り入れがあった北品川駅よりも、乗り入れがなかった高輪駅の方が、乗降客が少なかったこともあって、わずか8年で廃止されてしまいました。
京急はその後、昭和8年(1933年)、JR品川駅に併設する京急品川駅を開業しました。
【品川駅、北品川駅の年表】
・1872年(明治5年) JR・品川駅 開業
・1904年(明治37年)京急・品川駅 開業
・1924年(大正13年)京急・品川駅 を 200m南に移動(現・北品川駅の位置に移動)
・1925年(大正14年)京急・高輪駅 開業 あわせて 京急・品川駅 を 北品川駅 に改名
・1933年(昭和8年) 京急・高輪駅 廃止 あわせて 京急・品川駅(JR品川駅に併設) 開業
※注記
上記の年表は Wikipedia の「北品川駅」の項目を参考にまとめたものです。なお、Wikipedia の「品川駅」の項目には、北品川駅 への改名は、1924年(大正13年)と記載されています。
【2016.5.22 追記】
執筆当時、前出の幻の「青山線」に関する情報を筆者は Wikipedia 以外に見つけることができなかったのですが、最近、関連すると思われる情報を入手いたしました。情報は、大正13年発行の「東京朝日新聞」の記事です。当時、京浜電気鉄道(京急)が、明治神宮近くまで路線を延長する予定だったことが、記事の一部として紹介されています。
【追記 終】
昭和元年(1925年)の地図(公益法人 後藤・安田記念東京都市研究所より)
JTPのトレーニングセンター品川会場は、御殿山という場所にあります。(御殿山トラストタワー14F)
御殿山近辺地形図(国土地理院より)
御殿山という地名を聞くと、なんとも高貴な印象を受けますが、地名の由来には、2つの説があります。
1つは、室町時代、太田道灌(おおたどうかん)という武将の御殿があったから、という説。もう1つは、江戸時代、徳川将軍の別邸「品川御殿」(鷹狩りの際の休憩所、茶会の場)があったから、という説です。いずれにしても、身分の高いお人の御殿があったことに由来するようです。(ちなみに、御殿山という地名は、全国津々浦々いたるところに存在します。)
この御殿「山」は、文字通り、小高い山になっています。品川駅から向かってくると、緩やかなスロープになっているので、その標高の高さを実感することは少ないのですが、大崎駅から御殿山に向かう「御殿山の坂」を登ってくると、坂の長さと、勾配のきつさ故に、御殿山の高さを実感することができます。
写真は、「御殿山の坂」の途中に設置されているベンチです。左右の高低差から、勾配の様子を窺うことができると思います。
なお、「御殿山の坂」の場所は、品川区のHPでも確認できます。
御殿山の坂(筆者撮影)
現在、御殿山には、御殿山トラストシティ(御殿山トラストタワー)と東京マリオットホテル、および、御殿山という名前のイメージを地で行くような高級住宅地が広がっています。また、セルビア・モンテネグロ大使館、ミャンマー大使館、そして、原美術館なども立ち並んでいます。さらには、「三国志」「新平家物語」などで有名な、作家の吉川英治が、昭和28年から32年までを過ごした御殿が、今もそのままの姿で残っていたりします。
このように、現在はさまざまな建物が建ち並ぶ御殿山ですが、江戸の昔、ここは桜の名所として広く知れ渡った場所でした。
御殿山が桜の名所となったのは、将軍吉宗が、庶民のための桜の名所を作るべく、享保年間に桜を移植させたことがきっかけとなりました。江戸時代の書物「宿差出明細帳写」には、その数600本と記載されているそうです。
江戸庶民は、桜の季節になると、こぞって御殿山へお花見に出かけたようです。さすがに当時の写真は存在しませんが、御殿山の桜を題材にした多くの浮世絵が残っています。
下の浮世絵、1つ目は 葛飾北斎作「富嶽三十六景 東海道御殿山ノ不二」、2つ目は一立斎広重作「東都名所 御殿山花見(品川全図)」です。
上:葛飾北斎作「富嶽三十六景 東海道御殿山ノ不二」 下:一立斎広重「東都名所 御殿山花見(品川全図)」
小高い山からは、桜越しに、遠くまで連なる品川宿の街並み、また、眼下には、足元から広がる江戸湾、さらには、はるか遠方にそびえる富士の山、それらすべてを一望できる風光明媚を想像すれば、江戸の庶民が、大挙してお花見に訪れたのも容易にうなずけます。
しかし、明治期になると、ペリー来航を機とするお台場(砲台)建設用の土採り場として、また、東海道線敷設用の土採り場として、さらには、鉄道各線の切通しによって、御殿山自体が次第に取り崩されてゆき、それとともに桜の数も減っていきました。ただ、現在でも、往時を忍ばせる桜を、所々で散見することができます。
下のHPで、現在の御殿山近辺の桜の様子を窺い知ることができます。
http://travel.biglobe.ne.jp/special/tokyo_sakura/h005526.html
また、桜だけではなく、御殿山トラストシティの敷地には、緑豊かな庭園が存在します。新緑の季節、紅葉の季節、弊社トレーニング受講生の方はトレーニングが始まる前の朝方、あるいは、お昼休み、さらには、トレーニング終了後のたそがれ時に、ちょっと散歩しただけでも、とてもよい気分転換になるかもしれません。
御殿山の庭
今回、最後のご紹介は、弊社のトレーニングセンター品川会場です。
トレーニングセンターは、御殿山トラストシティ内にある、御殿山トラストタワーの14Fです。教室数は、全部で30室。14Fフロア全体がトレーニングセンターとなっております。清潔で広々とした空間で、リラックスしてトレーニングを受講することができます。ゆったりとした休憩スペースも用意されております。教室や、休憩スペースからは、思わず写真を撮りたくなるような東京の絶景を臨むことができます。(品川駅、新幹線、東京タワー、六本木ヒルズ、レインボーブリッジ、東京湾、そして富士山 …etc)
優秀なインストラクターが多数お待ちしておりますので、ぜひ、弊社のトレーニングセンターをご利用ください。また、JR品川駅からは、御殿山トラストシティへの無料シャトルバスが出ておりますので、アクセスも大変便利です。
会場へのアクセスは下記をご確認ください。
http://edu.jtp.co.jp/about_jtp_it/venue/index.html
JTP御殿山トレーニングセンター
今回は、品川駅、北品川駅、御殿山の歴史をご紹介しました。まだまだ、品川、御殿山近辺には、たくさんの歴史が潜んでいます。
次回も引き続き、周辺の歴史をご紹介いたします。
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